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第15話 伯爵夫人、夫の危機に立ち上がる

 時刻は日没後、ランゼルは財務官としての仕事を終えて城を出て、御者の待つ馬車に向かう。

 その数十歩のことだった。

 五人の暴漢が雄叫びを上げ、ランゼルに刃物で襲いかかってきた。


「うおおおおっ!!!」


 ランゼルは貴族として剣の嗜みもあり、帯剣している。

 すぐさま剣を抜き、暴漢たちに応戦する。

 危なげなく波状攻撃を防いでいると、城の兵士たちも駆けつけ、暴漢たちはあっさり逮捕された。


「ランゼル伯、大丈夫ですか!?」


「ああ、助かったよ。僕は無傷だ」


 命の危機だったのにランゼルは落ち着いたものである。

 すぐさま暴漢らの取り調べが行われたが、金でランゼルを襲うよう指示されたということ以上のことは分からなかった。


 それから一週間後、二度目の襲撃に見舞われる。

 これもたやすく撃退するが、襲撃犯たちの黒幕を突き止めるには至らなかった。


 心当たりは無数にある。

 ランゼルは財務官として数々の改革を成し遂げ、王国の財政を大いに好転させた。結果、財務長官に認められ、国王から直々に目をかけられるまでになっている。

 一方でランゼルによって汚職を暴かれた者や彼に嫉妬する者も多い。

 それでも命を狙われるようなことはなかったが、ついに闇に潜む悪意が牙をむいた。


 シンディに心配はかけたくない……。

 ランゼルは二件の襲撃のことは、シンディには黙っていることに決めた。


 夕食を終え、プリンを食べるシンディ。新聞を読むランゼル。

 クレアはキッチンで食器を片付けており、リビングにはいない。


 シンディがプリンを中断する。ランゼルは「ん?」と感じた。


「あなた」


「どうしたの?」


「何か私に隠してることない?」


 いきなり斬り込んだ。

 鋭い……ランゼルは動揺する。が、彼も長年財務官を務めている身。本心を隠す術ぐらいは心得ている。

 平然とした表情で切り返す。


「何もないよ」


 だが、シンディは――


「あら、そう」


 スプーンを置いた。

 そして、ランゼルの胸にしなやかな手つきで自分の掌を置き、そのまま夫をじっと見つめた。


「こうなっても同じこと言える?」


 ランゼルの心拍が速度を上げる。いくら本心を隠す術を持っていても心臓の動きはどうしようもない。

 シンディもそれに気づき、悲しそうな表情をする。

 彼女は決して夫の心を覗き込みたいのではない。夫が自分に心配をかけまいと何かを隠していることを察してしまい、それが悲しいのだ。夫は今間違いなく、何らかの危機に陥っている。

 ランゼルは観念したように唇を緩める。


「君に隠し事はできないな」


「そんなことないわ。だけど、あなたが私に“心配をかけないようにしてる”ってことは何となく分かってしまうのよ」


 ランゼルは二度の襲撃があったことを打ち明けた。

 事件の黒幕を捜査させているが、未だに目処が立っていないことも。

 シンディは黙り込む。


「僕の周囲の警護は増やしてもらってる。この邸宅もそれとなく腕利きがガードしてくれている。だから心配しなくていいんだよ」


「うん……」


 夫が二度も命を狙われたと聞いて、心配にならないわけがない。

 しばらく考え込んでしまう。

 そして何かを決心したように顔を上げた。


「あなた、私に考えがあるの」


「考え?」


「犯人を引っ張り出すための作戦よ」


 シンディが思いついた作戦はランゼルを大いに驚かせるものだった。



***



 次の日、シンディは王都の刑務所にいた。

 門で看守相手に所定の手続きを取る。

 目的は面会だった。彼女が面会するような相手といえば、あの男しかいない。


「久しぶりね」


 囚人服姿のバーデンが怪訝な表情で出迎える。

 彼とは美術品詐欺事件の時、情報を聞き出して以来の再会となる。


「ずいぶん健康的な顔つきになったじゃない」


「臭い飯食って、他の囚人にパシリにされて、労役に励んでりゃ嫌でもそうなる。で、なんだよ。また、何か情報を仕入れに来たのか?」


「今回はそんなんじゃないわ」


 シンディは首を振る。そして、バーデンをまっすぐ見据える。


「今日からほぼ毎日、あなたと面会するわ。だから適当に私の相手をしてちょうだい」


「へ……? なんでそんなことを……」


「私と不倫するフリをして欲しいのよ」


「はぁ!?」



***



 シンディは頭には煌びやかなティアラ、耳に真珠のイヤリング、胸にはエメラルドのブローチと、普段より着飾って出かけるようになった。

 その行き先は決まって王都刑務所。

 ほとんど毎日のように刑務所に出向いては、囚人と面会をする。

 貴族の、それも一流といっていい夫人がこんなことをしていれば嫌でも噂になる。


 ついには看守にも咎められる。


「失礼ですがシンディ様、いくらなんでも頻繁に面会に訪れすぎでは……」


「あら、どうして?」


「民衆というのは下世話な話が好きです。あらぬ噂を立てられる恐れもありますよ」


「私のことは心配無用。さあ、バーデンと面会させてちょうだい」


 取り付く島もなかった。看守は肩をすくめる。


 貴婦人のサロンでは、かつて不倫騒動の憂き目にあったミレナに声をかけられる。

 彼女も今ではだいぶ貴族夫人としての風格を身につけていた。


「シンディ様……」


「あらなあに?」


「はっきり申し上げますね。最近シンディ様がよく刑務所に行って、あのバーデンと会っているという噂が立っています」


「ふふ、どうかしらね」


 シンディは不敵に笑い肯定も否定もしない。肯定しているといって差し支えない反応だった。


「まさか……私のようにゆすりを受けているのでは!?」


「心配しないで、ミレナさん。私は大丈夫だから」


 一瞬、ミレナは演技ではない本当のシンディを見たような気がした。

 だからミレナはシンディを信じることに決める。

 この方のことだから、きっと刑務所通いにも、バーデンと会っているのにも、何か事情があるのだろうと。

 だが、残念ながら大半の人間はそうではない。

 シンディは刑務所にいるバーデンとよりを戻そうとしている。不倫している。挙げ句の果てには、今の夫ランゼルを亡き者にしようと企んでいるなどという噂まで飛び交う始末。


 シンディはこれらの噂を否定も肯定もせず、のらりくらりとやり過ごす。

 面白がった民衆は、さらに噂を広げる。

 ランゼル伯の清廉ぶりに嫌気がさして、犯罪者であるバーデンになびいているのではと。


 この流れは全て、シンディの計算通りであった――



***



 人々から不倫の噂をされるようになったシンディ。

 そんな世間には意も介さず、堂々と街中を闊歩する。私にとっては醜聞もスポットライトに過ぎないわ、と言ってのけるかのように。

 シンディの前に、黒いコートの男が現れる。


「あら? 何か御用?」


 シンディは恐れずに尋ねる。


「あなたに折り入ってお願いがありまして……」


 シンディはすぐに察する。黒コートの男は“お願いをしたい本人”ではない。

 冷たい眼差しを返す。


「言っておくけど私、“代理”なんかと話すほど安くも甘くないわよ」


「分かっております。こちらへどうぞ」


 黒コートの男に連れられ、王都の中でも荒んだ通りに入っていく。

 やがてたどり着いたのはいかにも場末といった風情の木造酒場だった。

 軒裏には蜘蛛の巣が張っている。

 だが、シンディは嫌な顔一つせず、酒場に入った。


 そこで彼女を待っていたのは、一人の中年男だった。

 皺が刻まれ頬はたるんでいるが、肌は妙につややかで、苦労はせず年だけ食ったという印象を受ける男だった。


「ゲラフ・ボイルと申す」


 男はゲラフと名乗った。シンディは男の前の席に座る。掃除が行き届いていないのか、わずかに埃が舞った。


「知らない方ね」


「一言で言うなら、君の旦那の改革で閑職に追いやられた男さ」


 ゲラフはかつて城勤めのベテラン家臣だった。

 しかし、王家の財産で私物として数々の骨董品を購入していたことがランゼルによって暴かれた。

 かろうじて罷免は許され、王都内の小さな役場勤務に回されたのだが……。


「これほどの屈辱は初めてだった。この私があんな青二才に城から追いやられるなんて……」


「それはお気の毒ね。だけど今の私はランゼルとはあまり接点がないの。家でもほとんど喋らなくなったし」


「存じている。なぜなら君はかつての婚約者にご執心のようだからな」


「……」


 ゲラフが唇と頬を歪め、ニヤリと笑う。


「私はランゼルを憎んでいるし、君もランゼルが邪魔なようだ。どうだ、ここは一つ手を組まないか?」


「手を組んでどうしようっていうの?」


「私と君で協力して、奴を亡き者にするのだ。悪くない話だろう?」


「魅力的ではあるわね」シンディは澄ました顔で答える。「だけどどうやって?」


「裏社会には色んな人間がいる。毒を売りつける者、罠に詳しい者。こうした人間の力を借りて、なおかつ奴の妻である君がいれば、確実にランゼルを殺せる!」


 シンディは眉一つ動かさない。


「はした金で誰かを襲う者、なんてのもいそうね」


「ああ、その通り」


「そういえばランゼルが襲撃にあったそうだけど、ひょっとしてあなたの差し金?」


「その通り! ま、役には立たなかったがね」


「ありがとう……」シンディが薄く笑む。


「礼を言われることはない。結局失敗したし、私も奴に恨みがあるのでね」


 シンディは冷たい口調で告げる。


「そうじゃないわ。私が聞きたかったのは、今の発言だったのよ」


「なに?」


 ゲラフの右目がピクリと動く。


「全てはこのため。私は夫を狙っている人物を探すため、わざわざ不倫の真似事までした。世間は狙い通り、私があの人を亡き者にしたいとまで噂してくれた。おかげで……ようやく釣れたようね」


 目を細め、シンディはクスリと笑う。


「き、貴様ッ!?」


 ゲラフが立ち上がる。


「まさか、私を……私を炙り出すためだけに、刑務所に通い……!?」


 シンディが心底してやったりという表情でうなずく。


「ふざけるな! こんな発言が証拠になるわけ……!」


「お生憎様、私はずっと前から王家から密偵を拝借してたの。“影”ともいわれる凄腕の人を。私が国家的大犯罪者ぐらいのつもりで見張っていてってね」


「……!」


 今までの会話は全て、彼女に密着している密偵に筒抜けとのこと。


「さ、出てきてちょうだい」


 シンディが店の外にいるであろう密偵に合図する。

 ゲラフの顔が強張る。おそらくここからどう逃げるかを猛スピードで考えているのだろう。


 酒場のドアを開けて入ってきたのは――ランゼルだった。


「あ、あなた!?」

「ランゼル!?」


 まさかの登場に二人とも驚いてしまう。

 ランゼルは笑って種明かしをする。


「シンディを尾行していた密偵から連絡があってね。そろそろ魚が釣れる頃だと。だから僕が代わりにやってきたというわけさ」


「このことは私が全部やるって言ったのに……」


 シンディはこの作戦の全てをランゼルに話していたが、ランゼルを関わらせるつもりはなかった。

 上手くいくかも分からない作戦に、夫を巻き込みたくなかった。

 ランゼルはそんな妻に熱い視線を送る。


「シンディ。僕は君を愛している。君は僕のためにここまでやったのだから、今度は僕の番だ。どうか守らせておくれよ」


 この言葉にシンディは少女のような顔になって「うん、じゃあ守ってもらう」とうなずいた。

 一方ゲラフはさらに顔を歪ませる。


「くそっ……! だが、そっちからわざわざ出向いてくれて好都合だ! ランゼルとこの女を殺せ!」


 黒コートの男がサーベルを抜いてランゼルに斬りかかる。

 この一撃をサッとかわすと、ランゼルは男の右腕に狙いを定め、剣を振るう。

 筋肉の筋が斬れたようで、男は悲鳴を上げながら崩れ落ちる。


「うぐああああっ……!」


「ひっ! く、くそっ!」


 逃げようとするゲラフの首筋にランゼルが刃を突きつける。


「終わりだ、ゲラフ殿。シンディの醜聞を身にまとうことも厭わぬ執念が、闇に潜むあなたを暴き出したんだ」


「うぐぅ……」


 ゲラフもまた、部下と同じように膝を床についた。


 入り口から黒のローブに身を包んだ密偵が顔を出す。いざという時は助太刀する予定だった。


「私の出番はありませんでしたな」


「ありがとう。美味しいところだけ僕に譲ってもらって」


 シンディがランゼルにしなだれかかる。


「ホントよ。もう夫婦になって長いのに、こんなにドキドキさせてくれるんだから……。あなたは一体何度私を惚れ直させるつもり?」


 シンディの柔らかな胸から彼女の鼓動が伝わってきて、ランゼルは頬を赤らめた。

 こうしてランゼル暗殺未遂騒動は決着を見た。


 王都中に広まった噂についてはランゼルとシンディが力を合わせて即座に否定した。

 シンディの刑務所通いは、あえて不倫をしていると思わせることで、犯人ゲラフを炙り出すことが狙いだった。

 これを聞いた人々は――


「夫のためにここまでするなんて……愛だな」

「不倫どころか旦那さんを守るためだったなんてビックリだわ!」

「命の危険もあったろうにすごい勇気だ」


 貴婦人のサロンにおいても――


「さすがシンディさんだわ。プリンのことも旦那様のことも大好きなのね」

「自分の危険も顧みず、犯人を探し出すなんて貴族婦人の鑑だわ」

「私、シンディさんは最初から潔白だと信じていたのよ」


 この一件でシンディとランゼルはさらに名を高めることとなった。


 刑務所内のバーデンも、第三者が取材にやってきた時に肩をすくめた。


「あの女と不倫? 冗談じゃない。彼女はもう……俺なんか手も届かない、手を伸ばす資格すらもない、高嶺の花ってやつなのさ」


 彼は今も刑務所に服役している。



***



 事件が解決し、シンディらを取り囲む噂も急速に沈静化した。

 夕食後、クレアがプリンを運んでくる。


「旦那様、奥様、食後のプリンですよ~」


 ランゼルは嬉しそうに笑み、シンディの目はキラキラと輝く。


「今日はどこのプリン?」


「『ナッツ菓子店』のプリンです!」


「いいチョイスだわ、クレア!」


 えへへとクレアは笑う。


 三人でプリンを口に運ぶ。『ナッツ菓子店』のプリンは表面は固めだが、口に入れた途端ふわっと溶けるのが特徴だ。

 口の中に染み込むような味に、シンディの美しい顔があまりの幸せに緩む。


「悪い人に立ち向かう時のあのドキドキハラハラもいいけど、やっぱり一番幸せを感じるのはこうしてあなたやクレアとプリンを食べる平和なひと時よね~」


 これを聞いたランゼルも微笑む。


「僕も同意見だよ、シンディ」

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― 新着の感想 ―
[一言] >「何か私に隠してることない?」 ありゃ(⊙⊙) いや、私は分かりますよ。でも、ランゼルさんからすれぱ「ふ◯ん」しているの?と聞こえるでしょ。まあ、そういう誤解は無かったけど。 でも。  …
[一言] バーデンさんが最後取材で何かいいこと言ってる~♪ プリン夫婦には誰も敵わない…!
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