優希さんの蕾
ちょうどお昼頃になって、茜ちゃんと茉希ちゃんがお店に来た。
「お姉ちゃん、お疲れさま」
「頑張ってるわね」
「そりゃあな。ところで、二人とも遅かったね? どこか寄ってたのか?」
「ごめんごめん、これ作ってたら遅くなっちゃって」
そう言って茜ちゃんが差し出したのは、いつものお弁当箱の包みだった。そういえば今日は何もお昼のことを考えてなかった。そして思い出したとたん、お腹が減っていることに気づく。
「それじゃ、アタシたちはこれで帰るわね」
「えっ、もう? せっかく来たのに?」
「あんた、今朝までは来るの嫌がってたくせに」
「それは、二人が物陰から俺を監視するみたいに言ってたから……」
「ごめんね、ちょっとこの後、用事ができたの」
申し訳なさそうに茜ちゃんが謝る。別に頭を下げなくってもいいんだけど。
「じゃあ楓、また学校でね」
茉希ちゃんがそう言い残し、茜ちゃんの手を引いてお店から出ていく。なんだか釈然としなかったけど、二人の予定を気にしたところでしょうがないか。
「楓ちゃん、ちょうどいいし休憩に行ってらっしゃい。もうすぐ優希ちゃんも来るはずだから」
「あ、はい。ありがとうございます」
お昼休憩をもらった俺は、倉庫へ引っ込んで椅子に座って一息ついた。さっきは星くんにも再会することができて、しばらくは調子もよかったんだけど、やはり寝不足が祟ったのかかなり身体がだるい。空腹にもかかわらず眠気が押し寄せてきて、このままだと瞼が重力に負けてしまいそうだ。
「そうだ、お昼ごはん……」
何か口の中に入れれば起きていられるだろうと思って、茜ちゃんにもらったお弁当の包みを解く。蓋を開けるのとほぼ同時に、倉庫のドアがノックされた。
「どうぞ」
「おはよー、楓ちゃん」
「おはようございます、優希さん」
入って来たのは優希さん。彼女は今日もいつも通り、お昼からのシフトだった。
「お昼は今から?」
「あ、はい。優希さんもですか?」
「うんうん、一緒に食べよっか」
リュックサックを下ろして中からお弁当箱を取り出すと、優希さんは俺の斜め向かいに座ってそれを広げ始めた。静かな空間に一人じゃなくなったことで、俺の眠気も少し飛んでくれた。
「楓ちゃんのそれは自分で作ってるの?」
「え? あ、これは茜ちゃん……妹が」
「そうなんだ? 姉想いのいい子なんだねー。私は一人っ子だから、そういうの羨ましいなぁ」
俺も本当は一人っ子だけど、茜ちゃんのおかげで時々それを忘れてしまう。優希さんの気持ちもわかるので、うんうんと頷いた。
「優希さんのは自分で作ってるんですか?」
「ああ、これ? 母親が作ってくれるの」
「毎日ですか?」
「学校とバイトある日はそうだね」
茜ちゃんのお弁当も決して悪くないが、十分に優希さんのお弁当も羨ましいと思った。
「これでも、高校の時は自分で作ろうともしたんだけどさ。下手じゃないんだけど、あまりに台所を散らかすから、母親にやめろって怒られちゃって」
「あらら……」
「そういうわけで、私は料理できないんじゃないんだよ。させてもらえないだけ」
言い訳のように言って、優希さんはソーセージを口の中に放り込んだ。
「で、楓ちゃんはどうなの?」
「どうって、料理ですか? 俺は最近始めたばっかりで……それに妹のほうが上手だから、たまにしかしないです」
「ふーん……なんかイメージ的にすごく料理上手そう」
「そんなことないですよ、普通です」
「一番最後に作った料理は?」
「えっと……ハンバーグ、ですね」
コーエイのリクエストに応えて夕飯に作ったのが最後だ。それ以外は、家で茜ちゃんと一緒に作るので、俺一人で作ったのはそれが最後だと思う。
「楓ちゃんって結構モテる?」
「え、えっ、どうしてですか?」
突然質問が予想しない方向に変わって、俺は箸で掴んでいた玉子焼きを落としかける。落とすと行儀が悪いので、いったんお弁当箱に戻した。
「だって、背が小さくて可愛くて家庭料理作れて花が好きって、どう考えても男受けいいじゃない」
「俺なんかそんな、えっと、優希さんだって……」
「ん? 私?」
「はい。その……俺より背が高くて綺麗ですし、大人っぽくて羨ましいです」
この身体になってからは結構子供扱いされることがあるし、背が低いせいでいろいろと不便なこともある。今の俺にとっては、平均的な身長のある優希さんが羨ましい。
「……まあ、隣の芝は青く見えるってやつかな」
「優希さんも?」
「そりゃね。楓ちゃんに身長分けて小さくなれるならそうしたいわ。綺麗とか大人っぽいって言われるのも悪くないけど、可愛いって親しみ持たれたほうが嬉しいのよね」
「親しみは湧きますよ? 優希さんフレンドリーで明るいし、話しやすいです」
素直にそう言うと、優希さんは一瞬ぽかんとした後、満面の笑みを湛えて俺の首に抱きついた。
「わわっ、なんですか?」
「いや、楓ちゃんってほんといい子だなーって」
「は、はあ……」
長机越しに抱きつかれているので、下手に動くこともできずにされるがまま。
「素直でいい子だから、天も二物を与えたのかもねぇ。私ももう少し早くからまじめに生きればよかったか」
「そんな、ちょっと前まで不良だったみたいな言い方……」
「まあ、不良とまではいかなかったけど、そこそこ不真面目なやつだったよ」
そう言ってようやく俺を解放してくれた優希さんは、自分の椅子に座って再びお弁当をつつき始めた。
「前、私と誠悟が高校の時の話、してなかったかな?」
「えっと、少しだけ……」
「あー、確か私が誠悟のこと嫌いだったーって、あの下りまでかな。うん、それが高校一年生の時」
懐かしそうに目を細めながら、頬杖をついて続きを話し始める。
「二年生になったら先輩も卒業して、園芸部は私と誠悟だけ。その頃には誠悟も私を戦力として数えなくなって、緑化委員もあてにしなくなってて。私はようやく幽霊部員になれたって心底喜んで、友達とそれなりに充実したスクールライフを送っていたわけよ。時々、一人で活動してる誠悟を見かけて、哀れだなって思いながら。……うん、今考えてもなかなかに性格悪かったね、あの時の私」
優希さんは自嘲した。俺はその前で、思うように言葉が浮かばずに優希さんの話を待つ。
「ごめんごめん。それで、夏頃だったかな。ちょうど今ぐらいの時期にね、誠悟が突然学校に来なくなっちゃったんだ」
「えっ」
予期していなかった展開に俺は思わず声を上げる。優希さんはその反応を見て少し笑って、
「一日に一回はどこかの花壇にいるのを見かけてたんだけど、それを見かけなくなったから、なんとなく気づいたんだけどね。さて、どうなったでしょうか」
「どうなったって……全然、わかりません」
「あっは、だよね。まあ、三日くらいで戻って来たんだけど。どうも夏風邪を拗らせてたみたいで、マスクしてふらつきながら登校してきたの。活動を一人でやってたから、疲れが溜まってたんじゃないかな」
園芸は花の水やりだけで済む時もあれば、草むしりや土を運ぶ時のように体力仕事も定期的にある。学校全体の花壇を一人で管理していたとなれば、そりゃ疲れて……
「あっ」
「気づいた? そう、誠悟がいない間、誰も花壇の世話をする人がいなくって。夏間近の日差しと気温でどの苗も萎れちゃってたの。誠悟はそれがダメにならないように、無理して学校に来てたのね」
花壇を管理していたのは菊池さんだけだったから。彼が世話をしなければ、夏の前の花壇の土なんてすぐに干からびて、苗がダメになってしまう。
「それまではね、学校に言われてることを何でこんなに真面目にやってるんだろうって思ってた。でもその時になって、誠悟は責任感が強いとかじゃなくて、本当に花のことが好きなんだって、そう気づいた。けど、いくら好きでもこのまま無理をし続けると倒れそうだったから、代わりに私が花壇の世話を買って出たの」
「優希さんが?」
「まあ、今まで放っておいたのも悪かったって思ったし、何より痛々しくて見てらんなかったから。せめて風邪が治るまでの間で、水やりくらいならやってあげるわよって」
菊池さんのことを案じて世話を買って出たことには驚かなかった。ずっと話を聞いていて、優希さんはすごく面倒臭がりだってことがわかったけれど、それよりも芯はすごく優しい人なんだろうって思っていたから。そうじゃなかったら、菊池さんが一人で花壇の世話をしていることを覚えているはずがない。見かけたところで気にしないはずだし、一人で世話をしていることにも、体調を崩して休んでいたことにも気づかないはずだ。
「最初はすっごく怪しまれたよ。それから私が世話をするようになったけど、誠悟は結局休まずに学校に来てたし、ちょっと凹みかけた。そんだけ信用されてないんだって。まあ当然なんだけどね、今まで仕事をほったらかしにしてたんだから。見てるだけじゃなくて実際にやってみたら、想像以上に大変だった。でも、誠悟に疑われたのが癪でさ、結局一回もサボらずにやり遂げて、誠悟は晴れて全快」
「頑張ったんですね」
「まあねえ。最初はこれまでサボったツケなんだって思ってたから、ひたすらしんどかった。でも、誠悟が元気になった頃には、小さかった苗も成長して、蕾がつくまでになってたんだ。それを指差しながら誠悟が、頑張ってくれたおかげだって礼を言うもんだからさ。頑張ったのが無駄になるどころか、すっごく気分がよくなって、花が咲くまで頑張ろうって思うようになった」
かぽ、と音がしたので優希さんの手元を見ると、お弁当箱の蓋を閉めたところだった。
「それがきっかけかな。卒業まで誠悟と花壇の世話して、いくつも花を咲かせて、それを見て一緒に喜んで。種類とか知識はあんまりだけど、一生懸命何かをやり遂げることは、いいことなんだなって。誠悟のおかげでそう思えるようになった」
「いい話ですね」
「あっは、それはどうも。私の黒歴史だから、話すのちょっと恥ずかしいんだけどね。だから、誠悟には絶対に言わないでよ?」
そう言うのと同時、ドアが三回、外からノックされた。反射的に優希さんが「どうぞ」と答える。
「やあ」
「げっ、誠悟?」
柊さんだと思っていたけど、入って来たのは菊池さんだった。今日は休みのはずだけど、どうしているんだろう?
「げっ、てなんだよ、遊びに来ちゃいけないのか? ていうか、さっき僕の名前が聞こえた気がしたんだけど、楓ちゃんに僕の悪口吹き込んでないだろうね?」
「おお、その手があったか!」
「心の声漏れてるぞ」
菊池さんが軽い手刀を優希さんの額に食らわすと、優希さんは笑いながら「なにすんのもう!」と言った。その様子に、思わず俺も噴き出してしまう。本当、この二人って仲がいいんだなあ。
「楓ちゃん、優希が何か変なこと言ってなかった?」
「はい、大丈夫ですよ。とっても素敵な話を聞かせてもらいましたから」
「……?」
「楓ちゃん、それ以上は言ったらダメだからね?」
「わかってますよ。ちゃんと秘密にしておきます」
首を傾げる菊池さんを面白く思いながら、俺も空になったお弁当箱を片す。菊池さんも来てくれて賑やかにはなったけど、休憩時間はそろそろ終わりだ。
「なんだか釈然としないなあ……」
うーん、と悩む菊池さんを見て、俺は優希さんと顔を合わせて笑った。
その一方で、俺よりもずっと前から菊池さんと一緒にいた優希さんのことが、ほんの少し羨ましく思えた。