1話 私は、あなたを食べたいです
毎日、夢を見る。
毎日が違う夢。
ある日は女性になり青春を謳歌する夢。また、ある時は家族を思い戦地へと向かう夢。
性別、年齢、境遇。毎日全て違い、何度も人生を経験してきた。時に一回の睡眠で二、三人の人生を体験することもあった。
そして今、初めて自分自身で夢を見ている気がする。
「私は、あなたを食べたいです」
「....はい?」
長く黒い髪に赤い瞳。誰もが目を止めてしまうような整った容姿。そんな女性に今、食べたいと言われている。これは、15年生きてきた中で初めて、温度も体の重みも、唾を飲み込む感覚も体感できる夢である。そして、なんと言っても屋上なのである。これほど、舞台が整った現実はあるはずがないのだ。
「日本語を間違ってしまいましたか?」
「いやいや、間違ってはない気がするけど意味がわからない」
ベットの横にあるスマホから音楽が流れる前に食べられてしまいたいが、動揺して「食べてください」とは言えない。
「間違っていないのに意味がわからないのですか?」
間違ってないけど意味はわからないのだ。日本語は間違ってない。もちろん、食べるということを比喩的な意味で言っているのはわかっているのだが、自己紹介を終え、実力試験前に「あなたを食べたいです」と、どうして言われるのだろうか。
「えーっと、宇宙さんだよね?」
自己紹介の序盤に彼女は該当しその容姿と名前の希少性から誰もが彼女の名前を覚えただろう。
『宇宙住民』
彼女が自己紹介を始めた途端時間が止まったように教室の中が静寂に包まれ彼女の声だけが耳の中を震わせていた。
「はい」
返事をするだけで少しどきりとしてしまうが、彼女は至って平然に返すものだから「食べる」とは聞き間違えなのかもしれない。そうなると、自分はとても痛い人間になってしまう。
「どういうこと?」
真相を探るために、「食べる」とはつけず返してみると彼女がゆっくりとこちらに歩き始め、呼吸が耳元で聞こえ始めた時、大きな口を開けた。
「かぁー」
「おいおいおい、マジで食べようとするなよ」
首元にゾワっと寒さを感じ両手で彼女の肩を押し返した。
「いや、食べるんだよ」
「本当に食べるバカがどこにいる」
「本当にと言われても、食べるって宣言してから食べようとしてるんだから、間違ってはいない。動かないから食べていいのかと思った」
淡々と話す彼女に一つ反論するとしたら、近づく美人からは逃げることはできないんだよ。
しかしながら、宇宙という名字が付いているだけあって、彼女はとても不思議な人で間違えなかった。
「違うから、ご、ごめん。本当に食べられるのは勘弁してくれ」
「え、なんで?」
頭をコテンっと横に倒し不思議な表情をしていた。
表情がいくら可愛くても、行動の異様さはとても可愛くなかった。ここは、一旦逃げて考えるしかない。
足を一歩引いたタイミングで放課後を終えるチャイムがなり、それはスタートの合図へと早変わりした。
「ま、また後で話聞くからとりあえず教室へ」
二人で屋上から教室へと戻ってもよかったのだが、現状何をされるかわからない。ここは全力で人目がある教室へと戻るのが最適だろう。
「ちょ、ちょっと待って」
運動部などに入ったことはなく体育以外でスポーツをやったことは殆どない。それでも、体育の成績は悪くないし、体を動かすことは嫌いではなかった。そんな自分が、自分よりも半分近く細い女性に追いつかれそうになっているのはとても驚きであった。
勢いよく屋上の扉を開け階段を降りていく。後少しの段数は飛び降り、曲がり角はできる限り手すりを使い内側を回った。廊下を初めて全力で走り曲がり角では速度を緩め内側に。完璧なコーナリングで彼女を突き放したと思ったが、息切れもせず付いてきた。でも、この直線を走り切り階段を降りたら一年生のフロアに着く。後少しの踏ん張り。
タイミングや場面が異なれば美少女に追われるということは、とても素晴らしいことなのだろう。
だが、なぜ、俺の夢は砂浜ではなく校舎の廊下で、笑顔ではなく本気なのだろうか。今までも大変な夢を見てきたが今回の夢はとても趣向が変わっていた。
後少し、この階段を降りれば...
高くジャンプした。息が上がって頭に酸素が回っていなかったのかもしれない。階段はまだ複数段あった、それを一気に飛び越えてようと足が踏み切ってしまった。
『あ、夢が覚める』もう少しこの夢を体験していたら何か変わっていたのかな?それとも、宇宙さんに食べられ目が覚めたりしたのかな?
ゆっくりと地面に視点がいく時、思わず叫んでしまった。
「避けろ、未来」
左端に未来が映り込み反射的に叫んでしまった。しかし、もう間に合わない。
「え、系兎?」
強い痛みに襲われると思った。
これが夢じゃないことも薄々気がついていた。後で未来に罵倒されるだろうか。心の隙間で未来なら許してくれると期待もしているが一生残る傷をつけてしまったらどうしよう。これが、本当の夢であったらよかったのに。
本当の夢...
「浮いてる...なんだ、本当に夢だったんだ」
「何言ってるの系兎」
目を開けると鼻がついてしまいそうな距離に未来がいる。目線が同じ位置にあるのはとても不思議だ。未来より自分の方が背が高く目線が同じになるには足を曲げるか、未来が背伸びをするしかない。しかし、そんなことをしないで今、視線が合っている。
「宇宙さん、重くないの?」
未来の瞳が左後ろに行き、聞き覚えのある名前が口から出た時に自分の状態がわかった。手足がぶらぶらと宙を歩き、首元が閉められ息がしづらいことに。そして、この状況を作っているのは『宇宙住民』であることに。
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