微妙なお年頃
「あ、起きましたわ」
台所に立っていると、コーエイ君の様子を見ていた晴香ちゃんが声を上げた。
「う……?」
「コーエイ、大丈夫? 急に目を回して倒れたから、ボクたちびっくりしたよ」
茅君も話しかけるけど、コーエイ君はまだ意識がはっきりしないのか、「あー?」とか「うー……」とかをしばらく繰り返していた。
「お前ら……勝手に入って……」
「よう、気分はどうだ?」
いったん台所を離れてコーエイ君の様子を見に行くと、俺を視認した途端にすごい目で睨んできた。
「何してんだよ、お玉なんか持って」
「え? ああ、ごめん。料理してたんだよ。お腹空いてるんだろ?」
「何でも好き勝手しやがって……頼んでねえぞ、そんなこと」
強がってぶっきらぼうに言うが身体は限界なようで、コーエイ君のお腹の虫が悲鳴を上げる。あまりにタイミングがよかったので、三人とも堪えきれずに笑いを零してしまった。
「笑うなっ!」
「ごめんごめん。じゃあ少し待ってろ、もうできるから」
顔を真っ赤にして怒るコーエイ君を二人に任せ、俺はキッチンへ戻る。居間の隣にあって、こちらはフローリングと食卓があった。和室と洋室が混在しているのと瓦屋根からして、そこそこ古い家のようだ。
庭は荒れ放題だったけど、家の中は生活感満載だった。ゴミ捨て用の袋には大量のカップ麺の容器が積み重なっていたし、他にも洗われていない食器が雑多に置いてある。コーエイ君が作れるのはカップ麺くらいということだろう。
その予想は正解らしく、調理器具は揃っていても使われた形跡はなかった。冷蔵庫にも食材はけっこう残っていたけれど、ほとんどは賞味期限が過ぎていて処分するしかなさそうだ。
その一方でキッチンには、新聞紙に包まれたままの白菜や、ビニール袋に入れられたジャガイモなんかが見つかった。常温で保存が利く食材は無事だったので、俺はそれらを使って簡単に調理をしたのだ。
湯気が立っている鍋には、ジャガイモやニンジン、白菜を切ったものが入っている。そこへコンソメスープの素を投入して、調味料で味を調えただけのスープだ。食器棚から取り出した深めの皿によそって、コーエイ君を呼ぶ。
「できたぞー。早く来い、冷めるぞー」
用意するなら箸か、それともスプーンのほうがいいかな。考えながら食器棚を漁っていると、コーエイ君が足音を大きく鳴らしながらやってきた。
「スプーン取りにきただけだ」
俺が問いかける前にぶっきらぼうに言って、食器棚の引き出しからスプーンを取り、テーブルにつく。それから頂きますも言わずにスープを食べ始めた。
「あんなこと言っておいて、結局食べるんだな」
「う、うるさい。腹減ってるんだからしょうがないだろ」
ムキになりながらスプーンを口に運ぶコーエイ君。その後ろから遅れて晴香ちゃんと茅君が食卓へ来た。
「もう食べ始めてますのね。かえでさん、わたくしたちもいただけませんこと?」
「いいよ、ちょっと待ってね」
「お前ら、俺んちだってこと忘れてねえか……?」
ぼやくコーエイ君をよそに、俺は二人分のスープを用意してテーブルへ運ぶ。二人は「いただきます」と手を合わせてから食べ始めた。
「ふうん、まあまあですわね」
「うん、まあまあだね」
一口スープを口に流し込んだ二人の第一声に、俺は苦笑いを零すしかない。まあ、このスープはあり合わせで料理したものだし、俺に茜ちゃんほどの腕前があるわけでもないから、当然の評価だろうけど。
「コーエイ君はスープ、どう?」
俺は試しに、コーエイに水を向けてみる。一応、その場のみんなの感想を聞いておきたかった。
「うまいよ。カップラーメンなんかよりは全然いい」
「……そっか」
比較対象はどうかと思うけれど、お褒めの言葉をいただいたのでよしとした。
「何笑ってんだよ」
「ああいや、コーエイ君って案外素直なやつなのかなって」
「なんだそれ……あと、言い忘れてたけど俺の名前、コーエイじゃねえから」
「はっ?」
口を皿につけてスープを啜るコーエイ君を待って、今の言葉の真意を聞く。
「どういうことだよ?」
「読み方が間違ってる。確かに光に栄えるって書くから、コーエイって読めるけどな」
「けど、晴香ちゃんたちはそう呼んでたし……」
「最初に俺のことをそう呼び始めたのはこいつらだし、それで慣れたみたいだから。俺も別に構わないと思ってるし。ただ、本名じゃないってことを知っておいて欲しかっただけ。勘違いされたままだと気分悪いからな」
コーエイのスープの皿はほとんど空になっていたので、俺はおかわりをついであげた。
「じゃあ別に呼び方変えなくてもいいのか?」
「いいよ、面倒だし……あ、でも君付けはやめて呼び捨てにしてくれ。子供扱いみたいで嫌だ」
「その理由自体が子供っぽいよ、コーエイ君」
茅君に言われて、確かにそうだと思う。コーエイは「うるせえ」と怒ったので、俺は口にしなかったけど。
図らずも賑やかな食卓に和んでいると、唐突に携帯電話が震え始めた。なんだろうと思って開いてみると、茜ちゃんからの着信。
「もしもし?」
「あっ、お姉ちゃん!? 今どこなの!?」
「え? れ、例の子の家だけど……」
「もう時間だよ! 約束したんだから、早く帰って来てよ!」
「えっ? あっ、ほんとだ!」
部屋の壁掛け時計を見ると、門限を十分過ぎてしまっている。約束通りなら今頃家に帰っていないといけない時間だ。
「ごめん茜ちゃん、すぐ帰るから!」
「もう……気をつけて帰って来てね?」
「うん、ごめん。ありがとう」
茜ちゃんの声色が落ち着いたことにほっとしながら、通話を切って携帯電話をしまう。
「もう帰ってしまわれますの?」
「ごめんね、門限を過ぎちゃったんだ。また今度来るよ。じゃあね」
あっけにとられる三人を背に、俺はすぐ家を出て帰路についた。しばらくは人の目がないので、全力ダッシュしてアーケードを抜ける。住宅街に戻ってきた辺りで歩みに切り替えて息を整えながら、なんて言って謝ろうと頭を絞る。
玄関を開けた瞬間に、仁王立ちしていた茜ちゃんに「遅いよ、お姉ちゃん!」と怒られる。結局言い訳もさせてもらえないまま、十分くらいお説教があったのは言うまでもない。
「それで、例の……コーエイ君だっけ? どうだったの? 元気にしてた?」
説教が終わってからリビングに上がり、二人で夕飯を食べていると茜ちゃんが尋ねてきた。
「うーん、元気といえば元気だけど……いろいろと問題はあった気がする」
「いろいろって?」
「小学生だから、危なっかしいというか何というか……一人暮らしするくらいなんだから、もっとしっかりしてる子だと思ったんだけど」
母さんから話を聞いた時には、実際にそう思ってた。でも予想に反して、本人は料理ができないっぽいこととか、不登校なこととか、放っておけない部分が多い。結局理由を聞きだすことはできなかったけれど、やっぱり早目に行っておいてよかったと思った。
「小学生ってだけでもびっくりなのに、俺の時と状況が違うみたいなんだ。だから、もうしばらくは向こうに通って様子を見ようと思う」
毎日じゃなくても、学校が終わってから行って夕飯を作るくらいならできるだろう。今日作ったスープは数日持つだろうから、その間に掃除とか洗濯とか、いろいろしてあげようと思っている。不登校の理由だって、そうやって徐々にコーエイの警戒を解いていかないと、聞きだせそうにないし。
「そっか……心配だもんね。わたしにも何か、手伝えることあるかな?」
そう茜ちゃんが聞いてくるのも無理はなかった。一人で家にいること、生活することが想像以上に難しいことは、俺たちもよく知っている。掃除、洗濯、料理、家計の管理――小学生のコーエイにとってはなおさら大変なことだ。
だからこそ俺は、あの子の力になってやりたい。
「今のところは大丈夫。でも……しいて言うなら、こっちの家事をまた茜ちゃん一人に押し付けちゃうことが、ちょっと申し訳ないかな。もちろん、帰って来てからは手伝うつもりだけど」
「それは心配しなくていいよ。お姉ちゃんにはいっぱいやることがあるんだから、気にしないでそっちに集中していいんだからね」
「……ありがとう、助かるよ」
「それと、今日みたいに門限は破らないでね?」
「もちろん。今度からは気をつけるよ」
今度の土日から始まるアルバイトは門限厳守だ。茜ちゃんを心配させないためにも、肝に銘じておかないと。
「ごちそうさま」
俺のほうがよく喋っていたからか、茜ちゃんのほうが先に食べ終わった。
「少ししたらお風呂入るよね? 俺が片づけとくよ」
「そう? じゃあお言葉に甘えるね。ありがとう」
笑って、茜ちゃんは一足先にリビングを出て行く。俺も早く食べて食器洗わなきゃ。あと、母さんにも連絡しておかないと。今日あったことを思い浮かべながら、俺は夕飯を食べ終えた。