第7話 伯爵夫人は“プリンでできた家”に憧れる
うららかな陽気な日、サロンにて貴婦人たちは思い出話に花を咲かせていた。
シンディと同世代、近い世代が集まっていたので、共通の話題も多く、雑談はいつにないほど盛り上がる。
誰かがつぶやいた。
「子供の頃『チョコレートのおうち』って絵本があったわよね」
「あったあった、懐かしい!」
『チョコレートのおうち』とは、ある食いしん坊の家族が山登りしていると、チョコの匂いにいざなわれる。
行ってみると、森の中にはチョコレートでできた家があった。
実はこのチョコレートの家は“家の形をした怪物”で、入った人間を食べてしまうという代物なのだが、この家族は腹ペコだったのでチョコレートの家を逆に食べ尽くしてしまう。
ストーリーはホラー風味でもあるのだが、一家がチョコレートを食べている絵がとにかく美味しそうで、絵本が出た当初は国内のチョコの売上を何倍にもしたという逸話がある。
「あれを読んで父にチョコレート買ってって頼んだわ」
「私も!」
「みんなやることは同じなのね~」
サロンにはかつて不倫騒動の憂き目にあったミレナもおり、シンディに話題を振る。
「もしシンディ様なら、“プリンでできた家”があったら、全部食べてしまうかもしれませんね」
こう言われたシンディの表情が固まる。
「あっ、ごめんなさい!」
さすがに失礼だったかとミレナが口を手で押さえる。
しかし、そうではなかった。
シンディは本気で“プリンでできた家”があったら、という空想を始めたのだ。
ごくり。
唾を飲み込む音まで聞こえる。
シンディは真剣にプリンの家があったらと考え、自分の世界に浸ってしまっている。
この様子を見て、伯爵夫人サブリナが一言。
「シンディなら、プリンの家をたちまち食べ尽くしてしまいそうね」
サブリナだけでなくサロン出席者の誰もがそう思った。
***
帰り道、シンディは書店に立ち寄る。
絵本のコーナーを見ると、『チョコレートのおうち』はまだ店頭で売られていた。
懐かしさも手伝い、これを購入し、シンディは邸宅に戻る。
リビングのソファに座り、本のページをめくる。
「懐かしいわ~」
チョコレートの家が怪物だと判明するシーンは、絵も文章もかなり不気味に描かれている。子供の頃の記憶が徐々によみがえってくる。
「今読むと、結構怖い話よね、これ」
だが、食いしん坊家族がチョコを食べる段は非常に食欲をそそるような絵が描かれている。
「みんなでパクパク食べて……美味しそうだわ……」
絵本を読んでいると、懐かしさと暖かな陽気も手伝ってシンディはだんだんとまどろんできた。
「う……ん……」
……
「あ、いっけない。絵本を読みながら寝ちゃったみたい」
シンディはソファで目を覚ました。
絵本を閉じ、辺りを見回す。
見慣れた我が家なのだが、何かが違う気がする。
「……?」
違和感を抱いた。
固いはずの壁や床に見覚えのある弾力を感じる。
歩くとぶよぶよとした感触があり、指でつつくとそのまま突き刺さる。
匂いを嗅いでみる。大好きな、あの甘い匂いが鼻に入ってくる。
シンディは即座にある結論に達した。
「まさか……家がプリンになってる!?」
そうと分かったシンディの行動は早かった。
スプーンで壁をほじってみる。それを一口食べる。美味しい。
スプーンで床をほじってみる。それを一口食べる。美味しい。
スプーンでドアをほじってみる。それを一口食べる。美味しい。
シンディは自分が出した結論に間違いはないと確信する。
「やったわぁ! 食べ放題!」
樹液に群がる虫のように、シンディはプリンと化した家を食べ始めた。いや、貪り始めた。
普通、ここまで巨大なプリンだと味は落ちてしまいそうだがとんでもない。
「味も良好だわ! まるで私が今までに食べたプリンの味全てが、詰まっているような味!」
シンディはみるみるうちに家の一角を食べ尽くしてしまった。
なのに、彼女のお腹はまるで満腹にならないのだ。
「すごいわ! いくらでも食べれちゃう!」
やがて、こんなに美味しいプリンならクレアやランゼルにも食べさせたいなと思う。
するとちょうどタイミングよく、クレアが部屋に現れた。
「奥様」
「クレア。ねえ聞いて、家がプリンになったの! よかったら、あなたも一緒に……」
すぐに異変に気付く。クレアの様子がおかしい。
いつも通り可愛らしいメイド服姿なのだが、なんだか全身がプルプルしているのだ。
シンディは恐る恐る、クレアの頬にさわってみる。
その感触は――プリンの“それ”であった。
「どうして……どうしてクレアがプリンに……!?」
「私をお食べ下さい……」
「え?」
「私は今日からプリンになりました……。どうかお食べ下さい……」
クレアが自分を食べろと迫って来るが、シンディは後ずさりする。
「何を言ってるの。食べられるわけないじゃない。ああ、どうすれば……」
そこへ――
「ただいまー」
シンディがこの世で最も愛し、最も頼りにしている声がやってきた。
弾力のあるプリンの床を走って、すぐに駆け寄る。
「あなた! 大変なの、クレアが……!」
「クレアがどうしたんだい?」
「クレアがプリンに――」
ランゼルを見て、シンディは一瞬で凍り付いた。
彼の体も、明らかに体がプリンと化しているのだ。甘い匂いを放ち、ぷるぷると揺れている。
「なんで、あなたまで……」
「どうしたんだい、シンディ?」
「なんであなたまでプリンになってるのよ!」
「決まってるだろう? 君に食べて欲しいからさ」
体を震わせながらランゼルが近づいてくる。
「さあ、食べておくれよ」
後ろからはクレアが迫ってくる。
「奥様、私をお食べ下さい」
「あ……あああ……」
ランゼルの顔がにわかに崩れた。プリンになったせいで柔らかくなっており、人の形を維持するのも難しいのだろう。
「おや、崩れちゃった。でもいいよね、君が食べてくれるんだから。君はあれだけプリンを食べたがっていたのだから……」
「いやぁ……」
「僕を食べておくれよ、シンディ……」
「いやぁぁぁぁぁっ!!!」
シンディは絶叫した。
……
「……ハッ!」
リビングのソファで目が覚めた。
右手には絵本『チョコレートのおうち』を持ったままになっている。
クレアが話しかけてきた。
「奥様、どうなさいました? ものすごい汗ですが……」
シンディは自分の額を手で押さえる。
「いえ、なんでもないの。なんでもないのよ。あ、ちょっと待って」
シンディはクレアの頬を指でつまんでみた。
「お、奥様?」
ふにっとしてすべすべの柔らかい、“人間”の感触だった。
「クレアだわ! よかった……。よかったわぁ~……」
全てが夢だったと確信し、シンディは胸をなで下ろした。
***
夕食時になり、シンディはランゼル、クレアとともに食卓を囲む。
メインは白身魚のソテー、これを上質な白ワインとともに味わう。
食事の最中、シンディは二人に真剣な表情で言い放った。
「あなた、クレア。私、二人のことはどんなことがあっても絶対食べないからね!」
これを聞いたランゼルとクレアはわけも分からず、きょとんとして顔を見合わせた。