8話 魔物
剣を収め、少女を見詰めるオゼアンは直ぐに視線を外して馬に向かう。
さして立派では無い駄馬よりの乗用馬を落ち着かせて、首を撫でながらコーネリウス達の到着を待つ。
一瞬、馬車の方を盗み見てみると、少女は未だにオゼアンの方を凝視していた。
柔らかな若草を思わせる亜麻色の髪の、ヘーゼルの瞳の少女は、大きな瞳を見開いて、ただ黙って見詰め続けていた。
「お嬢様、危ないですよ」
馬車の中から声が掛かり、少女は再び中に入って扉が閉められた。
「・・・ふう」
オゼアンは何処か安心したように小さく溜息を吐いて、それから胸のペンダントを覗き込む。
微かに輝く結晶を指で撫でて、それから道の脇の草むらに賊の亡骸を放り捨てた。
何か使える物は無いかと物色してみても、特に使えそうな物と言うのは持っておらず。
懐を探って出て来たのは、三人合わせて小銀貨2枚と銅貨15枚と言う有様だった。
小銀貨は10枚で銀貨1枚分と等価となり、銅貨は100枚で小銀貨と等価になる小額の貨幣で、正にその日暮らしと言う所持金だった。
武器は手入れのされていない錆と刃毀れの目立つ粗末な物で、革の胸当ては所々が解れている。
恐らくは元傭兵だろうなと言うのがオゼアンの素直な感想で、今居る地方ではここ数年は大きな動乱や戦いは起こっておらず。
それは地方の領主が手堅い運営をしている証左であり、安定していると言う事だ。
「コイツらも、こんな所で燻らずにいれば良い物を」
シミジミと呟いて馬車の元に戻ると、既にライナとコーネリウスが辿り着いていた。
「オゼアン様」
「コーネリウス。馬車の様子はどうだ?」
尋ねるとコーネリウスは首を振った。
時折、扉の隙間から覗いてくる視線を感じる物の、外に出て来ようと言う雰囲気は無く。
ライナはあからさまに退屈そうにして、座り込んでしまっていた。
程なくして馬を引いたハリスと、その馬に乗ったリーゼリスも合流して、一行は如何したものかと頭を悩ませながら遠眼で馬車を眺める。
「旦那・・・なんか来るぜ?」
ライナが耳を欹てて、立ち上がって街道の南を眺めて言った。
「・・・」
オゼアンはよもや賊の仲間かと剣を抜き放ち、コーネリウスとハリスもそれぞれ武器を構えると、油断無く道の先を睨み付ける。
弓に矢を番えたライナは眼を細めて耳を澄まし、リーゼリスは一番後で身構えて周囲を見回した。
巻き上がる砂埃が大きくなるにつれて、馬蹄の音が鼓膜を叩き、オゼアンは僅かに膝を曲げて重心を下げる。
緊張が走り、ハリスの頬を小さな雫が流れ落ちた。
「待てっ!」
声を上げたのはオゼアンだった。
「武器を退け!」
剣の鋒を地面に向けながら命じると、オゼアンは前に出て向かってくる一団を迎えた。
一団の先頭、老年の一人の騎士が立派な軍馬の上からオゼアンを睨み付け、それから眉を上げて向かって怒鳴り付ける。
「何者かっ!!」
甲冑を身に纏った6騎の一団は、各々油断無く武器を構え、馬車の方を見てはオゼアンを睨み付けた。
辺りに緊張の糸が張り詰めて、一触即発の雰囲気の中でオゼアンは堂々と向かう。
「武器を退け!!我々は敵では無い!!」
オゼアンは剣を右手に持ちながら左手を掲げ、手の平を広げて一団を制止する。
盗み見るように素早く視線を這わせて一団を観察すると、オゼアンは先頭の老騎士に向かって更に言う。
「我等は決して乱暴狼藉を働く者では無い!!旅の道中に襲われていたのを助けたのだ!!」
「・・・その言葉偽りは無いか!証左はあるか!」
オゼアンの言葉に対して、老騎士は少し悩みながら訝しんで言葉を返すと、オゼアンはコーネリウスの側に寄って、その足下に跪いて答える。
「ここに居るのは、コーネリウス・ギッフェルド。エルール家の家臣なり」
「・・・むう」
エルールの名が出ると、騎士達がたじろいだように互いを見渡すが、老騎士は一人毅然としてコーネリウスを睨む。
険のある鋭い目付きは、並の人物であればそれだけで気圧されて意気を消沈させる程の物で、コーネリウスも僅かな息苦しさを感じさせるが、騎士としての修練を積んだ自負が、無様を晒す事を拒んで口許を引き締めさせる。
老騎士の視線にも見事に耐えると、堂々と顔を上げて老騎士に向かって名乗りを上げる。
「我が名はコーネリウス・ギッフェルド!ティエル侯エルール家に仕えし騎士!!今は故あって放浪の身なれど、偽りなくギッフェルドの騎士だ!!」
老騎士は一度オゼアン達を見回してから、それから背後の騎士達に目配せをした。
直後に張り詰めていた緊張は解かれ、騎士達は武器を収めて馬から下馬する。
老騎士も下馬して剣を収めると、コーネリウスに近付いて柔和な笑みを浮かべた。
「失礼をしたギッフェルド殿」
笑いかけながら、しかし、最後の警戒だけは解かないままに、老騎士はコーネリウスに近寄った。
「ワシはオズワルドと申す者。ウォーゼス家にお仕えする老いぼれで御座る」
「いえ、あの状況では致し方が無いでしょう」
オズワルドと名乗った老騎士は顔に刻まれた深い皺から相当な老年だと言う事が窺い知れたが、しかし、それでも体から溢れ出る武威は凄まじく。
老いて尚、見事と言わざるを得ない体躯は、正しく騎士然としている。
長身のコーネリウスよりも頭一つ以上も高い身長に、甲冑の上からでも分かる鍛え上げられた分厚い肉体は決して年齢を感じさせず。
幅広の長剣を難なく扱ってみせる腕の力は決して見せかけの物では無い。
「・・・」
オゼアンはこの老年の騎士には見覚えは無く。
それと同時に、見事な武威と風格に尊敬を禁じ得ない。
「・・・そこな小姓は」
「ああ・・・ええ、と」
オズワルドが一度オゼアンに視線向けた。
コーネリウスは何と答えるべきかと僅かに動揺して視線を漂わせる。
「まだ幼いながら、まこと見事」
コーネリウスが何かを言う前に、そうオゼアンに声を掛けるオズワルドの眼は、柔らかく細められていて、一見すれば孫を褒めそやす老人の様にも見える。
「ありがとう御座います」
オゼアンは顔を上げて礼を言うと、マジマジとオズワルドを見詰めた。
「?」
多少不躾なオゼアンの視線にオズワルドが首を傾げる。
「どうかしたかの?」
「いえ」
オゼアンは視線を外してその場を退けた。
それから周囲の騎士達を見て回して、その実力を覗う。
統率の取れた動きに決して油断の無い足運びは、確かに鍛えられた騎士の物で密かに騎士達に称賛を送る。
それと同時に、オゼアンはこれ程の騎士達がウォーゼスに仕えていたかと言う疑問に首を捻る。
貴族としては中の下程度の大した事の無い伯爵家でしか無いウォーゼスには、やはりそれなりの家臣しか仕えていないと記憶していた。
そのオゼアンの記憶に照らし合わせても、また、見ただけで分かるオズワルド達の実力を考えても、ウォーゼス家如きに仕えているのが不思議で成らなかった。
「姫様」
オズワルドが馬車に近づいて呼び掛ける。
「ワシですオズワルドで御座います」
恭しく礼を取りながら呼び掛けると、閉じられていた馬車の扉が開かれ、中から一人の女中が顔を出す。
栗色の髪を大きな一つの三つ編みにした小柄な妙齢の女中は、一度周囲を見回して騎士達を見て安堵したように息を吐くと、不意にオゼアン達を見て顔を顰める。
「敵じゃ無い」
オゼアンはややぶっきら棒に女中に向かって声を掛けた。
確かめるようにオズワルドに視線を向けると、老騎士が頷いたのを見て、ゆっくりと馬車から降りる。
それから再度周囲を確認してから、馬車の方を向いて口を開いた。
「お嬢様。大丈夫です」
声が掛かると、再び亜麻色の少女が顔を出し、女中の手を借りながら身長に馬車を降り、オズワルドに向かった。
オズワルドは少女に会わせて少し身を屈めさせて、声を掛ける。
「ご無事でしたか?お怪我は?」
「大丈夫。大事ない」
そう短く答えた少女は、オゼアンを見付けるやジッと黙って見詰める。
「・・・」
「・・・」
少女に見詰められながら、オゼアンは少し居心地の悪い気分で思わず目を逸らし、馬を引き寄せてコーネリウスに言った。
「この馬を使えば少しは短縮できるだろう」
「そうですね・・・そうだな?ハリス」
「はい。問題ないかと」
オゼアンはコレで母に会いに行けると胸を躍らせた。
あと少しで旅が終わり、念願叶って母の下に行って、コレまでに叶わなかった事が叶うようになると、らしくなく笑みを浮かべて喜びを顕わにする。
そんなオゼアンを、コーネリウスとハリスは眼を細めながら見下ろし、リーゼリスも何処か嬉しそうに微かに微笑んだ。
「ギッフェルド殿」
不意にオズワルドがコーネリウスに声を掛ける。
コーネリウスは緩み駆けた表情を引き締め治して老騎士に向かう。
「何か?」
「ギッフェルド殿達はコレから何処へ?」
尋ねられて、コーネリウスは一度オゼアンを見てから答える。
「領都へと向かう道すがらで、コレから向かう所ですが」
コーネリウスの答えに、オズワルドは渋面を作った。
何かと思ってオゼアンはオズワルドを見上げ、ハリスも眉を顰めながら耳を傾ける。
「実はの・・・今、領都に行く事が出来ないのだ」
「は?」
思わず間抜けな声を出してしまったオゼアンをオズワルドは一瞥した。
若干の批難めいた視線を送りながら、口を開いて説明するオズワルドを、オゼアンは口を開けて見上げる。
「この街道を南へ真っ直ぐに向かうとワシの預かって居る村がある。そこから続く先の川に掛かっておった橋が三日前に落ちてしまったのだ」
「・・・」
「恐らくは老朽化だろうが、復旧にはそれなりの時間を要する。まあ、復旧も冬が開けてからになるじゃろう」
オズワルドの言っている道は、オゼアン達が通るはずだったルートその物で、言う事が本当ならば、オゼアンは春まで領都には迎えない事になる。
「迂回路は?他に道は無いのか?」
「・・・」
微かな焦りを滲ませながら、オゼアンは背の高い老騎士に掛かっていって尋ねると、オズワルドは一瞬眉をしかめた。
丁稚か小姓かと思っていたオゼアンに無礼な言葉遣いで話しかけられて気分を害した老騎士は、しかし、だからと言ってそれ以上に態度に不快感を滲ませる事も無ければ、暴力に訴える様な事も無く、一度小さく咳払いして紳士的に答える。
「一応、この先を少し進んだ先で西に別れる道がある。・・・そこから更に枝分かれする古い山道を通れば領の西側に出て、そこの橋を渡れるだろう」
「本当か?」
「・・・うむ。だが、道はかなり険しいぞ。それに今からでは橋を渡る前に雪が降り出す筈だ。それに・・・」
オズワルドは眉を歪めながら、一度騎士に囲まれて護られている少女達を見た。
「姫様達が通ってきた道じゃ」
「・・・」
そう言われて、オゼアンは少女の方を見た。
甲斐甲斐しく世話を焼く女中に構われながら、騎士の輪の中央に佇む少女は、一瞬だけオゼアンと視線を交わすと、直ぐに女中に向いて何事かを口走る。
「先程のあの様子を見るにどんな事になっておるものか・・・」
オゼアンが視線を戻してオズワルドを見ると、その表情は険しく、言外に盗賊共が屯している危険性を示唆して忠告をする。
「少数で通り抜けようと言うのは無謀に過ぎるじゃろう」
オズワルドの言葉に、オゼアンは愕然として肩を落とした。
後で聞いていたコーネリウスも何と言って声を掛ければ良いか分からず、少女と女中も遠巻きにオゼアンの様子を見て顔を伏せる。
「・・・」
少年の落ち込む姿に何を思ったのか、オズワルドは顎を撫でながら口を開いた。
「道はもう一つある」
「本当か?」
オゼアンは顔を上げてオズワルドを見詰めた。
険しい表情で眉間に皺を寄せた老騎士は、一度躊躇うように息を吐いて続ける
「少し行った先に森がある。東西に伸びる森故、街道を進めば一刻程度で抜けれるじゃろうが、その森の中で東に入って行く古い道がある。その森を道に沿って北東へ向かえば、一部流れの緩やかな浅い所があるはずじゃ」
「・・・浅い。徒歩で渡れるか?」
「かなり厳しいじゃろう・・・だが、馬に乗っておるなら何とかなる」
オゼアンの顔に希望の光が宿る。
最早、道筋は決まったと言わんばかりに眉を上げて足を踏み鳴らした。
「・・・しかしな」
今にも飛び出して行ってしまいそうなオゼアンの様子に、オズワルドが釘を刺すように更に言葉を続ける。
「森は酷く暗く深い。油断すれば直ぐに道を牛合い彷徨う事になるじゃろう・・・それに、あの森には魔物が棲んでおる」
東の方を眺めながらそう言うオズワルドは、口を結んで眼を細める。
「・・・」
「・・・」
魔物が棲んでいる。
そう言われると、オゼアンはいきり立っていた意気を潜めさせて神妙になる。
太古の昔から存在する魔物は、タダの獣や猛獣と言った物とは一線を画する力を備えている。
最も有名なのがドラゴンで、竜種は例え下位の物であっても常人の及ぶ可くもなく、上位の物とも成れば、一暴れで災害並みの被害を人類にもたらす。
ドラゴンで無くとも強力な魔物は多数存在しており、魔物退治とはそれだけで一大事業と成り得る事で、古来より単独で魔物を打ち倒して見せる者を英雄と呼ぶ。
つまり、オゼアンの目的を達するには、それは英雄並みの実力が無くてはいけないと言う事になる。
「残念じゃが・・・」
オズワルドの大きな手がオゼアンの肩に置かれた。
ズシリと響く重い手を肩に受けながら、酷く打ちのめされた様な表情をするオゼアンを、助け出された少女が無言で見詰めていた。