第11話 伯爵夫人、公爵夫人にプリン作りをオススメする
貴族の屋敷や王都のホールなどで開かれる、貴婦人たちのサロン。
この「優雅な井戸端会議」の場に、時折“超VIP”といっていい貴婦人が訪れる。
国王の側近の一人にして公爵アルバート・ガトーラの妻、エリシア・ガトーラ。
淡い銀髪に青い瞳。鮮やかな群青色のドレスを着て、年は五十を越えるが背筋はしゃんとしており、今もなお美しい。
エリシアが来た時は、普段は不倫や不貞などの話題で盛り上がるマダムたちもさすがにそうした話を控える。
絶対に粗相はできないと、緊張した空気が漂う。ビスケット一枚食べることすらはばかられる。万一欠片をこぼして、はしたないと思われたくない。
そんな中、シンディだけはいつもの態度を崩さない。普段通りのテンションでエリシアに接する。
「エリシア様、ごきげんよう」
「シンディさん、ごきげんよう」
「プリンでも食べません? 今日は私が作ってきましたの」
「喜んでいただくわ」
相手が友であろうと、公爵夫人であろうと、シンディはシンディである。
エリシアはそんなシンディを気に入っていた。
「あら、美味しい!」
「うふふ、嬉しいです」
こういうことがあると、シンディに対してやっかみのような感情を持つ婦人も現れそうなものであるが、そうはならないのはシンディの人徳というものなのだろう。むしろシンディのああいうところが好き、と評価される。
さてそんなある日のサロン。シンディとエリシアも出席しており、流行りの本や音楽について盛り上がる。
そうした中、エリシアが深刻そうな顔でシンディに声をかけてきた。
「シンディさん、折り入って相談があるのだけれど……」
「なんでしょう?」
「実は先日、夫アルバートが引退を決意したのよ」
「まあ……」
エリシアは「まだ内緒にしておいてね」と付け加える。
アルバートは国王の側近中の側近。その彼が引退というのは、歴史のターニングポイントといってもいい大事件であった。
「引退した夫に、何かプレゼントをしてあげたいのだけれど、何も思いつかなくて……」
これがエリシアの悩みだった。
長年連れ添ってはいるが、いざ贈り物をしようとすると何も思いつかない。数十年の付き合いなのに、いや数十年もの付き合いがあるからこそ、こうした一大イベントの時はどうしていいのかかえって分からなくなるものなのかもしれない。
ため息をつくエリシアに、シンディは言った。
「プリンなんていかがです?」
エリシアもシンディのプリン好きは知っているので、想定内の答えではあった。
とはいえ、悪くないと感じる。
「主人は甘い物も好きだし、いいかもしれないわね」
「そうでしょう!」
「じゃあシンディさん、どこか美味しい店を教えて下さる? あなたのチョイスなら信頼できるわ」
シンディは人差し指を横に振った。エリシアはきょとんとする。
「いいえ、買うのではなく、エリシア様が作るのです!」
「えっ……私が!?」
「はい」
社交界の最上位に君臨し、滅多なことでは動じないエリシアが動揺してしまう。
「ちょっと待って。恥ずかしい話だけど、私お料理はできないのよ。食事はいつもシェフに任せきりで……」
高位の貴族夫人であればエリシアのようなことも珍しくない。
「だからいいんです」
「えっ……」
「お料理をされたことのないエリシア様が作るプリン。だからこそアルバート様の心を打つことができるのです」
「……そうね。そうかもしれないわね」
シンディの断定口調にエリシアは納得する。
「挑戦してみようかしら。シンディさん、協力をお願いできる?」
「はいっ! もちろんです!」
困っている人を助けるのが好きで、プリンことのならばなおさらである。シンディは快く引き受けた。
***
数日後、シンディはエリシアを王都の『パブリックキッチン』に招いた。主に料理教室に使われる公共のキッチン施設で、手続きはすでに彼女が済ませている。
「ここでなら思う存分、秘密の特訓ができます」
「まあ、すごい。王都にこういう場所があることすら知らなかったわ……」
清潔に整備されたキッチンを見渡して、エリシアは感心する。
「そして今日はプロにも来てもらいました」
「プロ?」
シンディが連れてきたのは白いコック着を着たメリエ・モードだった。パティシエになる夢を持つ、男爵家の令嬢である。
栗色の髪に可愛らしい面立ちは相変わらずだが、その顔つきはいくらか逞しいものになっている。
「モード家のご令嬢でパティシエの卵メリエさんです」
「こうしてパティシエを目指せるのは、シンディ様のおかげです」
「立派になったわね。修行の方はどう?」
「順調に進んでいます。今はもう、先生の店も手伝わせて頂いて……」
「まあ、すごい! 今度ぜひ行かせてね!」
ここでシンディは本来の用件を思い出す。
「コホン、失礼しました。エリシア様」
「ううん、いいのよ。私、あなたのそういうところが大好きだから」
本心からの言葉だった。
貴族としての品位を保ちつつ飾らないシンディは、自然体でいることが難しい社交界において貴重な存在だった。
「では、オーソドックスなカスタードプリンの作り方をお教えします」
メリエの主導でプリン作りが始まる。
「まずはカラメルを作ります」
「カラメル?」とエリシア。
「プリンの茶色い部分のことですよ」とシンディ。
「ああ、あそこのことね。そんな名前があったの」
「お鍋に砂糖と水を入れて、加熱していきます……」
メリエの教え方はすでにプロなだけあって丁寧で分かりやすかった。
それでも料理経験がゼロに近いエリシアは苦戦する。
プリンを作る工程をざっくり説明すると、カラメルを作り、生地を作り、二つを型に入れ、よく蒸して、冷やす、となる。
シンプルではあるが、それゆえ奥が深い。
同じ材料で同じように作っても、出来上がりには雲泥の差が生じる。
メリエが作ったプリンは今すぐ店に出せるレベルであり、王国一のプリン好きといっていいシンディのプリンも、メリエのものに匹敵するクオリティであった。
しかし、エリシアのプリンは――
「形が崩れてるし、表面に穴も空いてしまったわ……」
残念ながらあまりいい出来とはいえなかった。
生地の混ぜ方が悪く、さらには蒸しすぎで、プリンに“す”が出来てしまったのだ。
エリシアはやはり自分ではダメなのかと落ち込む。
ところが、シンディがエリシアのプリンにスプーンを近づける。
「食べてみてもよろしいですか?」
「ええ……。だけどプリン好きのあなたにとっては……」
シンディは「ええ」を聞いた時点でスプーンを動かしていた。
ぱくりと一口。
「う~ん、美味しい~!」
満面の笑みを浮かべるシンディ。とてもお世辞には見えない。
「こんな穴だらけのプリンが美味しいの?」
「美味しいです! だってエリシア様が初めて作られたプリン、美味しくないわけがないじゃないですか!」
「……!」
シンディはプリン好きとして、「エリシアの作ったプリン」を食べられたことに感激していた。
もしかしたら、一生食べることのなかった味だ。
シンディがエリシアにプリン作りを提案したのは、自身が“新しい味”を開拓したかったというのもあった。
結局シンディは瞬く間に完食してしまった。
「あー……美味しかった」
心から満足そうなシンディに、エリシアも礼を言う。
「ありがとう、シンディさん……」
「いいえ、ごちそうさまでした」
すると、メリエも――
「エリシア様、今は令嬢としてではなくパティシエのはしくれとして申し上げます」
その顔は凛々しく、“プロの顔”といって差し支えなかった。
「料理に知識や技術は必要不可欠です。しかし、やはり最後にものを言うのは“心”であり“愛情”なのです。エリシア様はそれをすでに持っておられます。ですから、どうか自信をお持ち下さい」
プロのお墨付きをもらい、エリシアはニッコリ笑う。
「そうね。主人への愛情なら私にも自信はある。主人の引退までに、なんとかもっと綺麗なプリンを作れるようになるわ」
二人のやり取りを見て、シンディはエリシアの前向きさに感心しつつ、メリエの成長を喜ぶのだった。
公爵夫人は伯爵夫人以上に忙しい身であるが、それからも何度かプリン作りの時間を取ることができた。
そして――
***
アルバート引退の日。
王城では盛大なセレモニーが行われ、アルバートには引退を惜しむ声や、長年の労苦を労う声などが矢継ぎ早に浴びせられる。
大量の花束を受け取り、彼が馬車で邸宅にたどり着いた時、夜はすっかり更けていた。
疲労と安堵と歓喜を伴った息を吐いてアルバートが帰宅する。
「ただいま」
アルバートは白髪で、カイゼル髯のよく似合う老紳士である。
両手に花束を抱えて苦笑する。
「まったくみんなして花束をくれるもんだから、馬車にもまだまだあるよ。私が蜜蜂だったら嬉しいんだけどな」
ジョークを飛ばすところから見て、やはり嬉しくはあるようだ。
そんなアルバートを、エリシアが笑顔で出迎える。
「お帰りなさい」
やや緊張した面持ちである。
いつもとは様子の違う妻にアルバートもすぐに気づく。
「あなた……これ、作ってみたの」
エリシアは小さな箱を差し出した。
「おお……これはプレゼントかい」
箱を開ける。中にはカスタードプリンが入っていた。
「私が作ったのよ」
「エリシア、君が……?」
エリシアがうなずく。
アルバートも妻が料理をしたことがないことを知っているので、非常に驚いた。
「シンディ・クレーメルさんや、メリエ・モードさんに協力してもらったのよ」
“クレーメル”の名はアルバートもよく知っている。
「ランゼル君の奥方か」
彼は若いのによくやってくれている。いずれは財務長官のポストも固いだろう、とランゼルに下している自身の評価を思い返す。
さっそく妻の作ったプリンを皿にうつし、テーブルに置く。
「ではいただくとしよう」
エリシアは緊張した顔つきで見守る。
特訓のかいもあり、見た目は綺麗なプリンになっているが――
まずは一口。さらに二口、そして三口。アルバートはゆっくりとうなずく。
「うん、美味しいよ。程よい固さで、とてもよく仕上がっている」
「……ホント?」
「私は君に嘘は言わないさ」
アルバートは優しく微笑む。
さらにプリンを一口食べ、ぽつりと漏らす。
「私は……君に出会えて本当によかった……」
この言葉を皮切りに、二人の中で数十年の思い出がどっと溢れ出す。
王宮で開かれた最上級の夜会で知り合い、婚約し、それからは二人三脚で人生を歩んできた。
お互いに位は高いが、決して平坦な道のりではなかった。
アルバートは国王の側近として王国の行く末を左右する決断を幾度も迫られ、エリシアはそんな夫の妻として、恥ずかしくないよう常に気丈でいた。国のために、夫のために、誇張ではなく人生を捧げてきた。
互いに多忙を極め、何日も顔すら合わせないことも珍しくなかった。
時にはお互いの愛を疑い、仲違いしたこともあった。
その全てが今となってはいい思い出である。
「こんなに美味しいプリンは初めてだよ。ありがとう」
その“ありがとう”には、プリンに対してだけではなく、自分を支え続けた最愛の妻への巨大な感謝が込められていた。
「どういたしまして」
こう返したエリシアもまた、プリンを褒められたことだけでなく、ずっと連れ添った夫への感謝と尊敬を込めた「どういたしまして」であった。
この夜、二人はこれまでの思い出を存分に語り合った。
「ほら新婚旅行の時、君が馬から落ちそうになって、あれはヒヤッとしたよ」
「そんなことあったわねえ~」
長らく連れ添った夫婦だからこそ、語ることは尽きない。
とても穏やかで楽しい一夜となった。
***
後日、シンディはエリシアからお礼を言われる。
「あなたのおかげで、主人に最高の贈り物ができたわ。本当にありがとう」
シンディの立場からすれば公爵夫人に対し大いにポイントを稼いだ格好となったが、もちろん彼女はそんなことには微塵も興味はない。
自分がいわば夫人としての“先輩”の役に立てたことが嬉しかった。
邸宅にて、ランゼルとこの件について振り返る。
「エリシア様、とても幸せそうで……きっとこれからはアルバート様とのんびり過ごされるのでしょうね」
「アルバート様は本当に偉大な方だったからね。抜けた穴を埋めるのは容易ではないけど、僕も城に勤務する者の一人として頑張るよ」
シンディがランゼルをちらりと見る。
「私もあなたが引退する時は、極上のプリンを作るわね!」
「お、楽しみだね」
そこへクレアが口を挟む。
「ですが奥様、もし奥様が極上のプリンを作ってしまったら、奥様自身が我慢できずに食べてしまうのでは……」
普通の夫人相手ならば失言になりかねない言葉だが、シンディにはそうはならない。
その通りだと納得してしまう。
「そうね……。私なら食べかねないわ……! どうしましょ、最悪食べかけでもいい?」
ランゼルはニッコリとうなずいた。
「もちろんいいとも」