浜田孝の話
やっと今日も一日が終わった。長い長い一日だったなぁ……大きなため息をついて、玄関のカギを閉める。学校管理は教頭の仕事だ。毎朝六時には学校を開け、一番最後まで学校に残り、こうやって十時を過ぎてから帰ることになる。その分、一般職に比べて給料はほんの少し高いが、それに見合わない仕事量であることは確かだ。少年団の活動も含め、休日も学校を開け、学校を閉めるのも俺の仕事である。女王蜂のために働く働き蜂といったところだろうか。女王蜂はもちろん、校長であることは言うまでもない。
辺りは真っ暗である。車に乗り込み、エンジンをかけて一服する。数年前から、禁煙の流れがやってきて、学校の中はもちろん、校地内は禁煙になった。今までは、職員室は煙草の煙でモヤがかかっていたほどだったが、今となってはクリーンそのものである。もちろん、喫煙者にとってみては肩身の狭い想いをさせられているのだが。こうして、夜遅くならないと、車ですら吸うことができない。前に、放課後の時間に車で吸っていた同僚は、子どもにその姿を見られた。その子どもは、何の悪意もなく保護者に言ったのだが、その保護者が町の民生議員だったものだから、ひと悶着起きていた。その同僚は、次の年僻地に飛ばされていた。どこで誰が見ているかわからない。身から出た錆ですぐに身を滅ぼすことになる、それが学校職だと思う。
暗い車内で大きく煙草を吸う。肺の中が煙で満たされ、頭の中がクリアになっていくのを感じた。そして、今日一日のことを振り返る。
朝一で畠中先生が辞表を提出した。校長にも入ってもらい、説得をすることで事なきを得たが、あの手の仕事ができない教員は次に何か言われたらすぐにまた同じことをする。いわば、仕事のできない免罪符として、辞表をちらつかせるのだ。管理職にとって、退職者を出すわけにはいかない。それは、管理のできない管理職、というレッテルを貼られることを意味する。その先に待つのは、より僻地の学校勤務、ドサまわりが待っているのだ。
その後、金子先生のクラスのいじめ発覚。いじめそのものの有る無しよりも保護者との間に起きた摩擦の方が大きいだろう。各学年一クラスしかいない本校のような学校では、担任だけではなく先生と子ども達の関係も深くなる。管理職である俺や学校長も子ども達の顔と名前くらいは一致しているし、問題のある児童には目も届く。柏木雅彦は確かに少し周囲とは馴染んではいないが、俺の見ている限りではいじめはなかったと思う。
しかし、大々的に保護者ともめてしまってはもう取り返しがつかない。いじめは、被害者意識が芽生えた段階でいじめとなる。いじめられている、という話を聞いた段階で、「それはいじめではない」と子どもに思い込ませることが重要なのだ。病は気から、という言葉があるように、いじめられていると認めさせない心の強さを持たせることが必要なのだ。
保護者からの話来た段階で誠意のある行動を見せ、真摯に対応していると思われれば大きなことにはならなかったはずだ。金子先生はその辺りの対応の仕方を間違えた。仕事ができる、と周りからチヤホヤされて自分でもそう思っていたのだろう。まさか自分のクラスからいじめられている子が出る訳ないだろう、とタカをくくっていたはずだ。その慢心が対応のミスを招いたのだと思う。
気が付くと、三本目の煙草に火をつけていた。帰るのがどんどん遅くなるが、家に待つ人もいないので問題ない。家で待っていた妻と子は、仕事ばかりにかまける自分に愛想を尽かして出ていった。仕方がないとも思う。二十四時間教師で居続けなければならない仕事なのだから。教頭になる前の一般職の頃は、休みも返上して仕事をして、クラスの子どもを我が子のようにかわいがり目をかけた。保護者からの信頼も得ることができていたし、地域から、教育委員会からの評価も高かった。そのかわりに家族からの評価は低かった。家の中でも教師でいてしまった。父親である前に、教師で居続けてしまった。
家族が出て行った以上、俺は教師であり続けるしかない。養育費は払っているので、かろうじて父親としての義務は果たしていると思いたい。子どもの顔はもう久しく見ていないが。何歳になるのかも忘れた。
そこまでして俺は教師であり続ける。教師であり続ける以上は自分の考える学校を作りたい。それが今の俺の生きる糧だ。そのためには今の俺の評価を下げる訳にはいかない。金子先生には申し訳ないが、自分でなんとかしてもらしかない。盾になってやるつもりはない。教師という仕事はそういうシビアなものだと、実感するのに高い授業料だとも思わない。
ギリギリまで吸った煙草を灰皿に押し付けた。この時間に一服すると、色々と思案にふけってしまう。少し反省しながら、俺はギアをドライブに入れた。