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金子正一の話

「これ、すみません」

 畠中良子が言いながら、教頭に封筒を出しているのを見てしまった。封筒には「辞表」と大きく書いてある。辞表を出す人を初めて見たなぁと、間の抜けたことをぼんやりと思った。

 朝も早い七時前、職員室は俺と教頭、そして一年生の担任の畠中先生しかいない。小学校の出勤は八時までにすれば良いことになっているので、七時前には職員室はまだ人がいない。

 畠中先生はいつも八時ギリギリに出勤してくるので、駐車場の車を見たとき、めずらしいこともあるものだと思った。俺はいつも七時前に来て仕事を始める。朝の職員室は教頭と二人きり、会話がないわけではないが、放課後の職員室に比べれば仕事ははかどる。そんな時間の有効な使い方が好きだった。

 そんないつもの朝のはずだったのだが…クラスがうまくいっていないのは、一目瞭然だったけど、まさか辞表を出すまで追い込まれているとは…こんな修羅場に巻き込まれるくらいなら、もう少し遅く来るのだった。

「いや、こんなのを出してほしいとは一言も言ってないんだけど」

「昨日の面談で話していたことは、こういうことですよね。もういいんです。年度の途中でやめるのは心苦しいけど、どうせ私なんかは教師を辞めたほうがいいってことはわかってます」

 声を荒げて、畠中先生は言った。アラフォーとは名ばかりで、45を超えているはず。四捨五入したらアラフィフなはずだったと思う。

「おはようございまーす」

 深刻さを感じ取ってそっと職員室から抜け出るか、気づかないふりをするかの2択で後者を選んだ俺は、頭の悪そうな大きな声を出した。

「おはようございます」

畠中先生はこちらも見ないで言った。声に力はなく、涙声だったりするから心が痛い。

「ここじゃ、あれなんで、ちょっと校長室へ」

挨拶もしないで、浜田孝教頭は畠中先生を連れて校長室へ入っていった。浜田教頭は、40代前半で教頭になり、教頭としてうちの学校で3校目になる。管理職というのは、たいてい2年か3年ほどで学校を変わる。校長採用試験も受かっているとの噂が立っており、校長の椅子の空きが出るのを待っているらしい。校長待ちの時に、辞職者を出した、とでもなれば体裁が悪いのもよくわかる。浜田教頭は、苦虫をガリガリを噛んだらそうなるかも知れないな、という顔をしていた。

 畠中先生と浜田教頭が校長室に入ったところで、俺は机のノートパソコンを開いた。今年度各小学校教諭に全員分支給されたものだ。最新のOSは入っているもの、中身は貧相なスペックしかない。今時、DVDも焼けない、CDも焼けない。ネットにはつながるものの、サーバーは町の教育委員会の所有なので、規制のかかっているサイトがほとんどである。公の人間のやることはどこか抜けている。俺も含めてなのかもしれないけど。

 教師になって5年目、初任で3年生の担任になってから、3、4年生、1,2年生の4年間を前任校で過ごした。この学校に勤務し、5年生の担任として4か月を過ごした。

 初めての高学年、初めてこの学校に足を踏み入れたその日に、

「5年生、頼みますよ。若さを生かしてバリバリやってくださいね」

と浜田教頭に言われた時には胸が躍った。小学校において、高学年は花形だと思っている。高学年がすごいということは、その学校がすごいということになる。五年を持つということは、六年生も持たされることが多いので、卒業担任を持たされるということにもつながる。卒業生を出す、教師になった時からの憧れだった。

 我が北星小学校は、北海道の片田舎にある学年一クラスの小さな学校だ。一年生から六年生まで一クラスずつ、それと六年生には情緒障害の児童がいる「すこやか学級」と名付けられたクラスもある。「特別支援学級」と呼ばれ、通常は六年生のクラスと一緒に行動するが、体育、音楽、家庭科、図工などの実技教科は先生とマンツーマンで学習をする。まさに「すこやか」に生活のできるクラスだ。

 これには正直頭が来る。三〇人弱の子ども達を受け持つ俺たち普通学級の担任に対し、すこやか学級の先生は見るのは一人だけ。それだけ、特別な配慮の必要な子、ということなのはわかるが、三〇人の子どもを相手にするのと1人を相手にするのでは、大変さが違うのは一目瞭然だと思う。そして、何より頭に来るのが、特別支援学級の担任は給料が高い。特別支援手当、というものが出る。給料の八%。子どもが特別だからって、教師まで特別にしなくてもよかろうに。

 それに、教務と呼ばれる担任団の統括をする職員室における「学級委員」のような役職もある。これは、担任がスムーズに仕事ができるよう様々な雑用のような仕事をする。具体的には、担任の様々な事務作業の補佐・チェック、担任不在の際の補欠、各担任への指導など、いなくても学校は回るかも知れないが、いなくなられると困るポジションである。このポジションは教頭へステップアップするためのものでもあるので、各学校のミドルエイジがなることが多い。事実、我が校の教務も四十代初めの男の先生が務めている。

保健室の養護教諭、職員室の事務の先生(教職員免許を持たないので、役場の人間と同じような立場となる。業務は各種教材の発注・管理、給料や旅費などの管理などがある)が加わり、それをまとめ上げる職員室の「教師」の役割となる教頭がいる。

そして、学校全体の全責任を負う校長がいて、小学校は成り立っている。学校に勤務してわかったことだが、学校全体を動かすのは教頭だということ。だから、漫画などでは教頭はピリピリしていて、校長はニコニコしているのだ。校長は学校全体の計画を立て、どんと構えている。実務は教頭がするのだから当然である。そんなことも、勤務するまでわからなかった。いや、勤務して数年はわからなかった。

 勤務して5年、少しずつ学校のことが見えてきた。立ち上がったパソコンを操作して、ワープロソフトを起動させる。今日、出さなくてはいけない学級通信を印刷するためだった。

 学級通信というのは、「出さなければならないもの」であるということを知ったのも、教師になってからだった。自分が子どもの頃は毎日のように学級通信を受け取っていた気がする。先生の手書きの下手くそなイラストと共に、「今日の明彦の発表は素晴らしかった!」とか「昨日の学習発表会の練習での武司の態度はひどかった」などと書かれていた。今なら個人情報満載で日の目を見ないだろう。こんなこと、うちのクラスにいる人間ならみんな知っている、わざわざプリントにする必要はないだろうに…と子ども心に不思議に思ったものだった。そして、ほとんどは紙飛行機になっていたのも事実だ。当時の学級通信とは、担任の自己満足のためのもの、というイメージがあった。出さなくて(・・・・・)も(・)いい(・・)もの(・・)だった(・・・)。

 その点、今の学級通信は毎週必ず出さなければならない。なぜか?それは、時間割が毎週同じではないからだ。一年間の授業時数が変わり、なんと毎週同じ時間割ではその授業時数をクリアできないからだ。「ナナメ掛け」と呼ばれ、月曜日の3時間目は、今週は社会、来週は音楽、というように流動的になってしまった。とんでもない話である。おかげで、忘れ物率は飛躍的にUPした。当り前だろう。俺が子どもの頃なんて、時間割を見た記憶はない。

 俺のクラスの学級通信「上を向いて歩こう」の表面には教室であった出来事を無記名で書く。無記名というのがポイントだ。前に、記名して子どものいいことを褒めていたら、「どうしてうちの子の名前が出ないんですか?ひいきじゃありませんか?」

と、電話をもらった。もちろん、ひいきではなく、うちの子である翔太、が良いことをほぼ、全くしなかったからだった。次の日、隣の子の消しゴムを無理やり拾わせて、「優しい翔太君、消しゴムを拾う」と書いたら、個人懇談で、

「あんな厭味ったらしいことを載せなくてもいいんじゃないですか?」

と怒られた。幸い、それ以来苦情はなかったが、どうしろっていうんだ!と叫びたくなって、その夜にいつも飲まないビールを立て続けにあおったことを覚えている。

 昨日あった出来事を書く。給食をこぼしたこと、みんなで片づけたことを、サラサラと書いていく。さも、素敵な事だったように書くことも得意になってきた。裏面には、来週の時間割を書き入れる。

 ふと、時計を見る。七時半を回っていた。その間に、同僚たちも少しずつ出勤をする。顔をあげずに、おはようございまーす!と声を上げる。大きな声で挨拶、子どもにも話していることは実践しているつもりだった。

「金子さん、こないだの生活の実態アンケートの集計いつだっけ?」

「あ、おはようございます。あれは、確か今週中だったと思うよ」

「うぇ、今週中!まずいなぁ~、やる暇ないなぁ…了解。わかりました」

と声をかけてきたのは、隣の席の4年生担任、早見光教諭だった。サッカー場に今から立つのですか?という格好で職員室に現れる。俺よりも三つほど若い男で、バリバリのサッカー大好きな男。うちの学校のサッカー少年団を受け持っている。

「早いうちにやっておいた方がいいよ。教頭、なんか機嫌悪そうだったから」

「いや、わかってはいるんすけどね。今週末、うちのサッカー大会があるから、そんなのやってる暇はないんすよね。めんどくさいなぁ」

「めんどくさがるなよ。サッカーは仕事じゃないだろ?」

「ま、そうっすね。俺の好きでやっていることだから」

と早見は面倒くさそうに言うなり、机にあったヘアワックスを持つと職員室を出て行った。自分の家でしてこいよ!と怒鳴りつけたくもなるのを抑える。たぶん、トイレで髪の毛をセットしてくるのだろう。

 早見は、サッカー少年団を受け持っている。放課後に子どもを集めてサッカーを教えるのだが、小学校には部活がない。なので、完全なボランティアということになる。お金をもらわないでサッカーを教える、聞こえはいいがその分本務に支障をきたすこともある。サッカーの練習は毎日、土日も欠かさず練習を行う。一生懸命といえば一生懸命だが。

「本来の仕事に一生懸命になれよ!」

と何度も酒の席で説教したこともあるが、本人は全く応えない。念仏を唱えているわけではないが、馬の方が少しは覚えてくれるんじゃないか?と思うほどだ。

 学級通信を印刷して、教室に向かう。時間は八時十五分前。八時一五分までに児童は登校を終えなくてはならないので、パラパラと玄関に子ども達が集まっていた。

「おはようございます」

「あ、金子先生おはようございます」

子ども相手とは言え、丁寧な言葉を使うようにしている。丁寧な言葉づかいを子どもに求めるなら、自分が丁寧な言葉遣いをしてやればよい。「おはよー」とフランクに声をかければ、「おはよー」と返ってくるのは当たり前だ。

 自分の教室に行くと、子どもの姿はまだなかった。自分のクラスの子ども達の大体の登校時間は把握している。一番早く来るのは、児島蓮太で八時五分くらいに来る。

 誰もいない教室で、頬をパンパンと打つ。そして、「ヨッシャ」と気合を入れる。この学校に来てから毎朝やっている儀式のようなものだった。毎日が戦いのようなものである。そして、俺は毎日の戦いに勝利している。保護者からのクレームもなければ、子ども達も俺に慕っているのがわかる。そう、俺は「できる教師」なのだ。

 ピンポンパンポーン

「金子先生、金子先生、お電話が入っています。職員室までお戻りください」

その放送はいつもと変わらない放送だったのだが、なんとなく俺は嫌なものを感じた。子ども達に文句を言われないよう、早足で廊下を進んで職員室に入る。

後に考えると、その電話が始まりだったようにも思う。その電話が順風満帆だった毎日の生活にヒビを入れるものであり、一度ヒビが入った毎日は案外もろいものでガラガラと崩れていく。そんなことすらわからなかった俺は、やはり未熟だったのだと思う。「できる教師」なんて、この世に存在しないことに気づくのは、この時よりもっともっと後のことである。


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