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白峯  作者: 天神大河
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一ノ幕

 昔むかし、都では平家一門が隆盛(りゅうせい)を極めていた頃。


 都から西に離れた讃岐国(さぬきのくに)に、時継(ときつぐ)という男子(おのこ)がいた。彼は村一番の名主の跡取りではあったが、幼い頃より活発で好奇心が強く、十歳になった今も村の子どもたちと遊んでいることが多かった。


 そんなある日、時継がいつものように村の子らと遊んでいると、その中の一人、百姓の家の息子である国松(くにまつ)がこう言った。


「知ってるか? ここ最近、西の山に『もののけ』が出るんだと」


 国松は、西の山を指差しながら声高に言う。すると、彼と同じく百姓の男子である経桐(つねきり)が、国松の言葉を補うかのように、話に便乗した。


「ああ、それなら知ってるぜ。おっ(かあ)から聞いたんだが、そいつは何でも、都からやって来た帝の亡霊らしいぞ」


 そんな二人のやり取りを聞きながら、時継は話の種である西の山へと目を向ける。山の後ろに隠れつつある橙赤色(とうせきしょく)の日差しに目を伏せながらも、心の内でまだ見ぬもののけへの強い興味が沸き上がってくるのを感じ取っていた。


「なあ、明日行ってみないか、山へ。本当にもののけがいるかどうか、おれたちで確かめるんだ」


 気づけば、時継の口から己の思いが無意識に溢れ出る。やがて、彼自身も自ら口にした言葉の意味を悟り、今の自分の気持ちがそれほどまでに抑えられないものであることを自覚する。


「面白そうだな、それ」


 国松が目を輝かせながら、時継の方へ向き直る。経桐もまた、彼に同調するように大きく(うなず)いた。二人の反応を目にして、時継は上機嫌な口調で告げる。


「そうだろ。よし、だったら早速明日の昼にでもここに――」

「やめといた方がいいよ」


 弱々しい声音で、菖蒲(あやめ)が口にする。時継たちは、目鼻立ちが整った百姓の少女へと一斉に顔を向けた。


「だって、もののけだよ。もし怖い目に遭ったら、わたしたちどうなるか……」

「大丈夫だろ」


 国松が自信ありげな口調でそう言って、続ける。


「帝だかもののけだか知らないけど、結局は幽霊だろ? だったら、さっさと逃げればいいさ」


 こんな風にな。そう言うや否や、国松は右足と左足を交互に動かし、走る素振りを見せながら歯を出して笑顔を作る。だが、菖蒲は納得した表情を浮かべてはいなかった。


「でも、あそこは」

「心配しすぎだよ、菖蒲は。もし幽霊に会っても、お経を唱えれば良いって、和尚(わじょう)さまも言ってたろ。『オンマカキャロニキャソワカ』ってな」


 経桐が早口で菖蒲の言葉を(さえぎ)る。両手を合わせ、読経の真似をしてみせる経桐の姿を見て、時継は以前近くの寺の境内で遊んでいたときに、経桐がその寺の和尚と親しくしていたことを思い出した。和尚は昨年病で亡くなってしまったが、子供思いだった彼の教えはしかと伝わっているのだということを実感する。


「分かった」


 菖蒲は、観念したのか諦めたのか、どちらともつかない様子で小さく了承の言葉を()らす。彼女の言葉を耳にした三人の少年たちは、それぞれの顔を見合わせると、ほぼ同時に満面の笑みを浮かべた。


「よし、決まりだな」


 こうして、時継たち四人は、明日の昼に西の山の(ふもと)で待ち合わせる約束を交わした。




*****




 気がつけば、時継は夜道を歩いていた。彼がきょろきょろと辺りを見回しても、そこには際限(さいげん)ない暗闇が広がっているだけだ。


 ここはどこだろう。時継がそう思っていると、ふいに潮の香りがした。それは、彼が住む村へ吹きつける潮風と同じ匂いだった。自分は今、海の近くを歩いているのか。そう考えると、時継は少しだけ心が落ち着いた。


 そこに、一陣の風が吹く。冷たい夏の夜風に身を震わせていると、眼前に大きな岩が現れた。時継は、時間とともに慣れてきた夜目を駆使(くし)して、所どころに(こけ)が付着したそれを見上げる。それは、少年の背丈より幾分も大きかった。


 やがて、その岩の上に一人の男が座っているのが見て取れた。男の頭は髪の毛が一本もない丸坊主であり、身体には山吹色の法衣を(まと)い、さらに胸の前に合わせた両手の中には、大小さまざまな大きさの黒い玉から成る数珠(じゅず)が握られていた。おそらく出家した男であろうことは、時継も簡単に想像がつく。


「あ、あの」


 時継は男に声をかける。ここはどこですか。あなたは誰ですか。時継が頭の内で、次の二言目を選んでいると、男は少年の方へと顔を向け、どうにか聞き取れる大きさの声で呟く。



瀬をはやみ 岩にせかるゝ 瀧川の 割れてもすゑに あはむとぞおもふ



 時継は、男の言った内容が理解できず、首を(かし)げた。男はそのまま、眼下の少年を気にせずに続ける。


「ああ、都でこうして歌を詠むことのできたあの日々が懐かしい……父上よ、何故(ちん)を終生疎まれなさったのか。雅仁(まさひと)よ、何故朕のささやかな望みを奪い去るか……ああ、天よ! 何故、朕を、ここまで苦しめ(たも)うか!」


 男は早口で(まく)し立てるかのように叫ぶと、やがて彼の口から苦しげな嗚咽(おえつ)が洩れた。男の目から流れた涙が、(ほほ)(はな)れ、彼の姿を見上げていた少年の額へと落ちる。

 時継が、その(しずく)を右手の指で(すく)いとる。夜闇の中、何とはなしに右手を自身の顔の前に持っていくと、つうんと鉄錆(てつさび)のような臭いがした。鼻の奥に届いたそれは、時継の脳にその正体を鮮明に伝えてくる。


 血の臭いだ。

 だとすれば、男の目から流れ出ているそれは、血の涙にほかならない。


 そのことに気付いた時継が、はっとしたように岩の上を見る。すると、小さく泣き声を洩らす男の頭から、黒い髪がみるみる伸びていき、数珠を持つ手が深い(しわ)を刻んでいった。


「許せぬ」


 男から発せられた言葉は、人間のものとは思えぬほどに低く、まるで(けもの)(うな)り声のようだった。


「今こそ、日本国の大魔縁(だいまえん)となりて、(たみ)(すめらぎ)たらしめ、皇を民たらしめん!」


 そう言って、男はけたけたと高笑いをする。不気味な声色をしたそれは、時継の耳から脳にまで伝わり、強く張り付いて離れなかった。


 いやだ。怖い。ここから逃げたい。そう思っても、時継は両足が動かせないでいた。いや、動かなかった。男への恐怖から、彼の足はいつの間にかすくんでしまい、そのまま地面にしゃがみこんでいた。


「ウオオォ――――――――ッ」


 男は甲高い声を出しながら、岩を軽々と飛び降り、時継の前へと近づいていく。無造作に伸ばされた長い髪の隙間から見えた男の顔は、肌全体が赤みを帯び、鋭く尖った目は鈍い光を放ち、あたかも天狗そのもののようだった。


「うわああああああああああああああ」



 時継はかっと両目を見開き、布団から勢いよく半身を起こした。彼の全身からは大量の汗が噴き出し、来ていた衣をしとどに濡らしていた。


 夢、だったのか。時継は、息を荒げながら安堵(あんど)する。いやに現実味を帯びた悪夢であったが、しょせんは夢だ。現実ではない。そのことが、少年の心から不安を取り除き、替わって穏やかな眠気がゆっくりと全身を支配していった。


 外から漏れてくる闇の間から青白い光が漏れ、冷たい空気が少年の頬を撫でる。もうすぐ陽が昇る合図を肌で感じ取りながら、時継は再び眠りについた。

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