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1話 人生は奇な物

「ふう・・・」


 冬も近付く森の中、一人佇む少年は斧を手に取り薪を割っていた。

 後一月もすれば雪が降るだろうかと、時折、東の山の頂の白んだ山肌を見ながら、慣れた手付きで薪割りを続ける。


「・・・寒い」


 少年の吐く息は白い。


「明日は雪かな・・・」


 まるで、寂しさを紛らわせる様に独り言ちて、自分の名前を呟いた。


「オゼアン・・・」


 慣れ親しんだこの名は、間違いなく少年の物で、少年は自分は死んだのだと間違いなく知っていた。

 最期の瞬間に見る事の出来た若者の顔は、今でも脳裏に刻まれて、響き渡る剣撃の音は記憶に新しい。

 意識が深い闇の底へ飲まれて途切れた筈だと自問するが、オゼアンは気が付けば再び生を受けていた。

 全く同じ人間として、全く同じ父と母の下に生まれ、そしてオゼアンは五歳までを記憶の通りに過ごした。

 だが、五歳の誕生日を迎える直前に、オゼアンは今までの人生とは違う道を歩む事になり、そして今は一人静かに森の奥の小さな小屋に押し込められて暮らしている。


「・・・」


 五歳の頃から既に七年。

 ただ一人で生きてきた今までの時間は苦しい事の連続で、死にかけた事も決して少なくない。

 だが、それでもオゼアンは自分の選択を後悔はしなかった。


「アレで良かった・・・」


 頭を振って考えに終止符を打つと、オゼアンは冷たい土の上を素足で歩いて小屋の表に向かう。

 割った薪は小屋の裏に積み重ね、斧を肩に担いで歩き出すと、馬の蹄鉄の様な音を鋭敏な耳が拾う。


「ん?」


 誰か来たのだろうかとオゼアンは少し警戒し、表へと急ぐ。

 玄関の扉の前で真っ直ぐに伸びる林道を眺めたオゼアンは、小屋の方へと向かってくる二騎を見て、自然と担いでいた斧を両手で握った。


「人・・・騎士か?」


 人影に静かに呟く。

 一人は旅装束に革の鎧姿で剣を提げ、もう一人は鎧を着けずに手槍を持っている。


「!!」


 一人がオゼアンの姿に気が付いた。

 驚きに目を大きく見開いて、隣のもう一人と話を始めた。

 様子から主従の様だと判断したオゼアンは、未だ警戒を解かないまま二人に到着を待つ。


「・・・」


 少年の体とは言え、鍛えに鍛えたオゼアンの膂力は、今を以てしても凄まじい物で、武器の心許なさに歯嚙みしながらも、事に及んでは一切、敗北の可能性を考えていない。


「・・・誰だ?」


 大胆不敵にも、オゼアンは近付いてきた二人に向かって誰何する。

 恐れを微塵も感じさせないその様は正に歴戦の勇士と呼ぶに相応しく、子供と思って侮っていた二人は面食らって顔を見合わせた。


「・・・私は、コーネリウスと言う。コッチは伴のハリス」


「お前の主は?」


「・・・」


 一瞬、コーネリウスは逡巡した。

 主家を発ち、流浪となった身の上で勝手に主と呼んで良いものかと、そして、目の前の素性も知れぬ少年に易々と答えて良いものか。

 コーネリウスとオゼアンの視線が交差する。

 まるで子供とは思えない尋常ならざる眼孔は、コーネリウスが信じるに値すると判断するのに充分だった。


「我が主家はティエル侯エルール家。故あって今は主家を離れている」


「ティエル?」


 ティエル侯と言う言葉にオゼアンは聞き覚えがあった。

 オゼアンの記憶の中に微かに残るその名は、間違い様も無く母の生家の事だと悟る。

 しかし、オゼアンは何よりもコーネリウスの答えが気に掛かる。

 何故、主を尋ねられて主家を答えるのか、それが不思議に思って思わず口走ってしまった。


「ティエル侯爵はクウェイド卿では無いのか?」


「っ!?」


 オゼアンの言葉にコーネリウスは驚愕を露わにして眼を瞬かせ、苦しげに答えた。


「クウェイド様は臥せられている。今は分家のサンディマン様がご当主だ」


 それは妙な話だとオゼアンは首を捻る。

 オゼアンの記憶ではクウェイド卿には長男が居た筈で、普通ならその長男が後を継いで侯爵になる。

 サンディマン卿はクウェイドの父の腹違いの弟に当たる人物で、普通は本家の当主となる事は無い。


「何故、卿が侯爵になる?御子息はどうされた?」


「・・・」


 何か焦臭い物をオゼアンは感じ取った。

 それと同時に、コーネエリウスも目の前の少年をただ者では無いと思って馬を降りて近付いた。


「お名前は?」


「オゼアンだ」


 尋ねられて場オゼアンは隠しもせずにそう答える。

 コーネリウスは、オゼアンの答えた名前を反芻して、それから少し間を置いて驚愕に顔を染める。


「!?・・・オゼアン!?・・・まさか、オゼアン・ウォーゼス様で御座いますか?」


「ああ」


 コーネエリウスは従者と顔を見合わせた。

 信じられないと言いたげな表情でオゼアンを見詰め、口を開いて暫し混乱したように視線を漂わせる。


「・・・日が暮れるな」


 好い加減に周囲が暗くなり出しているとオゼアンは、辺りを見回して言った。


「取り敢えず中に入ろう」


「はっ」


 何か自分の与り知らぬ場所で物事が進んでいると感じながら、オゼアンは取り敢えず腰を落ち着けようと二人を小屋へと呼び込んで中に入る。

 コーネリウスは短く返事を返すとオゼアンの後に続き、従者ハリスも倣って小屋に足を踏み入れた。


「・・・」


 閑散とした粗末な木造の小屋の中、オゼアンは無雑作に並べられた道具の中に斧を置き、それから壁際に瓶から水を汲んで一口啜る。


「少し待っていろ」


 そう言うとオゼアンは慣れた手付きで石造りの暖炉に近付き、薪をくべて火を着ける。


「ここは元々貴族の狩猟小屋でな・・・随分ボロいが、こんな物が付いていて助かっている」


「・・・」


 従者と騎士はそう言いながら作業を進める少年をジッと眺め、時折隙間風の吹き込む壁を見回した。


「飯の支度をしよう」


 オゼアンは鍋に水を注ぎ暖炉の火に掛ける。

 客が来ているのなら余りにも粗末な物は出すことは出来ないと、奮発して、なけなしの乾し肉とキノコを放り込み、森で取ってきた野草をナイフで食べやすくして加え、味付けに僅かに残っていた岩塩を削り入れて、棚の奥にしまって置いた乾し野菜も追加すると、オゼアンは満足そうに頷いた。


「よし」


「一人だけなのですか?」


 思わずと言う風に、従者ハリスが口を開く。

 後はこのまま、暫く火に掛けて煮立たせるだけと椅子に腰掛けたオゼアンは短く一言で返す。


「ああ」


 従者と騎士は又も顔を見合わせた。

 コーネリウスに取ってオゼアンは主家の主人と仰ぐ人物の娘の息子、つまりは主の孫に当たる人物で、その母とは面識があれば、嫁ぎ先の事も知っていた。

 そんな主家に所縁の有る紛れもない貴族の子息が、何故に、こんな森の奥で一人で暮らしているのか、不思議でならなかった。


「さて・・・改めて話を聞こう」


 鍋が煮えるまでの間、俺はコーネリウスの話を聞こうとオゼアンは二人に向いた。


「取り敢えず。目的は何なんだ?」


 コーネリウス達が何の為にここを訪ねてきたのかと問う。

 コーネリウスに取ってはそれこそ自分が尋ねたい事だと内心に思いながら、目の前の不思議な少年に向かって口を開いた。


「改めまして・・・私はコーネリウス・ギッフェルドと申します。騎士としてエルール家にお仕えしておりました」


「ハリス・ノートンと申します。コーネリウス様の従者をしております」


 二人揃って頭を下げると、コーネリウスはオゼアンの眼を見ながら話を始める


「・・・ここ数年、ティエル領では異変が起こっていたのです」


「異変?」


「はい。・・・何もしていないにも関わらず作物の収量が目に見えて減少し、魔物の出現も頻繁になっていたのです。当然の事、我々を始め、お家の方々は全力で事に当たっていたのです」


 当時の事を思い起こしながら話すコーネリウスは、苦しげに顔を歪めて惨状をオゼアンに伝える。

 オゼアンは政治や領の経営の事は良く分からなかったが、それでもその当時のティエルの有り様は目に浮かぶようだった。


「事は丁七年前に遡りますが、異変に対処していた最中に、クウェイド様が病に倒れてしまわれたのです。通常であるならご長男のバルディエ様が後をお継ぎになるのですが・・・」


 コーネリウスはそこで言い淀み、少し間を置いてから続ける。


「サンディマンが強引に家禄を簒奪し、あろう事かバルディエ様を追放したのです」


 コーネリウスの背後ではハリスが口惜しそうに歯を食いしばって俯いていた。

 どう言う事なのか、より詳しい事を聞き出そうとオゼアンが身を乗り出す。


「当時のバルディエ様は十二歳でした。侯爵として家督を相続するには不安があると言う声が上がり、仕方なしに後見人としてサンディマンが呼ばれたのです」


「ふむ・・・」


 サンディマン卿がどんな人物だったかとオゼアンは記憶を掘り起こすが、ティエル侯の分家で小さな領の伯爵だったと言う位しか思い出せなかった。

 バルディエはオゼアンの記憶では、オゼアンが死ぬ一年前に家督を譲り受けたばかりだったが、立派に領を切り盛りしている。

 二度ほど会った限りでは聡明な人物でオゼアンも好感が持てる人柄で、今の年齢は十九になる。


「何が有った?」


 オゼアンにはバルディエが追放を受ける様な事をする筈が無いと言う確信が有る。

 それなのに追放されたのならば何か事情が有るのだと、コーネリウスに尋ねる。


「罠だったのです」


 コーネリウスは、オゼアンに対して素直に話した。


「バルディエ様は十八になると同時に正式に家督を継ぎ侯爵を名乗るはずだったのですが、それを良く思わない人物が居ました」


「サンディマン卿か」


「はい。サンディマンは後見人として、また侯爵代理として力を振るったおりましたが、バルディエ様が侯爵を継げば・・・」


「サンディマン卿は権力を失うな」


 侯爵代理として領内の頂点の座を欲しいままにしたサンディマンは、欲望のままに強権を振るい、自らの欲求を満たそうとした。

 それを咎める事が出来る人物はティエルには存在せず、彼は我が世の春に酔いしれたが、しかし、終わりの時は近づいていた。

 それは、長子のバルディエが正式に家長となり侯爵を継げば、無用となるサンディマンは追い出され、其れ処か、横暴の責を負わされるのが目に見えていた。

 当然の事ながら、家人も領民もそれを期待していた。


「サンディマンは狡猾にもバルディエ様を罠に陥れたのです」


 そこでコーネリウスがハリスに眼を向ける。

 ハリスは一度コーネリウスを無言で見詰め、コーネリウスが頷くと懐から小包を取り出して広げた。


「コレは・・・小瓶」


 包みの中には小さな小瓶が一つだけ入っており、瓶は既に空になっている。

 オゼアンは、空の小瓶を暫し見詰めて、コーネリウスに視線を戻す。


「バルディエ様には思い人がいらっしゃいました」


「婚約者か?」


 オゼアン尋ねると、コーネリウスが首を振る。


「違います。・・・エルール家にお仕えする騎士の一人の娘と思いを通わせていたのです」


 次期当主と主家に仕える騎士の娘の恋とは、物語のようだとオゼアンは内心に思う。

 ロマンス物語はオゼアンは苦手な部類で、特に登場する人物達の身勝手さと愚かしさには辟易すると頭が痛くなる物で、今度の話にも少しだけ聞いた事を後悔する思いが芽生え始めていた。


「二人は互いに想い合いながも、身分と立場故に確かめ合う事はせずにいました。そこをサンディマンは突いたのです」


「まさか・・・その小瓶は」


「媚薬です」


 バルディエ様には婚約者がいた。

 生まれた頃からの取り決めで、隣領のトレス伯の娘と婚約を交わしており、実際に将来には結婚して子供ももうけていた。

 それだと言うのに、他の娘と想い合うと言うのは、確かに拙い事だ。

 そして、媚薬の入っていたと言う小瓶に眼を向ければ、自ずと何が有ったのかから知れる。


「娘の淡く純粋な気持ちと不安を利用したサンディマンは、この媚薬を娘に渡して言ったのです。『コレを使えば、バルディエの本心が知れる』と」


 後は簡単な話だった。

 娘は夜中、遅くまで読書をして起きていたバルディエの部屋を訪ねた。

 そこでどんな事が有ったのか、どんな遣り取りが有ったのか、詳しい事は分からないが、ただ確かなのは、翌朝二人が一糸纏わぬ姿でベッドに入っていたろ言う事と、それを見付けたのがバルディエの婚約者であるミリアリス嬢だったと言う事だ。


「・・・」


「・・・バルディエ様は瓶は自分が用意した。娘にはそれを無理矢理飲ませたのだとそう言っていました」


「思い人を庇うため・・・か」


 ハリスが無言で頷く。


「誰もが真相は明らかでした。しかし、バルディエ様は頑なに自分に責が有ると言って、娘を庇い。このままではトレス伯に申し訳が立たないとして、嫡子廃嫡の上、領外へ追放となったのです」


 遣る瀬ない物がオゼアンの中に渦巻いた。

 ロマンス小説は好きでは無いが、しかし、淡く切ない思いを秘めていた二人の気持を利用して、自らの欲望を満たそうと言うサンディマンの企みにオゼアンは酷く憤り、隠しもしない。


「何と言う・・・っ!」


 膝を叩いて怒りを露わにするオゼアンにコーネリウスは驚き、従者ハリスは眼を見開いて見詰めた。


「娘はどうなった」


 バルディエがそこまでしても護ろうとした娘がオゼアンは気掛かりになる。

 コーネリウスはオゼアンの問いに対して深く沈み込むように、陰鬱な表情を浮かべて答える。


「一件以来行方知れずとなってしまいました。せめてバルディエ様の護ろうとした彼女だけでもと思っていた矢先、置き手紙を残して失踪したのです」


「そうか・・・」


 バルディエの去ったティエルでは侯爵代理として力を保持したサンディマンが、欲望のままに圧政を敷き、領民は度重なる重税に喘いでいると言う。


「我々はバルディエ様を探しているのです。探し出して、今の領の現状をお伝えして、サンディマンからティエルを取り戻そうと思い至り・・・半年前、出奔したのです」


「そう言う事か」


 オゼアンは合点が行ったとばかりに頷いた。

 つまりはティエルでの混乱が巡り巡って自分の現状に繋がるのだと理解した。


「・・・取り敢えず飯だな」


 言いながらオゼアンは器を用意して鍋の中身をよそう。


「そ、その様な事!・・・」


 オゼアンが配膳を始めると、コーネリウスが慌てて動き出すが、それを無言のままで手で制して、さっさと配膳を済ませる。


「大した物は用意出来なかったが・・・まあ、遠慮無く食ってくれ」


「・・・有り難く。頂きます」


 久し振りの肉を飲み下しながらオゼアンは、コーネリウスとハリスを覗き見る。

 そうすると、コーネリウスがオゼアンに向かって尋ねる。


「オゼアン様は何故この様なところに一人で?」


 コーネリウスの至極当然の問い掛けにたいして、オゼアンはあっけらかんに答えた。


「父に捨てられた」


「・・・」


 コーネリウスはオゼアンの言葉に暫く思考を停止させてしまう。

 軽く何の事も無い様に言い放たれたその言葉は、しかし、実際はオゼアンの言葉と反比例する如く重く、従者と思わず顔を見合わせてしまうほどだった。

 親無しの孤児や人買いに子を売る親と言うのは、別段珍しい事では無い。

 コーネリウスが生きてきた中でもそう言った出自の者は、数えればキリが無いほど居た。

 だが、オゼアンの場合は、生活に不自由の無い貴族の生まれで、まだ頑是の無い幼児の頃から一人放逐されて、しかも、その生活を助ける者も居なければ、育てる者も居ないと言うのだから、過酷さは一入だろう。


「誰か世話係などはいらっしゃらないのですか?」


 従者の問い掛けに対して、オゼアンは首を横に振った。


「ここの生活費に手を出して人里に消えた。今頃は人生の大半を遊び潰せるだけの金を浪費している事だろう」


「そんな馬鹿な・・・」


 コーネリウスは余りの言葉に表情を歪め、従者ハリスも驚愕を顕わに拳を握っていた。

 それに対してオゼアンは、自分の事だと言うのに全く気にした様子は無く。

 いっそ冷淡とすら思える態度に、主従は言い知れぬ不気味さを感じた。


「気にするな。・・・もう慣れた」


「っ!!」


 コーネリウスはもうすぐ二十に成る。

 この位の年齢になれば、それなりに世間に揉まれ擦れてしまっている物なのだが、オゼアンの見た限りではそんな様子は見受けられなかった。

 彼は主家の筋の人間であると言う事を度外視にしてオゼアンの現状に憤っている。

 握り込んだ両の拳が震え、眼には確かな怒りが滲み、肩を戦慄かせ、今にも怒髪を天に突かせそうな雰囲気で歯を食いしばっている。


「こ、この様な・・・」


「・・・」


「この様な仕打ちを・・・幼い子に・・・!」


 オゼアンはコーネリウスに対して好感を抱き、とても羨ましいと感じた。

 彼は理不尽や人の不幸に対して憤る事の出来る人柄の様で、その心根の優しさと美しさを保ったまま、今までを生きてきて

た。

 それは周囲の人間が、またそうで有ると言うのと同時に、誰かが懸命に守ってきたからに他ならず。

 その事がありありと感じられて、そう言った場で生きてこられた事に羨望を禁じ得ないのだ。


「オゼアン様」


 ハリスが不意に口を開いた。

 コレまで殆ど無言を貫いてきた男の突然の問い掛けに、僅かに驚きを観じながらオゼアンは応じる。


「何だ?」


「オゼアン様は・・・辛くは無いのですか?」


 人であれば、オゼアンと同じ同じ境遇に晒されれば、それは辛いと思うのが当たり前だ。

 だが、オゼアンの話し様に、ハリスは薄ら寒い物を感じて、言わずにはいられなかった。

 突然の従者の無礼に、しかし、コーネリウスは呆気に取られて何も言えず、少年の答えを待つ。


「・・・辛いよ」


「・・・!」


「辛くない筈が無い。私とて人間だ。・・・出来る事なら、今すぐにでも母の下へと向かいたい。母が今、どうされているか・・・考えない日は無かった」


 実に当たり前のオゼアンの答えが二人の胸を打った。

 気丈に、いっそ冷徹に振る舞う姿を見せられ続けた少年の、初めて人間らしい姿に、尋ねたハリスは自らの軽挙を恥じて拳を握る。


「行きましょう」


 コーネリウスが口を開く。


「何?」


「行きましょうオゼアン様。お母上の下へ・・・ティリエ様の下へ行きましょう」


 コーネリウスがオゼアンを見据えて提案する。


「何を馬鹿な・・・」


 オゼアンは年若い騎士の言葉に吐き捨てる。

 経験の少ない若者の現実の見えていない言葉に、オゼアンは内心で馬鹿にした。

 こんな恵まれた生を受けた現実の見えていない若者の、その場の勢いに任せた提案は、既に精神が三十を超えたオゼアンに取っては有り得ない言葉だったのだ。


「・・・」


 だが、不思議な事に、オゼアンはコーネリウスの言葉にそれ以上の言葉を口にする事が出来ない。

 内心で馬鹿にしながらも、しかし何処か片隅で心引かれているのも事実だった。


「・・・」


 母に会いたいと言う子供らしい思いは、その実、オゼアンがまだ前世で生きていた頃から想い続けてきた事で、織の様に積み重なって無視され続けてきた思いは、コーネリウスの真っ直ぐな思いに揺り動かされて広がりだした。

 必死になって押さえ付けてきた思いが、駄々をこねる子供の様に大きな声を上げて泣き出して、最早、それ以上は押さえ付けられない。


「・・・行くか」


 オゼアンは思わず口走った。

 一度口に出してしまえば、不思議と腹が据わってオゼアンの心が一瞬で移り変わる。


「コーネリウス」


「はい」


「感謝する」


 そう言いながら、オゼアンは筵を用意した。


「生憎布団は無いんだ。筵を敷いて寝てくれ」


 明日の朝、オゼアンは二人の主従の助力を得て母の下へと向かう旅に出る。

 高鳴る胸を押さえながら筵に身を横たえると、不思議と寝付きよく夢の中へと旅だった。

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