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来訪者の物語(3)

 優悟が島へ来て三日間は天候の安定した日が続いた。しかし四日目、島に接近した台風によってひどい嵐となった。昼ごろから次第に風が強くなり、雨が降り出した。将志や島の漁師たちは早めに漁を切り上げて、天候が悪化する前に家の風除けなどの作業を済ませる。優悟も雨戸の外から板を打ち付けたり、瓦を点検したりするのを手伝った。

「すみませんね。客人にこのようなことを」

「いえいえ、お世話になっている身ですから。これくらいさせて下さい」

 屋根の上を意外と器用に歩く優悟を見やり、将志は微笑む。

「存外健脚ですね。うちの洋介なんかよりずっとたくましい。研究者も侮れないな」

 手放しで褒める将志に、優悟は照れ笑いを返す。

「まぁ、私のいる研究室は基本、足で稼ぐところですからね。日に何十キロも歩くこともありますし。人々の生活の中に入ることなので、時には薪割りなんかもします」

「道理で。金づちの扱いも堂に入っていて驚きましたよ」

 二人が作業を終えて家に入ると、雪美が麦茶と菓子を出してくれた。テレビではずっと気象情報が流れている。現在の台風の位置と、進路予測。勢力は少し落ちているようだが、暴風域を伴っていてまだ予断は許さない。どうやら直撃は免れそうではあるが、風雨は強まりつつあり、時折ガタンッと大きな音を立てて雨戸が揺れる。

「いやぁ、大仕事ですね」

「慣れてますから、それほどは。この辺は通り道ですから」

「海もしけるんでしょうね。漁は」

「明日は船を出せんでしょうね。できるだけ早く行ってくれるのを願うだけです」

 淡々とはしているものの、やはり生活に直結するからか、その表情は険しい。気象情報を流し続けるテレビの画面をじっと睨むように凝視する。

 雨戸を閉め切ってしまった家の中は薄暗い。天井から下がる蛍光灯が頼りない明かりで部屋を照らす。外は暴風が吹き荒れているので、もちろん調査に出ることはできない。台風の影響をここまで直截に受けることがほとんどない本土で育った優悟は少し困惑した。嵐で家屋に閉じ込められるなど経験がない。

 所在なげに居間に座り込んでいると、ひょっこりと灯が顔を見せた。障子の影から優悟を見てクスクスと笑う。

「つまんなそうな顔」

「あっ、すみません」

「だから怒ってないって」

 灯は小脇に何かを抱えて居間に入ってきた。それはよく見るとオセロゲームだった。それを灯はじゃーん、という感じでちゃぶ台の上に広げる。

「うちに二人で遊べるゲームってこれしかないんだよね」

 そう言って向かいに座る。真ん中に白と黒を並べてゲームの準備をする。どうやら時間を持て余している優悟の相手をしてくれるらしい。「私からね」と黒で白をはさんでひっくり返す。優悟はなんとなく恐縮する気持ちでいきなり始まったゲームに参加する。

 外の雨音がひどくなってきた。その変化が詳細にわかってしまうほど、静かに淡々とゲームは進む。黒から白へ。白から黒へ。盤を見ながら、優悟はどぎまぎしてしまう。灯とこんな風に遊ぶのはこちらへ来て初めてのことだ。

「こっちにはいつまでいるの?風上さん」

 白を黒へひっくり返している途中に灯が口を開く。いい加減沈黙にも飽きてきたというような、ちょっと投げやりな訊き方だ。

「今月末までです。九月には研究室に戻らないといけないので」

「ふぅん。研究ってどんなことするの?」

「主にこうして地域をまわって、生活様式の実態を紐解くというか。そこでの文化や歴史を含めて。長期的に定点調査することもあります。研究室に帰ったら論文の作成ですね」

「……楽しい?」

 ちょっと間があったので、優悟は顔を上げて灯のほうを見る。灯は変わらず盤を見据えている。

「灯さんは研究職に興味がおありなのですか」

 問うと真剣な表情だった灯がクスッと笑みを漏らす。

「そうじゃなくて。話してる風上さんが楽しそうだからだよ」

「そうですか?」

「オセロよりはずっとね」

 優悟は赤面した。そんなにわかりやすく顔に出ていただろうか。

「あの、すみません」

「だから怒ってないって。何でそんなに謝るのよ」

「いやぁ、その……恐縮です」

「まぁいいけど。はい終わり」

 気づけばオセロ盤は埋まっていた。誰がどう見ても黒のほうが多い。灯の圧倒的な勝ちだ。

「お強いですね」

「風上さんが集中してないだけだよ」

 またもや優悟は赤面した。

 台風は予想よりも早く勢力を弱め、次の日の昼には島にも日差しが戻った。風はまだあったが、明日からはまた船が出せそうだと、将志は安堵の表情を見せた。優悟は島で暮らすことの苦労を思うのと同時に、そういう島民の生き方に一種の魅力も感じた。自然に逆らわず、それを受け入れて生きる。本土に住んでいると、そういうことは忘れがちだ。だが本当は、そういう生き方こそが人間としても自然であるように思えるのだ。

 その日を境に、灯とも徐々に打ち解けていった。滞在も折り返しにさしかかる頃、ビーチへ案内すると灯から提案があった。優悟はその申し出をありがたく受け入れた。実は今まで足を踏み入れられずにいたからだ。ビーチというのは男一人で行くのはなんとなく気が引ける思いがしていたのだ。

 背中まで伸びた少しクセのある髪をシュシュで無造作にまとめて、灯は優悟の先を行く。白いTシャツに花柄のロングスカート、足元はウエッジソールのサンダルという出で立ちの灯は、過ぎ行く夏を惜しんでいるように見える。秋の始まりを匂わせる日差しが、灯をまぶしく照らし出す。

 ビーチは漁港がある岬の陰になるようにしてあった。思ったほど広くはなく、岸壁の端が少しだけ砂浜になっているのだった。シーズンオフの今、他に人影はない。灯はサンダルの足で砂を蹴散らしながら歩いていく。その行動が子供っぽく見え、優悟は灯の子供の部分を見つけたようで安心するのだった。

「別に海が嫌いなわけじゃないから、こういう時期はずれには来るよ」

 灯は淡々とした口調で言う。それが先日の言い訳のように聞こえて、優悟は思わず笑った。

 岸壁によってちょうど影になっている辺りまで歩くと、灯はその場に腰を下ろした。くるぶしまであるスカートが砂まみれになっているが、気にする様子はない。少しの間ためらっていたが、優悟もその隣に座った。灯は海の果てを、そこに何かがあるかのように一心に見つめていた。そのまま独り言のようにぽつりと言う。

「ごめんね」

「はい?」

 いきなりの謝罪に、優悟は訊き返した。聞き間違いかと思ったのだ。しかし灯は視線を手元に落として続ける。

「私、外から来る人は私の話なんて、真剣に聞くと思ってなかったんだ。すぐに忘れちゃうって」

 優悟は黙って灯の告白を聞いた。その横顔は、今までに見てきたものとはまるで違っていた。悪戯っぽい笑みも、挑戦的な眼光も、今は力を失ったように鳴りを潜めている。

「だから、本当は言っちゃいけないことも言っちゃうんだよね。風上さんがそういう目的で来たこと、知ってたはずなのに」

「言ってはいけないというのは、人魚のことですか」

 灯は顔を上げて微笑んだ。その笑顔がどこか寂しげで、優悟はドキッとした。まるで生き急ぐかのように、中学生ながら大人のような艶やかさをもつ灯は、それと引き換えにその影をも背負ってしまったかのように笑う。何か、優悟の心に引っかかるものがあった。そのような笑顔を、以前どこかで見たような気がする。

「川上さんにお願いがあるの」

「何でしょう」

「私から聞いたこと、島の外の人に言わないで。何かに書き残すこともしないで」

 今までにない真剣な声だった。優悟が気圧されて黙っていると、灯はうつむいてしまった。

「無茶苦茶言ってることも、わかってる。でもこれだけは守らなきゃならない」

 それ以降、灯は口をつぐんでしまった。

 なんとなく、優悟もそういうことなのではないかと思っていた。灯が雪美にひどく叱られていたこと。夏には観光客も大勢来る島なのに、本土では人魚伝説を耳にしたことがなかったこと。それらが灯の言うことの証左だろう。このことは口外しないことで秘匿されてきたということだ。本来誰かに伝わったとしても都市伝説で終わってしまいそうなものが、ここまで――まだ中学生の灯を思い悩ますほどに――重大なものとして秘め守られている。

 ますます何かありそうな気がするが、最後には優悟は言った。

「わかりました」

 灯は顔を上げた。思いつめたような目で優悟を見る。そんな灯を何とか安心させたくて優悟はやさしく笑う。

「灯さんがそこまで言うのですから、とても大切なことなのでしょう。このことは私の中に留めておくと約束しますよ」

 肩をたたいて請け合うと、灯は表情を緩めて少し笑った。

 滞在の日々は、あっという間に過ぎていった。あの台風の日以外は天気もよく、優悟がこちらで過ごした日々はいたって穏やかだった。

 八月末、二週間の調査を終えて、優悟が帰路へつく日。沖田夫妻は将志が獲ってきた魚を加工した食品をたくさんお土産に持たせてくれた。

「短い間でしたけど、いなくなっちゃうと寂しいわ」

 雪美が顔をしかめる。優悟も思わず目頭を熱くした。

「沖田さんには、本当によくして頂いて……ありがとうございました」

 優悟は深々と頭を下げた。

 定期便の発着場まで沖田夫妻も見送りに来てくれた。灯も一緒だ。あまり大きくはない客船が港に白く浮かんでいる。桟橋を渡りその船に乗りこんで甲板に出ると、夫妻は大きく手を振ってくれていた。優悟も身を乗り出して手を振る。振りながら、優悟は灯を見た。

 あの日、ビーチに一緒に行って以来、灯が快活に笑う姿を優悟は見ていない。今もただ一人、表情に翳りがあるように見える。その表情が引っかかった。まるで何かをこらえるような、今にも泣いてしまいそうな危うさがあった。優悟は灯の気持ちを晴らすように大きく叫んだ。

「元気で!」

 灯はいつかのように、少し笑うのだった。


 二時間ほどの乗船で、船は目的地に到着した。帰って来てみるとあっという間のような気がした。島行きの船に乗りこんだのが昨日のことのようだ。島でのあれこれを思い出してみても、まるで夢を見ていたようだと思う。自分の直感を信じて研究対象地を選んだことは間違いではなかった。本当に行って良かった。知らないことは、まだまだある。

 これだけ情報量があれば、灯との約束を守れるだろう。人魚について口外しないという約束。論文一本仕上げるのに十分な取材をした。特筆すべきことならば、そこに頼らずともいくらでもある。

 ただ、本音としてはそこに一番興味をひかれている。個人的には非常に残念であり、もったいないとも思う。これから自分が研究者として生きていくとすれば、まだ外の者が知らないことを知っていて、それを内に秘めておくというのは難しい。新しい発見を世に発表することで名を売っていくのが研究者の活路なのだから。しかし、あの時の灯の顔が浮かぶと、その思いも飲み込まざるを得なくなる。およそ中学生の娘がするとは思えないような、切実な表情。灯を悲しませたくはない。困らせたくはない。

 船から桟橋へと降りていくとき、ふと立ち止まった。ぱらぱらと降りていく人影の中に、優悟は見覚えのある姿を見たような気がした。その姿はすぐに見失ってしまったが、確かあれは。

 一瞬だったので、見間違いかもしれない。ふと優悟は頬が熱くなった。もし見間違いだとしたら、無意識にその人の似姿に目を向けていたことになる。それはなんとも気まずい思いだった。

 気を取り直して、優悟は歩き出す。無自覚だった己の思いは頭の片隅にそっとしまいこんだ。


 その日の夜、異変は沖田家で起こった。灯が急に姿をくらませたのだ。

 将志は漁師仲間とともに島中を捜した。動揺した雪美は家の中から動けず、じっと身を硬くして娘の帰還を願っていた。

 ガラガラと音がして、玄関の引き戸が開いた。娘が帰ってきたと思い、雪美は駆け出した。しかしそこにいたのは将志一人だった。

「だめだ……どこにもいない」

 首を横に振る将志の言葉を拒むように、雪美は耳をふさいだ。憔悴し、冷静になることができない様子で、今度は将志の両腕を掴む。

「本当に、ちゃんと捜してくれたの」

「もちろんだ」

「あぁ……」

 まるで力尽きたように、雪美はその場に崩れて座りこんだ。その体を将志が支えようとする。

「夜が明けたら、また捜しに出るから」

「それじゃ遅いわ」

 雪美の声はかすれていた。

「あの子は、引かれたのよ」

「ひかれた?」

「聞いてしまったのよ。聞くはずのない声を」

 その台詞で、将志ははっきりと息を呑んだ。顔からも血の気が引いていく。それは、頭が雪美の言ったことを理解するよりも先に、条件反射で反応が出たような変化だった。それを知ってか知らずか、雪美が決定的な一言を漏らす。

「あの子は、聞く者なのよ」

 無意識のうちに、将志は雪美を離し、再び玄関から飛び出していった。残された雪美は力なく床に伏して泣いた。

「灯ーーー!」

 浜の砂を蹴散らして走り、将志は力の限りに娘の名を叫ぶ。夜の海はしんと静まり返って、響いているのは寄せては返す波音のみ。

「灯ーーー!」

 どれだけ叫んでも、返る声はない。波の音が将志の声をも呑みこんでしまうようだった。

「はぁ……はぁ……灯……」

 息が切れ、足を止める。膝に手を付いて荒く息をつく。

「あか、り……畜生!」

 足元がもうかすんで見えなかった。膝を付いたらもう二度と立ち上がれないような気がした。

 以降、灯が人前に姿を現すことはなかった。

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