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金子正一の話 9

 パカーン

 音を立てて岡部先生はブレイクショットを決めた。9ボールを始めて、岡部先生がブレイクショットを決めたのだった。

 ビリヤード場についてすぐにブレイクショットをどちらがするかを決めた。決め方は、二人同じ場所から球を撞き、ワンバウンドさせてどちらが手前の壁に近いかで決める。「バンキング」という決め方だ。岡部先生の方が近かったので、俺は「ラック」と呼ばれるひし形の木製の枠で、決められている通りに9ボールの形にボールをセットした。

 二番、四番の球がポケットに入る。キューの先に滑り止めのチョークをつけながら、岡部先生は聞いてきた。

「なるほど、大体の内容はわかった。じゃあ、一つ質問、そもそもなんで雅彦が学校に行きたくないと言ったのか?その理由はわかってはいるのかな?」

 始めから確信のついた質問だった。それの答えはまだ出ていない。悔しいが、正直に話す他なかった。

「それが、実際にはわからないんです。柏木さんが言うように、いじめられているという雰囲気もなかったし、学校がそんなに楽しくない、という感じでもなかった。強いて言えば、若干友達の中から浮いてはいたようですが」

「ふーん」

岡部先生は、自分で質問しながらさして興味もなさそうに一番の球を狙い始めた。

「結果には必ず原因がある」

パカン、カン、ゴトン。一番の的玉がポケットに落ちる。三番の球を狙うには少々キツイ場所に手玉が移動した。まっすぐに打ってはどうやっても的玉に当たりそうにない。

「例えば、今、まっすぐに打ってはどうやっても的玉に当たらない結果になった。それはなぜかわかるかい?」

「その前のショットが原因だと思いますが」

「それも一つの原因だよ。一番を落とした時に、手玉が次に狙いやすい場所に行かせられなかったからね。でも、それが原因ではない」

「え、だって、今の時にこの辺に手玉が行っていれば次の三番をすぐに狙えたってことですよね」

俺は、自分の持っていたキューで指し示しながら言った。

「もちろんそうさ。俺がさっきのショットで上手に狙えたらよかったんだ。だから俺のせい。でもね、その前のブレイクショットもダメだったんだよ」

「それはないですよ。二つの球が入ったじゃないですか。ミスショットなら、一つも入らないですよね」

「でも、そのせいで今の状況を起こしているんだよ。もっと言えば、さっきラックを組んだ君のせいであるとも言える」

「そりゃ、いくらなんでもこじつけじゃないですか?」

「そういう見方もあるってことさ。柏木さんが君に強く当たるのがなぜか、深く考えたことがあるかい?」

「そう言われても。雅彦がいじめられているから、僕になんとかしろって言っているのだと思っています」

「だけど、いじめられてはいない?」

「はい。そう思えるのですが」

話をしていると、マスターがオレンジジュースを二つ持ってきた。相変わらず、注文を受けてから絞っているのだろう。量が少ない割に、ちょっと高い。

 サイドテーブルにオレンジジュースを置いたマスターは、岡部先生に話しかけた。

「デジャヴかな?これによく似た光景を見たことがあるように思うのだが」

岡部先生が苦笑いしながら答える。

「やめてくださいよ。もう何年前ですかねぇ。大磯先生も元気ですかね?」

二人には二人の過去があるようだけど、俺にはそれよりも岡部先生の言わんとしていることを、もう少し聞きたかった。話を遮るようにして、声を出す。

「岡部先生、さっきの話。柏木さんが強く当たるのは、雅彦がいじめられているからじゃないんですか?」

「うん、いじめられてはいないんでしょ?」

「…はい。と、思うのですが」

よくわからずに黙ってしまった俺を横目に、マスターが言う。

「自分で考えなよ。誰かに言われて出た答えってのは、身につかないもんだ。岡部さんだって、そうだっただろ?」

「だから、昔の話はやめてくださいよ」

静止する岡部先生を無視してマスターは続けた。

「この岡部さんだって、前に大磯さんと一緒に球を撞きに来たもんだ。『学級がうまくいかない』『保護者からのクレームに耐えられそうにない』って、涙を流してたもんさ」

 岡部先生は止めることができないと察したのか、照れ笑いを浮かべて、「撞かないなら、一人でやっちゃうよ」と言って、キューを構えて9ボールの続きを一人で始めてしまった。

「岡部先生も、悩むことがあったんですね。今の様子を見ていたら、そんな悩みなんてなくて、若いころからバリバリと仕事のできる人なんだと思ってました」

「初めからそんな奴なんていないだろ。当り前のことだけど、そんなこともわからないのかい?そりゃ、さっきの話もわかんないよね」

はっきり言われてしまっては、さすが心苦しい。ちょっと半べそをかいてしまう。

「今の若い先生って、何か、人間的に幼いところが多いよなぁ。わかってないっていうか、表面的って言うか。若いから仕方ないって言ってしまえばそれまでなんだけどな」

ぐぅの音も出ない。ここまで辛辣に言われると、反論もできない。マスターは寡黙なイメージがあったけど、ずいぶんと饒舌にしゃべるのだな。よっぽど若い先生が嫌いなのかもしれない。

「視点を変える、ってわかるかい?主観でしかものを見ていないから、問題を解決することができないんだよ。何で悩んでいるかわからないけどさ」

「視点?いろいろと考えているつもりですが…」

「自分の側からしか考えていないんだよ。主観的に物を語るから、解決しない。どうせ保護者ともめたりしているんだろ。お互いの主観でものをしゃべるから、いつまでたっても平行線なんだよ。そして、そのうちにお互いの人格否定が始まるんだ」

確かに、僕は柏木さんのことをモンスターペアレントだと思い始めていた。「そういう人だから仕方がない」という言葉に括り付けて。

「相手の気持ちを考えることができないんだよ。子ども相手だろうが、大人相手だろうが、そんなのは関係ない。人間として相手を尊重しないから、問題を解決できない」

 黙々と球を撞いていた岡部先生が話に入ってきた。

「その辺りにしておいてあげてくださいよ、マスター。なんか、昔の俺を見ているようで、ちょっと心苦しいです」

笑いながら助け舟を出してくれた。

「岡部さんもそうだったよなぁ。大磯さんと俺に説教されて、泣いてたっけ?」

意地悪く笑いながらマスターは続ける。

「だって、だって!って繰り返してたっけ?それが今や、後輩に指導する立場なんだから、偉くなったもんだ」

「それだけマスターも年を食ったんですよ。さっきから聞いてたら、ずいぶんキツク当たるじゃないですか?勘弁してあげてくださいよ」

「ちんたら言ったってわからない時もあるだろうさ。どうせ、岡部さんは優しく諭すんだろ。俺が嫌われ役になってやろうかと思ってさ。昔は、大磯さんが嫌われ役で俺が助けてやったもんだったけどな」

と、そこまで話してマスターはカウンターに戻っていった。

「さて、結局、一人でやっちゃったよ」

全ての球を落とし、新たにラックを組みながら岡部先生が話す。

「マスターの言うとおりだと思うよ。雅彦がいじめられているのか、いないのか、その事だけに目がいっているうちは、この話は解決しない」

「じゃあ、何をすればいいんですか?まともに柏木さんと話をすることもできないし…」

「それは、金子先生の考えでしょ?視点を変えなよ。どうしてまともに話ができないのか?どうやったらまともに話ができるのか?そして、柏木さんがクレームをつけてくるのはなぜか?」

 ラックを組み終えた岡部先生は、笑いながら、「もう一ゲームしようか?少しストレス発散をしよう」と言った。

 それからは、他愛もない話をして過ごした。岡部先生もこれ以上何かを言ってもだめだと思ったのかもしれない。それくらい俺は落ち込んでいたようだ。

 ちなみに、9ボールを計3回行ったが、全て俺が勝ってしまった。帰り際に、岡部先生が落ち込んでしまったことは言うまでもない。

 店を出るときにマスターが一言だけ声をかけてきた。

「時間が解決してくれると思うなよ。自分で解決するしかないんだ」

 その通りだと思う。この少しの時間で、俺は何かを感じ取っていた。それを言葉でまとめるのは、今はまだできないけど、何かが変わる、いや、変えることができるかも知れない、と思い始めていた。

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