7話 街道を南へ
「・・・」
「それ何?」
オゼアンの首に小さなペンダントが輝いている。
歩きながら指で弄くる様を見てリーゼリスが声を掛けると、オゼアンは前を向いて歩きながら答える。
相も変わらずオゼアンの外套を被り続けている少女は、今ではフードは取って、その長く尖った耳を晒している。
エルフの特徴でもある長い耳は、オゼアン以外の三人は驚いた物の、少女の快活な性格も相まって、直ぐに馴染む事が出来た。
「誰かから貰ったの?」
リーゼリスが尋ねると、オゼアンは珍しく笑みを浮かべながら少女に向く。
「ああ・・・母から貰った唯一の物だ」
何処か寂しげに、しかし何処か嬉しそうに言いながら、オゼアンはペンダントに視線を落とす。
組紐の輪に小さな結晶の様な飾りの着いたそれは、覗き込むオゼアンとリーゼリスの顔を映し出して輝いている。
「・・・」
ペンダントを服の中に隠してオゼアンは真っ直ぐに前を向いた。
寒々しい雰囲気が物寂しさを助長する街道の先は、小高い丘になって先の見通しが利かない。
空は少し重苦しい雲に覆われていて、思わず見上げたハリスは降り出してしまわぬかと心配そうに眉を顰める。
「オゼアン様はお母上とは何か思い出はないんですか?」
馬を引いて歩くコーネリウスの問い掛けに、オゼアンは少し記憶を巡ってみる。
しかし、幾ら頭を悩ませて見たところで、思い出らしい思い出と言うのは無く、殆ど真面に会話を交わした事さえ無かった。
前世では物心着いた頃には側には居なくなっていて、今生においても、産まれてから暫くの間の僅かな期間を除いては、やはり会った事が無い。
「母か・・・」
オゼアンは思いを巡らせた。
母に会う事が出来たら如何するか、何を言うか、どんな風になるのか、そして、母は何を言ってくれるのか。
それは考えれば考えるほど分からなくなる物で、しかし、不思議と胸の内側が高鳴るのを感じる事だった。
「母とはどんな物なんだろうな」
シミジミと呟くと、ライナが笑って言う。
「そんな良いもんじゃ無いっすよ」
「そうなのか?」
「母ちゃんってのは、口煩くて、喧しくて、俺のやる事なす事全てに文句を付けてくるんですよ」
「・・・それは、お主が碌な事をせんからだろう」
ライナの口振りに、ハリスが静かに呟く。
オゼアンも聞いていてハリスの言う事に全面的に同意しつつ、ライナの少し嬉しそうな顔を見ると、本心では無いのだろうと思う。
「お母様は、とても優しいのよ」
「・・・」
リーゼリスの言葉にオゼアンは思いを巡らせた。
何となくイメージとそぐわないオゼアンの様子に、隣を歩くエルフの少女は微笑み顔を覗き込む。
「何だ?」
「いいえ・・・ただ、貴方ってお母様が好きなのね」
「・・・」
何となく、リーゼリスに言われた言葉が癇に障るオゼアンは、ムッツリとした表情で睨み付ける。
だが、少女の方はそんなオゼアンの視線を何処吹く風で受け流した。
「・・・はあ」
オゼアンは、このエルフの少女に対しては苦手意識を抱き続けている。
何となく掴めない飄々とした所と、オゼアンの中のエルフのイメージとかけ離れているのが、無意識の内に苦手意識を持たせていた。
「・・・ん?」
ふと、オゼアンの耳に何か聞こえた様な気がした。
「ライナ」
「あんでさ?」
「何か聞こえなかったか?」
「ええ?・・・いや、俺にな何も・・・」
オゼアンはライナに確認を取ってみるが、ライナは何も聞こえなかったと答える。
気のせいかとオゼアンは一度首を傾げるが、しかし、もう一度オゼアンの耳に何かが聞こえる。
「ライナ」
「・・・いや、ん?・・・待ってくだせぇ」
ライナは、もう一度問われると耳の良さでクー・シーに勝る人間ダ土いるはずが無いと訝しんで、否定しようとした瞬間、ライナの耳が微かな異音に反応してピクリと揺れる。
コーネリウスとハリスが不思議そうに顔を見合わせ、リーゼリスは二人に倣って耳を澄ませてみる。
「っ!!」
もう一度微かな音を聞き届けると、オゼアンは走り出した。
荷物を放り出し、背中の剣を抜いて走り出した。
踏み固められた道に足跡が残る程に力強い踏み込みで地面を蹴り、水平に跳ねるように疾駆する。
「オゼアン様!!」
オゼアンの行動に、いの一番に反応したのがコーネリウスで、この年若い騎士も直ぐにオゼアンに倣って後を追うが、如何せん脚の速さは圧倒的で、直ぐにコーネリウスは置いて行かれてしまう。
「っ!!」
自分一人になっていると言う事も厭わずに走るオゼアンは、一つ丘を越えた先の道の向こうで襲われている馬車を見付けた。
豪奢な貴族の乗る馬車は、しかし、三騎の馬に乗った賊に襲われて、見るも無惨に傷だらけにされ、道行きの最中には、護衛の者と思しき亡骸が打ち棄てられている。
御者席には銛を打たれた魚の様に成っている男が、息も絶え絶えに最後の力を振り絞って手綱を握っていた。
「ハッ!!」
オゼアンは気合いを入れて地面を蹴る。
向かってくる馬車と賊に対して更に増速し、肉迫しながら担ぐ様に剣を構える。
眼前で馬車の御者が席から落ちて力無く横たわり、指示を失った馬車馬は徐々に脚を弛めて止まってしまうと、三人の賊が嫌らしく笑い声を上げながら手にした得物で馬車を叩く。
狩りに成功した蛮族が喜びの舞を踊るかの様に奇声を上げながら、動きを止めた馬車の周りをグルグルと回り、中に乗っている人物に脅しを掛ける。
「ツェアアアア!!!」
オゼアンは奇声を上げた。
甲高い怪鳥の鳴き声の様な声を上げると、賊の視線が走るオゼアンに向くが、既に直ぐ側まで肉迫していた剣を構えた少年は、先頭の手近な相手に狙いを定めて一挙に距離を詰める。
「っ!!?」
「何だ!!」
突如として足下に現れたオゼアンに気を取られ、賊の一人が跨がる馬を竿立たせてしまうと、それを見たオゼアンが最初に襲う一人目に狙いを定める。
「おおおっ!!!」
走ってきた勢いをそのままに、直ぐ側まで近づいたオゼアンは、地面を強く踏み締めて剣を振り抜いて賊の馬の腹を真一文字に切り裂いた。
「ッグオオオオ!!」
乗っていた馬が殺された賊は、声を上げながら地面に転がり落ちて、土埃に塗れながらも直ぐに立ち上がる。
「テメェ!!!」
荒くれた瞳でオゼアンを睨み付ける賊は、腰から浅く反りのあるサーベルを抜き放つと、罵声を浴びせながらオゼアンに躍り掛かる。
「っ!」
しかし、オゼアンは賊の一撃を躱すと、擦れ違い様に剣の刃で腹を一撫でにして、腸を打ちまけさせる。
「っふぐ・・・!!!」
筋肉と臓物を切り開かれて、声に成らない断末魔を上げながら血溜まりに沈む賊の男はピクピクと痙攣して地面を汚し、振り向いたオゼアンは剣を担いで残りの二人を睨み付ける。
「クソがぁああ!!!」
二人の内の大柄な男が手槍を構えてオゼアンを狙った。
馬上から串刺しにせんと槍を突き出して来る男に対して、オゼアンは冷静に身を躱し、狙いを定めさせない様に左右に身を振りながら男に近付いていく。
「クソッ!!」
苛立った男が焦りを含んだ声を上げると、一瞬、男の持つ槍がブレる。
それを見逃さないオゼアンが一息に距離を詰めて剣を構え、そのまま一刀の下に斬り伏せようとすると、背後にもう一人の賊が頭上に剣を構えて襲い掛かった。
「オラッ!!」
「っ!」
寸での所でオゼアンは攻撃を躱す。
咄嗟に横に転がりながら賊の振り下ろした剣を避けると、立ち上がり様を、今度は槍を持った男の攻撃に翻弄されて、眉を歪めながら少しずつ距離を取る。
「くっ!!」
二対一、それも相手は騎馬に乗っていると言う状況は、オゼアンの年相応の体格もあって明らかに不利で、予期せぬ苦戦にオゼアンの額に汗が浮かぶ。
せめて相手が下馬していればと、らしくも無く無い物ねだりをして、真剣に眼前の二騎を睨みつけながら諦めずにチャンスを待った。
最小の動きで躱される賊の攻撃は、実の所を言えば粗雑で有るのは確かな事で、微かに何処かで訓練を受けたような名残をオゼアンは感じながら、食い詰めの傭兵か何かと看破する。
「死ねっ!!」
「!!」
剣を持った男が笑みを浮かべた。
勝利を確信して高々と剣を掲げ、大上段から振り下ろそうとしているのを見て、オゼアンは勝利を確信する。
「フッ!!」
この瞬間を待っていたと言わんばかりに、オゼアンは一気に跳ねて、刃を振り抜いた。
「なっ!!?」
勝利を確信した男の表情が一瞬で驚きの色に染まると同時に、振り抜かれた剣の鋒が首の皮膚を抉り、更にその奥の動脈を切り裂いて、真っ赤な血潮を噴き出させる。
咄嗟に傷口を押さえて武器を取り落とす賊の男は、バランスを崩して落馬すると、その直ぐ側に返り血に染まったオゼアンが立った。
「っ!?ぐぁがああ・・・!!」
血の泡を吐き出しながら命乞いを使用とする男を、オゼアンは無慈悲に剣を振るって斬り捨てると、そのまま最後の一人に視線を向ける。
「シッ!!」
残り一人。
オゼアンは血塗れの体で地面を蹴って最後の一人に目掛けて剣を構える。
悪鬼羅刹も格やと言う様な風体の剣を構えた少年の姿は、恐ろしくも、何処か美しささえ感じられ、戯曲の様にすら思える。
「うぁっ!!」
二人の仲間を失った賊は情け無い声を上げて身を翻して馬首を返す。
何とかしてオゼアンの魔の手から逃れる為に拍車を掛けようとしたその瞬間に、鋭い風切り音を伴った矢が、一本二本と飛来して賊の男の背中を貫いて血を滴らせる。
声を上げる間でも無く力を失った賊の体が馬上から崩れ落ち、後に残されたのは主を失った二頭の馬と、壊され掛けた馬車、そして血塗れで剣を担いだオゼアンだけだった。
「・・・」
振り向くと丘の上でライナが弓を掲げて手を振っている。
オゼアンは無言で右手の拳を上げて答えて、それから馬車の方を向いた。
よもや中の者も死んでしまったのかとオゼアンは微かな不安に駆られ、ゆっくりと馬車に向けて歩み始めると、一度、中からガタリと言う人の気配を感じさせる物音が立つ。
「・・・生きてるか」
見た目には分かり難くはあるが、安堵して馬車に向かって呼び掛けた。
「出て来い!殺しはしない!」
馬車からは返答は無い。
まるで盗賊の言葉のような物騒なことを、今し方二人を殺めて血塗れで叫ぶにだから、その姿が恐ろしいのは当たり前で、しかし、オゼアンにはその様な考えは微塵も浮かばない。
自分が恐れられていると言う事に思い至らないまま頭を悩ませて、何となく無理矢理こじ開けて中を見るのは憚られたオゼアンは如何したものかと剣の血糊を払う。
「・・・」
コーネリウス達が来たら任せようか、そんな事を考え始めた頃、不意に馬車の扉が音を立てて開かれた。
「・・・あの」
「・・・」
中から顔を出したのは一人の少女で鈴の鳴るような声で小さく呼び掛け、オゼアンは少女の顔を凝視して、剣を鞘に収めた。