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人間は可愛いのです。
「ぱんぱかぱ〜ん‼︎おめでとうございます‼︎」
能天気な声で、俺の意識が覚醒する。
それはどこまでも、どこまでも広がる夕暮れ空の世界だった。
一体いつからここにいるのか、とんと見当がつかない。そもそもどこなんだろうか。
夢、にしては頭がスッキリしすぎていた。
無意識に見上げた空は紫とオレンジが鮮やかなまでに綺麗なグラデーション。
眩しいわけでもないのに、濃い色が目に痛いように感じて思わず一歩後ずさる。
ぱしゃり
同時に聞こえてきたのは軽い水音。
ここでようやく俺は、足元が海水で覆われていることを知った。
しかし、海と言うには些か奇妙だ。
浅さは俺のくるぶしほどしか無いというのに、その切れ目がどこにも見当たらないのだ。
ここに、陸なんてものはあるんだろうか。
「お〜い?聞いてる?もしもし?」
再び声をかけられたことで、俺は今更ながら目の前にいた人物を視認する。
そして認識するのに3秒、理解するのにさらに5秒ほどを費やした。
ただでさえ動転しているのに、相手は混乱に拍車をかけてくるような存在だった。
「て、てんし………?」
夕日が透ける白い翼を背負った姿に的確な言葉を、俺はそれしか知らない。
天使の瞳は羨ましいくらいぱっちりとしていて、朝焼けの空模様をそのまま切り取っていた。
金糸の髪が肩で揺れて、ひとつひとつが暴力的なまでに美しい。
間抜けヅラで惚ける俺に、目の前の天使は力強く微笑んだ。
「そう、君に祝福を告げにきた天使だよ、〝マリーゴールド〟くん!」
拍手〜!と言いながら、パチパチと手を叩く相手に、俺の方は全くついていけない。
「どういうことだ、これ……マリーゴールド……ってのは、まさか俺のことを言ってるのか?俺そんな名前じゃないんだけど………」
「ああ、これかい?まあそんなに気にしなくていいよ。所謂、異名みたいなものだから。君がよく読んでいた書物にもあるだろう?」
殺戮の〜とか、閃光のなんたら〜とかさ、と指折り数えて天使はひとりごちる。
言いたいことは何となくわかるが、だとしたら花の名前ってどうなんだ……?
厨二病心をくすぐられ無いセンスにいっそ脱帽する。
いや、そんなのはどうでも良い。
俺には聞きたいことが山ほどあった。
「まず、ここはどこなんだ?俺、いつのまにかここにいたから、何もわからないんだよ。覚えてる限りじゃ、学校帰りだったと思うんだけど………」
「ん〜そうね、実は君はその帰り道で車に轢かれて死んでしまったんだ」
「………え?し、しんだ⁉︎」
軽く告げられた内容は、とうてい釣り合わないほど重たいものだった。
まさかこんな急にあっさりと、死んでしまったというのだろうか。
あまりに情緒ががなさすぎて、事実を全く飲み込め無い。
ただ、それが本当なら、目の前に天使がいることに納得できてしまった。
「それでここがどこなのかって話なんだけど、ざっくり言うと〝どこでも無くて、どこにでも行ける場所〟なんだ。
あの世とこの世の境目でね、ここからどちらにも行くことができるって感じ?」
完全に置いてけぼりの俺に気がつかないまま、天使は説明を続けていた。
あの世とこの世の狭間、もしかしてここが三途の川だろうか。
………いや、どう見ても川ではないし、せいぜいが湖か海といったところだろう。
そもそも三途の川に天使がいるとしたら、宗教観がゴチャゴチャすぎる。
「ね〜聞いてるかい?さっきからなんかどうでもいいこと、考えてるだろう」
「………いやそりゃ、現実逃避くらいしたくもなるだろ………」
「ふ〜ん?でも君が死んでしまったのは嘘じゃないし、ちゃんと受け止めてほしいかな。
それに、本題はここからなんだよ」
「本題………?」
俺はこの時点でほとんどキャパオーバーだった。
ラノベやネット小説の主人公はすんなり適応していたが、実際に体験するとそんなのは到底無理だと悟る。
しかし目の前の天使は、一刻の猶予も与えてくれるつもりがないらしい。
「さっきも言ったろう?君に祝福を告げにきたってさ」
「祝福………天国にでも連れて行ってくれるのか?」
「あははっ!それよりもっと、とっても良いことだよ」
「………だったら、死ぬのを防いで欲しかったんだが」
しかし俺の呟きは、無慈悲なまでに届く事なく、天使のはしゃいだ声にかき消された。
「おめでとう、君は選抜され、生まれ変わる権利を得たんだ!それも、今の記憶をそのまま受け継いでね!」
「生まれ変わる?」
「うん、これから君が生まれ変わるのは、前にいたところとは全く別の世界さ。
こういうのを、君たちの世界じゃ〝異世界転生〟っていうんでしょ?」
異世界転生………。
ライトノベルやネット小説でよく見る言葉だ。
まさか自分が、同じ体験をすることになるなんて、考えてみたこともなかった。
「本当に、俺が異世界に?」
「もちろんだとも!さらには出血大サービスで、君にはひとつ、チート能力を授けてあげよう」
そう告げると、突然天使は額と額がくっつく程に顔を近づけてきた。
思わず後退しようとすれば、ダンスでもするように、天使の手が俺の腰を引き寄せる。
こんなに綺麗な人と至近距離なんて、非モテの俺の人生上、一度だって無い。
そりゃあ、いやがうえにも心臓がドクドクと跳ね上がってしまうわけだ。
もう、死んでいるはずなのに。
この世界は夕焼け空で満ちている。
しかし目の前の瞳には朝焼けの淡い色があって。
そんなミスマッチな背徳感に、現実味は容易く色褪せていく。
これが夢じゃないなんて、それこそ嘘みたいだ。
「君の能力は全てを見通す天眼〝ファタリタ〟。この力をどう使うかは君次第。せいぜい有効に使いたまえよ」
「っ……なんで、俺にそんな力を」
「ふふ、知りたいかい?」
天使が浮かべた不敵な笑みに、思わずゴクリと喉がなる。
俺の人生なんて、平凡で地味なもんでしかなかった。
何か善行を積んだわけでもないし、祝福を受ける理由なんて思い浮かばない。
こんなに色々して貰えるのは、不釣り合いだとさえ思えた。
だから、何か裏があるんじゃないかと思ったのである。
しかし、質問に対する言葉は続かなかった。
気がつくと、柔らかな感触が、俺の唇を愛でていたからである。
それは、死ぬ以前は一度も味わったことない感覚。
驚愕のあまり逃げ出そうとしても、思いのほか天使の力は強いものだった。
結局は為されるがままに、俺はそれを受け入れる。
「っは……‼︎いきなり何だよ‼︎」
「ふははっいい反応だ!教えてあげるよ。
それはね、君が僕に愛されてしまったからさ」
完全に固まってしまった俺の体から、天使がそっと離れていく。
同時に、ぐらりと視界が傾いた。
重心を失ってしまったかのように、体に力が入ら無い。
そのまま、無抵抗にも俺は海の中に落ちていく。
先程まで足がついていたはずなのに!
「いってらっしゃい、〝マリーゴールドの君〟」
水面越しに天使が小さく手を振っているのが見えた。
意識までもが沈む直前、走馬灯のように視界を駆け巡るものがあった。
名も知らぬ丘の上、天使と1人の男が語り合う。
『おめでとう、君は世界を救ったんだ!』
『……俺1人でやったわけじゃない』
男がこちらを振り返る。
精悍な体つきと端正な顔立ちの彼は、俺とは似ても似つかない。
しかし、はっきりと確信する。
この男は、俺だ。
『こいつらが、居たからだ』
『ふふ、そうかもね!』
楽しげに、天使がクルクルと飛び回る。
しかし男は天使には目もくれず、ただじっとこちらを見ていた。
………いや、少しだけ視線はその先に向いている?
そのことに気がついて、俺は無意識に背後を振り返った。
そこにいたのは、5つの ____
『ねえラウル、聞きたいことがあるんだけどさ』