みんなでバイキング
日曜日の朝が来た。俺にしては珍しく平日と同じ時間に起きて朝食を済ませ、茜ちゃんの片づけを手伝った後は自室に戻り、出かける準備を始めた。
昨日のうちに履歴書は証明写真を貼るだけにしてある。菊池さんのメールもちゃんと返って来て、今日もアルバイトで「Radiant Flower」にいるらしかった。連絡に関しては茜ちゃんの言った通り喜んでくれて、俺も素直にほっとした。
さて、ひとまず予定を確認しよう。今日はみんなと一緒にペイスへ行き、お礼を込めてみんなにお昼を奢る。それから菊池さんもいる「Radiant Flower」で園芸用品を調達して、履歴書を出す。それ以降は北見宅でサルピグロッシスの植え替えだ。
移動時間も考えるとなかなかのスケジュールだけど、それに関しては特に心配していない。俺が悩んでいるのは菊池さんに会うこと、そのものだ。連絡したのはつい昨日のことだけど、実際に会うのは数週間ぶりだ。だからなのか、昨日のメールが帰って来てからいやにそわそわしてしまう。
落ち着かないのもそうなんだけど、会って話せるかどうかも自信がなかった。今回は俺のことで迷惑もかけたし、謝らないといけないとも思ってる。電話やメールでは許してくれてるみたいだけど、やっぱりちゃんと頭を下げなきゃ。それからお礼を言って、アルバイトのことも伝えて……うぅ、上手くできるか心配だ。
そしてさらにもう一つ、俺の頭を悩ませているのが目の前にある。にっちもさっちも行かないまま、茉希ちゃんたちの到着を告げるインターホンが部屋にも聞こえてきた。
一階にいた茜ちゃんがすぐに出て、リビングにみんなを招き入れる。それから階段を上って来て、俺の部屋のドアをノックした。
「お姉ちゃん? 開けてもいい?」
「う、うん」
俺が返事をすると茜ちゃんがドアを開ける。そして部屋の惨状を見て、すぐさま部屋に入ってドアを閉めた。
「もう、まだ準備してなかったの? みんな来ちゃったよ?」
「ごめん。なかなか決まらなくて……」
俺と茜ちゃんが見下ろすベッドの上には、大量の服が広げられていた。かれこれ一時間ほど悩んでいるんだけど、元が男の俺だけじゃどうも自信がない。結局、今日のコーディネートが今まで決まらなかったのだ。
「珍しいね? お姉ちゃんがお洋服で悩むなんて」
「そうかな……そうかもしれない。今まで深く考えたことなかったし」
「でもいいことだよ。大切な時期なんだから、ちゃんとしないとね。ちょっと待ってて、茉希ちゃんにも来てもらうから」
そう言って楽しそうに茉希ちゃんを呼びに行く茜ちゃん。昨日から時期って言葉をたまに聞くけど、なんのことなんだろう? しばらくして来た茉希ちゃんも、茜ちゃんと揃ってニヤニヤしていた。
「コーディネートで悩んでるなんて、楓もようやく春が来たのね」
「何言ってるんだ、もう五月も終わるのに」
「あら、天然って手ごわいわ。まあともかく、服のことなら任せなさい。茜と一緒に、すっごく可愛くしてあげるから!」
「えっ、可愛く? 何で?」
「とりあえずそのジーパンは合わせようがないし季節感もないわ、脱ぎなさい!」
「話を聞いてよ茉希ちゃん! えっ、な、茜ちゃんいつの間に背後にっ?」
「大丈夫、わたしたちに任せて? 大人しくしてれば悪いようにはしないから♪」
「なんか笑顔が怖いよ! 動けないからやめ、あっ、ちょ、ひぁ――!」
挟み撃ちにされた結果、俺はあっという間に下着姿にさせられ、茉希ちゃんの眼鏡に適う服を着せられる。
まず、上はブラジャーごと変えられて、パステルグリーンの肩出しチュニックを着せられた。肩出しする服はブラジャーの肩ひもが見えるため、肩ひもがないタイプをつけるらしい。理屈はわかるけど、肩出しは恥ずかしいし、肩ひものないブラジャーはずり落ちそうで怖いし、これ一枚だとまだ肌寒い。そう言って抗議したら、兎のパーカーを着せられた。結局上に着るのなら、肩出しだろうが何だろうが関係ない気がするんだけど……まあいいか。
下はブラウンのホットパンツと可愛いめの白い靴下だ。これも寒いと抗議したけど、今度は聞き入れてもらえなかった。「若いんだから生足でいいのよ」って、だったら茉希ちゃんも二―ソックス脱げばいいと思う。俺より背が高いから足もすらっとしてるし、映えるだろうに。
最後に髪をポニーテールにまとめて、靴は黒のスニーカーを履くように言い渡される。母さんの時と何ら進歩していない、言われるがままの俺はまるで着せ替え人形みたいだ。
「はあ……」
「もう、せっかく可愛くしてあげたのに、暗い顔してたら台無しよ? 女の子は笑顔えがお」
「まったく人の気も知らないで、調子いいんだから、ほんと」
散々俺をいじったおかげか、二人の表情はすごく満足そうだ。ちょっとは俺の意志も尊重してほしい……けど、これ以上はみんなを待たせるわけにもいかなかったので、このコーディネートに決定となった。
「お姉ちゃん、忘れ物ない?」
「うん、それは大丈夫……」
履歴書の入ったトートバッグを肩にかけて、三人でリビングへ下りる。透と翔太は首を長くして退屈そうにしていたので、待たせたことについては詫びた。が、何やら男どもも俺を見て妙に笑ってる。二人にされるがままだったけど、この装備で本当に大丈夫かなぁ……。
一抹の不安を覚えながらも、みんなが揃ったのでようやくペイスへ出発した。
週末だからか、電車もバスも少し人が多かった。でも特に何事もなくペイスのバス停へ到着する。予定よりちょっとだけ出発が遅れたので、急いで履歴書の写真を撮ることにした。
「一回七百円かぁ……結構高いわね」
「そんなもんじゃないのか? ちゃんとした写真なんだし」
個人写真の価値なんて聞かれてもわからないけど、学生が出すには少し高額かもしれないな。そんなことを考えながら中に入ってカーテンを閉める。この狭いところに一人でいると、なんでか恥ずかしくなってくる。
音声の指示通りにすると、三回シャッターが切られて撮影が終わる。その中から一つを選んで印刷するようだ。一回目は瞬きしてしまっていて、二回目は襟が少し歪んでいるのが気になったので、消去法で三回目に撮影したものを印刷することにした。
「写真が出てくるのは外なのね。ここだけプリクラと一緒だわ」
茉希ちゃんが不思議そうに撮影機を見て言う。プリクラと証明写真を比べるのもどうかと思うけど、ベースの機械は変わらないのかもしれない。妙なことを考えながら、出てきた写真をひとまず履歴書と同じクリアファイルに入れた。
「終わったのか? 早くメシにいこーぜ」
「まったく、食べることしか頭にないんだね、透は」
急かす透に、呆れて笑いながら翔太が小突く。まあ、今日はそれも目的の一つだし、テーブルに着けば履歴書に写真も貼れる。昼食にはちょっと早いけど、どうせ混むだろうし今からでも問題ないか。
「じゃあお昼ご飯にしようか。何が食べたい?」
「アタシは何でもいいけど……本当に全員分、大丈夫なの?」
「心配しないでよ。貯金は結構あるんだ。何よりみんなへのお礼なんだから、遠慮せずに行きたいところ言って? まあ、とりあえず行きながら考えようよ」
みんなの先陣を切ってペイスの中に入る。人混みは相変わらずだったけど、ゴールデンウィークよりは幾分か落ち着いていた。逸れないように気をつけて二階のレストラン街に向かいながら、まずはみんなのリクエストをまとめる。
「俺は肉食いてー。ハンバーグとかステーキとか」
「お昼なのにそんなに重いの食べられないわよ。無難に洋食がいいんじゃない?」
「洋食かあ。じゃあ俺は茉希の案に乗ろうかな。麺の気分だからパスタ食べたくって」
「わたしたちは昨日のお昼にパスタ食べちゃったから……ご飯のほうがいいんじゃないかなぁ」
なんとまあ、見事に意見が分かれてしまった。メニューのサンプルが陳列してあるショーウィンドウを見ながらレストラン街を見て回るが、満遍なくみんなのリクエストを満たせそうなお店はなかなか見つからない。お昼時で混んでいるのもあるから、早くお店を決めて並んだほうがいいんだけど……。
「だったらよー、向こうのバイキングはどーなんだ?」
「バイキング? そんなお店あったっけ?」
茉希ちゃんが首を傾げる。発案した透以外は、みんな知らないみたいだった。
「ねーちゃんに聞いたんだけど、映画館の前にあるらしいぜ。とりあえず行ってみねーか?」
確かにバイキングなら色んなメニューを取り揃えているはずだし、お店が決まらないままぐるぐるとレストラン街を回っているよりはいい。俺たちはペイスの端にある映画館、その前にあるらしいバイキング形式のレストランへ足を向けた。
それにしても、透にお姉さんなんていたのか。話にも聞いたことがなかったし、思い返してみれば茉希ちゃんや翔太の家族のことも知らない。けど、今更改まって聞くことでもないし、どうでもいいと言えばそうなんだよなあ。急いで知りたいわけじゃないし、機会があったら知ることもあるだろう。そう思って、気にはなるけど尋ねる気にはならなかった。
「もしかして、あれかな?」
茜ちゃんが指差す先には、入口にメニューボードが立ったお店があった。レストラン街みたいにショーウィンドウやサンプルはないけど、雰囲気は洋食なので、茉希ちゃんと翔太のリクエストはクリアできそうだ。ご飯ものもリゾットやピラフがあれば、茜ちゃんの要望にも応えられる。
「ここなら肉もあるんだぜ。注文してから焼いてくれるらしいんだ、でっかいのをな」
「へー、面白そうだな。みんなもここでいい?」
「アタシたちはいいけど、ここけっこうするわよ? 本当に大丈夫なの?」
メニューボードを見てみると、九十分の時間制で食べ放題、セルフバイキング形式とあった。お値段は学生料金で一人千二百円。そんなにがっつり食べないなら他のレストランのほうが明らかに安上がりだけど、みんなへのお礼なんだからケチる理由もない。それに昼食の食べ放題は重いからか、今ならすぐ席に着けるだろう。
「遠慮しないで大丈夫だよ。今日は散財覚悟で来てるし、みんなへのお礼なんだから」
「散財覚悟って……」
茉希ちゃんが呆れたように言うと、茜ちゃんが何か茉希ちゃんの耳元で囁いた。
「あーもう、わかったわよ。楓が頑固なのは知ってたから、本人が言うならここが良さそうね」
「頑固? なんのこと?」
「自覚がないならいいわよ、別に」
よくわからないが、ともかく納得してくれたようなので、俺が先に立ってお店の中に入る。すぐに店員さんが出てきて、六人席のテーブルに案内してくれた。終了時間と注意事項を述べた後は、バイキングの時間の開始だ。透なんかは早く肉を注文したいらしくて、店員が離れるとすぐに席から立ち上がった。
「なあ、もう行っていいか?」
「わたしと茉希ちゃんで荷物見てるから、三人とも先に行って料理取って来なよ」
「え、二人が? いいよ、俺が一人でいるし」
「楓が持つんだし、そんな留守番みたいなことさせられないわよ。透、楓を連れってあげて」
「おう。楓、行こうぜ。出来上がるまで時間かかるんだから、早く頼まないと損だ」
透はもう肉のことしか頭にないらしい。俺の腕を引いて席を立たせると、料理が置いてあるエリアに連行する。遅れて翔太もついてきた。
「すげーな、いったいいくつ料理があんだ?」
「さあ、わかんない」
ずらりと並んだ料理に圧巻されて、素っ気ない返事をしてしまう。けど、確かに料理の数はすごい。翔太がお望みのパスタですら三、四種類ある。他にもピザなどのパンもの、ピラフなどのご飯もの、スープ、アイスクリームまで数種類ずつあった。ファミレスにあるようなドリンクバーもあるし、好きな野菜やフルーツをトッピングできるところもある。九十分じゃ絶対に網羅できないメニュー数とバリエーション……というか、それ以前にお腹に入らない。
透は早速肉を焼いてもらいに調理場の窓口へ向かった。翔太も俺の傍で皿を手にパスタを盛り始めている。食べたいものを食べたいだけ取って食べれる、しかも時間内なら値段が変わらないなんて、食べ放題バイキングってすごい。初めての俺は感激しながら、どれを食べようかと皿を手に迷う。
どれだけ食べてもいいならなるべく多く食べたほうがいいに決まっている。でもお腹には限界があるので、俺が取るべき手段は量よりも数だ。全メニューを少しずつ取れば、全部の料理を楽しむこともできる。けど、あまり迷っていると時間が来てしまうし、茜ちゃんと茉希ちゃんを待たせることになる。
俺は野菜に目をつけて、最初にサラダを食べることにした。お腹に重い料理を後に回して、少しでもたくさん数を食べようという魂胆だ。後はコップにオレンジジュースを注いで、パスタを取り終わった翔太と二人のもとに戻った。何度でも料理を取りに行くことができるので、焦る必要はないのだ。
「お待たせ、二人とも」
「あら、早かったじゃない。じゃあアタシたちも行きましょうか」
「うん」
俺たちと入れ替わりで茜ちゃんがテーブルを離れ、料理を取りに行った。しばらくして透も、皿いっぱいにステーキとハンバーグを乗せて帰ってきた。
「そんなに食えるのか?」
「ああ? 余裕に決まってんだろ、肉だぜ肉」
いや、理由になってないし……呆れていると、透はすでに食べ始めていた。翔太もフォークにパスタを絡めて口に運び始める。二人に触発されて食べるか待つか迷っていると、翔太が不思議そうに尋ねてきた。
「楓は食べないの?」
「えっ、ああ、二人を待ってからのほうがいいかなあって」
「あ……しまったな、透につられちゃったみたいだ」
バツが悪そうな顔をして翔太はフォークを置いた。その様子に気づかず、もりもりと肉を口に運ぶ透。みんな揃ってから食べるほうがいいと思っただけなんだけど。
俺も周りに無頓着な男の時だったら気にしなかったけど、料理とみんなが揃ってから食べ始めるのがマナーなんだよな。周りに目が行くようになったせいで、ある程度そういうことにも気づくようになってきた。そういう変化がなかったら、俺もたぶん翔太と同じように食べ始めてたと思う。
この後、ステーキを食べ終えた透だけに茉希ちゃんの雷が落ちたのは言うまでもない。