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メイプルロード  作者: いてれーたん
初夏の嵐
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きっとまだ知らないことがある


 午後からのお仕事には、午前よりもお客さんの対応をすることが増えた。というのも、お昼を過ぎてからは来客が一気に増えたからだ。菊池さん一人だけだとカバーしきれずに、あぶれた数人のお客さんが俺に声をかけてくるようになった。


 最初こそ戸惑ったものの、接客自体は問題なくできた――と、思う。質問されたら、説明を交えながら丁寧に答えて、必要なら商品の元へ案内する。花屋さんに限らず接客の仕事は概ねこんな感じだろう。


 大したことをしたとは思っていないけど、菊池さんとしてはかなり助かったらしい。それからは安心したように俺に接客を任せてくれた。俺も色んな仕事に慣れてくると自信がついたし、お客さんに「ありがとう」とお礼を言われるのも嬉しかった。


「楓ちゃん、そろそろ時間だよ」


 店内のお客さんが一段落ついたとき、レジから菊池さんが声をかけてきた。時計を見ると、もうすぐ午後四時。


「キリがいいし、着替えておいで。今日の山は越えたし、あとは僕一人でも大丈夫だから」

「はい、ありがとうございます」


 ちょっと早いけど、菊池さんの言葉に甘えて帰り支度に取り掛かることにした。倉庫に入った俺はエプロンを外すと、荷物を纏めながら携帯電話をチェックする。


「ん?」


 着信のライトがチカチカしていることに気づいた。画面をつけて確認してみると、メールが一件。どうやら茜ちゃんからのようだ。


「夕飯の買い物のお願いかな?」


 そんなことを思いながらメールを開く。あら、お遣いにしては文が少し長い。もちろんそれは、買い物が多いというわけでもなかった。


「……コーエイの家で待ってる、って?」


 俺は最後まで文面を読み終えると、急いで荷物を抱えて倉庫を出た。


「すみません菊池さん、ちょっと用事ができたので、今日は上がっても大丈夫ですか?」

「ああ、うん。大丈夫だよ。また明日お願いね」

「はい。お疲れ様でしたっ」


 菊池さんへの挨拶を済ませると、お店を出てペイスの中を速足で進む。バスの時間はまだあるけれど、それでもゆっくり歩いている場合じゃなかった。一刻も早く俺は、コーエイの家に行かないと。


 焦る気持ちを抱えて、バス停まで急いだ。








 茜ちゃんとメールのやりとりをしながら、一時間弱かけて地元駅まで戻ってきた。そのまま一直線に寂れた商店街へ向かい、コーエイの家を目指す。


 狭い路地の隅で身を屈める黒猫を一瞥しながら歩いていると、塀の向こう側から賑やかな声が聞こえてきた。想像していたよりも来ているのかな。俺は速足のまま、半開きになっている家の門を潜った。玄関を素通りして、声がする庭のほうに向かう。


「あ、お姉ちゃん」


 縁側にいた茜ちゃんとばったり顔を合わせた。


「早かったね」

「そりゃあ、急いで来たんだから。大掃除、終わったの?」

「もう少しかな。いらないものを纏めて捨てるのは終わったから、後は出したものを整理して片づけるだけ」


 茜ちゃんがゴミ袋を縁側に置きながら答える。家の奥からは、賑やかな話し声が絶えず聞こえてきていた。透と茉希ちゃんと翔太と……それに、茅君までいるみたいだ。


「いくらなんでも、大勢で押しかけすぎじゃないかな……」

「仕方ないよ。わたしたち、透くんに来てほしいって言われただけで、何人誘ってるかなんて知らなかったんだもん。来てみたらこんな大所帯になっちゃったの」


 茜ちゃんからのメールによると、透にコーエイの家のことを手伝ってほしいとお願いされたらしい。それで昼頃に来てみると、茉希ちゃんと翔太も家に来ていた。軽い昼食を済ませてから溜まった洗濯や掃除を始めて、さらに晴香ちゃんと茅君が合流し、大所帯になったらしい。


 お嬢様と執事はともかく、透が後先考えずに連絡がつく人たちに片っ端から声をかけて招集したのは悪手だったかもしれない。誰が何を手伝うとか、そもそも一度に大勢だとコーエイも迷惑がるかもしれないとか、ちょっとは考えなかったんだろうか。まあ、透に一任した俺にも少し責任はあるか。


「まあでも、人数がいたおかげで大掃除は捗ったんだけどね」

「それなら結果オーライかな。コーエイはどうだった?」

「最初はびっくりしてたけど、透くんがなんとか面倒見てくれてたよ。同じ学校のお友達が来てからは、茉希ちゃんや翔太くんとも普通に話せるようになったみたい」

「そっか」


 コーエイじゃなくても、初対面の人が三人も押しかけてきたらびっくりするだろう。俺はそれが心配だったから急いで帰って来たんだけれど、少し杞憂だったかもしれない。人見知りとか、少ないみたいでよかった。


「とりあえず、お姉ちゃんも行こうよ。みんな待ってるから」

「うん」


 俺はその場で靴を脱いで、いつものように縁側からコーエイの家に入る。昨日来た時とは違い、居間の荷物も整理されて綺麗になっていた。通り抜けて食卓に入ると、そこも雑多だった場所が片付いていて、心なしか広く感じられるほどだった。


「楓、帰ってきたのね」


 俺が家の中の様子に目を丸くしていると、台所にいた茉希ちゃんが笑って声をかけてくる。食卓周りには透と翔太、茅君も座っていた。翔太と茅君の二人はリバーシをしていたけど、三人とも茉希ちゃんの声で俺に気づいた。


「バイトお疲れさま、楓。初仕事はどうだった?」

「えっと、初日にしてはできたほうかなって思う。菊池さんも助かったって言ってくれたし」

「よかったじゃない。頑張ればもっと菊池さんに気に入られるわよ」

「あはは……まあ、そうなるといいけど……」


 茉希ちゃんの言葉に俺は照れくさくなって言葉を濁す。本来の目的は違うけれど、そうなってほしいと思う気持ちはあるから、悪いことじゃなくても後ろめたさを感じる。


「翔太、次早く」

「わ、ごめん……って、角取られたか……」

「余所見しながらやるからだよ」


 翔太と茅のリバーシ勝負は、どうやら茅に軍配が上がりそうだ。透はそれを興味なさそうに、テーブルに頬杖をついて見ていた。


 コーエイもよく、こんな大人数を家の中に入れたな……半分は、目の前にいる坊主頭が強引にやったのかもしれないけど。


「そういえばコーエイは?」

「あれ? さっき晴香ちゃんと出てったけど、居間ですれ違わなかった?」

「ううん、見てない。透は何か知らない?」

「うーん、何か晴香のほうが話があるって言ってた気が……」


 答えながら欠伸をする透はあんまり宛てにならなさそうだ。しらみつぶしに家の中を探そうかなと思っていると、


「二人ならさっき、縁側の奥のほうに行ったけど」


 茜ちゃんが食卓に入りながら、俺に教えてくれた。


「お姉ちゃんが来る前だったよ」

「そっか。じゃあ呼んでくる」


 俺は居間に戻って荷物を置くと、縁側に出て玄関とは反対の方向に進んだ。その奥にはまだ行ったことはなかったけれど、突き当りに部屋のドアがあって、茜ちゃんが言っていたのはここだろうと予想をつける。違ったら違ったで、他の場所も当たってみるつもりだった。


「まだおじさんが戻ってくると思っていますの?」


 近くまで行くと、引き戸越しに声が聞こえてきた。この家には他に誰もいないから、コーエイと晴香ちゃんはやっぱりここにいたのか。すぐ声をかけて戸を開けようとしたけれど、何かいつもと雰囲気が違う。


「あんなやつ、もう戻って来ねえだろ」

「だったらどうして、ずっとここに住んでいますのよ? 何だかんだで、おじさんのことを案じているんじゃありませんこと?」

「……ねえよ。俺はともかく、母さんも残して、借金まで押し付けて出てったやつなんか、どうなったって知るものか。ただ単に、この家以外に行くところがないだけだ」


 想像していたよりも重い内容の話し合いが、部屋の中で展開されている。こんなの、盗み聞きは悪いに決まっているけれど、どうしてもその場から興味を逸らせない。


「学校にも行かないのは、みんなのせいですの? それとも、あのことを気にして?」

「両方だ。でも、悪いのはどう考えても親父だろ。あいつが人さえ殺さなきゃ、俺だって今まで通りやれてたはずだ。人殺しの子供を仲間に入れたくないって気持ちはわからなくもねえよ。それでカッとなった俺も、悪かったけどな」

「じゃあ、コーエイやおじさんのことを知らない人たちがいる学校なら、行けるかもしれませんわね」

「……さっきからお前、何が言いたいんだよ? 大事な話だって言うから来たのに、いい加減戻らないと手伝いに来てくれた人たちに悪いだろうが」


 足音がだんだん大きくなるのが聞こえてきた。って、もしかしてコーエイがこっちに来てる? まずい、盗み聞きしてるのがばれてしまう。いや、いっそ聞いてしまったって白状して、この場で謝ったほうが――。


「提案がありますの」


 晴香ちゃんの声が聞こえて、足音が止まった。


「コーエイ、わたくしのところに来なさい。わたくしの家ならば、あなた一人くらい何の問題もなく養ってあげられますわ」


 何のためらいもなく放たれた晴香ちゃんの言葉は、俺の思考を一時停止させた。


「はあ?」


 コーエイの立場だったら、たぶん俺も同じように言ったと思う。


「お前、それ本気なのか?」

「嘘なんて言いませんわよ。万が一にお父様やお母様が反対しても、わたくしが説得しますわ」

「万が一に反対って、お前の親はどんだけ器がでかいんだよ」

「裕福なれば心にも余裕ができますのよ」

「貧乏な俺には余裕がないってか」

「そこまで言ってませんわ。でもまあ、考えてもらえませんこと? その気であれば、もっと詳しいプランについてもお話しますわよ。ただあまり時間はありませんから、今月末にはお返事を頂けると助かりますわ」


 話の内容に気を取られていて、足音が大きくなってきていることに気づくのが遅れた。あっと思った時には俺の目の前で戸が開いて、現れた晴香ちゃんと目が合ってしまっていた。


「あら、楓さんは今頃来ましたのね。大掃除はもう終わっていましてよ」

「あ、あはは……そうみたいだね。大変だった?」

「どうってことありませんわ。秀才のわたくしにかかれば、掃除ごとき目を瞑っててもお茶の子さいさいですわよ」

「そ、そうなんだ……」


 どこまで本当なのかわからないけれど、とりあえず同意で返しておく。それに盗み聞きされたとは思ってないようだ。少なくとも晴香ちゃんは、だけど。


「……楓か」


 晴香ちゃんの背中を押して、コーエイが部屋から出てくる。自分の身体を出した後、見られたくないものを隠すかのように戸をぴしゃりと閉めてしまった。


「えっと……みんな待ってるから」

「わかってる。もう戻ろうと思ってたところだ」


 無表情のコーエイは何を思っているのかわからない。でも、さっきの晴香ちゃんの提案のこと、考えてはいると思う。俺に話を聞かれたかどうかも気にしているかもしれない。


 気にならないっていったら嘘だ。確かに晴香ちゃんの家は裕福なのかもしれないけど、さっきの言い方はまるで「コーエイを私有物にする」というニュアンスでも取れる。その場で返事をしなかったコーエイの態度や、それを待つつもりの晴香ちゃんからも、悪い意味で言葉を捉えてしまう。


 それにコーエイのお父さんが人を殺したらしいってことも、それでこの家を出て行ったってことも、軽く聞き流せるような内容じゃない。


「楓さん、どうしましたの? わたくしたちも戻りますわよ」

「う、うん……」


 歩き出したコーエイに続いて、晴香ちゃんと俺もその後に続いた。部屋での話の後半は完全に盗み聞きだったから、二人に確かめるようなことはできない。そもそも本当かどうか、突然すぎて信じられないし……。


 そうだ、母さんなら何か知ってるんじゃないだろうか。


 今日またメールを送って返事を待ってみよう。コーエイの後姿を見ながら、俺はそう決意した。



2016/04/14 口調などを微修正

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