2
ここまでが、俺が〝ラウル・ビンデバルド〟になった経緯である。
おそらく最後に見たのは、初めての〝ファタリタ〟なんだろう。
実際、俺の姿はあの時の男の面影を色濃く残していた。
しかし今はまだ、たった7歳の子供である。
故に、せっかくのチート能力を俺はほとんど持て余していた。
使い所がないわけでも無いが、多くの予知はよくある日常の一コマ程度のもの。
ほんの少し生活は楽だが、それ以上に前世の知識の方が今は役立っている。
「ラウルぅ!こっち手伝っちゃあくれねぇかぁ⁉︎」
「わかった、今行く!」
間延びした声の男に呼ばれて、俺は小さな体で駆け抜ける。
俺が生まれたのは、王都よりさらに東にある小さな町。
実家は飲食店を営むビンデバルド家の三男坊である。
前世の世界ほど文明が発達していないこの世界では、俺のような子供が働くのは当たり前のことなのだ。
その上、前世の知識でチート可能な俺は、覚えが良いということで既に厨房の副料理長を任されている。
厨房に入ると、中はいつも以上に慌ただしい様子だった。
父親兼料理長は、俺の姿を見咎めると早速注文をつけてくる。
「追加のソース作っちゃくんねぇか‼︎もう今朝用意した分が底をつきそうなんだ‼︎」
「了解、今日はずいぶんと繁盛してるんだね」
「お前ぇが考案したグラタンが思ったより受けちまったせいでな‼︎」
茶目っけたっぷりな今世の親父は、軽くウインクを決めると、出来上がった料理を運びに行った。
俺も作業に取り掛かるため、冷蔵庫から必要な材料を取り出し始める。
こんな世界に冷蔵庫があるなんて意外に思うかもしれない。
しかし実はこれには大きなカラクリがある。
「えーと、バターと牛乳と……」
「ラウル、ここに薄力粉置いておくわね」
「ああ、悪いなアマンダ」
「ふふっどういたしまして!」
可憐に微笑む少女の名はアマンダ・ベネッティ。
俺と同い年で、店の手伝いをしてくれている幼馴染である。
「アマンダちゃん、次こっちお願い!」
「はぁい!ラウル、また後でね」
ブルネットの三つ編みを揺らして、アマンダが走り去っていく。
あまり走ると転んでしまうのだが、この幼馴染は何度言っても聞きやしない。
まぁ俺も、楽しげに動き回る彼女の姿を見るのは嫌いではないけれど。
「よし、じゃあ作っちゃいますかっと」
腕まくりをして、早速ホワイトソース作りを開始する。
異世界転生をしてから俺は、前世よりも充実して、しかし変わらないほどに平穏な日々を送っていた。
ようやくひと仕事終えて、店が落ち着いた頃には既に星空が輝いていた。
今日も今日とてなかなかの仕事量に、小さな体への疲労は相当なものである。
「あ゛〜づがれだ………」
仕事着もそのままに、ゴロンと原っぱに寝そべった俺は気持ちのままに天へ叫んだ。
ほんのり汗をかいた肌を、夜風が心地よく冷ましてくれる。
同じく仕事終わりのアマンダが、ひょっこりと俺を見下ろして笑った。
「ラウルお疲れ様!今日もラウルのメニュー、全部好評だったね。注文がひっきりなしだったよ」
「そうなのか?なんかずっとグラタン作ってた感じしてたけど……」
「たしかに、グラタンは1番人気だったわね。
あの〝ポイズンターニップ〟が食べられるなんて、お客さんたちビックリしてたもの。グラタンもスープもオヤコドンもみんな美味しそうに食べていたわ!」
「なら、作りがいがあったな」
料理なんて前世じゃ家庭科でしかやったことが無かった。
実家暮らしだったし、そんなに料理が好きってわけでもなかったし。
しかし美味しいと言って食べてもらえるのは悪くないと最近では思っている。
「でも、毒があるポイズンターニップをどうやって食べられるように調理したの?ずっと魔物に食べさせる毒餌としてしか使えなかったのに」
不思議そうな様子のアマンダに、俺はちょっと困ったように笑ってみせた。
先ほどからアマンダが言っているこの〝ポイズンターニップ〟と言うのは、前世で言うところの〝玉ねぎ〟である。
この世界では玉ねぎは毒物として認識されている。
玉ねぎから生える根の部分に、強い毒素があったからだ。
だから、魔物を退治するための毒餌としてしか利用価値がないとみなされていたらしい。
父親が皮どころか実の部分も全て剥いてしまった時は、正直2度見してしまった。
玉ねぎが、前世の世界のより有害であると言う点は間違ってないだろう。
しかし、それは根の部分だけの話で、実は俺の知っているものと変わらない。
そして実の部分はゴミとして処分されてしまうため、低価格で買い取ることができる。
それを使って料理を提供してみたところ、思った以上の反響になったというわけだ。
しかしこんなことを説明するのは流石に無茶にも程がある。
「さぁな、企業秘密ってやつだ」
「そんな!ちょっとくらい教えてくれたって良いじゃない!もうっ!」
お餅のように頬を膨らませて、アマンダがそっぽを向いた。
魔物対策は、町に張り巡らされた結界から毒餌まで、この世界では必要不可欠なものだ。
でないと、魔物が人里へやってきて大量虐殺が起こってしまうのは容易に想像できる。
だからといって、あまりに勿体ない使い方をするから、つい口出しをしてしまったのだ。
拗ねるアマンダに、俺は心の中でこっそり謝罪をする。
ところが、アマンダは不意に何かを思いついた様子でそっと声を潜めた。
「……もしかして、〝魔法〟を使ったの?」
「……まあ、そんなところだよ」
魔法。
この世界が前世より革新的な点は、魔法が当たり前のように存在するところだ。
先程の〝冷蔵庫〟も、魔法を込めた石を動力源としている。
人々の生活には非常に欠かせないものだ。
そして俺の〝ファタリタ〟も、一応はこの魔法ということにしてある。
「そっか………じゃあこの話はナイショだね」
「うん、悪いな」
「ううん、ラウルが魔法使いだってわかったら、困るもんね。
魔法使いは珍しいから、見つかったら王都に連れて行かれて、魔王討伐に行かなくちゃいけない……そうしたら、私も悲しいから」
沈んだ声で、アマンダがつぶやく。
魔法はたしかに日常的なものだが、魔法が使える人間はその数が希少なのだ。
そして、魔王との戦争が続く今は、魔法使いの徴兵令が国から出ている。
だから俺も、この力が周囲にバレたら戦場に駆り出されることになるのだ。
昔、俺はアマンダにだけファタリタのことをこっそりと教えたことがある。
そして、俺が魔王討伐には行くつもりがないということも。
だからこそ、俺はあまりこの力を使わないようにしている。
「ラウルは、魔法騎士団には入りたくないんだもんね。
危ない仕事だし、私も行ってほしくはないんだけど………。
でもラウルが行きたくない理由って、本当に戦いが怖いから?」
「なんでそう思うんだ?」
「うーん、幼馴染の勘」
どうして?と、アマンダの瞳が語りかける。
幼馴染の勘とやらは恐ろしいものだ。
目を閉じて、視界が閉ざされると脳裏に蘇る景色がある。
いつか、俺がたどり着くだろう世界を。
それを思い出すたびに思うのだ。
俺は、魔王討伐には行かない方が良い。
「別に、俺みたいなただの子供が行ったところで死んじゃうだけだろ。だから行きたくないってだけだよ」
「………そっか、それだけか」
「うん、それだけ」
あまり納得のいっていない声色だったが、アマンダはそれ以上追求してはこなかった。
「それより、そろそろ帰らなくて大丈夫なの?おじさん達心配するんじゃないか?」
「あっ本当だ、いけない!じゃあ私おうちに帰るね!また明日!」
アマンダが慌てて立ち上がり、三つ編みを靡かせて走り始める。
相変わらず忙しない彼女の背中に、起き上がって俺は声をかけた。
「もう暗いから送っていこうか?」
「大丈夫よ!ありがとう、ラウル〜!」
大きく手を振りながら、せっかちな幼馴染は道の向こうへ駆けて行く。
やれやれと見送って、俺も重たい腰を浮かせた。
さて、明日も早いから帰ることにしよう。
料理人の朝は、やることが多くて大変なのだ。
既に7歳とは思えない貫禄だが仕方ない。
生前と合わせたら、もうほとんど30代なので。
翌朝、俺を叩き起こしにきた父親は息を切らしてこういった。
「アマンダが‼︎アマンダが魔物に襲われて大怪我をおっちまった‼︎」