花屋の出会い、その1
それから、三人で服屋巡りを再開した。いろんな服屋に入ってみては、あれやこれやと俺に服を持ってきて、試着させる。店員も交えてコーディネートを模索し、気に入ったものは母さんが財力にものをいわせて購入した。女の子に限らず、オシャレな服は値が張る。俺は家の財政事情なんてあまり知らないんだけど、そんなに奮発して大丈夫なんだろうか。
俺はと言えばだんだん慣れてきて、コスプレみたいな服以外は試着も承諾した。ある程度は自分の意見も言って、好みのコーディネートを通したりもした。女の子だという自覚はまだまだだけど、女の子の服を着るのに抵抗はなくなってきた。
そうやって服を持てないくらい購入して、一旦駐車場の車の中に荷物を置きに行き、またペイスの入口に戻ってきた。気づけばもう夕方で、日が落ち始めている。帰路につく人たちはまだまばらで、逆にペイスへ入っていく人たちも同じくらいいる。夕飯もレストランやフードコートで済ませられるから、夜までショッピングを楽しむ人たちもいるんだろう。
「それで、この後はまだ何かあるの?」
「そうねぇ、夕飯の買い物くらいかしら」
ペイスの一階には食料品売り場がある。ショッピングモールの中に大きなスーパーの店舗があるのだ。
「さすがに夜までここにはいれないから、食材を買って家で作りましょう」
「じゃあわたしが買い物します。いつもお料理してますから」
と、茜ちゃんが名乗りを挙げる。北見家には母親がおらず、父であるおじさんも仕事が忙しくてほとんど家に帰ってこない。茜ちゃんは一人で北見宅の家事をこなす、立派な女の子だ。料理はもちろん、掃除・洗濯・裁縫・家計管理までできるらしい。海外とは言え両親がいる俺は、料理と洗濯が並にできる程度だ。
「ううん、たまにはあたしが作るわ。二人とも今日は疲れたでしょう? この後も部屋の模様替えがあるし、今のうちに休憩しておきなさい。何なら、好きなお店を見て回っててもいいわよ。買い物が終わったら連絡するから」
母さんはそう言って、茜ちゃんの返事も聞かずに「じゃーね」とエスカレーターを下りて行った。残された俺たちはお互いに顔を見合わせて、どうするか考え始めた。
ペイスにはカートもエレベーターもあるし、母さんの買い物は一人でも問題ないだろう。それまで俺たちはどうしようか、ひとまず休憩用のベンチに座った。ずっと歩きっぱなしで座ってなかったから、足が痛くなってきていた。
「茜ちゃんは疲れてない?」
「大丈夫。お兄ちゃんこそ疲れてない? 今日は大変だったと思うけど」
「まあな。さすがにちょっと疲れた。でも、ペイスには滅多に来れないからさ、少し見てみたいところがあるんだ」
「いいよ。ちょっと休憩したら一緒に行こう」
「茜ちゃんは見たいところない?」
「わたしはもう、お洋服屋さんいっぱい入れたから満足だよ」
俺はそれを聞いて苦笑いした。確かに回っている間、二人とも四六時中笑顔だったもんなあ。女の子は自分のオシャレだけじゃなくて、他の人のオシャレでも楽しめるらしい。その感覚は、俺にはよくわからないけど。
しばらくベンチで休んで、談笑する。今日の服はどれがよかったとか、他にはどんな服なら着れそうだろうとか。俺の格好はデパートからずっと可愛らしいもので、フリルたくさんのピンク色スカートに兎耳パーカーだ。長い髪も相まって幼く見えるのか、さっきから他の人の視線を感じる。やっぱり俺には可愛すぎる服なんじゃないだろうか。視線から逃れたくてさりげなくベンチを立つと、茜ちゃんも首を傾げながら俺について来た。
「ごめん。そろそろ行かないと、時間がもったいないかなって」
「あ、そうだね。ところで、お兄ちゃんの見たいところってどこ?」
「うん、一階にあるんだ。さっき服屋を回ってたときに、上から見えたんだけどね」
茜ちゃんの手を引いて下りのエスカレーターに乗り込む。見られている視線は気になったけど、あまり神経質になることもない。忘れることにして、茜ちゃんに俺の目的地を指差した。
「ほら。あれ」
「――あ、お花屋さん!」
一階は食品売り場だけではない。あくまでそれも店舗の一つで、他にもドラッグストアやペットショップ、カフェ、ドーナツ屋さんもある。俺が指差したのはそのどれでもない、植物が陳列しているお店だった。
「お兄ちゃんのことだから、てっきり本屋さんに行くって思ってた」
「ここを見つけられなかったらそうしてたかな。でも本屋さんに行くのも、図鑑とかで花を見るためだし」
「お兄ちゃん、本当にお花が好きだよね」
茜ちゃんに言われて、俺は恥ずかしくなり頬を掻く。男のくせに乙女趣味かと思われるかもしれないが、好きなものはしょうがない。
幼いころから一人遊びが多かったけど、家にいるよりは外に出て遊んでいた。子供なら一度は興味を持つ自然に、俺も興味津々だったのだ。ただ、着眼点がちょっとだけズレていたかもしれない。子供はじっとしない動き回るもの、例えば蝶々や魚、犬、猫といった動物を好きになるのだけれど、俺は物心のつくころから花や草木にしか興味がなかった。
何がそんなに魅力があったのか、幼い俺はじっと動くことのない草花に惹かれたのだ。でも、知れば知るほど、好きなものは揺らがなくなった。どんぐりを拾って集めたり、四葉のシロツメクサを見つけて大喜びしたり、色んな花の匂いを嗅いで違いを調べたり――。将来はもっと花のことを研究する、植物の博士になりたかった。
俺の命は一度、あの交通事故で終わってしまった。生き返らせてもらえなければ、夢もそのまま消えていたんだ。俺はまた夢を追うことができる。そう思うと例え女の子でも、小坂楓ではなくても、生き返ったことは絶対に悪くなかった。
「お兄ちゃん、新しいお部屋に飾ろうよ。どれがいい?」
茜ちゃんが少しはしゃぐ。そうだな、この機会に一つ鉢を増やしてもいいかもしれない。
俺は店の前に並べられている花をじっくりと見る。ネームプレートに名前は書いてあるけど、商売上は適当だったりするからだ。でも、似た種類の花でも、微妙な水加減や温度管理があったりして、育てる時は注意が要る。どうやらこの花屋、分類は結構厳密にしているみたいだ。かなり知識があるんだろうな。
「そんなに珍しいかい?」
突然声をかけられて、思わず顔を上げた。
「ああ、ごめん、驚かせたかな? とても熱心に見てくれるから、ちょっと嬉しくなってね」
笑いながら謝ってきたのは、青いエプロンをかけた若い男の人だった。清潔感のある短髪に、タレ気味の目尻が柔らかい雰囲気のお兄さんだ。
「このカタクリ、あなたが育てたんですか?」
「そうだよ。ネームプレートをつけてないのに、よく名前を知ってるね。花が好きなのかい?」
「はい。小さい頃から、大好きなんです」
俺は再び花に目を戻した。六枚の花弁が大きく上に反っていて、シクラメンのような咲き方だ。でも花弁が細くて、シクラメンのような派手さはない。色は鮮やかな紫色。俯くように咲くその姿は儚くて、実際に早春にしか成長・開花をしないこの種は、春の妖精と呼ばれている。
「この花の世話って、大変だったでしょう?」
「まあね。この球根は二年前から店で育てているけど、今年初めて花をつけてくれたんだ。だから売り物じゃないのに、嬉しくてここに置いちゃったんだよ」
「そうだったんですか! おめでとうございます!」
「あはは、ありがとう」
カタクリの花を育てるのはなかなか難しい。寒さに強いけど暑さに弱く、直射日光は天敵だ。だからと言って冬は放置できるわけじゃなく、土が凍ってしまうのもまた枯れる原因になる。水はけがよく栄養価の高い土で、春の間しか成長しない、引きこもりみたいな花だ。
世話が難しい花を一生懸命育てて、それがやっと咲いたのを夢中になって見てくれる人がいたから、嬉しくなって声をかけたくなったんだろう。俺もよく花を植えて世話をしていたから、その気持ちはすごくわかる。
「本当に嬉しいなあ。今時は女の子でも滅多に見てくれないのに、この子に目をつけて褒めてくれるなんて。いやあ、育ててきた甲斐があったよ」
お兄さんはそう言って、本当に嬉しそうに笑う。気持ちを共有できるからか、俺も自然と笑顔になった。
「よかったら中も見て行って。花の他にも、色んな植物を育ててるから」
「あ、でも俺たち、あまりお金は……」
「気にしなくていいよ。見るだけならタダだから」
そう言ってお兄さんは店の中に戻っていく。俺も茜ちゃんに声をかけて、一緒に中へ入った。
店の中には花よりも常緑の観賞植物のほうが多くあって、森に来たかのような錯覚がした。濃い土の臭いと綺麗な自然の緑色が、俺にはとても落ち着く空間だ。もちろん園芸用の土や道具なども揃えてあるけど、何よりも目を引いたのはレジの前のブーケだった。
「わあ、すごい!」
それを見た瞬間、俺は心の底から称賛した。白いその花は華美でもなければ大きくもない。でもこれほどたくさんのニリンソウを集めたブーケは、見たことも聞いたこともなかった。
ニリンソウは地域によっては絶滅危惧種類として保護されている希少な花だ。カタクリとは遠い種ではあるけど、同じ春の妖精の名を冠する。一本の茎に二輪の花が咲くことからこの名が付き、群生して見られる。
うんちくはこれくらいで置いておいて、とにかくニリンソウのブーケは珍しくて、とても綺麗に見えた。派手すぎない白くて可愛い花には、春の妖精に相応しい儚さがある。ブーケとして集まっているのだが、可憐さは一層引き立っているように感じた。
「これもあなたが?」
「そうだよ。本当は商品を買ってくれた人に、一つずつサービスで渡すものなんだ。まあ、あまり買う人がいないから、こんなに余っちゃってるんだけどね」
よく見ると、ブーケの中で一輪……いや二輪ずつに分けてある。これを一人ひとりに渡すつもりだったんだろう。
「萎れてしまうのはもったいし、普通に配ってしまってもいいんだけど、他の仕事もしなくちゃいけないからね。レジのついでにしか渡せないんだ」
「確かに、このままじゃお花が可哀想……」
茜ちゃんが呟く。花は摘んでしまったら萎れていくが、誰の手にも渡らないで処分されてしまうのは惜しい。ブーケなのに可憐、儚いと感じたのは、そのせいなのかもしれない。
「だったら、俺たちが配っていいですか?」
「えっ? 君たちが?」
「はい。だってお兄さん、このままこの花たちを駄目にしたくないんでしょう? 誰かの手に渡って、綺麗だなとか、可愛いなとか、何かを感じてほしいんでしょう?」
俺の提案に、お兄さんはぽかんと口を開けて俺を見つめていた。ちょっとでしゃばったかもしれないけど、この花をどうしてもみんなに見てほしかった。ううん、本当なら花や草木のことを大切に思って一生懸命育てているお兄さんのこのお店を、たくさんの人に知ってほしかった。
「茜ちゃんも一緒に配ってくれるよね?」
「うん! わたしもお花を配って、みんなに喜んでもらいたい!」
「俺もこのブーケ、この花がとっても綺麗だと思います。このままお店の中で終わるのはもったいないです。だから、俺たちに配らせてください」
お願いするように頭を下げると、お兄さんがふっと優しく笑った声がした。
「ありがとう。こちらこそ、君たちにお願いするよ。どうかこの花をみんなに配ってほしい」
そう言って、顔を上げた俺にニリンソウのブーケを渡してくれた。