女の子は口調から?
「ただいまー。さ、二人とも上がって」
「うん。お邪魔します」
「お邪魔しまーす」
茉希ちゃんに連れられて、俺と茜ちゃんは茉希ちゃんの家に入って行った。
「お父さんはもう帰ったのかな?」
「車がなかったからそうじゃないかなぁ。お母さーん」
茉希ちゃんがリビングに入ると、すぐに母親らしき女性が顔を出した。
「お帰り。何かあったの?」
「茜のお父さんはもう帰ったのかなって」
「ついさっきよ。今から仕事なんですって、大変ねぇ茜ちゃん」
「いつものことですから。それよりも夕飯頂いて、ありがとうございます」
「いいのよ、たまには家族での交流もいいものだわ。普段の茉希の様子も聞けたことだし」
ニコニコと朗らかに笑う女性は、どこにでもいるような主婦だった。でも、目元には少し茉希ちゃんの面影がある。
「それで、あなたが噂の楓ちゃん?」
「え? あ、はい。って、噂のって……」
「本当に茜ちゃんそっくりねえ。双子のお姉さんだったかしら?」
「まあ、そうです」
急に水を向けられたのも戸惑ったけど、テンションが上がった時の話し方とかはまた茉希ちゃんにそっくりだ。興味津々にいくつかの質問攻めにあって、俺は面食らってしまった。
「それよりお母さん、お腹すいてるから早くご飯」
「はいはい。用意してあげるから座ってなさい」
「あ、手伝いましょうか?」
「あら、いいのよ茜ちゃん。お客さんなんだから一緒に座っててね」
そう言うと、茉希ちゃん母はキッチンのほうに引っ込んだ。ようやく会話から解放された俺は、茉希ちゃんの誘導のままテーブルについた。
「茉希ちゃん、家でどんな話をしたんだ?」
「あははは。楓って何かしらトラブルを起こすっていうか、そういうので話題になりやすかったんだよね」
「それでか……参ったな」
「悪いようにはしないからさ。専業主婦の暇つぶしに付き合ってあげてよ」
「専業主婦は暇じゃなくって、よっ」
俺の目の前に、茉希ちゃんのお母さんがお皿を運ぶ。もう片方を茜ちゃんのほうに置いてから、俺たち二人にフォークを差し出してくれた。お皿に盛られていたのは家庭でも一般的なイタリアン、ミートソーススパゲティだった。
「こんなものしか作れないけど、よかったら好きなだけ食べてね。おかわりもあるから」
「ありがとうございます」
「チーズとパセリもお好みでどうぞ」
そう言いながら、茉希ちゃんは自分のお皿にパルメザンチーズをたっぷりとかけている。茜ちゃんは何もかけない派で、そのまま「いただきます」と言って食べ始めた。
「茉希ちゃん、次それ貸して?」
「はいよ」
俺は茉希ちゃんの次にチーズをかけた後、パセリも少し振りかけてからスパゲティを頂いた。
「美味しいです」
「あら、ありがとう」
キッチンのほうから茉希ちゃんのお母さんが、ご機嫌な調子で返事をする。どうやら洗い物をしているようだった。
「今頃は透くんたち、どうしてるかな?」
「あー、翔太は泊まっていくんだっけ? 雨は上がってたけど、滅多にない機会だからって。今頃対戦ゲームか何かで遊んでるんじゃない?」
「翔太の家ってそんなに遠いのか?」
「電車で四駅だったかしら? 歩く時間も入れたら登下校も大変そうよね」
「すごいな、そんなところから通ってるなんて」
翔太が電車でこっちまで来ているのは知っていたけど、そんなに時間がかかっていたとは。俺がペイスに行くときと同じくらいかかっているかも。換算したらだいたい一時間くらいだ。
「そういえばお姉ちゃん、明日は何時にアルバイトなの?」
「十時。だから八時半くらいにはここを出発するよ」
「十時って、一部のお店は開店前じゃなかったかしら?」
「正確には開店時間だよ。俺もそこから手伝わせてもらってる」
「ふうん、そうなんだ……」
茉希ちゃんは納得したように頷いて、フォークに巻いたスパゲティを頬張る。そこへ洗い物を終えたらしい茉希ちゃん母が戻ってきた。
「お話に水を差すようで悪いんだけどね」
「なによ、お母さん」
「茉希から聞いていたんだけど、実際に聞いたら違和感しかなくてね。楓ちゃん、俺って言うのはやめたほうがいいんじゃないかしら」
「むぐっ」
スパゲティを口に運んでいた俺は、面と向かって言われたことに少し動揺した。
「や、やっぱり変ですかね……」
「少なくとも女の子が自分を指して使う言葉ではないわねぇ。いつからそう言うようになったの?」
「さあ……気づいた時にはもう使ってましたから」
嘘は言っていないが、なんだか問い詰められるとヒヤヒヤする。こちらを何かしら見透かそうとする感じは、さすが茉希ちゃんのお母さんと言わざるを得ない。
「いっそのこと直したらどうなの、それ?」
「自分のことを『俺』って言うのを?」
「いい機会だと思うよ? お姉ちゃんもいつだったか、直したほうがいいかなってわたしに言ってたじゃない」
「そ、そうだけど……」
茜ちゃんまで加わって、なんだか責められてるみたいでいい気はしない。
「今更なあ……癖だし、何か不便があったこともないし……」
「今はそうでも、将来わからないわよ? 好きな人に女の子として見てもらえなくなるとか」
「うっ」
茉希ちゃん母にそう言われて、俺は言葉に詰まる。その反応を見た茜ちゃんと茉希ちゃんは、意味深に顔を合わせて頷き合った。これは嫌な予感しかしない。
「試しにさ、今から自分のこと『私』って言ってみなよ」
「えぇ、今から?」
「慣れるためには早いほうがいいでしょ? じゃないと、想い人に振り向いてもらえないぞ~」
「まっ、茉希ちゃんそれは……」
「あらあら、もう好きな人がいるのね? だったら尚更、頑張らなくちゃ。ついでに言葉遣いというか、イントネーション? それも少し柔らかくしたほうがいいわよ」
「お姉ちゃんほら、練習しなきゃ」
「うぅ……」
どうやら今の俺のスタンスに賛成してくれる人はいないようである。確かに茜ちゃんとそっくりの容姿で、ずっと「俺」って言い続けるのは無理があるよな……。前々から少しは考えていたことなんだけど、いざやろうとすると恥ずかしい。
「わ、わたし……」
こわごわ、といった感じで口にしてみる。みんながうんうんと頷いて、またじっと俺を見る。すごい注目されているというのが恥ずかしくて、だんだんと顔が熱くなってくるのがわかった。
「あのさ、あんまり見ないでくれ……」
耐えきれずに目線を落としながら言うと、茉希ちゃんがぷっと噴き出した。
「だめだわ、可愛すぎる……」
「笑うなっ!」
「で、でも悪くはなかったよ? すっごく女の子らしくなったし!」
「そうねぇ。不思議なくらいあざとさは感じなかったわ。天然物って恐ろしいわね」
なんだか三人の反応が微妙だったので、やっぱり一人称を変えるのはまだ早いんだろう。言葉遣いを変えたところで中身の質もついていくわけがない。もちろん、言葉遣いの慣れと練習は必要だろうけど、それよりもこの男っぽい中身から直していかなきゃ。
まあ、もともとが男だったんだから、難しいのはわかってるけど。
「どうしたら女らしくなれるかなあ?」
「まあ……言葉遣いと意識の問題だけだと思うわよ」
「それが一番難しいんだよ」
「お姉ちゃんは今の言葉遣いを直せれば、一気に女の子らしくなれるよ。だから頑張ろうね?」
「……善処します」
前向きな返事を返すだけにして、俺は残りのスパゲティを口に詰め込む。とりあえず食事が終わるまでは喋らなくていいように、というささやかな抵抗のつもりだ。
「茜、明日って空いてる?」
「わたし? 予定はないけど?」
「じゃあさ、楓について行っちゃおうよ」
「!? けほっ」
二人の会話を耳にして、思わず咽せた。
「お姉ちゃんのバイトの様子を見るってこと?」
「そそ。店内にいるのは邪魔かもしれないから、ちょっと離れてるところから」
「やめてくれよ、気が散るだろ」
「そういうふうな言葉遣いをしてないか、チェックしに行くのよ」
「仕事先ではちゃんと敬語使ってるよ。それに明日は菊池さん来ないし……」
「アタシ、菊池さんのことは一言も口にしてないけど?」
「…………」
やっちまった、自分で地雷を踏んだ。あまりの恥ずかしさに言葉も出ないし動けない。ただフォークを持った手が空になった皿の上で震えているのは自覚できた。
「アタシたちがついてくると何かまずいことでもあるの?」
「いや、そうじゃないけど……接客とか仕事してるところ、恥ずかしいからあんまり見られたくないっていうか……」
「菊池さんにはそういうところを見せてアピールしなきゃいけないのよ? アタシたちが見てるだけで緊張してどーすんの」
「そんなこと言われたって……」
「まあ、楓の許可がなくたって顔見知りだし、普通に行くけどね?」
「…………はぁ」
どうやら茉希ちゃんの計画は止められないらしい。漠然と不安しかないけど、明日はうまくやれるだろうか……。
ペイスに行くことを嬉々として話し始める茉希ちゃんと茜ちゃん。その隣で悩みに耽る俺を見ながら、茉希ちゃん母が「若いっていいわねぇ」って言っていたのがやけに耳に残った。