自称サバサバ系を貫いたら、なぜか溺愛ルートに入りました〜陰キャ転生令嬢の不器用な処世術〜
シャンデリアの光が、大広間に集う貴族たちの宝石を容赦なく射抜く。弦楽四重奏の調べに混じって、甘い香水と薄っぺらな笑い声が空間を埋め尽くしていた。
リリアーナは柱の陰で、指先が白くなるほど扇子を強く握りしめていた。脇の下を冷たい汗が伝う。
「私、群れるの嫌いだし。女子のめんどくさいマウントとかマジ無理だし。そういうドロドロしたの、苦手なんで」
先ほど吐き出したばかりの自分の声が、耳の奥で嫌な残響を残している。言った直後、周囲の令嬢たちが扇子で口元を隠し、揃って肩を震わせた光景が脳裏に張り付いた。あの冷えた瞳の集まりが、喉の奥を締め上げる。
前世の記憶が泥のように足元から這い上がってくる。陰口、居場所の喪失、すり減るだけの毎日。自分を守るための鎧だと思って放った言葉が、逆に自分を断崖へと追い込んでいる。お父様に知れたら、何を言われるか。考えただけで胃のあたりが鈍く痛んだ。
顔は引きつるまいと固く強張っている。だが、その下の肌が自分の意思とは無関係にピクリと小さく跳ねた。
「あら、リリアーナ様ってば相変わらずね」
「男ウケを狙うにしては、少々方向がズレていらっしゃらない?」
背後から風に乗って聞こえてきた声に、リリアーナの背筋が凍る。心の中では四つん這いで謝罪を繰り返しているのに、外側の自分は表情を崩さない。このちぐはぐな仮面が、何よりも呪わしく感じられた。
大広間の少し離れた場所、柱の影からその光景を見ていた男がいる。若き魔導師団長レイモンド。漆黒の制服に身を包んだ彼は、グラスを傾けたまま動かない。
貴族たちが口々に嘲笑を投げかける中、レイモンドの視線だけがリリアーナの背中に張り付いていた。周囲の人間が発する建前の裏にある、泥濘のような本音を見抜くのが彼の役目だ。だが、今の彼が捉えているのは、その逆だった。
リリアーナの口から出る刺々しい言葉と、怯えきった瞳の奥で小さく震える魂。そのあまりに歪な不一致。
レイモンドは唇の端をわずかに持ち上げる。誰に聞かせるでもなく、吐息のような声が漏れた。
「……ほう。自称サバサバ、か」
魔導師の瞳に、深い夜の底を思わせる鋭い光が宿っていた。
◇
揺れる馬車の窓に、街灯の光が途切れ途切れに滑り込む。リリアーナはドレスの生地が千切れるほど、両手で裾をきつく握りしめていた。
車窓のガラスに映る横顔は、引きつったまま凍りついている。
屋敷に足を踏み入れ、重厚な扉を閉めた瞬間、暗い廊下の奥から低い声が飛んできた。
「リリアーナ。そこへ来なさい」
書斎の枠に立っていたのは、父親だった。その額には深く皺が刻まれている。リリアーナは反射的に足を止めた。
「お父様、あの、その……」
「言い訳は聞かん」
父親は一足飛びに歩み寄ると、ぶっきらぼうに言葉を叩きつけた。
「今日の夜会の振る舞いはなんだ!貴族の令嬢としての慎みはどこへ忘れてきた!自分から大声で啖呵を切り、周囲を威嚇するなど我が家の恥だ!そのひねくれた性根とトゲだらけの物言いは、いったいいつになったら直るんだ!」
叱責の音声が、廊下の壁に冷たく反響する。
喉の奥がキュッと詰まり、呼吸が浅くなる。言われていることはすべて事実だ。弁解の余地などない。ただ怖くて、守りたくてあんな虚勢を張ったのだと口に出そうとしても、震える唇はうまく動いてくれない。下を向いたまま爪先を見つめるしかできなかった。
だが、父親はその沈黙を不遜な態度と受け取ったらしい。
「まったく、他の令嬢たちの優雅さを少しは見習いなさい。二度とそのような見苦しい真似をして見ろ、勘当もやむを得まい」
吐き捨てるように言い放つと、父親は書斎へ戻り、バタンと激しい音を立てて扉を閉ざした。
静まり返った廊下。ひとり取り残された足元から、急速に体温が引いていく。張り詰めていた糸が切れ、その場に崩れ落ちそうになった時、肩にふわりと柔らかな布がかかった。
「リリアーナ」
振り返ると、母親がそこに立っていた。何も言わず、母親はそのままリリアーナを腕の中に引き寄せ、背中をゆっくりと手のひらで撫で下ろす。
「お母様……私……」
その温かさに触れた瞬間、堰を切ったように涙がこぼれ落ちた。
「お父様の言う通りよ。私、変で、トゲトゲしてて……嫌な女なんだわ……。あんな大声出して、サバサバしてるつもりで……本当は、ただ怖かっただけなのに……」
母親の胸に顔をうずめ、子供のように声を震わせる。母親は乱れた髪を優しく梳きながら、耳元で静かに息をついた。
「そんなことないわよ」
「でも……」
「知っているわ。あなたが誰よりも痛みに敏感で、人の言葉に深く傷つき、夜な夜なひとりで膝を抱えているような子だっていうことくらい、お母様にはちゃんと分かっているわ」
予期せぬ言葉に、リリアーナはハッと息を呑んで顔を上げた。母親の瞳は、どこまでも穏やかな光をたたえている。
「あなたはただ不器用なだけなの。自分を守るために、いつも必死で硬い殻をまとっているだけで……。でもね、その不器用さを隠さなくてもいい日が、いつか必ず来るわ。あなたの本当の痛みを、そのまま受け止めてくれる人がきっといるから」
母親の胸の温もりと、緩やかに響く声が、凝り固まっていた胸の奥を少しずつ溶かしていく。
零れ落ちた涙を手のひらで拭うと、ささくれ立っていた心が、かすかに疼きながらも静けさを取り戻していた。
◇
中庭の空気は、手入れの行き届いたバラの甘い匂いで満ちていた。リリアーナは春の柔らかな日差しを浴びながら石畳を踏んでいたが、植え込みの影から漏れてきた湿った声音に、ふと足を止める。
「ねえ、聞いた?あの地味男爵家の娘、この前の夜会で新しいドレス自慢してたらしいわよ。身の程知らずだよねー」
「ほんとそれ。どうせパトロンでもいるんじゃないの。気色悪いわ」
数人の高位貴族の令嬢たちが、中央のベンチに座る地味な装いの娘を取り囲み、容赦のない言葉を浴びせかけていた。標的にされた男爵令嬢は肩を狭め、うつむいたまま唇を噛み締めている。
頭の隅で、冷徹な理性が警報を鳴らす。関わるな。見て見ぬふりをしろ。お前はただでさえ前回の失態で孤立しているのだから、厄介ごとに首を突っ込む余裕などないはずだ。
だが、その計算は足元から湧き上がる衝動に押しつぶされた。
(ふざけんな。人の努力を踏みにじって何が楽しい)
思考が追いつく前に、リリアーナの足が音を立てて踏み出していた。
「そこまでにしておいたらどうなの」
低く、押し殺したような怒気を孕んだ声に、悪態をついていた令嬢たちがビクッと肩を揺らして振り返る。リリアーナは鋭く眉間を寄せ、吐き捨てるように言い放った。
「人の陰口をねちっこく群れで叩いて、そんな見苦しい真似をして恥ずかしくないわけ?暇を持て余しているなら、少しはその空っぽの頭に教養でも詰め込んだらどうよ」
相変わらず言葉の端には棘しかなかったが、容赦のない正論と冷え切った眼光の前に、令嬢たちは気圧されたように顔を引きつらせた。
「な、何よ急に……!気味の悪い!」
捨て台詞を残し、彼女たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
静けさが戻った中庭で、リリアーナはふと息を呑んだ。
(また、やってしまった)
首を突っ込んで、あんなに攻撃的な言葉を浴びせて。あんな鬼のような形相で凄んだら、助けた本人まで恐怖で震え上がらせてしまうのではないか。
慌てて振り返ると、案の定、男爵令嬢は青ざめた顔で小さく体を丸めていた。その怯えた瞳を見た瞬間、背中から冷たい汗が一気に噴き出す。
「あ、ご、ごめんね……!?いや、怒鳴るつもりじゃなくて、その、あまりに勝手なこと言うから……。怖かったよね、ごめん、すぐに離れるから泣かないで……!」
先ほどまでの気迫はどこへやら、リリアーナは両手を激しく横に振り、涙目になりながらしどろもどろで頭を下げ続けた。そのあまりのギャップに、男爵令嬢はぽかんと口を開けたまま硬直している。
その一部始終を、少し離れた藤棚の陰から、魔導師団長レイモンドがじっと見つめていた。
テーブルに置いたカップに紅茶を注ぎながら、彼の端正な顔にふっと深くて柔らかな笑みが浮かぶ。
周囲からは攻撃的で痛い女と陰口を叩かれているが、その実態は、ただ不器用にお人よしを貫いているだけ。
レイモンドの瞳が、リリアーナの纏う刺々しい言葉の裏側を正確に捉えていた。恐怖に震えながらも誰かを守ってしまうその矛盾を、彼は静かな熱を帯びた眼差しで追いかけている。
◇
数日後に開かれた夜会の最中、突然、会場の照明が一段階落とされた。ざわめきが波のように広がり、中央の階段上にリリアーナを目の敵にするグループが姿を現す。彼らはあらかじめ示し合わせていたように、一斉にリリアーナを指さした。
「皆さん、聞いてください!あのリリアーナ侯爵令嬢こそが、先日我が家から消えた貴重な家宝を盗み出し、さらに他の令嬢を陥れるための陰湿な罠を仕掛けた張本人です!」
会場の空気が一瞬で凍りつき、冷ややかな視線が一斉に集中する。
どうせあの自称サバサバ女のことだから、気にしてないふりをしてヘラヘラ逃げ出すに違いない。偽善者ぶったくせに、結局はこのざまだ。
周囲の群衆が発する冷えた思惑が、肌を針のように刺す。だが、リリアーナは身動きひとつしなかった。喉の奥が乾ききり、心臓が肋骨を激しく叩いている。それでも足の裏はしっかりと床を踏みしめていた。
(ここで逃げたら、私を信じようとしてくれる人たちまで泥をかぶることになる)
リリアーナはぐッと息を吸い込み、気負った声を響かせた。
「ちょっと待ってよ!私がやったって言うなら、ちゃんと証拠を出してよ!……って、ごめん、いきなり大声出して!でもね、濡れ衣を着せられたまま黙ってたら、巻き込んだ人たちにも迷惑だし、これ以上泣き寝入りするつもりなんてないから!」
相変わらず言葉の端には棘があり、早口でまくし立てている。しかし、見開かれた瞳の奥には、濁りのない強い光が宿っていた。
「証拠もないのに、勝手に犯人扱いしないでよね!人のせいにして貶めるそのやり方こそ、一番見苦しいとは思わないわけ!?」
正面切っての堂々とした反論に、告発したグループの面々が動揺の色を滲ませ、冷や汗を流しながら言葉を濁し始める。
「い、言いがかりだ……!証拠なら、そのうち……」
気まずい沈黙が広がりかけたその時、ひんやりとした空気を切り裂くように、低くよく通る声が響いた。
「そこまでだ」
群衆が波を引くように左右へ割れ、漆黒の制服をまとった魔導師団長レイモンドが歩み出てくる。その冷徹な美貌は氷のように凍りついていた。
「彼女を犯人とする告発は、完全な虚偽だ。それに……君たちのその見苦しい工作の全貌は、すでにこちらで全て把握している」
レイモンドが軽く指を鳴らすと、控えていた部下たちが不正の証拠書類や、裏での共謀を示す記録を次々と突きつけた。逃げ場のない現実の前に、告発者たちは顔面蒼白になり、その場で崩れ落ちるように膝をついた。
騒然とする会場を一瞥したレイモンドは、緩やかな足取りでリリアーナのすぐ隣へと歩み寄る。彼女を背後から守るように半歩前に立ち、周囲の貴族たちを冷ややかに見据えた。
「彼女は口は悪いが、決して嘘はつかない。君たちのような醜い保身や、他者を蹴落とすだけの悪辣さとは、根本的に格が違う」
広間に響き渡ったその揺るぎない言葉が、リリアーナの胸の奥を熱く揺さぶっていた。
◇
静まり返ったテラスへ逃げ出すように、リリアーナは足早に扉をくぐった。夜風が火照った頬を撫でるが、高鳴る胸の鼓動はおさまらない。
手すりに両手をつき、真っ赤になった顔を腕の中にうずめる。
(ああっ、もう終わりだ……!みんなの前であんな啖呵を切った挙句、レイモンド様まで巻き込んで……!お父様に知れたら今度こそ勘当されるか、塔の牢屋に閉じ込められるよ……!)
情けなさと恥ずかしさでその場にしゃがみ込んでいると、石畳を叩く静かな足音が背後から近づいてきた。
「ここで何をしている」
顔を上げると、月光を背負ったレイモンドが立っていた。漆黒の制服の裾が夜風に揺れている。
リリアーナは反射的に飛び起き、慌てて背筋を伸ばすと、いつもの防衛本能で声を張り上げた。
「べ、別に黄昏てたわけじゃないし!っていうか、さっきは余計な世話を焼いてくれてありがとね、ほんと!」
早口でまくし立てる姿を見て、レイモンドはふっと喉の奥で笑った。それから、静かな歩幅で彼女との距離を詰める。
「君は本当に面白い。自分をサバサバしていると言い張るくせに、誰よりも傷つきやすく、泥をかぶることを恐れない」
心臓の奥が冷たく跳ねた。それはリリアーナが一番人に隠したかった、この世界のどこにも見せたくない剥き出しの核心だった。図星を突かれた怒りと気恥ずかしさが混ざり合い、顔の温度が急激に跳ね上がる。
「うっさいわね……っ!勝手に人の内面を分析しないでよ!」
声が裏返り、思わず横を向いて拳を握りしめる。だが、その怒声には以前のような刺々しさはなく、ただ行き場のない気恥ずかしさが滲んでいた。
レイモンドは怯むことなく、穏やかな眼差しを向けたままさらに半歩近づく。その瞳から、いつもの冷徹さはすっかり消え失せていた。
「その不器用な正義感も、隠しきれていない優しさも、嫌いではない。むしろ、これ以上他の男に見せるなと言いたくなるほどだ」
耳まで赤く染まったリリアーナが言葉を失って固まっていると、レイモンドは迷いのない手つきで、そっとその大きな掌を差し出した。
「……もー、そういうずるいこと言うの、反則だから……」
かすかに震える声を零しながら、リリアーナは躊躇うように、しかし確かな力で自分の小さな手をその掌へと重ね合わせた。
静謐な夜の帳が下りる中、二人の不器用な指先が温もりを確かめ合うように、しっかりと結ばれていた。
◇
テラスの甘い余韻が消えないまま、レイモンドの用意した馬車が屋敷の前で静かに止まった。玄関ホールに二人が並んで足を踏み入れた瞬間、出迎えた父親の侯爵は、魔導師団長の姿を認めて文字通り飛び上がった。
「団長殿……!?いったいどういう風の吹き回しで我が家に……」
言葉を詰まらせる父親に向かって、レイモンドは淡々と夜会の顛末を語り始めた。リリアーナの無実を証明したこと。そして、その不器用な正義感と隠しきれない優しさに、自分がどれほど惹かれたかということまで。
「な、何を馬鹿な……!あのような粗忽で生意気な娘が、団長殿の目に留まるなど……!」
信じられないものを見る目で、父親はリリアーナとレイモンドを交互に見つめ、その場で足元を揺らしている。
一方、その背後で母親は優雅に口元へ手を当て、潤んだ瞳で二人を見守っていた。
(やっと見つけてくれたのね。あの子がどれほど繊細で、どれほど優しいか分かってくれる人が、ついに現れたのね)
母親はそっとリリアーナの背中を押し、我がことのように胸を熱くしていた。
だが、感動の余韻は長く続かなかった。娘を陥れた一派の名前を聞いた瞬間、父親の顔から血の気が引いたかと思うと、次の瞬間にはどす黒い怒りが沸き上がってきた。
「許さん……!我が家の名誉を泥に塗ったあの輩ども、一族総出で社会的底辺まで叩き落としてやる!」
「同感だ。私の部下を使い、彼らの裏の不正をすべて明るみに出して社交界から永久追放する。ついでに、過去に彼女を嘲笑した人間のリストもすでに作り終えている」
レイモンドの底冷えするような美貌に、かつての冷徹な殺気がよみがえる。二人が危険な光を宿した目を合わせ始めたのを見た瞬間、リリアーナの背筋が凍りついた。
「ちょっ、待って待って!お父様、レイモンド様!そんな過激な報復はやめてよ!濡れ衣が晴れただけで十分でしょ、これ以上はただの嫌がらせだよ!」
慌てて二人の間に割って入るリリアーナ。だが、その背後に回り込んだ母親が、ふわりと彼女を両腕で包み込み、穏やかながらも絶対的な圧力を含んだ笑みを向けた。
「ダメよ、リリアーナ。そこはしっかりやり返さないと、向こうは調子に乗ったままだわ。あなたが流した涙の分だけ、きちんと代償を払ってもらうのが筋よ」
「お母様までそんな怖いこと言わないでよ……!」
「ええ。それに、あなたの後ろにはこれほど頼もしい味方がいるのだから、少しは甘えなさいな」
母親の言葉に、レイモンドが満足げに深く頷く。父親も「そうだ、我が家の誇りをかけた戦いだ!」と拳を握りしめた。
「いや、そういう問題じゃないってば!私がどれだけ必死に身を守ってきたと思ってるの?お腹が痛くなっちゃう!そんな悪役令嬢みたいなの嫌よ!」
真っ赤な顔で必死に叫ぶリリアーナの腰を、レイモンドは逃がさないと言わんばかりに引き寄せ、その掌をしっかりと握り締めた。
不器用な鎧にしがみつく少女と、それを穏やかに包み込む男。その周囲で着々と進められる容赦ない社会的制裁の計画。
リリアーナの騒がしくも温かい日常は、想像を絶する波乱のなかで、静かに幕を開けていた。




