第9話 伯爵夫人のメイド、プリンを粗末にする貴族令息を叱る
クレーメル家に仕えるメイド、クレア。
黒髪のポニーテールと、ぱっちりとしたブラウンの瞳がチャームポイント。スタイルもよく、フリルのついたメイド服がよく似合う。
18歳の彼女は住み込みで働き始めてから二年ほどになるが、シンディとはよき主従関係を築きつつ、身分差を越えた年の離れた友のようになっている。
シンディにとっては一番のプリン仲間でもある。
食べるだけでなく一緒にプリンを買いに行ったり――
「奥様、今日はどこのプリンを買いましょう?」
「『オール堂』のプリンはどう?」
「いいですね!」
時には一緒にプリンを作ったり――
「自分で作ったプリンもまた格別ね~」
「はいっ!」
夫ランゼルとともにシンディの人生に欠かせない存在だというのは間違いない。
クレアには年に何度か長期休暇を与えて、その時は帰郷してもらったりしているのだが、それ以外の日は休まず働いてもらっている。
彼女の献身でシンディもランゼルもどれだけ助けられていることか。
だからこそ、思う。
たまには一日ポンと休みを与えてあげたい、と――
シンディがランゼルと二人きりになったタイミングで相談してみる。
「クレアに休日を?」
「ええ。あなたにも不便をかけちゃうけど……」
「かまわないよ。クレアにはいつも世話になってるからね」
「ありがとう……」
すんなり決まり、シンディとランゼルはクレアを呼び出す。
「……休暇、ですか?」
「ええ。このあたりで一日リフレッシュしてみたらどうかなって」
クレアは笑う。
「リフレッシュだなんて、私はいつも楽しいですよ! 旦那様にも奥様にも本当によくして頂いて……。特に奥様が美味しそうにプリンを食べてる姿を見ていると、私も元気になっちゃうんです!」
「あらま」食べる姿を褒められ嬉しいが、赤面するシンディ。
「だけど、お二人のご厚意に甘えさせて頂きます。リフレッシュ休暇、ありがたく頂戴します!」
クレアは休みを取ることにした。
リフレッシュの必要はないというのは紛れもない本音だが、過度な遠慮はかえって相手の顔を潰してしまうこともある。
シンディたちもまた、そんなクレアの心遣いには気づいており、自然と微笑む。
「クレア、あなたは本当にいい子ね」
「奥様こそ、本当にいい奥様ですよ」
フフフと笑い合う二人に、ランゼルが一言漏らす。
「もしもクレアが男だったら、僕の強力な恋敵になっていたかもしれないね」
クレアが両拳を握り締める。
「よぉし、だったら男装でもして立候補しちゃいましょうかね」
「クレアったら。私はプリンは大好きだけど不倫はゴメンよ~!」
和やかなムードの中、ランゼルは一人危機感を抱いていた。
「本当に取られてしまったりして……」
***
三日後、休暇をもらったクレアは一人で街に向けて外出していた。
いつものメイド服ではなく、白シャツに黒のベストを着て、赤いスカートという出で立ち。
愛用の革製のバッグを振りかざし、散歩する。
緩い風が吹き、心地のよい日であった。
クレアは歩いているだけで楽しくなる。
そこへ――
「ヘイ彼女、お茶でもしない?」
王国における“今時の若者”という風情の青年がナンパをしてきた。
こういうことに不慣れなクレアはきょとんとしてしまう。
「お茶……ですか?」
「ヘイ、そうさ!」
「いいですねえ!」
「おっ、そうかい? だったら……」
「一緒に紅茶を淹れましょう! 私、これでもプロですから! さっそく茶葉を買って――」
「ご、ごめん。用事を思い出した」
ナンパ男は慌てて立ち去っていった。
向こうから話しかけておいてなんだったのかしら、とクレアは口を尖らせる。
とはいえ、王都散策は楽しいものだった。
教会でお祈りをしたり、英雄として崇められる騎士の銅像を眺めたり、露店でアクセサリーを物色してみたり。
シンディたちにはリフレッシュなど不要だと言ったが、やはり普段できないことをするのは新鮮な気持ちになれる。
そして、こんな休暇を与えてくれた二人に、改めて感謝するのだった。
昼の3時前後、おやつ時の頃。
クレアはある店の前に立っていた。
カフェ『オアシス』――名前の通り王都の喧騒の中に憩いの場としてたたずむ小さなカフェ。ここのチョコレートプリンは絶品なのである。
一度シンディに連れられて来たことがあり、とても美味しかったことを覚えている。
機会があればもう一度と思っていたが、まさに絶好の機会を得た形となった。
ドアを開けると、年は30前後であろう男性店主が柔らかな笑みで出迎える。
「いらっしゃいませ」
幸い店内は満席ではなく、クレアはすんなり席につくことができた。
「ご注文は?」
「チョコレートプリンを!」
「かしこまりました」
まもなくお洒落な銀色のカップにのせられたチョコレートプリンが出てきた。
一口食べる。
舌の中でプリンがとろけ、上品な甘さが広がる。
奥様と一緒に食べたあの味だぁ……!
思い出がよみがえる。さらには実に美味しそうにプリンを食べていたシンディの姿まで幻視してしまう。あの奥様は本当に可愛らしかった。
今日は最高の一日だったわ、とクレアは満面の笑みになった。
チョコレートプリン最後の一口を食べようとする。
「なんだ、このプリンは!?」
突然の声に、クレアのスプーンが止まった。
見ると、一人の客がチョコレートプリンに文句をつけている。
濃いめの茶色の髪に整った顔立ちの貴公子だった。
男爵家の令息レナード・ムース。身なりからクレアも彼が貴族であると一目で分かった。
「こんなものをボクに食べろと?」
「何かお気に障りましたでしょうか……」
「下げてくれ。ボクはこんなプリン、食べるつもりはない」
レナードは一口も食べずに、チョコレートプリンを下げさせようとする。
「しかし、一口だけでも……」
店主にも料理人としてのプライドはある。そう簡単には引き下がれない。
「結構だ。ああ、もちろんちゃんと金は払うよ」
明らかにプリン代以上の銀貨をテーブルに置く。
「こんなに受け取れませんよ……」
店主はうろたえる。
「いいから取っておけ。暇潰しに付き合ってくれた礼だ」
出された品を食べずに、なおかつ代金を過剰に支払う。
一見すると意味の分からない行為だが、クレアには心当たりがあった。
かつて主人であるランゼルからこんな話を聞いたのだ。
『今の立場に満足できていない貴族は、時に市民に対して傲慢に接しつつ、金を振る舞うことがある。例えばだけどホテルの従業員に無茶な要求をして困らせておいて、チップも弾む、みたいなね』
『よく分かりませんね……なぜそんなことを?』
『自分の立場を誇示し、なおかつ羽振りがいいところを見せて、自信をつけたいんだろうね。貴族というのは見栄を張るのが仕事という面もあるし。とはいえ、僕はそういう風習を何とか変えていきたいんだけどね』
レナードがやっているのは、まさにランゼルが言った通りのことだった。
彼は今の自分の立場に満足しておらず、あんなことをしているのだろう。
一種の職業病のようなものであり、店からすれば嫌な思いはするが、金銭的には損どころか得をする。クレアが口を出すことではないかもしれない。
だが、こうも思う。
プリンを食べもせずに酷評し、粗末にするのはあんまりだ。
プリンをこよなく愛する奥様ならきっとここで黙っているはずがない。彼にズバッと言うはずだ、と。
そう考えたとたん、クレアは口走っていた。
「ちょっと待って下さい!!!」
店主とレナードが一斉に振り向く。
「せっかくのプリンを食べずに下げさせるなんてひどすぎます! 店主さんにも、そしてプリンにも! せめて一口ぐらい食べて下さい!」
「なんだ君は……」とレナード。
ここでクレアは我に返る。とんでもないことをしてしまった。が、もう走り出してしまった。ならば前進あるのみ。
「クレアと申します」
「ふうん、職業は?」
「メイドをやっています」
「どこぞの商家のメイドってところか。ボクは男爵家のレナードっていうんだ」
貴族であると名乗り、露骨に威圧する。ボクに逆らうとどうなるか分かっているのかと言外にほのめかしている。
自分が名門クレーメル家のメイドであることを明かせば、相手も怯むかもしれない。
だが、クレアはそれをしたくなかった。肩書きには頼らず、あくまで自分の力で――そう決めた。
「男爵家のお方ほどであれば、なおさらです。注文した品を食べないなんてつまらないことはせず、もっと市民のためになることをすべきです!」
「メイド風情がなかなか言うじゃないか……」
「はい、私はメイドであることに誇りを持っています!」
クレアは一歩も退かない。
平民の娘から思わぬ反撃を喰らい、レナードは顔をしかめる。
「だったら……」レナードが椅子から立ち上がる。「発言を撤回しなければ、君の首を斬るといったらどうだ」
レナードは貴族として帯剣しており、その柄を右手で握った。
「ボクは貴族だ。君なんか斬ってしまってもお咎めはないんだ」
むろん、貴族は平民を自由に斬っていいなどという法はなく、これは脅しに過ぎない。だが、本当にやりかねないという迫力を秘めた脅しだった。
「お、おやめ下さい……」店主が怯えながら制止しようとする。
「黙れ! さあ、どうする。今すぐボクに謝るのなら命は助けてやるぞ」
「……!」
クレアは唇を噛む。
そして、脳裏に敬愛するシンディの顔を浮かべる。
こんな時、奥様なら、奥様ならきっと――
「斬られてもかまいません! どうかプリンを食べて下さい!」
クレアは堂々と言い放った。
しん、と静寂が辺りを包む。
レナードの顔が先ほどまでの自信に満ちたものから、みるみるうちに萎んでいく。
「ボクが悪かった……。分かった、食べるよ……」
観念したように剣から手を離し、椅子に座った。
貴族として、自分の立場に屈する者にはとことん強いが、クレアのように屈しない者には免疫がなかった。完敗だった。
レナードはスプーンでプリンを食べる。まもなく頬がほころぶ。
「すごく美味しい……」
クレアも店主も喜ぶ。
「こんな美味しいプリンを食べもしなかったなんて……。ボクは……自分の見栄のために本当にバカなことしていたみたいだ。貴族失格だな……」
プリンを味わいながら、レナードはうなだれる。
「いえ、あなたは立派な貴族ですよ。だって……そうやってご自分の行為を省みることができたんですから!」
クレアは太陽のような笑顔で応える。
「う、うん……」
レナードにとってはあまりにも眩しく、その頬がほのかに染まった。
聞くと、レナードは自身の家では他の兄弟に隠れ、目立たぬ存在であるとのこと。両親からの期待も薄いという。
だからこそその鬱憤を「その店で自慢の品を注文し、食べず、しかも過剰に代金を払う」という行為で晴らしていた。
レナードはチョコレートプリンを欠片も残さず完食し、店主に言われた通りの代金を払った。
「君のおかげで目が覚めたよ。本当にありがとう」
「こちらこそ出過ぎた真似をしまして……」
「いいや、ボクは運がよかった。こうして目を覚ましてもらえたんだから。これからは自分の立場にくさらず、一流の貴族を目指してみせる」
「レナード様ならきっと大丈夫ですよ!」
こうしてクレアの休日は終わった。
ひょんなことから得た休暇だったが、非常に充実した一日となった。
また明日からクレーメル家のメイドとして頑張ろう。そう思えた。
***
後日、カフェ『オアシス』での一件を聞いたシンディたちはやはり驚いていた。
「クレアったら、ずいぶん思い切ったことをしたわね」
クレアは照れ臭そうに笑う。
「しかし、勇気がある。同じ場面で、クレアのように言える人間はそうはいないだろうね」
ランゼルも感心する。
クレアはというと――
「奥様ならプリンを粗末にする人を絶対許さないし、こうするだろうなって思ったら、体が勝手に動いてました!」
「あらま、私ったらそんなイメージだったの……」
唇に手を当て、シンディは照れる。
「まあ、君ならそうするだろうね」
ランゼルも同意する。
「あなたまで……。でもクレア、あなたも立派になったわね」
「ありがとうございます!」
「それと、件の彼……レナード君と文通を始めたんだって?」
「そうなんです。お手紙のやり取りをしないかって誘われて……」
「もしデートする時は言ってね。ちゃんと休暇をあげるから」
「もう奥様ったら! 気が早いです!」
「あら? ってことはまんざらでもないのね?」
「あああ……奥様の意地悪!」
笑い合う二人をよそに、ランゼルはひそかにホッとしていた。
とりあえずクレアに妻を取られることはなさそうだな、と――