音に対するこだわりとか
作業は一時間ほどで終わった。
というか、一時間が経ったところで雲が終わりということにした。
「はい、じゃあこれ今日のご褒美」
そう言って雲は、みんなに携帯食料を配った。乾燥した豆を砕いて固め直したものだ。雲はずっとこの倉庫を管理していたのだから、食料はこっそり溜め込んでいるのかもしれない。いつもお腹を空かせている私たちは、それをすぐさま口に運んだ。
食べながら、手毬が言った。
「それにしても、屋内作業におやつ付きだなんて、医療部隊は特権階級ですね」
手毬は雲が原因で懲罰房に行ったことについてはもうなんとも思っていないのか、カラッとした態度で尋ねた。
「そうね〜、他の子たちには内緒にしなきゃね!」
「この後はなにをするんですか?」
「なんと、自由時間です!」
雲がいうと「わああ」と姦しい歓声が上がる。
「でもここは医療部隊だから、誰かが運ばれてきたらすぐに対応できるようにしておいてね」
少女たちは「はい」と元気よく返事をした。すでにここは雲の部隊になったのだと理解した。たとえ御久遠寺雲が近づいてはいけない人だと聞いていたとしても、これだけの特別待遇を与えられればそれに抗うことなんてできやしない。
「私と山猫さんは奥の部屋でやることがあるので、何かあったら呼んでね」
手毬たちはやや怪訝そうな表情を浮かべたが、しかし疑問を口にするようなことはしなかった。
雲と二人で奥の部屋に向かうと、雲はドアの上の出っ張りに布団を引っ掛けた。
「これが結構防音になるのよ〜」
なんだか怖い。
言いつつ彼女はギターを手にとってチューニングを始める。
「ところで山猫さんは、楽器は弾くの? それともボーカルだけ?」
「ちょっとなに言ってるかわからないですが、ボーカルも楽器もやらないですよ」
「ええっ! この前はなんでも協力するって言ったじゃないっ!」
「それは……バンドメンバーを見つけるという仕事になったのでは」
ぱちん、と雲は手を合わせると、悲しそうな顔から急にウキウキした表情へと変化していた。
「ま、まさか、もうメンバーが見つかったと言うのねっ!」
「い、いやぁ」
いるといえばいる。もちろん手毬だ。同じ部隊に手毬を所属させたことも含めて、彼女を推薦させるように仕向けているのだろうか。しかし手毬の名前を出せるほど素直にはなれなかった。そんな自分は本当に子供だとは思うのだけど。
「ごめんなさい、もう少し探させてください」
「ぜんぜん見つかっていないということね〜!」
雲はものすごく嬉しそうにそんなことを言う。
「それであれば、失敗したときのための準備をしなくちゃいけないわ。歌と、楽器の練習を……」
「待ってください、連れてこれなかったら私が歌うんですか⁉︎」
「ええ? 歌ってくれないの? 山猫さんの『できる限りの協力』って、その程度なの?」
「……そういうわけじゃ、ないですけど……」
本当に協力したいのは事実だ。その結果として、雲のバンドがよくなるのであれば。でも私が歌ったら台無しになるに決まってるじゃん。
「それに連れてくるだけならそれほど難しくないでしょう〜? 適当なお友達を呼んでくればいいじゃない」
とびっきりのふわふわとした笑顔で、雲はそんなことを言う。
……こいつ。私がそんなこと、できるわけないって知ってるんだ。雲はもう、私が雲の音楽を壊すようなことをしたくないって、わかっててそんなこといってるんだ。
「とにかく連れてくるまでは練習だからね〜!」
「わ、わかりました……。何か楽器は練習します」
「歌は⁉︎」
「歌いませんよ‼️」
「そう〜、残念ね〜。ちなみに何か楽器の心得はあるのかしら〜」
「……ありません」
私は心の中に一つだけ候補が浮かんでいたが、それを口に出すことはしなかった。
「私はギターをやるつもりだから、できれば他のやつがいいわね〜。できたら助かるのはドラムスで、他にはベースなんかもいいかもしれないわ〜?」
ドラムス? ベース?
首を傾げると、雲は続けた。
「ドラムスっていうのは要するに太鼓の詰め合わせ」
雲はスタップドギターをおろし、円柱状の箱や金属の円盤に囲まれた装置の中に入っていった。箱は太鼓なのだろうが、金属の円盤はなんだろう。
雲は二本の棒を手に持っていた。たんたんたん、と二本の棒を叩いたと思うと、今度はその棒で次々に太鼓や金属の円盤を叩き始めた。
ぞわり、と鳥肌が経った。
それは時折入る、ずん、という強烈な低音が私の全身を揺らしていたからだ。祭りの和太鼓に近いが、雲のそれは今まで聞いたことのあるどれよりも私を震わせた。驚くべきことに雲はそれを足で操作していた。何かペダルのようなものを踏み込むと、棒が倒れて一番大きな太鼓を叩く仕組みのようだった。
リズムを作っているのは、つつつ、という金属の円盤の音だ。なるほどあれは横に寝かせた薄い二枚重ねの銅鑼だ。その音が中庸的な太鼓の音と混じり合って、つつつたん、つつつたん、つつつたん、という軽快な音色を作り上げていた。
それは本当に心地よく、思わず体を揺らしてタイミングをとっていた。
雲は、たたたたととととどん、と鳴らして締め括った。
私は感嘆を漏らし、思わず拍手していた。
「こういう感じで、音楽のリズムを作るのがドラムスよ〜」
「すごいですね。どんな楽器でも弾けるんですか?」
「まさか! ドラムスなんてあったから練習しただけで、ぜんっぜん!」
本当であったとしても、これほどまで様になっているのだから雲は本当に器用だ。
「じゃあ、やってみて」
促され、雲と交代して私はその太鼓の摩天楼の中に入り込んだ。
「基本的にはハイハットを叩き続けるの」雲は銅鑼二枚重ねの金属を指差した。
「それで時々スネアドラムを叩いて」雲は太鼓のうちの一つを指差した。
「で、これをいい感じに踏んでバスドラムを鳴らします」雲は足元の大きな太鼓を指差した。
私は試しにスネアドラムと呼ばれた太鼓を叩いてみた。
た、と詰まったような音が鳴った。あまり大きな音ではなかった。もう少し強く叩いてみた。多少音は大きくなったが、雲はもっと頭の芯に届く音を鳴らしていた。
「力を入れちゃダメよ〜、たんって、落とすのよ」
落とす? それでは力が入らない気がするが、試しに言われた通りに落としてみる。ターンといい音が鳴った。なるほど、力が入って鼓面に撥を押し付けてしまうと、鼓面の振動を殺してしまい音が途切れる。つまり力を入れるのは初動であって、実際に当てるときは撥の慣性に任せてしまえばいい。
と、わかった気になったはいいものの。
「とっても素敵ね〜」
なんて雲は言ってくれるけれど。リズムをとりながらいい音を鳴らすのが想像以上に難しい。バラついた拍子も安定しない音も全然耳に心地よくない。
さらにいえば、この状態で逆手も足も動かす? 試しにやってみる。
タイミングが、合わない。
「すぐに上手になりそうだわ!」
前向きなことしか言わない雲の言葉が痛い。
「いや、ぜんぜんダメじゃないですか。そんなお世辞はいりません」
「ええ〜、本当よ〜?」
これでは到底雲のギターと一緒に鳴らす音としては成立しないだろう。音を汚すだけだ。
私は撥を手放し、ギブアップのポーズをとった。
「これでは戦力になれそうもありません」
「そんなことないわよ〜、練習すれば大丈夫」
「……いや多分、練習しても雲さんのギターを支える音を鳴らせません。私がやるよりは、なんとか経験者を見つけた方が……」
いや、ニッポニアの奴隷の中にドラムスを叩いたことのある人なんているとは思えない。
「下手なドラムスを混ぜるくらいだったら、最悪ない方がましかと思います」
「まぁ厳しい! 音にこだわりがあるのね!」
「茶化さないでください」
「茶化してない! 本当よ。きっと私たちなら素敵な音楽を作れるわ!」
なんだか嬉しそうな雲に気おされる。
期待をかけられても、別に応えられることなんてなにもないのに。