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金子正一の話 10

「もしもし。私、北星小学校の金子と申します」

「何でしょうか?貴志って子が転校する手はずでも整いましたか?」

「いえ、そこまでは話が進んでおりません」

「なら、話すことはありません」

ガチャリ…ツーツー

 やはり、電話では埒があかない。これまでと同じ方法では、話をすることすらできないのだ。放課後、忙しない職員室で俺は受話器を握りしめていた。岡部先生と、ビリヤードに行った次の日、授業が終わって意を決して電話をかけてみたのだが、結果は変わらなかった。浜田教頭がこっちを睨みつける。

「金子先生、どうですか?」

「ダメです。もう話は聞いてもらえないようです。もう、こじれすぎてしまって…」

「いえ、柏木さんとの話ではなく、先日話した件です」

口ぶりはとても柔らかいが、他の先生方もいる職員室で話す内容ではない。みんなの前で話をするということは、もう管理職の中では決定事項なのだろう。全く目の笑っていない浜田教頭は、話を続ける。

「もうそろそろ、いいでしょう。金子先生はまだ若い。今回も良く頑張りましたが、運が悪かったということですよ」

唇の端が少し上がる。目は笑っていないが、今までのように蔑むような目ではなかった。そのかわりに憐れみが含まれている。

 周囲の先生方は、何事もなかったように仕事はしているが、ピンと空気が張りつめていることは感じる。自分のクラスで子どもに説教をする時の空気に良く似ている。なんとなくそんなことを感じた。

 ここで、涙を流しながら、「すみませんでした」と言えば楽になれるのだろう。来年度の人事も考慮してくれるだろう。幸いなことに、柏木さんの他の保護者からのクレームはない。話を知らない新一年生の担任なんかに配置してくれれば、何事もなかったように暮らせるかもしれない。この躓きを糧にして今後を生きていくのも悪くないかも知れない。

 だが、そうしないことは心に決めていた。

「…浜田教頭。明日まで待ってもらっていいですか?」

「明日でも明後日でもいいよ。だけど、決断を早くすることができれば、金子先生も楽になれるだろう?柏木さんのことは置いておいて、他の子のためにあと半年頑張ってくれればいいのだから」

「わかりました。確かに現状のままでは、他の子にも悪いですし、教材研究なんかにも力が入りません。ケリ、つけてきます」

「ん?ケリ?ケリってなんのことだ?」

浜田教頭が怪訝そうに聞いてくるが、もう知ったことではない。今日で勝負を決める。今日でダメならあきらめる。それは、もう決めたことだった。

「ちょっと、家庭訪問に行ってきます。何時になるかわからないので、そのまま帰ります。それでは、失礼します」

 思った以上に大きな声を出してしまった。自分の狼狽ぶりがよくわかる。言葉に出してしまったらもう後戻りはできない。周囲の先生も、呆然とこっちを見ている。浜田教頭は、一瞬唖然としたが、すぐに真っ赤な顔で叫んだ。

「ちょっと待て、家庭訪問って柏木さんの家か?これ以上こじらせるのはやめろ。話がつかなかったら、誰が責任を取るのだ?君は今年一年で終わりだけど、君の次に持つ先生が尻拭いをすることになるんだぞ!」

一瞬で怒りが沸点に達したのだろう。「今年一年で終わりだ」と大きな声で叫んだことを気にする様子もなかった。これ以上話をしていては、気持ちが萎えてしまうと思った俺は、すぐに職員室を抜け出した。

「すいません、もう決めたことなので。それでは行ってきます」

「おい!待て!」

と教頭の声を背中に受けながら、俺は学校を出て柏木さんの家に向かった。

 柏木さんの旦那は一般的にSEと呼ばれる仕事らしい。色々な企業のプログラムの調整を行っている。何か不具合が起きたら電話一本で、朝でも夜でもどんな時でも駆けつけなくてはならないらしい。もちろん雅彦とも関わる時間は少ないだろう。

 比較的小さな一戸建ての家だった。外壁が薄いベージュで屋根は紺、小さいながらも庭があり、手入れの行き届いている辺りが家の人間の性格が出ている。たぶんA型だろうな、となんとなく思った。

 ピンポーンとインターフォンを押す。しかし、反応はない。自転車が庭にあったので、外出はしていないのだろう。だとすれば、インターフォンで俺が来ているのがわかっているのだろう。雅彦が学校に来なくなって、一か月ほど経つ。その間、クラスメイトが入れ代わり立ち代わり手紙を届けに来ていた。それを迷惑に思い、「もう子どもをよこすな!」という電話もあったことを思い出した。門前払いをするのだろう。

 もう一度、押す。しかし、当然ながら出てこない。会って話をしないことにはどうしようもならない。緊張でカラカラにのどが渇くが、つばを飲み込んでもう一度押す。そして、もう一度。

 何度も何度も押したものの柏木さんは出てこない。ここまでしているのに!と怒りを覚えるが、逆に、「なぜここまでしても話をしたがらないのだろう?」とも思った。話をしたら都合が悪いのではないか?それはなぜだ?と心をよぎるが、ここまで来てしまってはもう後戻りはできない。

 仕方なく、ドアに手をかける。予想に反し、カチャリと音を立てて扉は開いた。意を決して、中に入る。

「すみませーん。北星小の金子です。柏木さーん!いませんか?」

遠慮がちに声を出すが、中から出てくる様子はなかった。

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