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第2話 伯爵夫人はパティシエ志望の令嬢から相談される

 メリエ・モードは男爵令嬢である。

 長めの栗色の髪を後ろでまとめ、可愛らしい容姿と明るい性格の持ち主であった。

 そんな彼女には夢があった。


「よし、できた!」


 友達同士のお茶会で、自ら作ったケーキを令嬢仲間に振舞う。


「美味しい!」

「あなたはお菓子作りの天才ね!」

「ん~、デリシャス!」


 反応は上々で、メリエも自分の腕に自信を持っていた。

 ついにはお菓子職人――パティシエになりたいという夢を持つ。

 ところが、彼女の父ダドリーはこれに反対する。


「それはならん」


「どうして? お父様!」


「趣味ならば花嫁修業の一環として目もつぶるが、お前は貴族なのだぞ。本来は菓子を作るのではなく、振る舞われる側の人間なのだ」


「……!」


 シュルク王国においても古めの考えとはいえ、貴族は何もせず奉仕されるのを待つべきである、という考えの貴人は少なくない。

 しかもパティシエを目指すとなれば、当然その修行にかかりきりとなるし、令嬢として社交に熱を注ぐ暇などなくなるだろう。

 それは彼女の家にとって好ましくないことであり、貴族としては当然ともいえるアドバイスであった。

 しかし、メリエは自分の夢を諦めることができず、悶々とした日々を送っていた。


 ある日の昼下がり、彼女は王都を歩いていた。

 オープンカフェの前を通りがかり、一人の貴婦人が目に留まる。


 バターブロンドの髪をロールアップでまとめ、上品な所作で紅茶を飲む、若く美しい貴婦人だった。

 私もあんな風になれるかしら、と憧れの気持ちさえ浮かぶ。

 なんとなく見つめていると、ウェイトレスが貴婦人にプリンを運ぶ。黄色く、柔らかく、弾力のありそうな一品だった。

 その途端、婦人の顔が変わった。

 まるで子供のような表情になり、スプーンでプリンを食べ始める。


 メリエはその豹変に驚きつつ、さらに貴婦人に見とれてしまう。

 実に美味しそうに食べるのだ。

 一口食べるごとに酩酊するような表情を浮かべ、また一口、また一口とスプーンは止まらない。よほどプリンが好きなのだろう。

 その食べっぷりに、メリエはこう思った。

 あの人に私が作ったプリンを食べてもらいたい……!


 気づいた時には話しかけていた。


「あ、あのっ!」


「何かしら?」


「私はメリエ・モードと申します」


「私はシンディ・クレーメル。初めまして」


 シンディは煙たがることもなく、丁寧に応対する。


「すみません、あなたのプリンの食べっぷりを見ていたら、あまりに美味しそうに食べていたので……」


 これを聞いてシンディは頬を赤らめる。


「あら、見てたの……」


 シンディは機嫌を損ねることはなかった。それどころか初対面にもかかわらず話しかけてきたメリエに敬意を表するように、優しく聞き返す。


「それで、私に何か用かしら?」


「はい……。私のプリンを食べてもらえないかな、と思いまして」


「……プリン!?」


 シンディはメリエがぎょっとするほどの勢いで食いついた。



***



 その夜、シンディは夫ランゼルに今日のことを話す。


「……プリンを?」


「今度の週末に試食をしてもらえないかって」


「いい話じゃないか。また新しいプリンを開拓することができる」


 まだ味わったことのないプリンを探し、それを食べることはシンディの楽しみの一つである。


「ええ、今から楽しみ」満面の笑みのシンディ。「だけど、ちょっと込み入った事情もあってね」


「事情?」


「そのメリエという子、男爵家の令嬢なのよ」


「男爵家……」


「メリエさん本人はパティシエになりたいらしいんだけど、お父さんには反対されてるらしくて」


 ランゼルは顎に手を当てる。


「無理もないかもしれないね。パティシエは決して楽な道じゃないし、まっすぐ貴族としての道を歩んで欲しいという気持ちは分かるよ」


「そうね。私も社交界も決して楽じゃないことは知ってるし……」


 社交界にもいわゆるセオリーのようなものはあり、それを逸脱してしまうと、他の貴族から白い目で見られるようになるということはシンディもランゼルもよく知っている。

 令嬢の身でありながら本格的にパティシエを目指す。困難な道を覚悟せねばならない。

 だが、シンディのメリエに対する評価は――


「あの子の目、私から見ても本物だった。だから一度、彼女の実力を見てみたいのよ。もし見込みがあるようなら後押ししてあげたい」


 ランゼルはうなずく。


「分かった、シンディ。だったら僕も付き合うよ」


「いいの?」


「ああ、もしその子が君のお眼鏡にかなう素質を持っていたら、僕もいた方が説得はしやすいだろうし」


「ありがとう……」


 シンディは夫の優しさに感謝するのだった。

 クレアが街で購入したプリンを持ってくる。


「奥様、チョコレートプリンをお持ちしました~」


「待ってましたぁ!」


 本日二個目となるプリン。

 とろけそうな顔でプリンを頬張る妻を見ながら、ランゼルはニコリとする。

 今回の件を引き受けたのはメリエという令嬢に可能性を見出したこともあるが、新しいプリンを食べたかったという方が大きかったのだろうな。

 果たしてメリエの腕前はいかなるものか。シンディは期待に胸を膨らませて週末を待った。



***



 週末になり、シンディとランゼルはある建物にやってきていた。

 『パブリックキッチン』という調理場が備わった施設で、事前に申請し、使用料を払えば誰でもここで料理をすることができる。普段は王都民向けの料理教室などが開かれている。

 パティシエ志望の令嬢メリエはここで腕前を披露するという。

 メリエはシンディが夫ランゼルを連れてきたことに驚いていた。


「まあ、伯爵様まで来て下さるなんて」


「ランゼル・クレーメルという。君の腕前、しっかり見させてもらうよ」


「はいっ!」


「プレッシャーになるかもとも思ったけど、本気でパティシエになりたいのなら、これぐらいのことははねのけなきゃね」


「大丈夫です。では、さっそく調理に取りかかりますね!」


 メリエは動じることなく調理に取りかかる。


 テーブルで待つシンディは早くもそわそわしている。楽しみで仕方ないのだろう。ランゼルはそんなシンディを愛おしく感じる。

 やがて、メリエが白い皿にのせたプリンを持ってきた。

 黄色い生地にカラメルソースがかけられた、シンプルなプリンだった。


「どうぞ召し上がって下さい」


 しかし、シンディはすぐに食べようとはしない。


「プリンはまず目で味わう……それが私の流儀よ」


 なるほど、とメリエは緊張する。

 ランゼルはいつもそんなことしてないのに、と思いつつ黙っている。


「では、スプーンですくって匂いを……」


 手でプリンをあおいで匂いを嗅ぐ。満足したようにうなずく。

 もちろん、普段の彼女はこんなことはしない。なんとなく玄人っぽい仕草をして、美食家気分を味わっているだけである。


「では、いただきます」


 夫婦揃ってぱくり。

 まず、ランゼルが感想を述べる。


「おおっ、これは美味しい!」


「あ……ありがとうございます!」


 ひとまずランゼルからは好評だった。

 一方、シンディはスプーンを持ったままわなわな震えていた。


「シンディ?」とランゼル。


「ど、どうなさいました?」メリエも不安になる。


 すると――


「これは……凄いわ!」


 シンディは目を見開いた。


「甘くてまろやか、無駄のない素朴な味でありながら深みがあり、たった一口でこれほどの満足感……たまらない味だわ!」


 シンディはもう一口食べる。


「そして時折来る、この電撃のような感覚……なんなのこれは!?」


「ああ、それはスパイスですよ」


「スパイスですって!?」


「市販されているスパイスの“レッカ”を、ほんのひとつまみ入れたんです」


「なるほど……!」


 プリンにあえてスパイスを加えるなんて、なんて恐ろしい子……。

 メリエの才能センスにシンディは戦慄を覚えた。

 食レポはしたし義務は果たしたとばかりに、シンディは瞬く間にプリンを完食する。


「ごちそうさまでした」


「それで、どうだい? 君の見立ては……」


 シンディはメリエの右手を両手で掴んだ。


「任せて」


「え?」


「必ずあなたのお父さんを説得してみせるわ!!!」


「は、はいっ!」



***



 その足で、シンディたちはモード家の邸宅に向かった。

 家主であるダドリーと面会する。口髭を生やし、スーツを着た貫禄ある中年紳士であった。


 ダドリーは伯爵夫妻が突然家にやってきたことに驚いていたが、メリエから事情を聞いて納得する。


「なるほど、そういうことでしたか」


 シンディがダドリーの説得にかかる。


「ダドリー男爵、この子には才能があります。どうかパティシエを目指すチャンスを与えてあげて下さい」


「ここまで来られたのですから、娘には見込みがあるのでしょうな。しかし、才能があっても、成功できるとは限りません」


「それはもちろんですわ。彼女にはモード家の令嬢として、約束された道を歩むこともできる。ですが、自分の足で夢に向かってみる道もあると思うんです」


「ふーむ……」


 シンディの熱弁が繰り広げられる。


 ボーンボーンと時計が鳴った。

 一時間もの説得の末、ダドリーはメリエがパティシエを目指すことを認めた。

 というより開始5分でダドリーは「娘の意志を尊重しましょう」と納得したのだが、ここからシンディが独走、いや暴走した。

 メリエのプリンがいかに美味しかったかを語り始め、もはや止まらなくなってしまった。

 一時間ほど経った頃、ようやくランゼルが――


「シンディ……そろそろ……」


「え?」


「話が長くなってきたから……」


「あっ、ごめんなさい!」


 シンディのプリントークが終了する。

 しかし、メリエもダドリーも悪い気はしていないようだ。それだけシンディのトークりょくは高かった。

 ダドリーは娘に優しい眼差しを向ける。


「パティシエを目指してみろ、メリエ。私も全力で応援する」


「はい、お父様……!」


 父娘の相互理解を見届けると、シンディとランゼルはモード家を後にした。


 後日、シンディはメリエが菓子職人に弟子入りし、堅実に修行を続けているという話を聞いた。


「いつか、プロのパティシエになったあの子のプリンを食べられると思うと……楽しみだわ」


「試食で食べた時のものより、さらに進化したプリンを出すだろうね。そうしたら一緒に食べに行こう」


「ああっ、待ちきれない~!」


 まだ見ぬメリエのプリンを想像し、喉を鳴らすシンディであった。

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