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第6話 伯爵夫人はプリンの上にのったさくらんぼを守りたい

「お待たせいたしました」


 出てきたプリンを見て、シンディの表情に歓喜の花が咲く。

 このレストランでは、プリンにさくらんぼを一つのせているのだが、これがたまらなく大好きなのである。


「私、プリンに他の食材で色々と飾りつけをしちゃうのはプリンの味の邪魔になる気がしてあまり好きではないのだけど、ここのプリンはとてもそんなこと言えないわね~」


 一緒に店を訪れていた同じく伯爵夫人のサブリナ・フローズも同意見のようだ。銀髪でしっとりした雰囲気の、シンディと同世代の貴婦人である。


「ええ、プリンとさくらんぼがよく合うわ」


「そうなの! プリンとさくらんぼがお互いを引き立て、天をも越える高みに到達してるわ」


 シンディは食べ終わったさくらんぼの茎を口に含み、舌で結んでみせた。


「こんなこともできちゃう」


「すごい!」


 褒められた勢いで結び目を二つ作ってみせる。


「しかもダブル結び」


「すごーい!」


 あまりの器用さにサブリナは驚愕する。

 店主が食後の紅茶を運んでくる。


「お褒め頂きありがとうございます。しかし、そのさくらんぼも今後はのせられないかもしれません」


「え、どういうこと?」とシンディ。


「私がお世話になってるさくらんぼ農家さんがいるんですが、どうも今シーズン限りでさくらんぼ栽培をやめるようでして……」


「えええっ!?」


 シンディからすれば寝耳に水であった。

 このレストランのプリンとさくらんぼのコンビは極上といってよかった。なのにそのコンビは解散の危機にあった。


「いったいどうしてか、ご存じ?」


「あまり詳しくは知りませんし聞いてもいませんが、農地を手放さなきゃならない事情ができたとかで……」


 これを聞いてシンディは黙り込む。

 サブリナも残念なようで、シンディを励ます。


「せっかくの美味しいさくらんぼなのに残念ね、シンディ」


「……」


「シンディ?」


「決めたわ」


「何を?」


「私、そのさくらんぼ農家さんのところに行ってくる!」


「えええ!?」



***



 そのさくらんぼ農家は王都郊外にあるという。

 シンディは御者に馬車を走らせ、さっそく向かった。善は急げ、さくらんぼのためならなおさら急げ、という勢いだった。

 徐々に周囲から建物が消え、牧歌的な景色になっていく。

 到着したのは広い農地にさくらんぼの樹が沢山生えている、立派な果樹園であった。


 農家を営むのはラシオという麦わら帽子を被った中年男だった。


「どちら様で?」


「私はシンディといって、あなたのさくらんぼのファンです」


 シンディは身分を隠すことにした。いきなり伯爵夫人と名乗ってしまうと、相手を委縮させてしまう恐れがあるためだ。


「それは光栄です」


「よろしければ、見学でもさせて頂ければと思いまして……」


「どうぞどうぞ、ぜひご覧になって下さい」


 ラシオは農場を快く見学させてくれた。

 見せてくれるだけでなく、一日のスケジュールや一年間どのような流れでさくらんぼを収穫するかなど、分かりやすく説明してくれた。

 突然の訪問にもかかわらず丁寧に応対してくれたラシオに、シンディは好感を抱く。


「よろしければお一つどうぞ」


 採れたてほやほやのさくらんぼを手渡してくれた。


「え、よろしいの?」


「はい。ぜひ食べていって下さい」


 シンディはお言葉に甘えてさくらんぼを口に含む。

 小さい実に濃縮された甘みが、シンディの口の中を駆け巡る。


「美味しい……! 採れたてはまた違いますわね!」


「ありがとうございます」


 シンディは食べたさくらんぼの茎を名残惜しそうにいじる。


「だけどラシオさん。これほど美味しいさくらんぼを作る農場をなぜやめてしまうのかしら?」


 本題に切りかかった。

 ラシオは黙り込んでしまった。


「今日ここに来たのもそれを聞いたからなんです。余計なお世話かもしれませんけど、一ファンとしてどうしても気になってしまって……」


「それは……金銭的な問題でして……」


 シンディの目蓋がピクリと動く。

 もし何らかの事情でお金が必要でそれで農場を手放すのならば、介入するべきではないかもしれないと感じる。

 すると――


「おおっ、ラシオさん!」


 黒のジャケットを着た人相の悪い男が現れた。肩をいからせ、威圧的な歩き方をしている。


「ロイズンさん……」


「もうすぐこのさくらんぼの樹たちともお別れだ。名残惜しいよなぁ!」


「は、はい……」


 攻撃的でしゃがれた声はロイズンの男という性質をそのまま表しているようだ。


 ロイズンがシンディに気づく。


「ん? なんだあんた?」


 シンディはすまし顔で答える。


「通りすがりのさくらんぼ好きよ」


「はぁ?」


 シンディはこのロイズンから、ゆすりを行っていたバーデンと同じ匂いを嗅ぎ取った。すなわち、犯罪者の匂いを。

 自分が伯爵夫人だと名乗ることは強力なカードとなる。だからこそ、今ここで切るべきではないと判断した。ロイズンを警戒させてしまう恐れがある。


「それより、なぜラシオさんが農場を手放さなければならないの?」


「んなこと知りたいのかい。こいつはね、借金をしてるんだよ」


「借金?」


「ああ、この土地を抵当にしてな」


 財務官を夫に持つシンディもそれなりに金銭の流れに関する知識はある。

 ラシオのような誠実な男が、土地を丸ごと手放すような借金をしてしまうことが不自然に感じた。


「ラシオさんよぉ、今週末に最終的な交渉を行うぜ。悪あがきせず、サインの準備をしておくんだな」


「はい……」


 ロイズンは来た時と同じように肩をいからせ、立ち去っていった。今日は示威行為だけのつもりだったのだろう。

 シンディは改めてラシオから話を聞くことにする。


「私にゃ病気がちの女房がおりまして……」


 ラシオは妻の治療費のために、ロイズンから借金をしたという。

 ところが、その額はみるみる膨れ上がっていき、とうとう日々の返済すらままならなくなってしまった。

 残る手段は土地を手放すことのみ。


「なるほどね」


「情けない話です。ですが、あなたのようなファンに最後に出会えてよかった」


「最後になるかどうかは、まだ分かりませんわよ」


 ラシオが「え」と顔を上げる。


「週末の交渉、私も同席させてもらっていいかしら?」


「え? いや、しかし……」


「お約束はできないけど、もしかするとこの農場を続ける道があるかもしれません」


「なんですって……?」


 シンディは氷のような冷たい微笑を浮かべる。


「まあ私にお任せを。お金のプロフェッショナルを連れてきますわ」



***



 数日が経ち、週末になった。

 青空の中、シンディはランゼルを伴って、ラシオの農場を訪れる。


「ラシオさん、夫のランゼルを連れてきました」


「これはこれは初めまして……どうぞよろしく」


 麦わら帽子を脱ぎ、ラシオが頭を下げる。

 ランゼルとシンディが並ぶと、実に絵になる。

 二人は身分を明かしていないが、ラシオはもしかするとこの人たち、とんでもない人なのでは……と勘を働かせる。


「妻から大まかなことは聞いています。とりあえず我々は身を隠し、あなたとロイズン殿のやり取りを聞きたいと思います」


「分かりました」


 農場には小屋があり、そこには物置のようなスペースがある。夫婦はそこに身を隠す。


 まもなく、借金取りのロイズンがやってきた。

 相変わらずのしゃがれた声で、威嚇するように挨拶する。


「よぉ、ラシオさん! こんないい天気なのに元気なさそうじゃねえか! 今日こそ土地の件に決着つけましょうや!」


「は、はい……」


 小屋の中にあるテーブル上で交渉が行われる。交渉といっても、ロイズンに譲歩する余地はなく、やることは決まっている。

 ロイズンはさっそく「この土地を売り渡します」という旨の書面を出す。


「まずはこれにサインしてくれや。詳しいことはそっから打ち合わせよう」


 このタイミングで、シンディとランゼルが登場する。

 ロイズンは突然現れた男女にぎょっとする。


「な、なんだあんたら!?」


 ランゼルが右手を差し出す。


「ラシオさんの知り合いだ。こんな書面を用意しているということは、当然借用書も存在しているのだろうね? それを見せてもらいたい」


「あ、ああ、もちろんだ」


 面食らいつつもロイズンが一枚の紙を出す。


「こいつが借用書だ」


「……」


 ランゼルは一目見て、眉をひそめた。


「なんだ、この金利は?」


「え?」


「10万ブルレがたった数ヶ月で何十倍にも膨れ上がっている……我がシュルク王国ではこんな金利での金貸しは認めてないぞ」


「何を言ってやがる! こいつはその条件を呑んでサインしたんだ!」


「サインしようが何をしようが、契約自体に不正や瑕疵があれば契約は成り立たない。この契約は無効だ」


「な、なんだとぉ~!?」


 ランゼルがラシオに向き直る。


「ラシオさん、こんな借金を気にする必要はない。つまり土地を手放す必要はない」


「は、はぁ……」


 突然の援護射撃にラシオも喜びより困惑の方が勝っている。

 もちろん借金を帳消しなどと言われたら、ロイズンも黙ってはいられない。


「てめえ、ちょっとは法をかじってるのかもしれねえがな。こっちのバックにゃ王国財務官もいるんだ! そっちの思い通りにゃならねえぜ!」


「財務官? 誰のことだ?」


 ロイズンは少し間を置く。


「ラ……ランゼル様だ! 俺のバックにゃあのランゼル様がついてる! 法をかじってるなら耳にしたことがあるだろう! 今最も力を持ってる財務官だ!」


 これを聞いたランゼルは真顔になる。隣のシンディは口元を手で押さえる。笑いをこらえるために。


「私に君のような知り合いはいないが?」


「え?」ロイズンはきょとんとする。


「財務官ランゼル・クレーメルはこの私だ。初めまして」


 常に携帯している名刺を見せつけつつ、ランゼルが丁寧に一礼する。


「げええっ!?」


 ロイズンからすればまさに悪夢のような状況だろう。


「君の手口は分かった。金に困ってる者たちに金を貸し付け、無茶な金利で返済不能に陥らせ、最終的に土地を手放させる。場合によっては『自分には財務官のバックがいる』と脅す。こんなことを繰り返しているんだろう」


「ぐ、ぐぐ……」


「違法な金利での貸し付けに加え、財務官の名まで利用するとは……許してはおけないな」


「く、くそぉぉぉぉぉっ!!!」


 追い詰められたロイズンは懐からナイフを取り出す。


「あなた!」シンディが叫ぶ。


 だが、ランゼルは涼しい顔を維持する。

 彼も貴族として帯剣を許されており、この剣は決して飾りではない。一瞬にしてナイフを切り払う。


「あうっ……!」


 ロイズンの今後を象徴するかのように、落ちたナイフが地面に刺さった。


「悪いね。これでも貴族として剣の心得はあるんだよ」


 青ざめつつ、まだ足掻こうとする様子のロイズンにシンディが告げる。


「ねえ、これを見てちょうだい」


「……?」


 シンディはさくらんぼの種と茎を口に含むと、種を茎で縛るような形にして唇から取り出した。

 その仕草はなんともいえない艶めかしさを漂わせていた。


「諦めなさい。あなたはもう、この種のように捕らわれてしまったのよ」


「……っ!」


 シンディのこのパフォーマンスがトドメとなり、ロイズンはうなだれた。

 この夫婦には敵わないと悪党の本能で悟ったようだ。


「見事だ、シンディ」


「あなたこそ……素晴らしい剣さばきだったわ」


 うっとりと見つめ合う二人。

 シンディとランゼルは夫婦の力でさくらんぼ農家を守り抜いてみせたのだった。



***



 金貸しのロイズンは逮捕された。

 彼は土地を欲しがっている富豪たちのために悪質な地上げを行っており、その方面からも捜査は進んでいくという。今後多くの富裕層にメスが入ることになるだろう。

 さくらんぼ農家のラシオはシンディたちに大いに感謝し、謝礼金を支払おうとしたが、夫婦はそれを固辞した。


「では、ぜひさくらんぼだけでも……」


 代わりに木箱一杯のさくらんぼをもらった。

 彼が作るさくらんぼが大好きなシンディにとっては嬉しいボーナスとなった。


「わぁっ、美味しそうですね!」


「沢山もらったからね。どんどん食べましょ!」


 シンディとクレアは仲良くさくらんぼを頬張る。


 その最中シンディが口の中で器用にさくらんぼの茎を結ぶ。


「奥様、上手いものですね~」


「うふふっ、まあね。そうだ、あなたもやってみたら?」


 シンディがランゼルに話を振る。


「うん……」


 不安げにうなずく。

 ランゼルもさくらんぼを食べ、口の中で茎を結ぼうとする。が、上手くいかない。何分か粘ったが茎を丸めることさえできない。


「もご、もごご……難しいね、これ……」


 シンディがちょっと嬉しそうに笑う。


「あらあら。完璧に見えるあなたにも弱点はあるのね~」


 すると、クレアがニヤリとして――


「そうだ! 奥様が旦那様に手ほどきならぬ“口ほどき”をしてはいかがでしょう?」


 これを聞いたシンディとランゼルは顔を見合わせ、お互いの唇を見た。

 そして、二人ともさくらんぼのように顔を赤く染めた。

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[一言] シンディさんてば器用♡(*ノωノ)
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