日本刀と運命論
季節は夏。年々暑くなる気がする。今年はクーラーが欠かせないな。そんな事を考えつつ俺は警戒の視線を背後に送った。よし、愛理は来てないな。カモフラージュで朝早くから家を出たのは正解だったか。
休日だというのに部活動に励む声は止むことを知らない。元気なのはいいことである。
運命とは分からないものだ。俺はいつもならまず行かない特別棟の屋上に向かっていた。休日でも特別棟の玄関は開かれている。
俺は玄関を通り抜けてゆっくりと階段を登っていく。折り返しでポケットに手を突っ込んで窓からグラウンドの素晴らしい景色を覗く。今度愛理でも連れてみよう。花好きないあいつの事だ、きっと喜ぶだろう。
学園のマドンナ立花香織たちばなかおりといえば学園で知らぬものはいない有名人である。品行方正、才色兼備、絶世独立……。あらゆる長所を詰め込んだような彼女は可愛くて、胸も大きい。彼女が校内を歩けば生徒達は振り返らずにいられない。それくらい美しい、まさに高嶺の花だ。平凡な俺とは似ても似つかない。
そんな俺がどういう訳か超絶美人な香織さんからラブレターを貰った。
昨日の朝。下駄箱を開けると中に薄青の封筒が奥ゆかしく置いてあったのだ。差出人が香織さんだと知った時の俺の顔、あれほど間抜けな表情もなかったと思う。
屋上の扉を開けるとぬるい風が俺を包み込んだ。香織さんはもう来ていた。ただ一人佇んでいるだけで彼女は絵になる。香織さんは俺に気が付くと満面の笑みを浮かべた。
「海道君は運命を信じる?」
突然の事すぎて意味が分からない。
「いきなり何の話ですか」
俺が聞き返すと、香織さんは語気を強めてこう言った。
「運命によると私はあなたを好きにならなくちゃいけないの。だから私と付き合いなさい、いいわね?」
「そんな事急に言われても」
香織さんの茶色の髪は突然吹いた乱暴な風に揺られた。寒そうに香織さんが体を縮める。香織さんと付き合えばどれだけの男が羨ましがるだろう。迷いながらも俺が承諾しようとしたその時。背後から射抜くような視線を感じた。
「見つけましたよご主人様!浮気は私が許しません!」
間違いない。背後には双子で同じクラスのブラコンで日本刀マニアな妹がいる。
名を海道愛理かいどうあいりという。耳元で愛理がまるで恋人にするように甘く囁いた。
「ゴシュジンサマ? 早く帰りましょう」
「おうっ……」
兄をご主人様呼ばわり。一応言っておくが俺の趣味ではない。いつでもどこでも愛理は俺をご主人様と呼び、家ではメイド服を着て家事をするのだ。
銀髪でクールな見た目の愛理にうなじを掴まれてしまった。香織さんは驚いたように目を丸くしていた。
「貴方、見かけによらずモテるのね」
白いワイシャツに紺色のチェック柄スカートを身に纏った香織さんが遠ざかっていく。香織さんは俺の視界から消えるまでずっと立っていた。
屋上のドアを閉めてすぐ愛理が詰め寄ってきた。愛理は上目遣いにはっきりとこういった。老朽化した壁はザラザラと感触がわるい。
「まったく、ご主人様はもっと自分の身を大事にしてください。私は妹としてご主人様の行く末が心配です……。もちろん、断りますよね」
威圧感たっぷり詰め込んで、愛理がにじり寄りながら言った。怖い、怖いよ愛理さん。もし断らなかったらどうなるのだろう。試すとその後が怖いのでやめとこう。俺は愛理の肩を軽く抑えて答えた。
「愛理には関係ないだろう」
「あります!」
愛理が俺を壁に押し付けた。背中に強い衝撃が走る。
愛理は微笑んで小首をかしげる。その目にはまったく悪気がないようであった。愛理は続ける。
「私とあの女どっちが大事なんですか?」
「愛理」
即答で俺は答える。背伸びした愛理は正解だといわんばかりに優しく俺の頭を撫でた。
帰り道。愛理は悩まし気に頭をひねっている。せっかくの休日に家を出たのに、何もせず帰るというのも無粋なものだろう。さりとて学生の身ではお金が乏しい。そこで買い物でもして帰ろうかという話である。
俺の両親は未だにアツアツカップルでアメリカに住んでしまっている。定期的にお金が振り込まれてくるが家に帰ってくる事はめったにない。俺が小学生だった時からなので別に寂しくない。
愛理と二人で住んでいるが間違いが起きた事はない。当初は家事は分担してやっていたが、今では愛理に殆ど任せっきりである。料理は愛理の独壇場となっている。
だが、毎日愛理の料理では飽きる。確かに愛理の作る料理は絶品で、そこらの料理店に出しても遜色ない。だがたまには外食もいいものだ。
俺は愛理の顔を覗き込む。腰まで届くストレートヘアの銀髪をさわりながら、
「もやしで一日耐えましょう!」
「なぜにそんな極貧生活を送る……」
「倹約一番、ですっ!」
愛理はすたこらさっさと歩いて行ってしまう。まったく愛理は昔からお金を使わない主義なのだ。というか無駄をしないタイプと申したほうがいいかもしれない。見た目は可愛い女の子なんだから、もっとオシャレすればいいのに。外では制服で家ではメイド服と服にも頓着ない。
「ご主人様との将来の結婚資金の為に貯めとくのです……」
「愛理、なんかいったか?」
「いえなんでもありません」
しばらく歩いているとバッティングセンターが目に入った。中学の頃は頻繁に言っていたが、ここ最近はさっぱりだ。高校生は勉強が忙しいのだ。その時、俺はいいことを思いついた。
「愛理。ホームランの数で勝負しないか? 俺が勝ったら今日は外食にしよう。愛理が勝ったらもやしでいいぞ」
「私に挑むとはいい度胸です! コテンパンにしてあげます」
「お手柔らかにね」
目を爛々と輝かせて愛理が見守る中、俺は財布から小銭を取り出す。25球でスピードは120だ。愛理といえど所詮は女の子。変化球と速球が入り混じった打撃マシーンには手も足もでまい。
今日の俺はどうしても寿司が食べたいのだ。許してくれ愛理。
――しかしこの時の俺は愛理の力を知らなかったのだ。
「3回もホームランにするなんてすごいですっ! よっ、日本一!」
「よせよ。大した事ないって。次は愛理だよ、頑張ってね」
「はーい! いいとこ見せちゃいます」
元気よく走り去る愛理には悪いがこの勝負は俺の勝ちなのだ。ドレドレ、俺がバッティングのやり方を指南してあげようか。チャリンと100円玉を滑らせて愛理がグリップを握る。120キロのフォークが抜群のコースに入る。これは打てない、当然俺はそう思った。
「愛の力は偉大なんですよっ!」
「何大声で恥ずかしい事言ってんだっ! ってええ、ホームラン!?」
いきなり愛を叫んだ愛理はその後も快進撃を続けた。完璧なフォームでまるでプロの選手のように芯で球をネットに食い込ませる。気づけばホームランの数は7を刻んでいた。
自販機のコーラを飲みながら、ベンチに座ってどや顔で愛理が言った。
「今日はモヤシ鍋にモヤシご飯。モヤシスープも忘れてはいけません」
「モヤシだけじゃきついよ」
「あら、負け犬がみっともないです」
そういわれると何もいえない。今日はモヤシで我慢するしかないだろう。
「キャー誰か助けてー!」
突然の女性の悲鳴越えに俺は声の方を見た。見るからにチンピラ風の男がか弱き女性にいちゃもんをつけていた。俺が助けに入ろうとする前に愛理がもう日本刀を抜いていた。
「逃げなさい……今なら怪我をせずにすみますよっ!」
「ああ? 何言ってんだこいつ。おいみんなやっちまおうぜ」
「おお!」
せっかく愛理が逃げるチャンスを与えたのにチンピラ達はゲラゲラと腹を抱えて笑うだけだ。愛理の目が細くなる。俺は女性に歩み寄る。かわいそうに女性はひどく怯えている。弱い物を狙うなんて卑怯な奴らだ。愛理は構えながら、呟くように言った。
「最後です……逃げなさい……今なら無事にお家に帰れますよ」
「女のくせにふざけた事いってんじゃねえふげぇ」
意気揚々と愛理に突っ込んだチンピラその1は峰内であっけなく気絶。考える脳みそがないのかイノシシのようにまっすぐ突っ込んでいくチンピラ2とその仲間たち。ゴン、ゴン、情けない男達の山ができた。
「ありがとうございますっ! なんとお礼を申し上げたらよいか」
「いえいえ当然のことをしたまでですよ」
しばらくして店長らしい人がペコペコと恭しくお辞儀を愛理にした。愛理は照れているのか頬が赤い。俺は改めて愛理の強さに感心した。店長は懐から券を取り出した。なんと幸運な事に寿司屋の共通券であった。愛理は何度も貰うのを躊躇していたが店長が執拗に渡そうとするので、
「ありがとうございます」
と、ついには受け取った。俺は心の中でガッツポーズをした。
「せ、せっかくの好意を無駄にするわけにはいきませんし今日は寿司にしましょうか」
「やったぜ!」
「もう、はしゃぎすぎですよ」
久しぶりに食べた寿司はとてもおいしかった。いいことをすると、神様が見ているって本当だったんだね。俺はそう思うのであった。