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メイプルロード  作者: いてれーたん
初夏の嵐
71/110

コーエイと透


 次の日も、俺は帰宅してすぐに着替えて、コーエイの家に向かった。


 相変わらず家の門は少し開けてあるだけで、庭には入れても家の中には入れない。仕方なく、晴香ちゃんがやったように縁側の雨戸を開け、ガラス戸をバンバンと叩いた。


 しばらくすると襖が開いて、居間から寝ぼけた顔をしたコーエイが出てきた。俺を見るやいなや驚いた表情をしたのが面白かった。


「おっす、コーエイ」

「ほんとにまた来たのかよ……」

「ほったらかしにすると荒れそうだったからな、この庭みたいに。しばらくは俺が面倒見てやるつもりだ」

「頼んでねえよ、そんなこと」

「あえてそう言うってことは、断らないってことでいいよな?」

「あんたなぁ……」


 今日はちゃんと布団で寝ていたのか、寝癖のついた頭を掻きながらガラス戸を開くコーエイ。


「お邪魔します」


 一応そう言ってから、俺は縁側から中に入った。まず初めに昨日作ったスープの残りをチェックする。毎食分食べていたのか、量はかなり減っていた。一人なら数日持つかと思ったけど、晴香ちゃんや茅君にも分けていたし、減りが少し早いな。小学生男子の胃袋を舐めてたかもしれない。


「そういえば、今日はまだあの二人、来てないんだな?」

「毎日来るわけじゃねえよ」


 まあ、お嬢様ってくらいだし暇じゃないだろう。習い事とかやってるかもしれないし。でも、それならそれで今日は好都合だ。


「コーエイ、今日はちょっと買い物に行こう」

「は? 買い物?」

「お前、一人暮らしするんだろ?」

「そう、だけど……」

「それなら買い物だって出来なきゃいけないし、料理もしないと駄目だ。だから俺が教えてやるよ」


 コーエイは迷う素振りを見せた。


「……ちょっと待ってろ」


 ぽつりと言って、居間のタンスを漁り始める。なんだかよくわからない紙を撒き散らしながら、奥から革の財布を取り出した。


「ああ、財布を探してたのか」

「あんまり、入ってないけどな」

「心配しなくていいよ。足りなかったら俺も出すし」


 軽い気持ちで言ったつもりだったんだが、コーエイにとってはかなり驚いたらしい。目を丸くして俺のほうを見た。


「なんでそこまでするんだよ? お前にとって、俺の面倒を見ることに何の得があるんだ?」

「いや、得かどうかなんて関係ないよ。あるとすれば俺の自己満足くらいだ。個人的にコーエイがこのまま一人暮らしするのを、心配で黙って見ていられないだけ。俺が一人暮らしし始めた時とはわけが違うからさ」


 コーエイは俺の言葉にさらに驚いた。


「お前も一人暮らししてたのか?」

「あ、言ってなかったっけ。まあ、そんなところ。それに母さ……じゃなかった、小坂さんの頼みでもあるし」


 今の母さんとの立場はややこしいので、一応言い直しておく。気づかなかったのか、コーエイはそれには突っ込まずに、さらに考え悩む顔つきをした。


「理由としては、不服だった?」

「……いや、信じる。小坂さんには俺もたくさんお世話になったんだ。その人がお前に頼んだって言うんなら、信用できるよ」


 どうやら信用はしてもらえたみたいだ。けど、母さんがコーエイの世話をしたっていうのは、初耳だ。


 昨日送ったメールの返信はまだ来ていない。聞きたいことはいっぱいあるけど、コーエイから聞くのはどうも気兼ねしてしまう。いったい母さんとコーエイの間には、どんな関係があるんだろう?








 コーエイを連れて駅の方面へ出かけた。コーエイの家の付近の商店街は、寂れてお店もほとんど閉まっているけれど、幸い駅前の繁華街には近かった。逆に言えば、商店街が廃れた理由もそこにあると思うけれど。


「コーエイは何が食べたい?」

「カップ麺以外」

「そりゃもちろん。それと、野菜は取ってもらうからな」

「……野菜より肉がいい」


 コーエイが苦い顔をしながら言う。野菜より肉なんて、こういうところは年相応の男の子だな。それともスープのおかげで野菜には飽きたのか。


 コーエイとの会話で微笑ましくなりながら、俺たちはスーパーに入った。ちょうど夕方で、タイムセールもやっている。カゴが重くなることも考えてカートを使うことにしたけど、普段より人が多いから動きづらいかも。


 とりあえず精肉売り場に到着したので、適当にセール品を見て回る。どうやらひき肉が安いらしい。


「ハンバーグはどう?」

「おう、食いたい」


 俺の問いに即答するコーエイ。表情の変化は乏しいけれど、けっこう嬉しそうだ。今日だけじゃなく明日の食材も考えて、ひき肉以外も選んでカゴに入れていく。


「今更だけど、好き嫌いってある?」

「子ども扱いすんな。何でも食うよ」

「そうか、えらいな」


 俺はそう言って、思わず近くにあった頭を撫でてしまう。


「何してんだ?」

「何って、褒めてるんだけど?」


 頭を撫でられたコーエイは、きょとんとした顔で俺を見上げてくる。天邪鬼でももう少し喜ぶかと思ったけど、どうやら様子が違う。


「もういいだろ? くすぐったい」

「お、おう、ごめん」


 鬱陶しいとでも言うかのように頭を振ったので、俺は乗せていた手を下ろす。


「どうしたんだよ、ボケっとして。野菜は買わねえのか?」

「いや、買うよ」


 コーエイは呆気に取られている俺を急かすようにカートを引く。立ち塞がる人を分けてくれるので、進むのもスムーズだ。おかげで難なく野菜売り場に辿り着いた。


 好き嫌いはないという言葉を信じて、常温保存の利く野菜を選びながらカゴに入れていく。特にタマネギは色んな料理に使えるから、多めに買うことにした。


 その他にも朝食用の食パンや牛乳、ジュースなんかをカゴに追加しながら、一通りスーパーの中を回る。


「コーエイ、重いけど持てるか?」

「任せろ。ふぬっ……!」


 意気込んで掴みかかったものの、米十キロは小学生には重すぎるか。かと言って俺も持てないし……。


「無理なら今度、誰かに頼むしかないか」

「無理じゃねえよ、ちょっと待ってろ……むぐうぅ!」


 コーエイが踏ん張ると、かろうじて米袋が持ち上がった。びっくりしたけど、それでもこれを持って帰るのはやっぱり無理だ。カゴの中にある荷物を持つだけで、たぶん俺たちはいっぱいいっぱいだろうし。


「お前、楓か? こんなところで何やってんだ?」


 ふと聞き慣れた声がして振り返ると、見慣れた坊主頭の男子が私服姿で立っていた。


「え? とっ、透!? どうしてここに?」

「どうしてって……お遣いのやり直しだよ。ここって俺んとこから近いからな。ところで豆腐って二種類あるけど、何がどう違うんだ?」


 透の目的は豆腐らしい。さては木綿と絹ごしを間違えたな。


「いや、そんなことよりちょうどよかった。透、ちょっと運ぶの手伝ってくれない?」

「はあ? 何で俺が……」

「頼むよ。お米は俺もコーエイも持てないみたいだからさ」

「あ? コーエイって誰だ?」


 透が知らないのも無理はない。俺は後ろで必死に米袋を持ち上げてるコーエイを指差して紹介しようとした。


「あっ、お前」


 俺が口を開くよりも先に、透の口から言葉が突いて出る。すぐにコーエイも透のことに気づいて、「げ」と短く声を漏らした。


「え、透、知り合いだったのか?」

「俺んとこの教え子だ」

「教え子? 透って先生やってたの? 一体何の……って、待って。そんな怖い顔しないで」


 透が先生って何の冗談だろう、とはさすがに口にはしなかったけれど、考えを悟られたのか透は凶悪な目つきを俺に向けていた。慣れてる俺だからよかったものの、耐性のない人だったら卒倒するレベルの睨みだ。


「俺のことをなんだと思ってんだよ……。教えるっても勉強じゃねーよ、柔道だ。俺んとこ、家は道場やってんだよ」

「そうなんだ、知らなかった」


 そういう話なら、逆に透のイメージにぴったりですんなりと納得できた。で、コーエイとは道場を通して会うわけだから、透も面識があったってことか。


「んで、なんでお前らが買い物なんかしてんだ?」

「ちょっと深いわけがあって。気になるならついてくる?」

「まあ、俺は暇だからいーけどよ」


 透はお使いのことをすっかり忘れたらしい。でも、手伝ってもらえるなら好都合だったので、あえて掘り返すことはしなかった。








 スーパーの外に出ると、もう空は鮮やかなオレンジに染まっていた。日は長くなったけど、夏はまだまだ先って感じだ。


「なんかごめんね、ちょっと買いすぎたかも」

「別にいーけど、よっと」


 透という荷物持ちが増えたので、つい欲張ってしまった。俺とコーエイは袋を一つずつ持っているけど、透は米袋一つと牛乳、野菜の入った袋も持っている。それでもふらつく素振りも見せない。


「さすが体育系男子は違うな」

「当たり前だ、鍛えてんだから」


 何でもないことのように言って、袋を抱え直す透。でもちょっと照れているのがわかったのは、わざわざ俺から顔を逸らしたからだ。


「俺だって鍛えてんだよ、もう一つくらい持てる」


 俺たちの会話を聞いてムキになったのか、コーエイが透の手から袋を一つひったくった。ここにきて負けず嫌いの一面を見せてくれるとは、子供って微笑ましい。


「何言ってんだ。お前、二ヶ月くらい全くうちに来てねーだろーが」

「えっ、二ヶ月も?」


 驚いてコーエイのほうを見る。二ヶ月行ってないなんて、習い事にあるまじきことだ。


「突然だったから、もうやめたんだと思ったぜ。でも親父おやじが言うにはお金が振り込まれ続けてたらしいから、近々どうするのか聞きに行こうと思ってたんだ」

「お金のことは、俺はよく知らねえ。けど……もう道場には行かねえと思う」


 コーエイはそれだけ言って、俺や透よりも先を歩いていく。その背中を見ながら、透がぽつりと言った。


「あのこと、まだ気にしてんのか」

「あのことって?」


 聞いてみるけど、透はちらとこっちを見ただけで、またコーエイに視線を戻した。コーエイが気にしているくらいだから、聞くのは野暮だったかもしれない。本人がいる手前ではなおさらだろう。


 無言で歩いているうちに寂れた商店街に戻って来て、やがてコーエイの家に戻ってきた。透には荷物を台所まで運んでもらって、俺とコーエイは食材を冷蔵庫や戸棚に収納していく。今更ながらほんと、けっこうな量を買ったな……。


「コーエイ、スープはまだ残ってるか?」

「あー? 一応、明日の昼までは持つと思うけど」


 鍋の蓋を開けながらコーエイが答える。


「悪いけど、明日までそれで我慢してくれ。今日はもう料理する時間がない」


 俺の目線を追ってコーエイも時計を見る。もう少しで門限の時間だった。


「料理を教えるのは明日からだな」

「別にいいよ。すぐには困らねえし」


 コーエイだけで準備できる食事をいくつか買ってきているから、万が一スープがなくなっても大丈夫だろう。俺は一通り食材を片づけ終わると、透を連れて縁側から庭へ出た。コーエイも縁側まで出て見送りしてくれるらしい。


「また明日来るよ。戸締りしっかりな」

「……わかってるよ」


 俺たちが縁側から離れると、コーエイは雨戸とガラス戸を閉めてしまった。


「あんな冷たいやつだったかなあ、あいつ」


 家の門を潜りながら、透は首を傾げて呟いた。


「どういうこと?」

「あー、なんつーかさ、うちに習いに来てた時のほうが礼儀正しかったって言うか、ちゃんとしてたイメージがあるんだよな。あんまり笑ったり怒ったりしないのは今も変わってねーけど」

「えっ? コーエイってああ見えて表情豊かだよ? わかりづらいけどさ」

「そうか? いつ見ても俺にはぶすっとしてるようにしか見えねーけど……」


 俺の言葉を聞いて首を傾げる透。どうやらコーエイの表情の変化は、透には見分けられないものらしい。もしかしてさっきの別れ際も、コーエイが照れていることに気づかなかったんだろうか。何に照れているのかは俺もさっぱりわからないけど。


「でも、コーエイはいい子だと思うよ。ちょっと不器用だけど子供らしいところもあるし、曲がりなりにも今はしっかり一人暮らししてるんだから」

「一人暮らしかー。最初聞いた時は冗談かと思ったけど、ついて行ったらマジだもんな。びっくりしたぜ」


 スーパーで買い物をしている時に、コーエイについて俺が知っていることは全部話してある。おかげで透は荷物運びも最後までやってくれたし、俺もコーエイも非常に助かった。


「でも、まだ小学生だから心配なんだ。できる範囲で助けてあげたいけど、今日みたいにどうしようもないことがあるかもしれない。その時はまた頼ってもいいかな?」

「そう言われたら断れねーよ……まあ、俺にできることがあったら呼べばいい。俺にとっても無関係な奴じゃねーし、親父にも相談してみっから」

「ありがとう」


 二人でコーエイのことを話しながら、暗い商店街のアーケードを抜ける。暗くなってきたので、その日は透に家まで付き添ってもらった。


 ちなみに余談だが、透はそれ以来お遣いを頼まれなくなったらしい。それが良かったのか悪かったのかは、俺にはわからなかった。



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