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柏木郁子の話

 夕飯の片づけが終わり、やっと一息をつくことができる。ふと時計を見ると八時を回ったところだった。食卓にいるはずの息子に言った。

「雅彦、お風呂入っちゃいなさいよ。それから宿題ね」

声をかけては見るものの返答はない。とっくにリビングから二階の部屋に移動したようだ。ここ最近いつもそう。それというのも、五年生のあの金子先生のせいだわ。あの先生がいじめを放っておいたせいで、雅彦の心が閉ざされていったんだわ。

 テレビでは、内容がぺらぺらのバラエティ番組がやっている。雅彦も前はクイズ番組などが好きで、私の知らないようなことまで当てて見せて驚かせてくれたものだったわ。それが今や自分の部屋にこもりっきりでパソコンをいじってばかり。夫が去年のクリスマスにパソコンを買ったことも問題だったかも知れないわ。

 一〇分待っても部屋から出てくる様子もないので、二階に上がってみることにした。木製のドアには木彫りのプレートで、「まさひこ」とある。三年生の頃だったか、温泉旅行に行った際に家族みんなで体験教室を受けた。その時に雅彦が作ったのがこのプレートだ。細かいところまでよく彫れている。一時間の教室だったが、延長延長となって結局三時間くらいになった。それくらい集中力のあるできる子なのだ。それなのに、それなのに……

 ノックをしてみるが、反応はない。どうしてもノックする力が入り、乱暴な音になる。

「雅彦、何してるのっ?」

ガチャリとドアを開けると、思った通り雅彦はパソコンに向かっていた。HDと一体になった高かったパソコン、「こんな高い物が本当に必要なの?」と夫には抗議したが、「どうせ買うならいいものが良いだろう。雅彦なら使いこなせるさ」と私の財布からカードを出した。家計の中から買うのだから、自分の懐が痛む訳ではない。苦労するのは、いつも私なのに。

 イヤホンをしているので、聞こえないのだろうか?こっちに気づいている様子もない。

「雅彦、聞いてるの?」

肩を掴んでこっちを向かせる。無表情な息子がこちらを向いた。雅彦は表情を変えずに、

「わかっているよママ。僕は風呂に入ればいいんだ」

と言って、立ち上がり部屋から出て行こうとした。その姿に感情を抑えきれなくなって、肩を掴んだ。

「いつもいつも同じこと言わせないで!宿題はやったの?」

自分でもこんなにきつい声を出せることに驚いた。

「僕は宿題はやってないよ。学校に行かないのだから、やる必要もないよ。でも、自分で勉強はしたよ」

「自分で勉強って……でも、いつまでも学校に行かないんじゃ困るんじゃないの?」

「問題ないよ。ネットで見てみると、学校なんて行かなくてもやっていっている人ってたくさんいるんだよ。だから、僕はあんな学校なんてもう行かない」

目の前が真っ暗になる。ここまで息子の心は病んでいるのかと思うと、涙が出そうになる。そして、ふつふつと怒りがまた湧いてきた。

「そんなこと通用するわけないじゃない!あなたをいじめている子たちを早くお母さんがなんとかしてあげるから、だからすぐに学校に行けるようにしてあげるから」

「クラスのみんながいじめてくるのだから、なんとかするなんて無理だよ、ママ」

雅彦はやはり感情を変えずに話す。どうしてこうなってしまったのだろう。

「私は……ママはね、雅彦に普通に学校に行って楽しく過ごしてほしいのよ」

「僕は学校には行かない。じゃあ、お風呂に入るね」

と雅彦は席を立って行ってしまった。

 今日の朝にも同じようなやり取りをしたわね、と大きなため息が出る。朝、いきなり、

「ママ、僕は学校でみんなにいじめられているから、もう学校には行かない」

と宣言をされて言葉を失った。

「誰に……どんないじめを受けているの?」

「みんなにだよ。クラスのみんなが僕のしたい話をしてくれないんだ。僕のしたい遊びもしてくれない。みんな僕を友達にしてくれないんだ」

「クラスのみんなが…叩かれたり、お金を取られたりじゃあないのね?」

「そんなことはしないよ。だけど、もう僕はあの学校には行きたくない」

と言う話を延々と繰り返した。学校に電話もしたけど、何か事態が変化したわけでもなく、雅彦はずっとパソコンの前に座ることになった。ご飯の時間になると、下に降りてきて笑顔でご飯を食べる。

「僕はママの作ったご飯が大好きなんだ」

笑顔を浮かべて言ってくれるならこんなに幸せなセリフはないが、ここ最近雅彦の笑顔を見た記憶はない。無表情のまま生活をしている。抑揚のない声で言われても嬉しくはない。夕食の時に明日はなんとか学校に行ってもらいたいと話をした。雅彦の好きなハンバーグを作って。

「雅彦、一日学校休んでどう?明日は学校に行ったら?」

「お母さん、朝に僕は言ったよ。もう学校には行かない」

「でも、学校に行かなかったら困るじゃない」

「何が困るの?」

「……え?学校に行かなかったら、その後どうするの?勉強もしなくちゃならないでしょ?」

「勉強は家でもできるよ。学校の授業なんかより、自分で勉強した方がずっと早い」

「勉強だけじゃなく、体育とか音楽とかもあるじゃない。自分一人で勉強できないことだってあるでしょ。友達とも遊べないし」

「お母さん、学校でやったことで大人になって必要になったことは?」

「え、そ、そうね……」

「パッと思いつかないでしょ?音楽のリコーダーを吹いている大人を僕は見たことがないし、逆上がりをしてお金をもらっている人もいない。大人になって必要な勉強って何?買い物する時の算数なら自分で勉強できるよ」

「友達と……」

「友達はいないのも朝話したよ。だから、僕は学校に行く必要がないんだ」

「雅彦……」

「お母さん、このハンバーグおいしいね」

言葉がもう出なかった。雅彦の中ではもう学校に行くという選択肢がないように思えた。

 一人残された部屋でふと画面を見てみると、ネットの巨大掲示板が映し出されている。こんなもの見るようになったから、雅彦の心が閉ざされていったのよ。消そうと思ってマウスをいじっていると、ふとどんなものを見ているのか気になった。履歴をクリックする。

「サイコパスの心理」

「世界の殺人者ランキング」

「心の闇を覆う物」

「学校なんて行かなくてもいい~引きこもりからの社会人~」

「よくわかる自閉症」

「誰でもできる仕返しのやり方」

「少年犯罪法」

クリックをしながら、愕然とした。どうして私の子どもはこんな風になってしまったの?私の育て方は間違っていなかった。なのに、こんな犯罪者予備軍のような子どもになるなんて……パソコンをたたき割りたくなる衝動を抑えて元の画面に戻す。今はまだあんまり刺激をしない方がいいわ。

 部屋からそっと出て下に降りる。階段でお風呂から出てきた雅彦とすれ違った。

「お母さん、僕はお風呂を掃除しておいたよ」

表情を変えないで雅彦はそう言った。雅彦に目を合わせることができない。

「……そう」

無理やり一言だけ絞り出して、キッチンに逃げ込む。ここは私の城。ここにいれば少し落ち着くことができる。

 また、雅彦はお風呂を掃除した。毎回言っているのに。

「みんなが入るお風呂だから、勝手にお湯を捨てて掃除をしてはいけない」

と。怒鳴りつけ、時には頬をぶつこともあったが、それでも雅彦はお風呂の掃除をやめない。しつけができていないとうことなのかしら?もっと厳しくしなくてはならないのかしら?それとも……雅彦が変なのかしら?

 いや、違う。そうなったのは最近。なら、やはりいじめによるストレスが原因だわ。あの担任とクラスのいじめが元凶なのよ。なんとかしなくちゃ、なんとかしなくちゃ。やはり私がなんとかしなくちゃならないわ。厳しく雅彦を叱りつけるだけじゃだめ。私は雅彦のことをわかってあげなくちゃ。いじめがなくなるまで学校なんて行かなくていい。

 そう思っていると落ちついてきた。お湯を沸かして、コーヒードリッパーに豆をセットする。こうやってコーヒーを入れている時間だけ何にも考えずに済む。私の城で私の時間を過ごす。こうしている時だけが幸せ。

 ふと、思う。これは息子と同じようなものじゃないかしら?自分の城に籠り、自分の好きな事をする。親子って似るのかしら?

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