作戦なんてものはない
その場では静かになったとしても、噂は瞬く間に捕虜全体に伝わった。
朝の食事中もそこかしこで話し声が聞こえた。
「ニッポニアが立ち上がったらしいよ」「私たち、いつか帰れるんだ」「やっぱり死んだふり作戦だったんだよ」「早く助けにきて」「いまが耐えどきなんだよ」「ムオンなんて死に体らしいからね」
驚くべきことに、部屋には確かに希望に満ちた空気が感じられた。
おそらくそれは、噂が私たちの希望に合致していたからだと思う。ムオンがピンチだから捕虜さえ戦争に参加させなきゃいけなくて、その相手は再び立ち上がったニッポニアだなんていうのは、私たちからすればこれ以上もない願望だ。
でもそんな中で、逆に冷静になってしまう人もいる。
医療部隊だ。
当たり前だろう。ムオンの監察官がはっきりと私たちを弾除けのためだけに戦争に送り出すと言ったんだから。その話以降は全部尾ひれなんだし。
雲の倉庫で物の整理をしているときに手毬が話しかけてきた。
「……ねぇ。そろそろ私たちに目的を教えてくれてもいいんじゃないの?」
バンドメンバーを探している件だろうか。
しかしそのことについて雲以外誰かに話したことはないのだが。しかし、この際だ。手毬が何について話してきたのかわからないが、私としてはさっさと彼女をバンド加入に導くべきだ。協力の要請をしなきゃ、と、思ったところで手毬は言葉を足した。
「あるんでしょ。作戦。ムオンに一矢報いるやつ。そのために雲さんは私たちをきっとここに集めたんだ」
そう言って手毬は、自分のほっぺたを指で叩いた。とんとんって。そして、微かに笑った。
その意味を、私は理解する。国立女子医療学校に通っていて、そのジェスチャーが理解できないものはいない。
ところで、私たちが国女で一番最初に習うことは、人の治し方ではない。人の殺し方だ。
別に医者を暗殺者に仕立て上げる学校だったわけじゃなくて、もっと必要に迫られて殺す必要があった。例えば味方に足を失った兵士がいたとして、まともに歩くことさえできない彼は今後戦場に出向くことはできない。どころか、通常の生活が送れるところまで回復させるには沢山の医療資源が必要で、その間の食料だってバカにならない。隊の機動力だって落ちてしまう。
『皆、お国の一員として役に立ちたいの。絶対に足を引っ張りたくなんてない。だから痛みなく逝かせてあげることは、私たちの責務であり、優しさなのです』
先生はそういうことを繰り返し十五、六歳の生徒たちに言い聞かせた。なるほど、部隊とは一本の木なんだ。兵士一人一人の個別な存在ではなく、全体で一個。折れたり腐ったりした枝は落とすことで、全体を立派な見た目に整える必要がある。医療や看護資源は兵士個人に対してあるのではなく、部隊が効率的に機能するためにあるのだし、兵士一人一人にとっても全体が効率よく動くことこそが悲願。
だからこそ最初に習う実技は、看護中にいかに痛みなくその人を殺すかというものだった。
殺すことは、優しさだ。
私たちは消毒液よりもナッツ毒と呼ばれる致死性の毒薬の使い方の方をよく知っている。その上で何かあったときのために歯の奥や、人によってはお尻の中なんかに隠し持っていて、もし屈辱的なことになりそうなときには自らに使う覚悟は常にあった。
私だってそうだ。それは今となってはただの精神安定剤に過ぎないけれど。
「集めればナッツ毒もそれなりの量になるもんね。医療部隊を作ってそれを使おうっていうんでしょう? そりゃ……本当は危険を犯さずニッポニアに帰れれば一番だけどさ、そういうわけにもいかないもんね。危険なことをする、覚悟はできてる」
悲壮な手毬の言葉。その真剣な表情を直視できない。あまりにも見当違いだ。でも、気持ちはわかるよ。こんなところにずっといるなんて苦しいし、ムオンのために働くのは利敵行為だ。私たちはいま捕虜であると同時に国賊だから。
おそらく、そんな内心が態度に出てしまった。
静かに、手毬は察した。
「……違うの?」
落胆の声がありありとわかった。手毬は私の肩を両手で掴んだ。その両手は震えていた。
「じゃああんたらは、いつも小部屋で楽器を鳴らして遊んでいるだけだっていうの……?」
音楽室の防音は所詮布団一枚だ。外から耳をすませばすぐに音なんて漏れ聞こえてしまう。
手毬は雲に勝手に期待していた。雲であれば私たちの思いつかない方法で、私たちの窮地を救ってくれるんじゃないかって。それこそが、ニッポニア進攻軍上級大将の娘の責務なんじゃないかって。
私が雲に対して期待したことと同じように。手毬はいま裏切られ、勝手に落胆している。そんな手毬に、また期待させるようなことはいえなかった。
「そうだよ」
半年先の、ムオンナンバースリーにバンドを見せつけてやるというあいまいな計画はあっても、たぶん私たちに必要なのはもっと直近の確実な計画だ。そんな先の話が訪れる前に、私たちは死ぬかもしれない。そしてそんなものは、ない。
ただでさえ血色の悪い捕虜の血の気がさらに引き、手毬はふらついた。
「ちょ、大丈夫——」
「触んないで」
私の手を払いのけ、彼女は背を向けて行ってしまった。そして一人取り残された私は、急に不安に襲われた。
だってそうでしょ。
私たちは、戦争の弾除けにさせられるために待機しているようなものだから。