忘れもーん
倉田美世は窓際の席でひとりハンバーガーをほおばっていた。同じ高校の生徒がハンバーガーショップの前を通り下校していく。曇り空に夕暮れの太陽が隠れ、正面の窓ガラスに自分の顔がうつる。涙でマスカラが溶け出しひどい顔だ。窓ガラスに人影がうつった。
「おー倉田じゃん。玲次はいないのか?」
「しらねぇよあんな奴」
野太い声は同じクラスの沢山廉だ。
「隣いいか?」
「別に。こっちに座れば」
普段は全く相手にしないバカ不良男だが、玲次に約束を反故にされ、今は誰か隣にいて欲しかった。
「何だこれ? 忘れ物か?」
廉は美世の隣に座りいぶかしげに声をあげた。手に取った封筒は見覚えのあるものだった。
「さっきのおやじのだよ」
美世はとがった顎で窓の外に遠ざかる背広の男をさした。
「あんた届けなよ。足速いんでしょ?」
美世にたきつけられ廉は両拳をにぎり駆け足のポーズをとった。
「俺じゃギリ無理かも。倉田こそ中学ん時陸上部だったじゃん?」
「あー無理無理。走るのマジ疲れるし」
「大事な書類かもな。札束でも入ってたりして」
廉はうすら笑いを浮べながら封筒をあけた。中には画用紙が入っていた。人物らしき絵が描かれ、その下にミミズの這うような字がのたうっている。
「何だここれ? 汚ねーな。パ、パ、た、ん、じょ……」
発生練習のような廉の発音にいらだち、美世は画用紙を奪いとった。
「パパ、たんじょうびおめでとう。りく……だ!」
美世が立ち上がった勢いでイスが後ろに倒れた。
「これ大事じゃん!」
「おい」と困惑する廉を置き去りにして、美世は店を飛び出した。
雲が割れ、傾く夕日が大通りを浮かび上がらせた。四斜線ある横断歩道を渡りきり、背広の男は地下鉄の入り口にむかっているようだ。青信号が点滅しだし、蜘蛛の子をちらすように人が対岸へと急ぐ。美世は画用紙を丸めて右手に持ち、心の中でスタートの号砲をならせた。
地面を蹴る足に力がみなぎり、自分でも驚くくらいのスムーズに身体が前に進む。
あっという間に横断歩道をわたり、地下道におりかけていた背広の男に思い切り叫んだ
「りくのパパー、忘れもーん!」
男が怪訝な表情で振り返った。
美世は満面の笑みを浮べ、丸めた画用紙を掲げた。
――私こんなに早く走れたんだ。忘れてた。