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LAZULI番外編

せいいっぱいの親切

作者: 羽月

『せいいっぱいの親切』2キャラバージョン(2作)続けて掲載してます。


『LAUZULI』の番外編で、こちらも本編より過去のお話になっています。

『 せいいっぱいの親切 ~翠編~ 』


 今までは、ただの同級生だと思っていた。

複数いる友人達の中の1人で、共通点はほとんど無いのに、何故か馬が合うので何となくつるんでいる。それくらいの存在だ。

でも、今日ほどあいつの存在を大きく思い、今すぐ帰ってきて側にいて欲しいと切望した事はなかった……。


 ッッックションッ!!!

 ズズ ズ

 ブブーッ!! グスッ グスッ……ックショッ  


「……あのさ、もしかしてお前、具合悪いのか?」

正午を過ぎても寝床に潜り込んだままで、時折くしゃみを連発し鼻をぐずつかせている様に、ようやくルームメイトの異変に気付いたディートハルトは、恐る恐るといった様子でベッドを覗き込んだ。

「……ん、あぁ多分、カゼ」

返ってきた言葉に、と言うより声にディートハルトは眉を顰めた。少し鼻声……というレベルではない。明らかに変だった。その上、熱でもあるのか視線もぼんやりしている。

「お前でも風邪引く事があるんだな……。やたら頑丈そうなのに」

スイが風邪で寝込むとは、あまりにも意外で驚いてしまっていた。

「オレも、そう思ってたんだけどねぇ」

とはいえ、どこでうつされたかは大体見当がついていたりする。昨日の放課後、寄り道した商店街で偶然会った友人が、今の自分よりはだいぶ軽いが全く同じ症状だったからだ。その人物は数年ぶりに再会した北ファセリアの友達で、まさか帝都で出会うとは思っていなかったので、懐かしさのあまり夜遅くまで話し込んだ。恐らく、その時に”お土産”を貰ってしまったのだろう。

「今日は休みだから、病院はやってねーか」

確か、買い置きの薬があったはず……ディートハルトはそう考えて洗面所にある棚を開けてみたが、入っていたのは主にディートハルトが使っている消毒液や傷薬、絆創膏、ガーゼに湿布薬といった類のものばかりで、服用する薬はと言えば腹の薬くらいしか無かった。

「大丈夫。寝とけば治るから」

そう言った直後にクシャミをする翠を、ディートハルトはどうしたものかと思案顔で見下ろしていた。もう1人のルームメイト、エトワスは朝早くから親戚である皇帝に(繰り返し”エトワスに会いたい、会わせて欲しい”と強請った皇女アンジェラに)呼び出されたらしく城へ出掛けている。そのため、相談出来そうな相手は誰もいない。

『寝とけば治るって言ってるし、ほっとくか……』

そう思ったが、このまま放置しておいて、もし死んでしまったら後味が悪いし恨まれるのもゴメンだ。と考え直し、再び翠を覗き込んで尋ねた。

「……とりあえず、何か食うか?」

ディートハルトがそう尋ねると、翠は少し驚いたように目を見張った。ディートハルトの事だから、看病などせずに放置するに違いないと思っていた。

「どんな手料理食べさせてくれんの?」

どうせなら、ヒラヒラのフリルがついたエプロンでも着けてくれたら楽しいのに。そう考えながら、からかい半分、期待半分に尋ねると、ディートハルトは眉を顰めた。

「……蛇なら、さばける」

そう言えば、野営の訓練で、現地で食料や飲料水を調達する……というものをやったばかりだ。その際、泥水を濾過する方法や蛇の皮の剥ぎ方等も習った。

「……出掛けてくる」

「ちょっと待った!」

早速部屋を出て行きそうだったディートハルトを引き留めようと、翠は慌てて身体を起こした。案の定、ディートハルトは自分のクローゼットの中から取り出した剣を握っていた。

「武装なんかして、どこ行くの?」

「町の外」

狩りでもするつもりだろうか。

「……なんで、わざわざ?」

「だって、町中じゃ蛇は見つかんねえだろ」

やはり、蛇を捕まえに行く気らしかった。

 ここは前線地帯か!?

「町の外に蛇を捕獲しに行くくらいなら、そこの商店街に行って出来合いのお総菜を1つ買ってきてくれた方が……」

ディートハルトが冗談を言っているようには見えないが、笑う気力もなかった。代わりに、枕元に置いていた箱からティッシュを取り盛大に鼻をかむ。

「でも、蛇の方が栄養あるんじゃねえか?ガキの頃、裏に住んでたオジイチャンは、”元気が出る”っつって、捕まえた毒蛇を酒瓶に詰めて溺死させてから飲んでたぞ。焼いて食っても美味いって言ってた」

「……せっかくだけど、今はそんな”元気”、必要ないから。毒蛇は食いたくねーし。っつーか、ワイルドなオジイチャンをお持ちで……」

鼻がすっきりすると、翠は再びベッドに潜り込んだ。熱のせいか、頭が重く身体も怠い。

「身内じゃねえよ」

ディートハルトは納得がいかない様子ながらも蛇を捕獲する気はなくなったのか、握っていた剣を元の場所にしまった。

「じゃ、ウナギ買ってくる」

「……いやぁ、もう、蛇っぽい物はいいから」

 誰か、このコの偏った知識を修正してあげて……。

そう思った。何故、今日に限ってエトワスは不在なのだろう。

「何だよ、ガキみたいに我が儘ばっか言ってんじゃねえよ。せっかく栄養のあるもん食わせてやろうってのに」

ディートハルトは少々機嫌が悪そうだ。

「……普通のでいいから。ディー君が子供の頃、風邪引いた時に食べさせて貰ったものとかで……」

そう言われても、優しく看病された経験は無いので、これといったものが思い浮かばなかった。それならば、自分が食べたい物で良いだろうか。ディートハルトはそう考えて、再び自分のクローゼットの中を漁った。

「じゃあ、これやるから食えよ」

「……」

億劫に感じながらも視線を向けると、ディートハルトが差し出したのはチョコレート菓子だった。カラフルなチョコレートと普通の板チョコ、ホワイトチョコもある。

「あと、これ」

続けて、炭酸飲料の瓶が差し出される。甘ったるい菓子やジュースを突きつけられ少し吐き気を感じた。

「チョコレートは遭難した時に食うと、命が助かるってゆーし」

 ここは冬の雪山か!?

翠が何も言わず受け取ろうともしないので、ディートハルトは今度こそ不機嫌そうに眉を顰めた。

「また嫌だってのか?何だよお前、おれが勧めてるってのが気に入らねえのかよ?おれに喧嘩売ってんのか?」

本当に看病してくれる気でいるのか、単に脅すつもりなのか……。

翠は冷たい瑠璃色の瞳に見据えられ、たちの悪い不良に絡まれているような気分になった。

 エトワス……いつ帰ってくるんだ?

もう1人のルームメイトの帰りが待ち遠しい。

今さらになって、彼の奇特さ……いや、偉大さに気付いてしまった。こんなに扱いにくいガキに好意を抱いているだけでなく、手懐けてしまうとは。流石、大勢の人間の上に立つ次期領主様は寛大だ。むしろ、変態の域に達しているかもしれない。

「何か、消化のいい物が食べたいなぁ……」

正直なところ、放置しておいてくれた方が有り難かったのだが、これ以上絡まれたくなかったので、翠は自分からリクエストしてみた。出来るだけ、本気で体調が悪いんですぅ、弱ってるんですぅ、とアピールするよう演技してみる。

「消化のいいものって?」

通常とは違う声のおかげか、ディートハルトは機嫌を直した様子で素直にそう尋ねてきた。

「おかゆがイイナ」

米の炊き方も野営の訓練で習った記憶がある。だとしたら、お粥くらいなら作れるだろう。そう思ったのが甘かった。

「……」

無言で眉を顰めるディートハルトに、翠は言わなければ良かったと後悔し、すぐに取り消そうと口を開きかけた。

「チョコレート粥とか?」

蛇に続いて、今度は何としてもチョコレートを食わせたいのか……。

そういった料理は確かにある。あるけれど、出来ればもっとあっさりしたものにして欲しい。

「チョコは入ってない奴にしてくれる?」

「お前って、すげー我が儘な上に、好き嫌いの多い奴だな」

 お前にだけは言われたくねえし!

ってゆーか、人のふり見て我がふり直せって言葉知ってるか??

そう思ったが、翠は口には出さず心の中に留める事にした。

「仕方ねえな。待ってろ」

そう言って、ようやくディートハルトはベッドの側を離れた。翠は内心ほっとする。しかし、ディートハルトが部屋を出て行く寸前、嫌な言葉を呟いたのが聞こえてきた。

「米だけ煮ても味しねえよな?……マヨネーズはあったよな……オリーブオイルもあったよな……」

 エトワス君……頼むから、今すぐ帰ってきて――!

どうか、ディートハルトの調理が終わる前に帰ってきて欲しい。翠は心の底からエトワスの帰りを待ち望んでいた。



* * * * * * *


『せいいっぱいの親切 ~エトワス編~』


 朝、思わず手を引っ込めたくなるほどの冷たい水で顔を洗い、ディートハルトが洗面所を出ると、スイの声が耳に入った。

「医務室行くなら連れてくよ?」

「いや、いい。少し寝れば良くなると思う」

答えているのはエトワスのようだったが、声がいつもと違う。普段は涼やかな声だが、今は枯れていて全く違って聞こえた。ついこの間、翠が風邪で寝込んだことがあったが、その時と同じだった。気になってエトワスの個人スペースに近寄ってみると、エトワスはベッドに寝たまま翠と話していた。

「どうしたんだ?」

「多分、風邪だってさ。喉の痛みと熱があるから、今日は休むって」

振り返った翠が答える。

「医務室は行っといた方がいいんじゃないか?」

「ディー君が、それ言う?」

翠が呆れた様に言う。しょっちゅう怪我を負っていて、三人の中で一番医務室の世話になっていそうなディートハルトだったが、彼は医者嫌いなので余程の事がなければ、学院内の医務室に行こうとはしないからだ。

「本人がいいって言ってるから、とりあえず大丈夫かも。本気でヤバそうだったら、後で連れてけばいいよ。今は、静かにして寝かせといてやろ」

と、翠がディートハルトの肩を掴み、くるりと向きを反転させる。つい先日、自分が風邪で寝込んだ際に、看病してやろうとするディートハルトに絡まれた事を思い出したからだ。本人にとっては親切心からの行動だったのは分かるのだが、頼むからそっとしておいてほしいとその時に思った。

「でも、今日は、おれ達は学校があるだろ?このままほっとくのか?」

「ディートハルト、大丈夫だよ。一日寝とけば治るから。うつったらいけないし、近付かないでほっといた方がいい」

ベッドの中から、エトワスがそう言った。

「……分かった」

ディートハルトは、やはり気になっている様子だったが、頷いた。


 1コマ目が終わった後の休み時間、翠がクラスメイトのフレッドとジェスの二人と立ち話していると、珍しくディートハルトが近付いて来た。いつもはエトワスが彼の傍にいる事が多く、そうでない場合は一人で過ごしているのだが、今日はエトワスが休みのため寂しくなったのだろうか。そう思っていると、すぐ近くまで来たディートハルトが少し言いにくそうに口を開いた。

「翠、あの、さ……」

「何、どうしたの?」

強気な普段の姿とは違う雰囲気に、何を言い出すのだろうかと、翠は少しワクワクしながら答える。フレッドとジェスも、何事かとディートハルトに注目していた。三人分の視線に、少し困ったようにディートハルトは視線を俯かせたが、やがて決心した様子で顔を上げて翠を見た。

「おれ、昼休みに寮に戻って、なんか食うものを持ってこうかと思うんだけど、何なら良いかな?こないだ翠は、蛇とかチョコじゃヤダっつったから、それじゃ何なら大丈夫なのかなって思って……」

「え、蛇つった?」

「ヘビ?」

と、フレッドとジェスが目を瞬かせる。

「あー、そっか。学校が終わって帰ったら、オレがお粥でも作ろうかと思ってたけど、昼にディー君が帰るなら、そうだねぇ……熱が結構高いみたいだったし食欲はないかもだけど、軽いもんがいいかもね。ゼリーとかヨーグルトとか、フルーツとか?消化の良い物をちょっと腹に入れて、薬飲ませた方が良いかもね」

「熱があるんなら、水分補給もさせないとな」

翠の言葉を聞いたジェスが、横から言う。

「だな。食い物は、普通のフルーツじゃなくても、缶詰とかのフルーツでも食いやすいと思うぞ。ただ、学院内の売店にあるかどうかは分かんねえけど。あとさ、熱で汗かいたりしてたら、着替えさせてやった方がいいかも」

フレッドも付け加えた。

「そっか」

ディートハルトは、感心した様に頷いている。幼い頃、風邪を引く等体調を崩した時などは、養父が医者だったため薬は投与されたものの優しく看病してくれる存在はなかったため、初めて知る情報ばかりだった。

「分かった」

ディートハルトはそう言うと、自分の席に戻って行った。そして、早速何やらノートに書きこんでいる。

「何?エトワスは、そんな具合悪いのか?だったら、様子を見に俺達も昼休みにフレイクと一緒に行ってみるか?」

心配している様子のフレッドの提案に、翠が腕組みをして言う。

「いやぁ、ここはディー君一人に任せようよ。せっかく自分から言い出したんだしさ。こないだ、オレも酷い風邪で寝込んだんだけどさ……」

と、翠は、つい最近の出来事を二人に話して聞かせた。

「マジで?」

「あ~、なるほど。それで蛇なのか。って、逆に任せたらマズイ気がするけど」

ジェスは笑いを堪え、フレッドは苦笑いしている。

「あ、そうだ」

と、翠は何か思い出した様に、ディートハルトを手招きする。

「ディートハルト、ちょっと」

人前で“ディー君”と呼ばれる事をディートハルトが嫌がるため、他のクラスメイト達の事を意識して名前で呼んだ。ディートハルトは訝し気な表情ながら、席を立ち翠の元へと戻って来る。

「大事な事を伝え忘れてたよ」

「大事な事?」

ディートハルトは首を傾げる。

「ああ。具合が悪い時は、動きたくても怠くて動けないもんだろ?」

「?」

「だからさ、ちゃんと『あーん』して食わせてあげなよ?」

フレッドとジェスは、翠に視線を向けるが何も言わなかった。再びフレッドは苦笑いし、ジェスは笑いを堪えている。

「『あーんして』って?どういう意味だよ?」

一方、ディートハルトは本気で翠が言っている事を理解できていないようで、不思議そうに尋ねた。

「え?ああ、病人とか怪我人とか、動けない相手の食事のお手伝いをしてやるって事なんだけど。じゃ、ジェス君が病人って事で……」

「え、俺?」

「大丈夫、ジェス君?メシ食えそう?ちょっとでも食った方が良いよ。はい、あーんして」

と、翠が目の前の自分の机の上に置いてあったシャーペンを手に取り、スプーンに見立ててジェスの口元に近付けると、ジェスは真顔になった。

「……悪いな、キサラギ」

と、ゴホゴホと咳き込む演技をしてみせて、「あーん」と言って口を開けた。

「ああ、美味いなぁ。これできっとすぐに良くなると思う……。って事だな」

食べる演技まで終えて、ジェスがディートハルトに目を向けた。

「……マジで?お前ら、おれの事騙してねえか?」

ポカンとしていたディートハルトが、キッと三人を見る。

「酷いな。病人を巻き込んじゃうのに、嘘を教えると思う?」

悲しそうな表情を作った翠がそう言うと、ジェスも言った。

「俺も、ガキの頃、風邪引いた時とかは、こんな風に母親に食べさせて貰ってたぞ」

「そういや、うちも、こないだ親父が転んで手を骨折してさ。利き手だったから、飯の時は今みたいに食わせて貰ってた。ただ、うちの場合、お袋は仕事で家にいなかったから、うちで働いてるメイドさんに食わせて貰ってたけどな」

フレッドも言う。

「ほら、ね!」

「……」

翠が笑顔を向けるが、ディートハルトは半信半疑といった様子で席に戻って行った。

「フレイクは、強気できっつい性格なのに、ああいう世間知らずなところが何か抜けてて面白いよな。でも、ちょっと良心が痛む」

と、フレッドが言う。

「嘘は言ってないじゃん。悪い事もしてないし問題ないでしょ。とりあえず、エトワス君は喜ぶか笑うかしてくれると思うし?」

「喜ぶ……のか?」

翠の言葉に、ジェスが笑う。

「後でエトワスに、どんなだったか聞かないとな」


* * * * * * *


 暑い。

布団が暑く邪魔に感じ、抜け出した途端、今度は寒気を感じた。空気が冷たかったというより、急にガタガタと体が震える様な強い悪寒だ。そこですぐに自分で剥いだばかりの布団を引き寄せて中に潜りこむ。一年で一番冷え込む季節である事もあり、最近、町や学院内の普通科の方で風邪が流行っている事は聞いていたが、騎士科の方では特にそういう話は聞かないため、まさか自分もこの様に本格的に風邪を引く事になるとは思ってもみなかった。昨日は、一日何か体が怠くて熱っぽいような気はしていたが、それ以外特に体調に問題はなかった。ところが、今朝目が覚めると、喉の痛みがひどく体が重くなっていた。

 うつらうつらしながら、夢を見ていた。身近な人物や全く知らない人物等が登場するとりとめのない、何の脈絡もない物ばかりだった。ただ、“熱い”もしくは“暑い”という感覚は共通していた。


『何でこんなに暑いのに、冬のかっこしてんの?』

と、翠が尋ねる。

『だって、今は冬だろ』

そう言ったのはディートハルトだ。

『翠がおかしいんだよ。な、エトワス』

と、ディートハルトがエトワスの手を握る。

『手が冷たいから、おれの手握って』

そう言って、珍しくにっこり笑顔を向けたディートハルトは、エトワスの手を握っていない方の手を伸ばすと、何故かエトワスの顔に触れた。最初に頬に触れ、それから額にも触れる。

『ほら、おれの手、こんなに冷たいんだ』

可愛いらしい笑顔とその行動にドキドキしてしまったが、その手の感触が冷たくて心地よかった。


「大丈夫か?」

笑顔だったディートハルトが、今度は僅かに眉を寄せ心配そうな表情をしている。大きな瞳に長いまつ毛の影が差し、鮮やかな瑠璃色は、太陽が昇る前の小さな星が残る深く青い空の色にも見えた。

「……やっぱり、綺麗だな」

そして、笑顔もすごく可愛いけど、今の曇った表情も胸が締め付けられる程可愛い。そう思っていた。

「具合はどんな感じだ?」

エトワスがボーっとしていて答えになっていない言葉を返したため、ディートハルトはよっぽど具合が悪いのだろうかと心配になり、もう一度尋ねた。

「……!」

エトワスは一瞬目を見開く。夢だと思っていたディートハルトは現実に目の前に立っている本物だと気付いたからだ。

「ディートハルト?」

本物のディートハルトは、学院の制服姿でエトワスの片手を握っていて、もう片方の手にはタオルを持っている。

「やっぱ、すげえ熱いし、結構熱高いみたいだから、食事は無理かな?一応、持ってきたんだけど」

そう言って、ディートハルトは握っていた手を放しエトワスの額を拭った。濡らしたタオルだったらしく、ひんやりとして心地いい。

『ああ、そうか……』

つい今し方夢で見たのは、実際にディートハルトが体温を確かめるために手を握っていて、今みたいにタオルで汗を拭いてくれたからなのだろうと気付いた。

「昼休みに、抜け出して来たのか?」

枕元に置かれた腕時計を確認し、エトワスが言う。

「そう。エトワスの事がずっと気になってたから」

と、ディートハルトが言うと、エトワスは再び軽く目を見開いた。気に掛けてくれていたという言葉に、嬉しくなる。二年生の学年末試験があったギリア地方の島の遺跡で、見た事の無い魔物が現れ学生達が負傷し学院の教官も一人死亡したという事件があり、その時ディートハルトも魔物に狙われ殺されそうになったのだが、絶体絶命のその瞬間、エトワスとフレッドが駆けつけて窮地から救い出した。それ以来、二人に命を助けられたからという事ももちろんあるだろうが、ディートハルトは、身近な周囲の人間にだけではあったが少しずつ心を開くようになった。生活を共にしているルームメイトにでさえこれまでは完全に壁を作り、無視や拒絶しかしなかったのだが、ちゃんと向き合い突き放す事なく受け入れる様になっていった。しかし、拒否しないようになってはいたが、ディートハルトの方から自発的に働きかけてくる事はないと思っていた。だから、今こうして心配して来てくれたという事がとても嬉しかった。

「甘い物は避けた方がいいと思って、コーヒーのゼリーとプレーンのヨーグルト、あと、一応サンドイッチ。卵のと野菜の奴を買って来たんだ。どれか、ちょっとでも食って、薬飲んだ方がいいかも。あと、水分補給もしないと」

ディートハルトは、同級生達に教えられたばかりの事を口にして、ベッドの横のエトワスの机の上に置いていた持参した紙袋の中からゼリーとヨーグルト、サンドイッチ、そしてミネラルウォーター2本を取り出した。

「そうだな……ありがとう」

少し驚いてエトワスは答えた。少し前に翠が風邪で寝込んだ時、ディートハルトが看病しようとしたという話はエトワスも聞いている。しかし、今のディートハルトは、ごく普通の言動を取っていた。

「とりあえず、薬持ってくる」

そう断って、ディートハルトは薬をしまっている救急箱を取りに行った。中に入っているのはほとんどが傷の手当てをするための物で、ディートハルトが一人で使っていたが、最近では飲み薬も常備するようになり、頭痛薬、腹痛の薬、解熱・鎮痛剤、総合風邪薬など一通りのものが揃っている。

「……」

風邪薬の瓶を手に戻ってみると、エトワスは眠っているのか目を閉じていた。本当に具合が悪いのだろう。

「エトワス、やっぱ医務室に行かないか?」

「……ああ、大丈夫。その薬を飲むから。ありがとう」

ディートハルトが手にしてる薬に気付き、エトワスが体を起こす。

「その水を貰っても……」

と言い掛けたエトワスに、ディートハルトが言う。

「あ、だったらさ、先に何か食った方がいいよ。どれなら食える?あーんしたら、おれが食わせるから」

「?」

エトワスは、ディートハルトの顔を見上げた。熱のせいか頭がボーッとしていて、『おれが食わせる』とか『あーんしたら』等という言葉が聞こえた気がする。

『やっぱり、これも夢なのか?』

エトワスは混乱していた。

「あ、やっぱ分かんねえよな」

ディートハルトが納得した様子で頷いた。自分と同じように“あーんして食べさせる”という行為を知らないのだろう。そう思っていた。

「翠達に聞いたんだ。何か、病人とか怪我人とか看病するのに、あーんって口を開けさせて食べさせるものなんだって。エトワスが知らないんなら、一部の地域の風習か庶民の風習なのかもな。で、何なら食える?」

『翠の入れ知恵か……』

エトワスも納得した。間違った事は言っていないが、それは、相手が幼い子供や体を動かす事の出来ない患者に対してのもので、そうでない場合は、恋人達がじゃれあっている様なシーンでしかお目にかかれない。もちろん、翠もそれは分かっていて、エトワスが重病人ではないと承知している上で、わざと教えたのだろう。ディートハルトが世間に疎いところがあるのをいいことに、からかっているのだ。ディートハルトだけでなく、エトワスの事も。とはいえ腹は立たない。

「……食べさせてくれる、って?俺に?」

抵抗はないのだろうかと思いつつエトワスが尋ねると、ディートハルトは躊躇いなく頷いた。

「ああ。ホントはさ、母親とかメイドさんとかがやるもんらしいけど、此処にはいないからおれが……あ、そっか。おれじゃ嫌なら……」

「嫌じゃないよ。ええと、じゃあ、ゼリーがいいな」

ディートハルトは、自分が全ての人間に敵意を抱かれ嫌われていると思い込んでいる節がある。壁を無くしてからは、エトワスには嫌われていないという事は通じたようだが、嫌われていないだけで好かれているとは全く考えていないようだった。恋愛感情とう意味では言うまでもなく、友達という意味でも好かれているとは考えていない。そのため、エトワスはすぐに嫌ではない事を伝えた。正直に言えば「嫌じゃない」ではなく「嬉しい」が正しいのだが、そこまで言うと引かれるかもしれないため黙っている。

「分かった」

嫌じゃないと言われ気をよくしたディートハルトは、食器棚からスプーンを持ってくると椅子をベッドの横に置いて座り、希望されたゼリーを早速開封した。

「じゃあ、あーんして」

スプーンでゼリーを掬いエトワスの口元に近付けると、エトワスは口を開きかけてディートハルトの方にチラリと視線を向け、すぐに顔を逸らした。

「どうした?」

ディートハルトは、不思議そうに首を傾げる。

「いや、ちょっと……咳が出そうで」

と、嘘を吐いて口元を押さえる。熱のせいで元々薄っすらと頬が染まっていたエトワスだったが、今はさらに血色がよくなっていた。嬉しいのは間違いないが、恥ずかしい。そして、出来る事なら逆の立場で自分がディートハルトに「あーん」をさせて食べさせたかった。

「大丈夫か?」

「ごめん。大丈夫」

「じゃ、落ちそうだから早く」

と、促されたエトワスは、頬を染めたまま口を開けると、ディートハルトは一口ゼリーを食べさせた。

「良かった。ちゃんと食って薬を飲めば、すぐよくなるな」

ディートハルトは満足そうにそう言って、また一さじ、さらに一さじとゼリーを掬ってスプーンを差し出す。

「ありがとう、ディートハルト。もう、いいよ」

カップの半分程食べたところで、エトワスはそう言った。使命感のようなものに燃えているのか真剣な表情で食べやすいように、多すぎず少なすぎずゼリーを掬い、落とさない様細心の注意を払っているディートハルトが可愛くて、しかも純粋に自分のためだけにやってくれているという事が嬉しかったが、喉が痛いのと食欲がないため飲み込むのが辛かった。

「うん。じゃあ、薬な。ええと……15歳以上は3錠」

と、薬を3粒エトワスの手に落とし、持ってきたグラスの半分ほどにミネラルウォーターを注いだ。そして、グラスを手渡すかと思いきや、ゼリーの時と同じように口元に持って行く。どうやら、水も飲ませてくれるらしかった。おかげでエトワスの頬の熱さは収まらないままだったが、もし、「水は自分で飲む」と伝えると、「それならゼリーも自分で食えたんじゃん」と言われるかもしれないため、素直に従う事にした。

「水、もっと飲むか?」

喉が渇いていたのか、エトワスはすぐにグラスの水を飲み干した。

「ああ、うん。もう少し貰えるか?」

冷たい水はとても美味しくて、体に沁み込むようだった。

「……ありがとう」

薬を飲み終えると、エトワスは再び横になろうとしたのだが、それをディートハルトが止めた。

「その前に、着替えた方がいい。汗かいてるだろ?」

「え、ああ……」

「クローゼット、開けてもいいか?」

「ああ。ありがとう」

エトワスの許可を得ると、ディートハルトは洗面所の収納棚からタオルを一枚とって来て、続いて机の横のエトワスのクローゼットを開けると予備の紺色の寝間着を取り出した。そして、躊躇いなくエトワスが現在着ているパジャマに手を伸ばし、ボタンを外し始めた。

「大丈夫!自分でやるよ」

と、内心焦りつつエトワスが言う。このままだとズボンまで脱がされそうだと思った。

「あ、待って。汗拭くから」

ディートハルトから替えのシャツを受け取り着ようとするエトワスを、ディートハルトが止める。そして、その言葉通り、持ってきたタオルで背中を拭き始めた。

「ありがとう。適当でいいよ。何か、クラクラするって言うか、熱が上がって来たみたいだし、もう寝るから」

そうエトワスが言う。クラクラするのは、ディートハルトに体を拭かれているからで、熱が上がって来た気がするのも同じ理由からだ。しかし、ディートハルトは心配そうに眉を顰めた。

「大丈夫か?医務室に行くのが嫌なら、医者を呼んで来るけど」

「いや、いいよ」

エトワスはそう言いながら、そそくさとズボンを脱いで、ディートハルトに「拭く」と言われる前に着替え、布団の中に潜り込んだ。

「他に、何かやって欲しい事があるか?」

そう言って、ディートハルトがエトワスの顔を覗き込む。

「大丈夫だよ。わざわざ来てくれただけでも嬉しかったのに、色々ありがとう。それより、早く学校に戻らないとマズイだろ」

「あ、そうだな。じゃあ、行くけど、おれも翠も早く帰るから」

時計を見ると、急いで戻らなければならない時刻を指していた。

「ゆっくり休めよ」

そう言って、ディートハルトは学院へと戻って行った。


『……夢じゃないよな?』

自分以外誰もいなくなった部屋で、エトワスは机の上に視線を向ける。ディートハルトが持ってきたものがそこにあるか確かめる事で、現実なのかどうかを確認していた。

『現実なのか……』

水のボトルや食べ物がそのままそこにあるのを見ると、エトワスはジワジワと嬉しくなった。他人に無関心なディートハルトが、気に掛けてくれていただけでなく、わざわざ学校を抜け出して様子を見に来てくれ、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた事が本当に嬉しかった。

『俺の事を心配してくれて、天使みたいに可愛かったな……』

頬が熱いのは、単に発熱しているからなのか、そして、その発熱が体調不良のせいだけなのかは分からないが、少なくとも気持ちだけは最高に気分が良かった。



読んでくださいまして、ありがとうございました。

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