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メイプルロード  作者: いてれーたん
初夏の嵐
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先輩とのお喋り


 ペイスに着いて、開店準備を柊さんと終えた頃に、外ではパラパラと雨が降り始めた。


 考えてみればもうそろそろ梅雨だ。アジサイの花はまだだろうけれど、じめっとした空気に季節の移り変わりを感じる。店頭の花も、あと一週間ほどで一部の品揃えが変わるらしい。


 それでも日曜日だからか、ペイスの通りは相変わらず人混みですごいことになっていた。当然、「Radiant Flower」に寄ってくれるお客さんも多くて、接客やら棚整理やらで俺も奔走した。


 お昼になるとそれも落ち着いて、俺も柊さんもようやく一息ついた。


「楓ちゃん、今のうちにお昼食べておいで~。また忙しくなった時のために、体力つけて休んでちょうだい」

「はい、じゃあお先に休憩入りますね」

「どうぞどうぞ~」


 柊さんはまったく疲れを見せない笑顔で、倉庫に入っていく俺を見送った。俺より早く来て、当然休憩もまだ取っていないはずなのに、すごい。でもアルバイト二日目の俺は、へばらないように今のうちに休憩を取っておかないと。


 昨日と同じように長机の前にパイプ椅子を置いて座り、茜ちゃんが作ってくれたお弁当を広げる。コーエイのこともあって料理する回数は増えたけれど、まだまだ茜ちゃんの腕前には遠く及ばず……。


 忙しいと今朝の母さんのメールのことすら忘れていたのに、静かな環境で落ち着くとすぐにコーエイのことが頭に浮かんでくる。


 ふと気になって携帯電話を開いてみたけれど、新しく受信メールはなし。みんな、コーエイと上手くやれてるってことだと思う。家事が得意な茜ちゃんもいることだし、そっちは大丈夫だろう。


 ただ、コーエイ自身のことはまだ心配だ。慣れ親しんだ透や俺がいない状況で、昨日会ったばかりの人たちが三人も押しかけて大丈夫だろうか。晴香ちゃんと茅君が来てくれれば、まだコーエイも気が楽になるとは思うけれど、絶対に来るって保証はないし……。


 それに家の事情も、今朝知ったばかりだ。昨日の晴香ちゃんの提案のこともある。今のコーエイは、一体どんな気持ちでいるんだろう。


 やっぱりコーエイのことを考えると、気になってしょうがない。早く家に行きたいけれど、バイトが終わるまではまだ三時間ある。あんなに苦労してバイトの許可を得たのに、もう帰りたいなんて矛盾してる。


「はあ……」


 もやもやを吐き出したくて溜息をついた。それで考えるのをやめて、ひとまずお弁当に向き合う。早く食べないと、柊さんがいつまで経っても休憩できない。悩むだけならまだしも、それで時間を浪費することは避けたかった。


 白ご飯もおかずも残り半分のところで、倉庫のドアがノックされた。


「どうぞ」


 答えると、ドアが開く。入ってきたのは優希さんだった。


「おはよー、楓ちゃん」

「おはようございます、優希さん」


 そっか、お昼から来るって菊池さんが言ってくれてたっけ。これで柊さんも休憩できるかな。夕方からの忙しい時間帯も、昨日よりは楽になりそうだ。


 すぐ準備して柊さんのお手伝いに行ってくれると思っていたけれど、予想に反して優希さんは俺の向かいにパイプ椅子を立てて座った。鞄からお弁当箱を取り出し、長机の上に広げ始める。


「優希さんもお昼ですか?」

「うん、まあね。大学の用事が終わった後にすぐ来てるから、お昼はいつもこうしてるの」


 いただきます、と手を合わせてから、優希さんは俺の向かいでお弁当を食べ始める。俺も自分のおかずを食べていると、また倉庫の中は静寂の空気に包まれた。


「仕事はどう? 難しい?」


 沈黙を打ち破って、優希さんは世間話を持ち掛けてきた。


「覚えることはまだいっぱいありますね。でも楽しいので、頑張りたいです」

「おお、アルバイトの鏡みたいだわ。さすが誠悟が連れて来ただけのことはある」


 よくわからない言い方だけど、たぶん褒められたんだと思う。俺は愛想笑いを浮かべながらお弁当のおかずを口に運んだ。


「それで、どんなことが楽しい?」

「むぐ……そうですね、お客さんとお話したり、お礼を言われたりしたときはとても嬉しくなるので」

「接客が楽しいんだ?」

「はい」

「ほほう、これは誠悟も私もうかうかしてられないなー」


 その言葉の意味がわからずに首を傾げると、優希さんはびしっ!と俺を指差して言った。


「君はとんでもない逸材である!」

「は、はあ……」


 テンションの高さに目を白黒させながら頷く。にしても、今の会話からなんでその結論に至るんだろう?


「実はさ、私ってあんまり園芸とか花には詳しくないんだよね」

「えっ、そうなんですか?」

「ほんとほんと。高校の時に誠悟と園芸部に入ってたくらいでさ、知識も初心者に毛が生えたようなものだし」

「それでよくこのバイト続いてますね……」

「むっ、先輩を馬鹿にしたなー?」

「ちがっ、そういうつもりじゃ……!」

「あははは、冗談じょーだん。そんな必死に謝んなくてもいいよ。それに楓ちゃんのほうが詳しいのは事実なんだし」


 いつの間にか優希さんの会話のペースに引き込まれている。先輩って初めてだから不安だったけれど、優希さんは陽気で話しやすい人だと思った。


「楓ちゃんって大人しそうだから、てっきり人見知りだと思ったんだよね。でも接客楽しいって言うなら、大丈夫そうだと思って」

「優希さんも人見知りじゃないですよね?」

「私はまあ、人と話すのは好きだからね。初対面だからって怖がってたらもったいない。でも、ああ見えて誠悟が人見知りでさー」

「えっ、ほんとですか?」

「ありゃ、知らなかったの? 誠悟、接客って得意じゃないんだよ。仕事だから一応やるけど、自分からお客さんに話しかけることはほとんどないし。最初の頃はもっと酷くて、接客のことで柊さんに怒られてたりしたよー」

「そ、そうなんですか……」


 あの菊池さんが意外だ……。初めてここに来た時に菊池さんから声をかけられたから、もっと社交性の高い人だと思ってた。菊池さんが柊さんに怒られる図も想像できない。見たいとは思わないけど。


「柊さん、怒らせたら怖そうですね……」

「普段穏やかな人ほど怒らせると怖いからね。その点では誠悟も似てるけど。まあ、今のところ楓ちゃんには縁のない話かな」

「が、頑張ります」

「そんなに怯えなくても、あの二人は滅多なことじゃ怒らないから安心してよ」


 おかしそうに笑って、優希さんはお弁当のエビフライを口に入れる。優希さんが言うんだからそうなんだろうけど……もし怒らせたらと思うと想像できなくて怖い。


「優希さんは菊池さんが怒ったところ、見たことあるんですか?」

「覚えてるのは一回だけかな。高校の時に、大勢相手に怒鳴ったことあるよ」

「怒鳴った!?」


 普段温厚そうなあの菊池さんが声を荒げるなんて、一番想像できない。それも大勢の相手になんて……一体何があったんだろう……。


「花の世話のことで揉めたんだよ」

「世話……ですか?」

「私と誠悟が高校で部活一緒だったのは知ってる?」

「あ、はい。前に菊池さんから少し聞きました」


 菊池さんと優希さんが園芸部として活動していたのは知ってる。花の世話で揉めたってことは、当番制の何かが原因なのかも。でも、大勢相手っていうのがピンとこない。


「花の世話をするのは、園芸部と緑化委員の仕事だったんだ」


 そうだ、ちらっとそんなことを聞いていた気がする。それなら人もいるし、花壇の手入れくらい大した労働にならなさそうだけど。


「部活と違って、委員会は強制って感じがするじゃない? だからか、委員会のほうはサボる子が結構多くてね。花を何だと思ってるんだ!って、殴り込みならぬ怒鳴り込みに行っちゃったわけ」

「うわあ……」


 何だか、怒る理由には納得できた。菊池さんの花好きはそれこそ俺よりもすごいものだと思っていたけれど、まさかこれまでとは。


 そうじゃなくたって、決められた仕事をサボられたら誰でも怒るだろう。菊池さんにとっては、自分が好きな活動だったからなおさらだったんだ。


「まあ、委員会の子の気持ちもわからなくないけどね。私もその頃は真面目じゃなかったし、平気で部活サボってたもん」


 あれ、と俺は首を傾げた。菊池さんの話では、不本意な入部でも仕事はちゃんとしてたって聞いていたから。


「別に園芸とか花に興味があったわけじゃないんだ。たまたま見つけた部活が人数少なそうで、じゃあ活動もそんなにきつくなさそうだったから、入ってみただけ。部室でのんびり読書でもできればーって考えだったんだよね。そしたら時間つぶしどころか、しっかり活動させられてさ。人手が足りないから幽霊部員もできない状態。おまけに誠悟、こっちの教室に来て打ち合わせし始めるもんだから、逃げ場もない」

「は、はあ……」

「ふふ、楓ちゃんも何が悪いの?って感じだね。そりゃ、園芸部の活動はそれくらいが普通なんだろうけどさ。その時の私はサボりたい一心だったのに、部活動外のプライベートまで侵されてうんざりだったわけ」

「でも、辞めなかったんですよね?」

「私たちが通ってた学校、部活に入るのは強制だったからね。今さら他の部に入り直すのも変だったから。上手いことサボりつつフェードアウトしていって、幽霊部員になるのが当時の理想だったよ」


 優希さん、サバサバしてそうだけど不真面目だったんだ……。


「じゃあ菊池さんに怒られたりも?」

「しょっちゅうだよ。当番はよく一緒だったから、来なかったらすぐ教室まで来て怒ってたね。私は何かと理由つけて逃げてたけど。花壇の世話なんて水やりくらいなんだし、それなら絶対来る誠悟に任せちゃえば問題ないって思ってたから」


 水筒の水を飲むために一拍置いてから、優希さんは話を続ける。


「その頃の私って、間違いなく誠悟のこと嫌いだったんだよね」


 先に菊池さんから、高校時代の優希さんとのことを聞いているのもあって、意外に思えた。二人の認識がここまで違ったなんて。


「そもそも最初に入部した時なんかは、なんで園芸部なんかに男子がいるんだって思ったよ。偏見だけどさ、でも男で花が好きなんて滅多にいないじゃない? 好き好んで園芸なんて、私ですらうんざりするようなものなのに。誠悟は綺麗に咲いた花を見て、一人嬉しそうに笑ってんだよね。初めて見たときは何やってんだこいつって思ったよ……って、あれ? ごめんちょっと言い過ぎた?」

「い、いえ……何でもないです……」


 俺も男の時はそんな風に見られてたのかと思うと、けっこう胸にグサグサと来るものがあった。思わず暗い顔で俯いてしまったけれど、優希さんに気づかれたので平気を装う。


 優希さんの主張もわからなくはない。花を見て笑う男なんて、酷いナルシストか、女々しい奴だって思うだろう。


 それで俺の小学校の時の黒歴史が出てくるわけだが……今はそれ以上思い出すと、心的ダメージでこれからのアルバイトに支障を来しそうなのでやめておく。


「なんだか、菊池さんから聞いた話とちょっと違ってますね……」

「ん、そうなの?」

「菊池さんからは、優希さんはちゃんと手伝いしてくれたって聞いてました。今の二人を見ても、高校時代はそんなに仲が悪かったなんて想像できませんし」

「ふーん、そんなこと言ってたんだ……」


 優希さんは空になった弁当箱の蓋を閉めて、お箸をケースにしまった。


「今まで私が話してたのは、高校二年の夏までのことなんだよね。それ以降は、誠悟が言ってたことが合ってると思うよ」

「そうなんですか」

「いろいろあってね……その時に、誠悟のことをちょっとばかり見直したんだ。まあ、今度機会があったら話すよ。今日はもう時間がないからね」


 その言葉につられて時計を見ると、俺が休憩に入ってからとうに三十分以上経っていた。優希さんとのお喋りに集中し過ぎて、まだお弁当を食べきれていない。


「い、急がないとっ!」

「あはは、私が先に行くから、楓ちゃんはゆっくり来ていいよ。先輩に任せなさい」

「す、すみません」

「いいのいいの。またお喋りしようね」


 優希さんは弁当箱を鞄の中に片づけると、手早くエプロンをつけて倉庫を出て行った。


 一人残された俺は残りのおかずを食べながら、優希さんの話を思い起こす。今の菊池さんと優希さんの仲がいいだけに、高校時代の仲の悪さは聞かされるまで信じられなかった。


 でも、高校二年の夏に優希さんは、菊池さんのことを見直したって言っていた。たぶんそれが仲直りのきっかけにもなって、今に至るんだと思うけど。


「気になるなあ……」


 話の先を聞きたいのもあるけど、他にも高校時代の菊池さんのこと、いろいろ聞いてみたいと思う。でも、次に優希さんとお喋りできる機会と言えば、来週のお昼くらいか。平日は俺がアルバイトに来られないし、優希さんも土日の片方一日しか来ない。それまでお預けか……。


 あ、そんなこと考えてる場合じゃなかった。早くアルバイトに戻らないと。


 俺は空になったお弁当箱を片づけて、倉庫を後にした。



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