聖女と死神 〜最善の選択〜
ある日、聖女は見知らぬ場所で目を覚ました。
そこは薄暗い部屋の中だった。
四方を灰色の壁で囲われている。
天井こそ空けられていたが、非力なその細腕ではとても登れそうになかった。
助けは来るのか、それとも来ないのか。
閉じ込められた理由さえも分からない。
ただ困惑するだけの日を何日も過ごした。
☆☆☆
聖女は既に限界を迎えていた。
空腹と不快感の為に時の流れさえも分からなくなっていた。
そのときだった。
突然、頭上から声が聞こえてきたのだ。
「こんにちは聖女サマ。ワタシは死神です」
思わず背筋が凍り付くようなシワ枯れ声だった。
気を確かに保っていなければ、恐怖で卒倒してしまうほどの凄まじさがあった。
疑えるだけの余裕など残されてはいない。
聖女は我を忘れて、声を荒げた。
「死神よ。これは貴方の仕業ですか」
「ええ」
死神はただ淡々と言葉を続けた。
「突然ですが、小窓の外をご覧なさい」
背後に寒気を感じて、振り返った。
昨日まではまっさらだったはずの壁に小さな穴が開けられていた。
細腕一本が通るか否かという狭さで、辛うじて向こう側を覗き見ることができるのだ。
聖女は恐る恐るその穴を覗き込んだ。
白い聖法衣を着た老若男女が縦にも横にも列を成しているのが見えた。
「そこにアナタを信奉する者が100人います。毎日、2人を選んで殺しなさい。そうすればアナタを含めた全員に食べ物を与えましょう」
「誰がどうして、そんな惨いことが出来るというのですか」
「もしもアナタが誰も選ばなければ、ワタシがこの中から無差別に5人を殺します。そうして残った者たちには苦痛と空腹の両方を与えましょう」
聖女は思わず舌打ちをしてしまった。
生まれて初めての舌打ちだった。
その様子を見て、死神はケタケタと笑った。
そしてまた淡々と言葉を続けた。
「ご注意なさい。アナタが自ら死を選べば、そこに見える者たちにも平等に死が訪れるだけです。ワタシが惨たらしく殺してさしあげましょう。
ご安心なさい。これは永遠に続くお戯れではありません。20日後、残った全ての者たちを解放いたしましょう。死神は決して嘘を吐きません」
聖女は露骨に顔をしかめた。
選ばなければ、毎日5人が死んでゆく。
そして20日後にはちょうど100人が死ぬ。
それよりも早く死ぬ者もいるだろう。
しかし、自分が選べば死ぬのは40人だけで済む。
他の60人は助けることができる。
聖女は苦悩した。
血の涙を流すほどに苦悩した。
選べる答えなど最初から一つしかなかった。
「分かりました。私が2人を選びます」
その唇には確かに血が滲んでいた。
☆☆☆
その日。
聖女は腰の曲がった老人2人を選んだ。
老人たちは死んだ。
☆☆☆
明くる日。
聖女は片足を失った元軍兵2人を選んだ。
元軍兵たちは死んだ。
☆☆☆
そのまた明くる日。
聖女は衰弱した幼子2人を選んだ。
幼子たちは死んだ。
☆☆☆
ある日は、住居を持たぬ者たちを選んだ。
ある日は、定職を持たぬ者たちを選んだ。
ある日は、嫁を持たぬ男たちを選んだ。
ある日は、夫を持たぬ女たちを選んだ。
勉学に優れぬ者たちも選んだ。
労働に励まぬ者たちも選んだ。
皆、平等に死んだ。
聖女は来る日も来る日も選び続けた。
常に自らの意志をもって選び続けた。
残すべき理由と、殺すべき理由を考え続けた。
運に任せることなど出来るはずもなかった。
☆☆☆
最後の日。
聖女は愛を誓い合った若人たちを選んだ。
若人たちは死んだ。
☆☆☆
頭上から、声が聞こえてきた。
それはシワ枯れた死神の声だった。
「ご覧なさい聖女サマ。アナタのおかげで、こんなにも多くの人が生き残りました」
「代わりに私は沢山の人を殺しました。何の罪もなかった人々を、至極身勝手な理由を付けて、至極身勝手に殺しました」
聖女は拳を握り締めた。
己の不甲斐なさに何度も床を殴り付けた。
心の痛みに比べれば、手の痛みなどは全くないに等しいものであった。
死神は相も変わらずケタケタと笑った。
「約束したとおり残った者たちを解放いたしましょう。そしてアナタもまた、哀れな子羊たちのために祈りを続ける日々に戻られるといい」
「貴方はこれからどうするのですか」
「ワタシもまた死神の仕事に戻ります。お戯れは無事に終わりを迎えたのですから。
死神は人々に数多の死を授けます。これから厄災を引き起こすのです。飢饉も、疫病も、悪政も、戦争も、全て死神がもたらしてきたモノなのですから」
聖女は絶句した。
とある一つの現実を思い出していた。
気付いていなかったわけではない。
見向きをしていなかったわけでもない。
ただ、実感していなかっただけなのだ。
死は誰にでも平等に訪れるモノだというコトを。
そしてそれは、人より少し早いか遅いかの違いしかないというコトを。
聖女が選んできた人の数よりも、毎日ずっと多くの人々が死んでいる。
思い出して、嘆いた。
嘆いてまた、前を向き直した。
痛みさえも、もはや感じられなくなっていた。
死神は続ける。
ただケタケタと笑いながら続ける。
「なぁに、今更アナタが気に病む必要はありません。厄災はもう、聖女サマとは一切関係のないお話なのです。それではまた、どこかでお会いいたしましょう」
「……いえ、お待ちください」
「おや。まだ、何か」
今更祈るだけなど出来るはずもなかった。
涙など、とうの昔に枯れ果てている。
聖女はただ淡々と続けた。
「あと何人選べば、その行いをやめていただけるのですか」
最後までお読みいただきまして
誠にありがとうございます。
60人の命は救われたのでしょうか。
……それとも。
私、恥ずかしながら感想や☆が大好物です。
聖女サマの代わりに泣いて喜びます。
それでは。またどこかで。