一人暮らしの男の子
俺たちが門の扉を抜けると、玄関の前にいた黒猫は驚いてどこかへ行ってしまった。お嬢様は遠慮なく敷石の上を進んで玄関まで辿り着く。俺と、執事の男の子も一緒だ。
「な、なあ、勝手に入っていいのか?」
「何をへっぴり腰になってるのさ。ボクらより年上でしょ、しっかりしてよ、お姉さん」
「えぇ~……」
たぶん悪いことをしているはずなのに、なんでこの子たちはこんなに堂々としてるんだ……。いくら友達でも、勝手に家の中にに入ってこられたら怒るかもしれないのに。この状況を憂いていると、お嬢様は大胆不敵に玄関の引き戸をバンバンと叩きだす始末。
「ちょ、何してんだよ!」
「どうもこうも、鍵がかかってますもの。コーエイに出てきてもらうしかありませんわ」
「いやだから! 留守かもしれないだろ、普通に考えて」
「あり得ませんわ。彼、今は学校にすら来てませんもの」
「……学校に来てない?」
小学生で不登校か。見守るべき親がいないから、なんだろうか? だとしたらやっぱり、早めに様子を見に来て正解だったのかもしれない。
「それで、君たちがノートとか宿題とかを届けてくれてるの?」
「そのつもりだったんだけどね、今日はお嬢が屋敷に忘れちゃって」
「わ、わたくしのせいにするつもりですの? 荷物持ちは茅の仕事でしょう!」
「まあ面倒臭いから、ガードマンに取りに行かせたんだけどさー」
「……」
なんていうか、会話から置いてけぼりをくらってる感じがする。さっきからお嬢とか屋敷とかガードマンとか、この子たちはただ者じゃなさそうだ。それもまあ、まだ疑い半分だけど。
「今更で悪いけど、自己紹介してもいいかな?」
「ほんと、今更ですわね。まあ許しますわ」
上から目線で許可を頂けたので、「そりゃどうも」と付け足しつつ名乗った。
「かえでさんっておっしゃるの……きれいな名前ですわね」
「はは……お嬢様に褒められるなんて嬉しいよ」
ずいぶん名前負けしてる気はするけどね。中身がついて行ってないんだから。
「それで、君は茅君でいいのかな?」
「そうだよ、楓お姉さん。ちなみにこちらは晴香って言うんだ」
「人の自己紹介をとらないでもらえますこと? しかも呼び捨てなんてあんまりですわ!」
「はは……じゃあ俺は晴香ちゃんって呼んでもいいかな?」
また夫婦漫才みたいなのが始まりそうになったけれど、そう聞くとお嬢様は大きい目をさらに見開いて俺の顔を見た。
「ちゃん……ちゃん付けって、こっ、子供っぽいにもほどがありますわ……」
急に顔を赤くしてわなわなと震えながら、俺から顔を逸らしてしまう。
「あ、あれ? だめだったかな……俺もお嬢様、みたいなふうに呼んだほうがいい?」
「あうっ、いえ、そういうわけではありませんの……どうしてもおっしゃるなら、その呼び方で構いませんわっ」
「そ、そう……? 嫌になったら言ってくれ、直すから」
その言葉には頷かずに、晴香ちゃんは俺から顔を背け続けていた。うーん、許可してくれたってことは悪いわけじゃないと思うんだけど。とりあえず自己紹介は終えたので、今度は目的を話すことにした。
「俺はさっきも言った通り、母さんの知り合いがコーエイ君の親みたいなんだ。その人に頼まれて、コーエイ君の様子を見に来たってわけ」
「ふうん、だいたいのことはわかりましたわ。目的はわたくしたちと一緒のようですわね」
「どちらにしろ、コーエイが出てきてくれないと何にもならないけどね」
茅君の言う通りだ。返事がない以上は留守かもしれないとは思ったけど、不登校の小学生が外に出かけるとは考えにくい。居留守、という線が濃いだろう。それでもやっぱり、本人が出てきてくれないと何も始まらないんだが。
「とりあえず、家の外から様子を見てみますわ」
そう言って玄関から離れると、家の外を回るように敷地内を歩き始める。なんてアクティブなお嬢様だ。
「いいのかなあ、本当に……」
「まあどうにかなるでしょ、子供がすることなんだし」
「君たちはよくても、俺は高校生だからなあ……」
「えっ、お姉さん高校生だったんだ? 中学生かと思ってた」
「茅君、執事なら少しくらいレディを立てようよ……」
「ボクはそういう教育を受けてないんだよね、残念ながら」
お嬢様と執事って、もっと格式高い人たちだと思ってたんだけど、こんなにいい加減なのか。呆れながらも晴香ちゃんを一人にするわけにはいかなくて、執事の茅君と後を追う。
庭から回り込んでみると、縁側はすべて雨戸を閉め切られていた。照明をつけなければ家の中もかなり暗いに違いない。
「これじゃあ中にいるかどうかもわからないな……」
というか、庭を見るだけでもこの家に人が住んでるかどうか怪しく思う。雑草が生えまくっているし、池の水も干からびて無くなっている。小学生一人に手入れできる物じゃないけど、空き家だと言われてしまえば納得できる荒れっぷりだった。
「庭なんか見て、どうしましたの? そんなところにコーエイはいませんわよ」
「いや別に……」
園芸や植物が趣味である身としては、せっかく庭があるのになあ、なんて考えてしまったのだ。この家の住人よりも庭を気にするなんて、自分でもほとほと呆れる。今はそんなことを考えている場合じゃない。
でも、肝心のコーエイ君が出てきてくれないのだ。母さんへの報告が「家に行ったけど会えませんでした。小学校も不登校みたいです」だったら、さらに心配させてしまう。何としても一目会いたいけど、どうすれば……。
「この雨戸、鍵がかかってないじゃん」
茅君が手をかけてスライドさせると、俺たちの目の前であっけなく雨戸が動いた。その先はガラス戸で、縁側と閉め切られた襖が見える。
「だから勝手にしちゃダメだって――」
「見て! 中に人影が!」
お嬢様が叫んで指をさす。その先には襖があって、部屋の照明が隙間から漏れていた。それを横に遮っている黒い影は、確かに人の形に見える。ただし、本当にそうなら横たわっているということになり、かなり危険な状態か何かだ。気が動転した俺たちは、ガラス戸を手で叩きながら必死で呼びかけた。
「コーエイ! まさか死んでるの!? 早く起きて開けなさい!」
「死んでたら起きれないだろ! 物騒なこと言うな!」
ガラス戸を引こうとするも、こちらは中から鍵がかけられていて雨戸のようにはいかない。この様子だと家に入れそうな場所は全部戸締りされているだろう。
「普通に緊急連絡すればいいだろ。お姉さんはケータイとか持ってないの?」
「はっ、そうだった!」
冷静な茅君に言われて携帯電話を取り出し、ダイヤルを押そうとした瞬間、
「あっ、見て、動いた!」
晴香ちゃんに言われて顔を上げると、影がのっそりと立ち上がったところだった。それから力任せに襖が開かれ、一人の男の子が和室から出てきた。
「人んちで騒がしいんだよ、お前ら……」
縁側から俺たちを見下げながら、ぼさぼさ頭の男の子がガラス戸を引いて呟く。
「しょうがないですわ、コーエイが死んだと思ったんですもの」
「なんだそりゃ……ただ寝てただけだっつの」
なんだ、寝てただけか。騒ぎ立てた二人に乗せられたとは言っても、俺も少し早とちりしすぎたな。何にしても、無事にコーエイ君と会うことができた。
「えっと……君がコーエイ君で間違いない?」
「あ? 誰だ、あんた」
「俺は北見楓。母さん……じゃなかった、小坂っていう人を知ってるよね?」
「小坂? ……まあ、知ってるけど」
「その人に頼まれて、君の一人暮らしの様子を見に来たんだ」
「……電話で聞いたよ」
どうやら事前に母さんの連絡が行っていたらしい。俺はほっとしつつ、母さんが知らないであろうことを尋ねた。
「ねえ、コーエイ君。学校に行ってないって、本当?」
「……そこの二人に聞いたんだろ。本当だよ」
「どうして行ってないんだ? 俺は君がどういう生活をしてるかを知らせなきゃいけないんだけど、それを聞いたらきっと、君の親も心配するんじゃないか?」
「俺の親ぁ?」
急にコーエイ君の機嫌が悪くなったのがわかった。顔を怒りに歪ませて、俺を睨む。小学生ながら、なんて敵意のある顔をするんだろう。いつか、透が敵意をむき出しにした顔を思い出して、何となく似ている感覚があった。
「何をふざけたこと言ってんだよ。俺の親が俺の心配だって? するわけねえだろ、あんな人でなしが」
「なっ……!」
俺は耳を疑った。あろうことか自分の生みの親に向かって、人でなしなんて言葉を使ったんだ。
「なんでそんなことを言うんだよ。仮にも親だろ?」
「あんたには関係ねえよ。もう帰れ。報告なんか勝手にしろ」
それだけ言い捨ててガラス戸を閉めようとするコーエイ君。俺は咄嗟に手で押さえて、戸が閉まり切るのを防いだ。
「なっ、おい! 離せよ!」
「こんなんじゃ、親に心配かけるに決まってるだろ! 不登校の理由も親を人でなしって言った理由も、全部話せ。じゃないと帰れない!」
「知るか! 俺がどんな生き方しようとあんたに関係ねえ!」
小学生ながら男の子の力は強く、俺がガラス戸を押さえる手が持たない。
「茅君、晴香ちゃん。悪いけどちょっと手伝ってくれ」
後ろの二人に助けを求めると、二人は戸惑いながらも頷いて俺に加勢してくれた。
「お前ら……くそっ、後で覚えてろ……」
こっちが徐々に優勢になり始めて、ガラス戸が少しずつ開いていく。コーエイ君も歯を食いしばって力むけれど、三人の力には敵わない。でも、持ちこたえようとしているのはすごいな。小学生なのになんて力だ。
戸が開き切るまでもう少し――。
ぐうぅ~~~、きゅるるるるるる……。
「……は?」
突如、頭上からお腹の鳴る音が聞こえて、三人の力が一気に抜けた。けれど、その隙にコーエイ君がガラス戸を閉め切ることもなかった。こちらもどうやら力が抜けたらしい。
「はらへった……」
呟いて、コーエイ君はそのまま縁側にバタンと倒れこんでしまった。