第10話 伯爵夫人、誘拐事件に挑む
子爵ルドルフ・インビスとその妻アンナの夫婦は息子リックを連れて、王都の劇場に来ていた。この日上演されたのは、国家の陰謀渦巻く中、愛を貫く騎士と姫の物語。ルドルフとアンナは楽しめたが、幼いリックにはいささか難しく、退屈だったようだ。
「じゃあ、帰ろうか」
「そうね。リックもしっかりついてきてね」
「はぁい」
人混みの中、歩いて馬車まで着く。
ところが――
「あれ、リックは!?」
「リックがいないわ!」
迷子になったのだろうか。劇場の内外を捜してみるが、見当たらない。
一縷の望みをかけて一人で家に戻ったのだろうかと思ったが、やはりいなかった。
そんな二人に追い打ちをかけるように自宅に手紙が届く。
「なんだこれは……」ルドルフは手紙を読む。
中身は――
『お前たちの息子は預かった。返して欲しければ身代金5000万ブルレ用意しろ。細かいことについてはまた手紙を送る』
愕然とするものだった。
夫婦は金策をすると同時に、王国の機関に捜査を依頼する。
しかし、犯人やリックの居所の手掛かりは得られない。
このままではリックの命は――
いたずらに時間が過ぎる中、アンナはふと思い出した。
数々の悩みや事件を解決しているという、あの二人を。
「あなた……クレーメル家のご夫婦に頼んでみるというのはどうかしら?」
***
クレーメル家の邸宅に、誘拐被害者のルドルフ、アンナ夫妻、そして捜査官たちが訪れる。
ルドルフは眉の太い凛々しい子爵、アンナはふわりとした赤毛を持つ夫人だった。年齢は二人とも三十代で、我が子の成長が何よりの楽しみだった。今回の誘拐は、そんな矢先に起きた悲劇だった。
彼らを応接室に案内し、シンディとランゼルが応対する。
「なるほど……。営利誘拐というやつか」
ランゼルが腕を組み、険しい顔をする。
「それで、二通目の手紙が届いたとか。拝見させてもらえますか?」
「こちらです」
二通目となる手紙は封書であり、その中に二通の便箋が入っていた。
一通は『子供は無事だ』という旨の手紙。そしてもう一通は人質にされたリック直筆の手紙だった。筆跡から、本人が書いたものであることは間違いないようだ。
「確実に金を用意してもらうために、人質を使ってゆさぶりをかけているんだな」ランゼルが分析する。
シンディが右手を差し出す。
「私にも見せてくれる?」
「いいとも」
シンディはリック直筆の手紙を見る。
『パパ、ママ。おいしいプリンをたべたよ。ひんやりして、ざらざらして、おいしかった』
「プリンを……?」
「とりあえず子供は丁重に扱っているようです」ルドルフの声に安堵が見え隠れする。
「ですが、それもいつまで続くか……」アンナはうつむき、泣きそうな顔になる。
シンディはリックの手紙を凝視する。隣に座るランゼルが目を向ける。
「どうしたの、シンディ?」
「……分かるかもしれない」
「え?」
「私なら、この子が今どこにいるか分かるかもしれないわ」
「なんだって!?」
皆が驚く。
シンディがリックの手紙を指差す。
「ヒントはこのプリンの感想よ」
「感想って、これだけで分かるのですか?」捜査官が尋ねる。
シンディはうなずく。自身の記憶を辿るように言葉を紡ぐ。
「王都で“ざらざら”した触感のプリンを出してくれるお店は三つ。カフェの『サーブル』、老舗菓子店の『ブルム』、そしてケーキ屋である『ザント屋』の三つよ」
「そ、そうなのですか……」アンナは目を丸くする。
「このうち『ブルム』は装飾の凝った高級店で、金に困って誘拐をするような人が入るとは思えない。よって選択肢から外れるわ。それから『ザント屋』のプリンは冷やすより、むしろ常温で食べた方が美味しいの。なので、“ひんやり”はありえない」
三つのうち二つの選択肢を理詰めで排除する。
「残るはカフェ『サーブル』、ここはテイクアウトにも対応してて、回転率も高いから、店員に顔を覚えられる恐れも少ない。誘拐犯がおやつを調達するのにもってこいだわ」
「しかし、プリンの店が分かっても……」
「ここのプリンは作り置きされていて、元々氷で冷やしてあるけど、それをひんやり美味しく食べられるのはせいぜい15分ってところ。つまり犯人たちは『サーブル』から徒歩15分圏内にいる可能性が高い!」
さっそく地図を用意する。
『サーブル』から徒歩15分程度の範囲に円を描く。
誘拐犯がアジトにするのにもってこいな建物はないか探す。
捜査官の眉がピクリと動く。
「ここ……空き家があります! 確かずっと以前から空き家だった……」
「そこだわ!」
シンディが立ち上がり命を下す。
「捜査機関の一部隊を派遣して! リック君と犯人はきっとそこにいるわ!」
妻の推理をランゼルも伯爵として後押しする。
「私からも頼む。妻の推理には一定の理があるし、賭けてみる価値はあると思う」
「承知しました!」
すぐさまシンディに言う通りに捜査機関の一部隊が派遣される。
まもなく結果が出た。
シンディの推理は正しく、空き家で誘拐犯は確保され、さらわれたリックは無事保護された。
誘拐犯はある工場に勤める男であり、人員整理で職を失っていた。
たまたま劇場の近くに立ち寄った際、インビス家の一家を発見する。彼らの顔を知っていたのでつい魔が差してしまったという。
根っからの悪人ではなく、勢いで誘拐をしたはいいが、半ば後悔していた部分もあるようだ。
連行される犯人に、シンディが話しかける。
「あなたは間違ったことをした。だけど、あなたのプリンを見る目は正しかったわ……。どうか罪を償ってやり直してちょうだい」
「……はい。ありがとうございます」
息子を取り戻したルドルフとアンナも礼を述べる。
「お二人の力を借りてよかった。本当にありがとうございます」
「まさか、プリンから犯人の居場所を当ててしまうなんて思いませんでしたわ」
シンディは唇に右手を当てつつ上品に笑ってみせた。
「たまたまですわ、たまたま」
***
邸宅のリビングで、ランゼルが事件を振り返る。
「今回はシンディのお手柄だったね」
「うふふ、まあね。自分の推理が当たってた時は嬉しかったわ」
「すごいです、奥様!」
シンディの快挙にクレアも興奮している。
「ありがとう、クレア」
「それにしても、たったあれだけのヒントで店を特定しちゃうなんて。シンディは探偵にもなれるんじゃないか?」
「あ、それいいですね、プリン探偵!」
二人から持て囃され、シンディも神妙な顔つきになる。
「プリン探偵か……」
シンディは表情をキリッとさせると、立ち上がり、腰に手を当てポーズを決める。
「決め台詞は『私の推理はプリンほど甘くなくてよ』なんてどうかしら?」
乗り気のシンディに、ランゼルとクレアもその気になり、この夜三人は大いに「もしもシンディが探偵になったら」トークを楽しんだ。
「依頼料はもちろん、お金じゃなく『プリン』で決まりね!」