女の子装備の調達へ
「うわぁ……」
着替え終わって出てきたのは、そんな言葉ともいえない声だった。発信源はもちろん俺。目の前の鏡で全身を映し見ながら、遠いところまで来てしまったのだと感じる。
いや、服の組み合わせや着こなしがまずいわけじゃない。慣れないせいで手こずったけど、何とか形を整えてみると、普通に街中で会ってもおかしくない女の子の姿になった。というか、元が美少女の茜ちゃんに似ているからか、想像以上に様になっている。生前の俺なら間違いなく「可愛い」と褒め称えられただろうけど、問題はその中身が俺自身だということだ。
要するに、素直に喜べない。
「お兄ちゃん、どう? サイズとか大丈夫?」
俺の呟きが聞こえたのか、茜ちゃんが試着室の外から声をかけてくる。答える代わりにカーテンを少し開けて、今の俺の格好を披露した。
「へえ、よく似合ってるじゃない」
「って、母さん!」
茜ちゃんだけかと思ったのに、隣には活発そうな夏装いの女性が立っていて、思わず叫んでしまう。時計がないから正確にはわからないけど、服を選んで着替えるのに十五分くらいしかかかってないはずだ。どんだけ車飛ばしたんだよ。
「い、いるならいるって言ってよ」
「そうしたら楓が出て来づらくなるでしょ? まあ、もっと恥じらいながら出てくる様子も、ぜひ見せてもらいたいけど」
「お断りします!」
「ふっふっふ、あんたに拒否権なんてないのよ」
ばっ、と後ろ手に持っていた衣装を広げて見せる母さん。あんたの背後は四次元空間ですか!
「とりあえずそこにある服と、今あたしが持ってる服も、一通り着てもらうから。サイズは茜ちゃんから聞いてるし、ピッタリのはずよ。楽しい楽しい楓ちゃんのファッションショーと行きましょう」
「ひいいぃぃ……」
俺が拒絶するのも構わず、母さんは大量の服を試着室に放り込んできた。そして俺が出る隙を与えないまま、カーテンを外から閉じてしまう。どうやら着替え終わるまで出してくれないらしい。
溜息をつきながら足元に積みあがった服を見る。トレーナー、パーカー、ブラウス、カーディガンまで上はいろいろとあったけど、下はすべてスカートだ。今履いているのもスカートだけど、デニム生地でタイトなせいか、まだ抵抗が少ない。それに対し母さんが選んだのはすべて、ふわふわ風に揺れそうな可愛らしいデザインのスカートだ。悪意に満ちた策略を感じる。
「あ、五分ごとにカーテン開けるからね」
「はっ? なんで!?」
「そりゃ、楓の無防備な姿を……じゃなくて、着替えをちゃんとしてるか確認するためよ」
「言い直さなくたって下心ありきだってことはわかるよ……」
すっかり母のペースに乗せられながら、俺は試着を続ける。何度か母さんと茜ちゃんの目に通しながら、コーディネートを模索した。服の雰囲気や色で、ある程度上下で合わせるものは決まってくるが、数が多すぎる。キリがない上にどれでも似たり寄ったりではないかという結論に落ち着くまで、俺は十着ほどファッションショーをさせられた。
「地方寄りのデパートで揃えられる服なんて、どうやってもこの程度よね。まあ、楓にはどれも似合ってるけど、欲を言うならもう少し可愛らしくてもいいんじゃないかしら」
「えー、普通に女の子の格好するだけなら、こういう服でいいよ」
「楓、あんた甘いわね。ミルクココアに砂糖と練乳入れて飲むくらい甘ったるいわよ」
うわ、胸やけしそう。そもそも甘いだけで美味しくなさそうだ。
ちょっと気分が悪くなった俺に構わず、母さんは人差し指を立てながら説教のように話す。
「いい? 女の子のオシャレはこんなものじゃないのよ。確かに部屋着としてはいいかもしれないけれど、これじゃあんたの魅力を十パーセントも発揮できてないわ。戦闘力たったの3よ」
「突っ込みどころは置いといて、その戦闘力とやらを上げたらどうなるんだよ」
「喜ぶわよ。主にあたしが」
「じゃあどうでもいいや」
「待って。あたしだけじゃなくて、あんたを見るすべての人が喜ぶのよ。茜ちゃんだって例外じゃないわ。ねっ?」
「えっ? あ、はい! お兄ちゃんが可愛い服を着てるの、もっと見たいです!」
急に振られたにも関わらず、嬉々として答える茜ちゃん。ああ、妹だけは俺の味方だと思っていたのに……。
「とりあえず今着てるその服と、一番最初に着てた服を買いましょうか。すいませーん、店員さんー」
母さんがその場で店員さんを大声で呼ぶ。静かな売り場だったのでこれがちょっと恥ずかしい。間もなく店員さんが来て、要件を尋ねた。
「今この子が着てる服のタグ、取ってくれるかしら。会計するから、そのまま着て行くわ」
「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」
店員さんがハサミを取りにこの場を離れると、俺は今の会話の意味を悟って汗が噴き出した。はっとして俺の格好を確認する。
フリルがたくさんついた全体的にピンク色のスカートに、兎の耳がついた可愛らしい白のパーカー。長い髪と相まって、このコーディネートは圧倒的少女趣味だ。女の子の服ってだけでも拒否したいのに、これじゃ高校生に見てもらえるかどうかも怪しい!
「ちょ、母さん! この格好で出歩かせるつもり!?」
「何か問題ある?」
「問題とかはないけど、俺の意見とメンタルは無視かよ!」
「慣れよ慣れ。何事も荒療治から始めれば、最終的に良くなるの。これ、ママの教訓ね」
「いらねえええ!」
物資の少ない医療現場で得た知識が、この場で何の役に立つというのか。っていうか、この場合での荒療治って何だ。考えようとしたところで、母さんのペースに飲み込まれていることに気づく。助けを求めて茜ちゃんをちらっと見たけど、なぜか上機嫌でにこにこと微笑んでいらっしゃる。佇まいは天使のようだが、無慈悲にも救いの手はないらしい。
その後、店員が戻ってきたので、大人しく服のタグを切ってもらった。それからレジの方へ促され、最初の茜ちゃんが選んだ服もレジへ通し、母さんがお金を払う。
「お兄ちゃん、どうしたの? スカート気になる?」
「うん……やっぱ落ち着かない 」
試着室からレジまで歩いただけなのに、なんだこの心許なさは。まるでパンツ一丁で出歩いている気分だ。実際には見えてないけど、エスカレーターに乗るとさらに不安が増す。女の子のパンツだって相当頼りない布きれなのに、スカートがふとした拍子に捲り上がったらと思うと、どうしても手で押さえたくなる。
「あぁ、いいわねぇその初々しい仕草……」
「ぜんっぜんよくないから」
人の気も知らないで母さんはご満悦だ。茜ちゃんもどちらかというと嬉しそうな顔をしている。そりゃ、周りの人が笑顔になるのはいいけどさ、俺の男としてのプライドがズタズタだよ。結構な屈辱だし、本気で泣きたい。
「それで、もうこのデパートの用は終わり?」
服売り場のある二階より上は、屋上駐車場しかない。今エスカレーターを上がっているということは、デパートを出るってことだ。
「そうね。ここで買えるものは買ったし、次に行くわよ」
「まだ行くのか……いい加減、腹がへった」
そろそろ昼時だ。デパートの一階には小さいけれどフードコートもある。そこで食べてから移動してもいいと思うんだけどなあ。今日は日曜だし、混む前にお昼を済ませたほうがいいのに。
「今のうちに移動しておかないと道が混むのよ。お昼は目的地に着いてからね」
「その目的地って?」
「隣の市のショッピングモール。確かペイスって言ったかしら? 一回行ってみたかったのよねー」
ペイスは俺の両親が海外に出てからオープンした巨大ショッピングモールだ。テナントは三百、駐車可能台数は八千という途方もない数字の建物。聞いただけならもはや国じゃないかと思うほどだけど、実は俺も行ったことはない。もし行くとすれば車か、電車で最寄り駅に行ってからバスへ乗らなければならない。自家用車がなければ交通費で結構な出費になるため、学生だけで気軽に行くことはできず、機会のなかった俺や茜ちゃんは結局訪れることができずにいた。
同級生が家族で行ったという話ばかり聞いていたから、俺も行ってみたかった。まさか今日行けるとは思っていなくて、さっきまで沈んでいたテンションもどこへやら、期待に胸を膨らませて車に乗り込んだ。
高架橋の道路を時速六十キロで走るようになると、徐々に車の台数が増えていく。この高架橋がペイスへの交通の便を良くするためだけに造られたという話だから、同じ方向に進んでいる車は十中八九、ペイスへ向かう車だ。
「やっぱり多いわね。渋滞にはなってないけど、お昼はちょっと遅くなるかもしれないわ」
母さんがぼやくが、俺にとってはそんなの些細なことでしかない。ペイスに行けるだけでも楽しみだというのに、そのフードコートでお昼を食べれるなら、いくら待っても構わない。デパートと違ってどれくらい大きいんだろう? どんなお店があるんだろう? フードコートでは何が食べれるんだろう? そんなことばかりが頭の中でぐるぐる回った。
母さんが車を走らせて約三十分後、高架橋の上からただっ広い駐車場と、そこに陳列する数えきれないほどの車が見えてきた。あ、あれがペイスか! でかい! 広い! 車多い! まだ着いていないというのに、俺の頭は興奮状態だ。
「すげー! ただの日曜なのにあんなに人がいるのか! 茜ちゃんもこっち見なよ、すごいぞ!」
「ちゃんと見えてるよ。本当に大きいね、すごい」
茜ちゃんはどちらかというと建物の大きさに圧倒されている感じだ。
俺がはしゃいだまま、車は高架橋を下りてペイスに近づく。間近で見るとさらに大きい。出入り口では乗用車がたくさん並んでいて、ここから渋滞のようだ。駐車場、空いてればいいけど。
「大丈夫よ。誘導が捌ききれてないだけで、停めるところはあるはずよ。お店の出入り口からは遠いかもしれないけど」
「全然いいよ。とにかく早く中に入ってみたい!」
言っている間に順番が回ってきた。デパートの屋上駐車場では考えられないスロープを上り、駐車場へと入っていく。ペイスは屋上以外に駐車場としての建物が別に建てられている。その中を周回しながら、駐車スペースを三人で探した。
すると目の前で発進間近の車を見つけられたので、それが出るのを待ってそこへ駐車した。運のいいことに出入り口が傍にある絶好の場所だ。車を下りて、ショッピングモールのゲートへ向かう。駐車場は人が少なかったけど、このあたりからは家族連れや若い友人グループとすれ違うようになった。
俺は二人の先頭へ立ってずんずん進み、真っ先にショッピングモール・ペイスへ足を踏み入れた。
一歩入ると、外の空気とはまるで違った。
家族連れ、お年寄りの夫婦、若者グループ、ありとあらゆる年齢層の人たちがこの建物の中に集っている。見渡す限り人ばかりで、建物の床や壁が見えない。高い天井のある巨大テーマパークに来たような感じだ。
「すげえ……」
人の多さに圧倒される。お世辞にも統率はとれていなくて、みんな向かう方向も通路の通り方もバラバラだ。でもどんなに混んでいてもぶつかることはほとんどない。日本人の不思議である。
「お兄ちゃん、あんまり先に行くとはぐれちゃうよ」
後ろからやって来た茜ちゃんが追いついて、自然に俺の手を繋ぐ。母さんもやって来て、三人で一列を作って人混みの中に入って行った。
「とりあえずフードコートに向かうぞ。お昼ご飯食べよう!」
先陣を切って人波を掻き分けていくが、正面を向いて二の足を踏んだ。目の前から迫ってくる男の人をかろうじて避けて、その人に続く女の人もかわして、横並びで歩いて来るカップルから離れて――って、ちっとも前に進めない!
やばい、周りが全然見えない。今の俺の身長はここにいる大勢の人たちの胸くらいまでしかない。そういえば、ドアノブの位置や階段、車の座席に座っていた時も、身体の小ささは実感していた。だけど、人混みを前にして自分の小柄さが、とんでもなく命取りになるような気がしてきた。迫ってくる人々を避けるのが精一杯だし、もしぶつかってしまったら、この身体は簡単に弾き飛ばされてしまうだろう。
自分の身体の頼りなさに、不安が押し寄せてくる。歩くことはおろか、その場で歩けなくなってしまった。足に目を落とすと小刻みに膝が動いている。おかしいだろ、なんでこんなことで震えるんだ?
突然のことで混乱していると、母さんが先頭に立って俺の手を引いてくれた。母さんの背は生前の俺と同じくらいで、今の俺より二十センチは目線が上だ。女性にしては高いほうだから、この人混みでも周りが見渡せるんだろう。俺と茜ちゃんを連れて、ずんずん前へ進んでいく。
俺が尻込みしたことに気づいたんだろうか。だとしたら情けないし、恥ずかしい。男だったときは人混みなんて何も考えず進んで行けたのに。さっきまでのハイテンションはどこへやら、俺は一気に落ち込んで母さんの背中を追った。
フードコートは三階にあり、さらにその上の四階にはレストラン街があった。フードコートはやっぱり人が多くてくつろげそうにないので、四階に上がった。食べたいものより空いてるかどうかを優先して、適当なレストランに入る。
「大丈夫? お兄ちゃん、すごく疲れてるみたいだけど」
「うん、なんだかね。人混みに入っただけなのに、かなり体力使った気がする……」
田舎ってほどでもないけど、俺たちが住む町ではあまり人混みに呑まれるなんて経験は少ない。人でごった返す道も建物もないから、こういうのは慣れてなかった。だからといって数分歩くだけでへたるなんて、さすがに貧弱すぎる。元男ってこともあって情けない。
「ここ、レストランって言うよりカフェね。ご飯よりもドリンクや軽食が多いわ」
母さんがメニューを見ながら呟く。
「料理があるならいいよ、どこでも」
「うーん、なるべく出費は押さえたかったんだけどねー。その分、楓のお洋服を買えるはずだし」
「……えぇ? ここでも服を買うの!?」
「当たり前じゃない。ここならデパートより、もっとオシャレな服が買えるわよ。ちょっと高いけど、その分あたしの眼鏡に敵うものが見つかるはずだわ」
「お兄ちゃん、うんと可愛くしてあげるね♪」
「あ、茜ちゃんまで……うぅ……」
がっくりと肩を落として、俺は机に突っ伏した。
「ほら、寝てないであんたもメニュー見て決めなさい」
「うー……」
母さんからメニューを受け取る。テンションの落差は激しいけど、何か食べないとこの後がもたない。俺は無難にサンドイッチを選んだ。
この小さい身体になって、前より食べられないことには気づいている。ようやくどれくらいで満腹になるかを把握してきたところだけど、もっと食べてた頃から比べると、食べ足りない感じになる。満腹で食べられないけど、食べ足りない、矛盾した奇妙な感覚が生まれるのだ。
つまるところ、この身体になってからいい思いをしたことが一度もない。こう言うと失礼だが、茜ちゃんはよくこの身体で生活してきたと思う。いや、慣れなんだろうけど、元男の身体だった俺からすれば、不便だし損することしかない。少なくとも今の段階では。
もちろんこの身体がなければ、俺は生きていられないことも十分わかってる。だから生活しづらいということは絶対に口に出さない。それに茜ちゃんは俺のためにいろいろ世話を焼いてくれている。男として、弱音や我儘を漏らすわけにはいかなかった。
俺は悶々とした気分を誤魔化すように、運ばれてきたサンドイッチにかぶりついた。