第8話 伯爵夫人、夫のために元婚約者に会いに行く
シンディの夫ランゼル・クレーメルは王宮で財務官を務めている。
今日も職務に励んでいたところ、上司である財務長官から呼び出しを受ける。
「お呼びでしょうか」
長官は椅子に座り、机に両肘を置き両手を組み、眉間にしわを寄せている。
「うむ、実は……貴族の間で詐欺の被害が相次いでいるのだ」
「詐欺?」
「海外の美術品と称し、二束三文のガラクタを売るという詐欺だ」
「それは……いけませんね」
「確認されているだけでも被害はすでに数千万ブルレ。贅沢品を集めることに執心する貴族など、まさに格好のカモというわけだ。君の改革がなければ、被害はもっと大きかったかもしれん」
ランゼルは過度な贅沢は控えるよう、貴族たちに呼びかけている。試みが評価されている格好だが、被害が出ている以上やはり喜べない。
「もちろん、国としても検挙に取り組んでいるのだが、我が国の捜査機関は傷害や強盗などの粗暴な犯罪には強いが、こういった知能犯にはちと疎い。そこで、数々の実績がある君に白羽の矢が立ったというわけだ。もちろん、成果を出してくれたあかつきには相応のポストを……」
「いえ、長官。そのような褒美をぶら下げて頂かずとも、私はこの任に取り組んでみたいと思います。金銭を扱う職業についている者として、詐欺師など到底許せませんのでね」
長官は険しかった表情を緩めた。
「君のその実直さ、そして若さが羨ましいよ。どうかよろしく頼む」
***
ランゼルは人を用いて、詐欺事件の捜査にあたるが、すでに王国の捜査機関が苦戦している事件である。一筋縄ではいかない。
被害者である貴族らに話を聞いても、いいように手玉に取られており、肝心な情報は何一つ持っていなかった。
これだけの被害を出すくらいなので裏社会では名の知れた詐欺師なのかもしれない。が、さすがのランゼルにもそういった知り合いはいなかった。
行き詰まりを感じたランゼルは、妻シンディに相談してみることにした。
「詐欺師か……。私、そういうことに詳しい人間に心当たりがあるわ」
「誰だい?」
「かつて、貴族の女性相手に“ゆすり”をやっていた人間……」
ランゼルもかすかに狼狽する。
「ま、まさか」
「ええ。私のかつての婚約者バーデン・ゴーマよ。あ、今はもうゴーマ家の人間ではなかったわね。勘当されちゃってるんだから」
「しかし……彼は君の働きで捕まって、今は刑務所だろう?」
「だから面会して聞いてくるわ。美術品を扱う詐欺師について知らないかって」
「その役目なら僕が……」
「いいえ。あの男のことなら私もよぉく知ってる。扱いにも慣れてるし、私が聞いてきた方がいいわ」
「しかし、彼に会ったら君の心の傷が……」
心配する夫を安心させるようにシンディは首を横に振った。
「私はあの男に感謝しているくらいよ。あの男が私との婚約を破棄してくれたから、あなたと出会えたんだから。おかげでこうして幸せに暮らしている。その後、バーデンの犯罪を暴くことできっちり意趣返しもできた」
ランゼルは黙って聞いている。
「だけど、まだ足りない。私はね、あなたのためならあの男ぐらい使いこなせる夫人になりたいのよ」
シンディはかつて自分に大きな心の傷を負わせた男程度、したたかに利用できる女になりたかった。これはまさにそれを証明するチャンスである。
ランゼルもまた、シンディの強さを十分に知っている。彼女はもう海辺で絶望していた頃の彼女ではない。
夫とプリンをこよなく愛する、誇り高き伯爵夫人なのである。
「……分かった。君に任せよう」
ランゼルはうなずき、バーデンと面会することを承諾した。
このタイミングでクレアが赤いプリンを持ってきた。
「さすがクレア、いいのを持ってきてくれたわ。闘志を燃やす時はやっぱりこれよね。赤いプリン!」
王都の人気菓子店で売られている、真紅の果実クリムゾンベリーをふんだんに使った真っ赤なプリンである。その色に恥じない鮮烈な甘さがウリとなっている。
「うん、美味しい!」
赤いプリンを味わい、シンディは笑顔になる。
そこにはかつて自分を婚約破棄した相手に対する恐怖心はどこにもなかった。
***
翌日、シンディは王都にある刑務所を訪れた。場所は中心部を外れ、住宅街や商店街とは離れたところにある。
堅牢な石造りの建物が高い壁に囲まれている。これだけでここが外界から隔離された施設だということが嫌でも分かる。
シンディは刑務所の正門で、面会に際する所定の手続きをする。
書面に自分の身分を記入し、面会したい囚人の名前を記入し、その理由を書く。
伯爵夫人に対して、刑務所の職員の応対は丁寧だった。
「本当によろしいのですか? ご夫人が囚人に会うなど……」
「ええ、お願い」
「分かりました。すぐに対応いたします」
シンディの身分もあってか手続きはスムーズに済み、さっそく面会が許された。
面会室は狭い一室だった。
中央にある机で面会者と囚人が話し合うことになるのだが、当然両者の間には金網が敷かれ、互いに手出しできないようになっている。
シンディが待っていると、まもなく囚人服姿のバーデンが現れた。両腕には金属製の手枷をつけている。
バーデンも椅子に座り、両者は向き合う。
看守による監視をつけることもできるが、シンディはそれを断った。この男とは一対一で面会をしたかった。
「もはや帰る家もねえ俺に面会希望なんて誰だと思ったが、まさかお前だったとはな」
「久しぶりね、バーデン」
ゆすり事件以来――数ヶ月ぶりの再会となる。
「なんの用だ? とことん落ちぶれた俺を笑いに来たか?」
「まあ、それもあるわね」
あっさりと言い放つシンディに、バーデンは歯噛みする。
「元貴族が刑務所に入るといじめられるって聞くけど、実際のところどうなの?」
「その噂は正しいよ。囚人なんてのは大抵下層民だからな。上流階級に一泡吹かせるいいチャンスってわけだ。少しは同情してくれるか?」
「するわけないでしょ」
シンディは突き放した。バーデンはむっとする。
「おい……口の利き方にゃ気をつけろよ。俺はお前に手も足も出せねえが、金網通してツバ吐きかけることぐらいならできるんだぜ」
「なら、やってみれば?」
シンディの鋭い眼差しを見ると、バーデンは委縮してしまう。
十年間で、シンディとバーデンには人間として、大きな力の差、格の差が生まれている。
たとえ金網がなくても、バーデンは殴りかかることすらできなかっただろう。
「……で、なんの用だよ?」
手枷をつけられたまま両手で頭をかくバーデンに、シンディも本題を切り出す。
「今、王都で貴族をターゲットにした美術品詐欺が流行ってるらしいの。主人がその事件の捜査を任されてるんだけど、あなた、何か知らないかなって」
「……」
「かつて、あなたは貴族の婦人をターゲットにゆすりをやっていた。言っちゃ悪いけどあなたがゆすりの犯罪を自分で思いついたとは思えない。裏社会に堕ちた後、誰かに教えてもらったんでしょう? 裏社会にはそういう横のつながりがありそうなものだし」
バーデンは元貴族である。貴族の立場で知りえた情報を裏社会の人間に流す代わりに、自分も金を稼ぐ手段としての犯罪方法を教えてもらう。
そういったやり取りがあったはずだとシンディは睨んでいた。
「知ってたとして、俺をブタ箱に叩き込んだ張本人であるお前に素直に教えると思うか?」
「そうしたら、このまま帰るだけよ。聞けば必ず答えが返ってくると思うほど、楽天的じゃないつもりだから」
バーデンはゆさぶりをかけるが、シンディには通用しない。会話は完全にシンディのペースである。
彼の中にこのシンディに一矢ぐらい報いたいという衝動が湧き上がる。
ならばと、ゆさぶり方法を変えてみる。
「じゃあもし……俺がそれらしい嘘をついたらどうする。お前の旦那は間違った情報を元に捜査を行い、時間を無駄にして、評価を落とすことになるな。出世も遠のくぜ」
ランゼルを人質にするかのような発言だった。少しでもシンディが狼狽するところを見たかった。
だが、シンディは――
「私の夫はそのぐらいで評価を落とす男じゃないわ。それにあなたが嘘をついたら、私としても心置きなくあなたに失望することができる」
「……!」
バーデンは悔しげに顔をしかめる。
「男のプライドを刺激するのが上手くなったよな、ホントに」
「あなたが勝手に刺激されてるだけでしょう。で、どうなの? 心当たりは?」
「……ある」
バーデンの方から折れた。
ある男の名前を出し、「会ったことはないが」と付け加えつつ、
「……美術系の詐欺ならこいつの右に出る者はいないって聞いたことがある。そんな奴、二人も三人もいねえだろ」
有力といえる情報を吐いた。
「ありがとう。もしあなたの情報を元にこの件を解決できたら、見直すことはないけど少しは感謝してあげるわ」
「……そりゃどうも」
シンディの用は終わった。
看守を呼び出し、バーデンを牢獄に戻させる。
すぐに邸宅に帰り、その夜にはランゼルに手に入れた情報を打ち明ける。
ランゼルはその情報を元に捜査を行った。
詐欺師の名前が分かったのは大きく、密偵を巧みに使い、裏社会を徹底捜査。ついに詐欺師は逮捕された。
この事件解決でランゼルは大きく名を上げることができた。
犯人逮捕の際は、夫婦でプリンを食べながら大いに喜び合ったのは言うまでもない。
***
シュルク王国王都刑務所に一台の馬車が訪れる。
馬車から降り立ったのは――ランゼル。
ランゼルもまた、バーデンに面会にやってきたのである。
面会室に連れてこられたバーデンは、見覚えのない顔に首を傾げる。
「誰だ、あんた?」
「ランゼル・クレーメル。シンディの夫だと言えば分かるだろう」
「……!」
バーデンが目を丸くする。こいつがシンディの今の旦那か。
「そうかい、お初にお目にかかる」
「こちらこそ、初めまして」
シンディの夫と元婚約者。二人が顔を合わせるのは初めてだった。
最初は面食らっていたが、バーデンはニヤリと笑う。
「確か財務官らしいな。シンディも俺と別れてから、いい男を捕まえたもんだ」
シンディにはいいところなく屈したバーデンだが、このランゼルという男なら主導権が握れると判断したようだ。
“お前の愛する妻と先に知り合ってた男”として、接することに決める。
「で、財務官サマが俺になんの用だ?」
「一度顔を見ておきたかったんだ」
「ああ、なるほどねえ。妻の元婚約者の顔をねえ」
バーデンはニヤニヤしている。
シンディと先に知り合ったのは自分という点で優位に立ちたい。下らないマウント行為だが、娯楽のない刑務所暮らしの身ならば無理もないといえるだろう。
俺が婚約破棄したからお前はシンディと結婚できたんだ、というのを強調したい。
「あんたもあいつとの婚約を破棄した俺には感謝してることだろう」
これで「まあね」などと返ってくればしめたもの。男として敗北感を与えることができる。
ところが――
「感謝? するわけないだろう」
ランゼルの目つきが一変し、バーデンはぎょっとする。
「なんでだよ。俺があいつとの婚約を破棄したおかげで、あんたはあいつに出会えたんだぞ」
ランゼルの眼光がますます鋭くなる。
「お前に婚約を破棄された後、彼女がどうしていたか知ってるか?」
「?」
「彼女は海辺に立っていた。おそらく……死ぬためだ。たまたま僕が見かけ、話しかけたからよかったが、もしそれがなければ……」
シンディはプリン好きな夫人になることなく命を絶っていたかもしれない。
「僕も財務官として、多くの犯罪と接する機会があった。だがそれでも、なるべく犯人を憎むようなことだけはしなかった。だが、お前だけは別だ。僕の愛する人を死の手前まで追いやったお前を、僕は決して許さない」
財務官らしからぬ迫力にバーデンもたじろぐ。
こいつ本当に財務官なのか、軍の将校か何かじゃないのか、と言いたくなる。
「たとえお前が心を入れ替えようと、出所して国の英雄といえる活躍をしようと、決して許さない。もしかすると、今後もシンディとお前が会うことはあるかもしれない。だが、もしも再び彼女の心を傷つけるようなことしたら……僕はどんな手を使っても、お前に彼女以上の痛みを味わわせてやる」
凄まじい宣言だった。
バーデンは顔を引きつらせつつ、どうにか笑う。
「おいおい、いいのかい? 財務官サマが囚人相手とはいえ、脅迫するような真似をして……。俺があんたに脅迫されましたって騒げば、あんたの財務官人生は終わるぞ」
「……」
ランゼルの長い沈黙。バーデンは言い負かすことができたと思い、内心ほくそ笑む。
「確かに僕は財務官という職に誇りを持っている」
「フッ、だろう? それを失うわけには――」
「だが、時折思うんだ。こんな“重り”がなければ、シンディを傷つけたお前に思う存分報復をしてやれるって。だから……財務官という地位を失うのもいいかもしれない」
「……ッ!」
バーデンはランゼルを見る。
こいつは本気だ。妻のために本気で俺に怒っているし、財務官の地位を失ってもいいというのも紛れもない本音――バーデンはそう判断した。
彼も裏社会では幾多の犯罪者と出会い、中には平然と人殺しをするような人間もいたが、その誰よりも恐ろしかった。
「さて、言いたいことは言ったし、僕はそろそろ帰るよ」
ランゼルは涼しい顔で立ち上がる。
「ああ、そうそう。これだけ言い忘れてた。事件解決に協力してくれてありがとう」
そのまま立ち去っていく。
残されたバーデンはしばらく椅子から立ち上がることができなかった。
彼を牢屋に戻しにきた看守が驚く。バーデンの囚人服は色が変わるほどに濡れていた。
「……ん? お、おい、汗びっしょりだぞ……大丈夫か!?」
「あ、ああ……」
バーデンはこれまで、シンディがあそこまで気丈な夫人になったのは、婚約破棄から這い上がったことで強くなったのだと思っていた。ランゼルはそのシンディと知り合えただけの“貴族のお坊ちゃん”に過ぎないと……。
しかし、そうではなかった。ランゼルという強い夫がいたからこそ、シンディは元婚約者を手玉に取れるほどに強くなれたのだ。
バーデンは大きく息を吐くと、心底ホッとしたように独りごちた。
「面会室より、牢屋にいる方がよっぽど気楽だぜ……」
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