最終話 伯爵夫人は今日もプリンがお好き
数ヶ月後、クレーメル家邸宅の寝室にてシンディとランゼルの第一子が誕生した。
体は大きく、泣き声も大きく、健康で元気な赤子だった。
助産師の女性に呼ばれたランゼルが、ベッドに横たわり出産を終えたばかりのシンディの右手をそっと掴む。
「よく頑張ったね、シンディ」
「うん……」
シンディの胸ですやすや眠る息子を見て、ランゼルは目を細める。
「そして君もよく生まれてきてくれた」
シンディはうなずく。
「きっと立派に育つわ」
ランゼルは息子に『ライク』と名付けた。
シンディとランゼル、そしてメイドのクレアはライクにたっぷり愛情を注いだ。
ライクはそんな愛情を受け取り、すくすくと育っていった。
***
およそ一年が経過した。
ライクもまもなく一歳。
ランゼル譲りの艶やかな茶色い髪に穏やかな顔立ち、シンディの可愛らしさを兼ね備えた幼児に成長していた。
すでに「パパ」「ママ」「クレア」と喋ることはでき、とうとう――
「見て! ライクが歩けるようになったわ!」
「おおっ!」
立ち上がり、よちよち歩きをするライクに、シンディとランゼルは感動する。
しかし、まもなくよろけてしまう。
そんな息子を抱きかかえつつ、シンディが言葉を紡ぐ。
「この子はどんな大人になるのかなんて考えると、ついつい期待しちゃうわね」
「うん、だけどそのプレッシャーでライクを押し潰さないようにしないといけないね」
「そうね。貴族としての教育を施しつつ、のびのび育ててあげたいわ」
ライクを立派な貴族の跡取りとして、なおかつライク個人を尊重して育てたい。
これが夫婦の願い。
それは貴族令嬢でありながらパティシエを志すメリエのように、決して生半可な道ではない。しかし、二人にはやり遂げる自信があった。
「僕たちならできるさ」
「うん」
そこへクレアがやってきた。
「旦那様、奥様、ライク様、プリンができましたよ~!」
一家でリビングのテーブルに座る。
今日はクレアお手製のプリンが振る舞われる。
なお、ライクには乳児用の材料が使われたプリンである。
「クレア、クレア」とライクが右手を差し出す。
「クレアですよー」
クレアが優しく右手を握り返すと、ライクはキャッキャッと喜んでいた。彼は両親もだが、クレアのことも大好きなのである。
さっそくプリンを食べる。
「ん~! 腕を上げたわね、クレア」
「本当だね。口の中でとろけるよ、このプリン」
褒められたクレアは「ありがとうございます」と笑う。
ライクもスプーンを使ってパクパクとプリンを食べる。
口元に欠片がついているので、それをシンディがハンカチで優しく拭う。
「ライクも私と同じでプリン好きね」
「もしかしたら君以上のプリン好きになるかもね」
これを聞いてシンディは危機感を覚える。
「息子には負けられないわ!」
「実に君らしい反応だ」
プリンに関してはたとえ愛する息子にも負けたくない――シンディのプリン熱の真剣さが分かる一幕であった。
「ちょっと出かけようか」
「そうね」
まだ日が沈むまで少し時間がある。気温も下がり、散歩にはちょうどいい。シンディとランゼルはライクを連れて出かけることにした。
「行ってらっしゃいませ」
クレアが上品に頭を下げた。
***
王都の並木道を夫婦で歩く。レンガでできた道路が上品な足音を奏でる。緑の葉が優しくそよぎ、風が心地よい。
ライクはランゼルが胸に抱いていたが、「パーパ」と歩きたがる素振りを見せたので、歩かせることにした。
歩調を愛息に合わせ、親子三人並んで歩く。
「色々あったわね……」
「うん、色々あった」
ライクが生まれただけではない。夫婦の周辺では色々なことが起きた。
ランゼルは近く財務副長官への出世が内定しており、今後のさらなる活躍を期待される。
不倫の噂を流されたミレナは今も夫と幸せな生活を送っている。
さくらんぼ農場を営むラシオは、妻の病気が快方に向かい、元気にさくらんぼを栽培している。
誘拐の被害にあったルドルフとアンナ夫妻とは時折社交界で交流がある。子育ての先輩として、今後は世話になることも多そうだ。
レナードはクレアとの交際を続けており、今や自家を代表する貴公子へと成長を遂げた。
公爵夫人エリシアは引退したアルバートとともに、穏やかな老後生活を満喫しているとのこと。
国王オーニングの末子ユベルはすっかり健康を取り戻した。最近は剣術に興味を持ち始めているという。
海辺のカフェ『シーシャン』は営業中であり、シンディたちはしばしば訪れる。老夫婦のプリンは今も変わらず、なおかつ特別な味がする。
かつての婚約者バーデンは服役中である。シンディとしてはもう二度と会うことはないだろうと予感している。彼もそのつもりだろう。
色々な出会いがあり、困難があり、その全てが夫婦の絆を深めてくれた。
「今ここで改めて言おう。君と出会えて本当によかった。僕は幸せだよ」
「私も幸せよ」
幸福を噛み締める二人を見て、ライクもにこやかに笑う。
「パパ、ママ、しあわせー」
息子を見て、シンディとランゼルはふっと笑う。
夕日が親子三人を鮮やかに照らし出した。
君たちの前途は、この私が保証するというかのように。
「さあ、そろそろ帰ろうか」
「そうね。夕食後はまたプリンを食べようっと!」
愛する夫と愛する息子に囲まれ、伯爵夫人シンディは今日も幸せであり、そしてプリンが大好きであった。
おわり
伯爵夫人シンディの物語、完結となります。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。
楽しんで頂けたら、評価や感想等頂けると、大変嬉しいです。
これからも様々な物語を書いていくつもりです。
どうぞよろしくお願いいたします!