寂しそうだから、心配なんだよって
コーエイの家に通うようになって三日目。今日の目的は、昨日買った食材で料理を作ることだ。とにかく時間が惜しかったので、下校はかなり速足で歩いた。
いつもより早めにコーエイの家に着いたら、長い髪を後ろに一つに纏める。いわゆるポニーテールだが、茜ちゃんと料理をするときには鉄板の髪型になっていた。最初はできなかったけど、何度か一人でやるうちに自分でもできるようになっていたのだ。些細なことだけど、自分の女の子としての成長を感じる。
髪が邪魔にならなくなったら早速料理を始めた。まずはお米を軽くすすいで炊飯器にセット。それから元々あったジャガイモとニンジンの皮を剥く。もっと時間があればコーエイにも教えたり手伝ってもらったりするんだけど、今日はちょっと厳しそうだ。
「おっす、やってるな」
「え、透? 来たんだ? コーエイが入れたの?」
「違う、勝手に入ってきたんだよ」
調理していると、いつの間にか食卓に透が座っていた。その反対の椅子に座っているコーエイは、むすっと明らかに不機嫌な顔をしている。
「鍵を開けてるほうが悪いんだ。一人暮らしならもう少し用心しろ」
「言っていることはもっともだけど、結局のところ透は不法侵入しただけなんじゃ?」
「しょうがねーだろ。こうでもしなきゃこいつ、俺とは話しようとしないんだから。道場にも来ねーし」
「だから、そんな余裕ないって言ってんだろ」
コーエイの言い分は納得できる。一人暮らしをする以上、家事をすることで大幅に時間を取られてしまう。ちゃんと学校に行くようになれば、ますます時間がない。
「話は変わっけど楓、明日はどうするんだ?」
透は突然、俺のほうに話を振ってきた。
「どうするって、どういうこと?」
俺はタマネギをみじん切りにしながら質問を返した。
「お前、明日からバイトって言ってただろ? 帰りが遅くなるんなら、こっちはどうするのかって思ってさ」
「あー、確かに……」
柊さんとの話では、アルバイトが終わる時間は午後四時だ。それから一時間弱かけて最寄り駅に戻れるとしても、五時は回っているだろう。そのままここに来れば時間的には問題ないけど、そうしたとしても家事ができるような十分な時間はない。
「今日よりは遅くなるね。時間によっては来れないかも」
初出勤の後にそんなハードワークはさすがにきつい。次の日もシフトが入っているのもあって、体力は温存しておきたかった。
「そうか、来れないのか……」
ぽつりとコーエイが呟くのが聞こえた。思わず手を止めて振り返ると、テーブルに視線を落としたコーエイが目に留まる。
ふと、母さんの言葉が頭をよぎった。男の子だから寂しいなんて思うはずない、そう決めつけて自分の寂しさを我慢していたこと。
俺も実際、寂しいなんて思うことはなかった。でもそれは単に気づかなかっただけ。俺には茜ちゃんがいたから、寂しいって気持ちが自分の中にあることを自覚せずに済んだだけだ。
でもコーエイはどうだろう? 今、ぽつりと零れたこの言葉の意味を考えると、俺よりも強く孤独を感じているように思う。男の子と言ってもまだ小学生だ。親どころか、自分一人しかいない家にいるのは寂しいに決まってる。
彼はそれを隠そうとしたんだろうか。それとも俺のようにわからずに、言葉にできないんだろうか。どちらにしたって、その孤独感は俺よりも遥かに強くて、辛そうで。
「ごめん……でも、できるだけ来るようにするから」
つい、そんなことを言ってしまう。守れるかどうかはわからないけど、今は悲しんでほしくなかった。
「へっ、そんな顔すんじゃねーよ」
「な、なんだよ、やめろよ」
見るからに元気を失くしたコーエイの頭を、透がわしわしと乱暴に撫でた。透の手を鬱陶しそうに跳ね除けながら、コーエイはまたふくれっ面をする。その様子を微笑ましく思いながら、俺はひき肉の下ごしらえに移った。
「もし楓が来れなくても、俺が来てやるよ。それでいいだろ?」
最後の問いかけは俺に対してのものだ。それは理解できたけど、突然のことに俺は思わず聞き返した。
「えっ、透が来るの?」
「うげえ」
「なんだよてめー、うげえってそんなに俺が来るのは嫌かよ」
「ふん」
透の言葉に、コーエイがぷいっとそっぽを向いて応えるのが、実際に見ていなくても目に浮かんだ。「生意気な奴」と透は毒づいて、言葉を続ける。
「けどな、お前みたいな奴でも心配なんだよ。楓はもちろんだし、俺も、俺んとこにいる道場の仲間もそうだ。小学生が一人暮らしなんて普通は無理なんだからな」
「……じゃあ、どうしろって言うんだよ」
「誰かが毎日ここに来て、お前の面倒を見れればいい」
「できるわけねえだろ、そんな面倒なこと。明日だって、忙しくて来れないかもってなったばかりじゃねえか」
「だから、代わりに俺が来るっつってんだろ。楓みてーに家事とかできねーけど、一人でいるよりはマシだろーが。俺のことが嫌なら道場仲間の誰かに頼むことだってできるんだ。家事ができる知り合いだっている。何よりそうすれば、楓も俺も余計な心配しなくて済むんだよ」
透は、例えば俺が来れないときは自分が代わりに来るように、多人数でコーエイの世話をしようと言っているんだ。誰かが忙しいなら、誰かが代わりに。そうすれば心配も少なくて済むし、コーエイの寂しさも少しは和らぐはずだ。
コーエイもそのことを悟ったのか、真剣な顔をして黙り込む。フライパンで炒めているタマネギがパチパチと弾ける音が大きく響いていた。
「わかったよ……それなら二人とも、心配しなくていいんだろ?」
「おう、そういうことだ」
「じゃあ、明日は透が来てくれよ。楓も……無理じゃなかったら、来てほしい」
「……ああ」
初めて俺の名前、呼んでくれたな。コーエイに頼りにされたことも嬉しくて、俺の顔は自然と綻んでしまう。見られるのは恥ずかしいので早く引っ込めようと、手元に集中した。
「いい匂いだな。さっきから何作ってんだ?」
「昨日、コーエイが食べたいって言ったハンバーグだよ」
「ほんとに? 楓、作ってくれたのか!」
ハンバーグと聞いた途端、さっきまでの空気とは打って変わって、楽しそうに椅子から立ち上がったコーエイ。
「せっかくだし、今から二人にも手伝ってもらおうかな。このお肉、手でこねて固めてくれる?」
ひき肉に卵を混ぜてこねたものに、炒めていたタマネギを六割ほど加えて混ぜる。馴染んだらさらに塩と粉コショウを加えて下味をつける。ただし、コーエイでも辛くないように少なめを心掛けた。
「あ、まずはそこで手をしっかり洗って。できたら、こうやってこねてハンバーグのたねを作ってくれ」
コーエイと透は水道で手を洗いながら、俺の手の中で形を変えるひき肉に視線を注いでいる。そんなんじゃ、ちゃんと洗えないだろうに。でも何かこの二人、こうして見ると少し歳が離れた兄弟みたいで面白いな。髪型や顔つきはともかく、行動とか考え方が似てる感じ。
手を洗い終えた二人に、俺はハンバーグのたねが入ったボウルを任せた。二人がたねを作っている間に、俺は残りのタマネギが入ったフライパンに水、中濃ソース、ケチャップ、マヨネーズ、バターを入れてさらに炒めていく。水気が飛んだらデミグラスソースの完成だ。
「うん、いい感じ」
小指につけて味見してみると、初めてにしてはなかなかの出来栄えだ。以前茜ちゃんがやっていたことの真似なんだけど、思ったよりよくできて自画自賛。さて、次だ。
デミグラスソースを作っていた隣のコンロでは、すでに別のフライパンを温めている。こっちはハンバーグを焼くほうなので、表面に少し油をひいていた。
「楓、できたぞ! 大きいの!」
「へっ、そんなもんかよ。俺なんかもっとでかいぜ!」
「む、だったらもっと大きいのを……」
「いやいや、大きすぎると焼きづらいから……コーエイ、それをこっちにゆっくり置いて。形が崩れないように、そっとな?」
火を中火にしてから、フライパンの前から少しずれて、コーエイにも見えるように踏み台を置く。
「熱いから触らないように」
「おう……」
踏み台に乗ったコーエイは、緊張した面持ちでそっとたねをフライパンに乗せた。その途端にジューッと焼ける音が響いて、早くも食欲を刺激する。続いて透の作ったたねもフライパンに乗せて、片面が焼き上がるまでしばらく待った。
「ねえ、コーエイは座っててもいいんだぞ?」
「……いい、ここで見てるから」
コーエイは踏み台に乗ったままで、俺がハンバーグを焼く様子をキラキラした目で見ていた。油が跳ねたりしたらちょっと危ないんだけど、こんなに楽しそうに見てるから、できるだけ見せてあげたくなった。コーエイに油が飛ばないように注意しながら、俺はハンバーグに焼き目をつけていく。
こんがりと焼き目がついたらひっくり返して、フライパンの中に少しだけ水を流す。それから蓋をして、軽く蒸し焼きにする感じで火を通していく。
「透も食べていくよね?」
「食っていいなら食う」
「じゃあお皿出して? 二人分ね」
「へいへい」
食卓で座っていた透を動かして、食器の用意をさせる。茶碗に炊きあがったご飯をよそい、お箸と一緒にテーブルへ運んだ。スープの残りもお皿に移し替えてレンジで温め、テーブルの真ん中に置く。そうこうしているうちに、ハンバーグが焼き上がる頃合いだ。
「コーエイ、蓋を開けるからちょっと離れててね」
湯気や跳ねる油が危ないので、コーエイにはいったん離れてもらう。それからフライパンの蓋を開けた。
たねを乗せたときほどの勢いはないけど、それでもジュージューと焼ける音はとても食欲をそそる。あとは中までちゃんと火が通っていれば。俺は箸でハンバーグをつついて確かめる。
「おお、いい感じ」
穴から透明な油と香ばしい肉の匂いが溢れた。間違いなく食べ頃だ。そうとわかったらフライ返しでハンバーグをすくい上げ、透が用意したお皿に乗せる。それに作っておいたデミグラスソースをかけて。
「よし、完成!」
「おぉー……」
感嘆は傍で見ていたコーエイのもの。自分で言うのもなんだけど、最近のうちでは間違いなく渾身の出来だ。ちょっと誇らしく思いながら、テーブルにお皿を運ぶ。コーエイも後ろからついてきて、目をキラキラさせたまま着席する。
「さあどうぞ、召し上がれー」
「いただきます!」
コーエイは俺の声ではっとすると、思い出したようにお箸を握ってハンバーグに突き立てる。こぶし大のそれを一口サイズに器用に切って、口へ運んだ。
「……どう? おいしい?」
「~~~~~~~!!」
お箸ごと口に突っ込んだまま、コーエイはコクコクと何度も頷いた。胸の中が温かくなって、自然と笑みが零れてしまう。すごく喜んでくれて、俺も嬉しくなった。
「ウマい。けど、俺はもう少し味つけが濃くてもいいかな」
「ああ、透はちょっと物足りなかったかもね。スパイス系は少し控えたから」
「ふーん」
透は納得したようで、ハンバーグを入れた口にご飯を掻き込む。一応はおいしいって言ってもらえたし、俺としては満足だ。食べ続ける二人から離れて、俺は残りのたねを作ってハンバーグを焼き上げる。もし俺がアルバイトで月曜日まで来れなくても、コーエイがご飯に困らないように。
残りのたねを焼き上げる頃には、二人とも完食していた。出来れば洗い物も終わらせたかったけど、門限の時間が迫っているので断念。透にお皿洗いなど後片付けを任せて、俺は帰り支度を始める。
「じゃあね、コーエイ。また来るよ。透、後はよろしくね」
「おう、気をつけて帰れよ」
透が皿洗いをしながら答えたので、俺は食卓を後にする。外に出ようと縁側へ向かうと、コーエイが見送りするらしく、後からついてきた。
「なあ、楓……」
「ん、なに?」
靴を履いていると、また名前を呼ばれたので振り返る。こっちを見ていたコーエイは急に視線を逸らして、口をもごもごさせながら言った。
「その……ありがとう。すごく、うまかった」
そっぽを向きながら恥ずかしそうに言うので、照れていることがすぐにわかった。また胸の奥から温かい気持ちが溢れてきて、思わずコーエイの頭を撫でてしまう。
「いいんだよ。喜んでくれたなら、俺も嬉しい」
「ん、そうか……」
透の時とは違って俺の手を払いのけるようなことはせず、俺にされるがままになるコーエイ。まだ照れくさいのか目線は逸らされているけど、そういうところも微笑ましい。
「またご飯、作りに来るから。それまでいい子にしてるんだぞ?」
「わかってる」
「よし、約束な?」
名残惜しく手を放して、縁側から離れる。俺が家の門を潜るまで、コーエイはずっとその場で見送ってくれた。
家に子供を残して働きに出る母親って、だいたいこんな気持ちなのかもしれない。電話越しの父さんと母さん、それから樹おじさんのことが頭に浮かんだ。親たちも子供との時間が少なくて寂しい気持ちになることは、母さんのおかげで知ることができた。
本当はコーエイだって、親と一緒にいられるほうがいいはずだ。母さんにどうにかならないか、メールで聞いてみよう。そう思いながら、俺は暗くなり始めた帰り道を急いだ。