反撃
学校に着いてみると、事件当時よりは幾分か落ち着いているように感じた。榊先生が判断した二日間の自宅謹慎には、狙い通りの効果があったようだ。
予定外なことといえば、今日になってもまだ俺の処分が決まっていないということ。
昼休みになり、放送で会議室に呼び出される。生徒の処分は本来、先生たちだけが会議などで話し合ったものを、最終的に校長先生が決断する。親や生徒本人をその場に呼び出すのは例外中の例外らしかった。でも、事件が先生たちも多忙なテスト期間中に起きたこと、そもそも俺に処分が下されることに異を唱える榊先生の計らいがあり、俺やおじさんが会議の場に出席することになったのだ。
昼食を諦め、茉希ちゃんと茜ちゃんに付き添われてそこへ向かうと、ドアを開けて入ろうとしていたおじさんと榊先生がいた。二人とも俺に気づくと手招きをする。
「来てもらってすまないな、二人は戻っていいぞ。教室までは私が送る」
「よろしくお願いします、先生」
「お姉ちゃん、お父さん、また後でね」
二人は俺を榊先生に預けて、教室に戻っていった。
「入ったら挨拶して、左の手前の席に座ってくれ」
促されて会議室の中を見ると、一番奥の席に校長先生が座っている。それを中心にした右側に、鹿角先生たち三人が顔を揃えていた。反対側には生徒指導の芦屋先生と、空席が三つあった。
俺は言われた通り、「失礼します」と声をかけて会釈してから、入ってすぐの左側の席に座った。その左隣におじさんと榊先生が順に着席する。
全員が揃って、話し合いの場は整った。
「お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます」
榊先生がまず謝辞を述べた。
「この場も三日目となり、テストの添削などと重なってさすがにお疲れかと存じますが、今一度、事件の収束に向かうべく話し合い、ここにいる北見楓の処分について再考していただきたいと思います」
「ふん」
それに答えたのは鹿角先生の鼻息だった。が、特に何か言うわけでもない。書記らしい芦屋先生が動かすペンの音だけが響く中、榊先生が話を続けた。
「本日は北見楓も同席しておりますので、まずは事情聴取を行いたいと思いますが、よろしいでしょうか」
事情聴取、という言葉を聞いて身が固くなる。でも、落ち着かなきゃ。やましいことはないんだし、正直に答えればいいはずだ。そう思っていると、意外なことに鹿角先生が異を唱えた。
「北見楓の事情聴取は事件当日に我々が担当しています。今更何を問い質すつもりなのです?」
「ただ事実を述べてもらうだけです。あなた方の調査報告書には不備が見られました」
「不備ですと? 出鱈目なことを……」
「指摘したところ、芦屋先生と校長先生も認可をくださいました。よって、この場で再度、事情聴取を行います。よろしいですね?」
榊先生が校長先生に問いかける。視線を追うように鹿角先生も校長先生を見たとき、すでに校長先生は頷いた後だった。
「校長先生の決定ならば仕方がないでしょう。時間はないのですから、手短にお願いしますよ」
不承不承といった感じで対岸席の鹿角先生たちが頷く。
「では北見楓、そのままでいいから質問に答えてくれ」
「はい」
事情聴取が始まる。先生たちの視線が集まる緊張の中、榊先生は書類の質問事項を読み上げた。
「まず写真のことについて問う。お前自身に、この写真の心当たりはあるか」
「はい。これはゴールデンウィークにペイスを訪れたときの写真です。隣に写っているのは知り合いの大学生で、俺はこの人に一緒にスイーツを食べに行こうと誘われていました。ですが……」
「いや、そこまででいい」
菊池さんに非がないことを言おうとしたのを遮られる。俺も素直に頷いて口を噤んだ。
「次に、この大学生とお前がどういう関係なのか、具体的に言って欲しい」
「この人はペイスの花屋のアルバイト店員です。俺はその花屋を手伝ったこともあり、この人とはよく話をしました」
「どんな話をした?」
「ほとんど、花や園芸のことです。お店のアルバイトについても少し。その他は日常会話程度です」
「では、どうして一緒にスイーツを食べに行くことになった?」
「雑談中に、お互いに甘いものが好きだとわかったときに誘われました。ゴールデンウィーク中でしたし、断る理由はありませんでした」
先生たちとおじさんは一様に難しい顔をしている。正直に話しているつもりだけど、言いながら俺も宙ぶらりんな答え方だと思い始めた。
「最後の質問だ。お前とこの大学生に男女の関係はあったか?」
今度は単刀直入、ズバリ聞いてきた。俺の答えは決まっている。
「ありません」
「つまり、お前にとっては純粋に知り合い、あるいは友人というべき関係であるということだな?」
「そうです。それ以上はありません」
「わかった。私からの質問は以上です。他の先生方からも質問はありませんか?」
榊先生が問いかけたが、特に声は上がらない。
「無いようですね。では、事情聴取を終了とします。本人の主張から、北見楓が不純異性交遊に走っていないということはお分かりいただけたかと思いますが」
「それで決断するには早すぎますぞ。北見楓は単にそう主張しているに過ぎないのですから。嘘をついている可能性も捨てきれない。つまり、不純異性交遊に走っていないという証拠はないのでは?」
「そっくりそのままお返しします、鹿角先生。彼女が不純異性交遊に走った証拠もありません。この写真では彼女が証言したように、ただ一緒にスイーツを食べに行っただけにしか見えないでしょう。処分を下すにも十分な証拠と理由がない。ましてや本人らが男女関係がないことを主張しているとすれば、処分は不当な判断だと思われても仕方ありません」
「しかし、世間やPTAにはどう公表するのですか。すでに悪い噂が立っておりますし、何かしらの処分を言い渡さなければ学校側としても面子が立ちませんぞ。生徒たちも納得しますまい」
「あなたはただの噂を鵜呑みにして処分を言い渡すと仰るのですか? それこそ不当の極みでしょう。我々の決断は世間の噂に左右されてはなりません。公表するならきちんと事実を述べればいいことです。彼女とこの大学生に不純異性交遊の事実はなく、噂は先行した虚偽のものだと、そうでしょう?」
「ですが――」
榊先生と鹿角先生が交互に主張を重ね始めた。榊先生は言われたことに対して返答と理由を明確に述べているけど、対する鹿角先生は「校則違反」「不純異性交遊」「嘘の主張」「処分」といった単語を組み合わせているだけに思える。傍から聞いていればまともな会話になっていない。ただの一点張りで、前に榊先生が言っていた通り「事実を捻じ曲げて北見楓に責任があるように仕立て上げようとしている」ようにしか見えない。
「双方とも落ち着きなさい」
中心で黙っていた校長先生も見かねて二人を止めた。
「事情聴取によって本人の意向はわかりました。北見楓とこの大学生の間に男女交際、および不純異性交遊の事実はない、そう認めるに値するでしょう」
「く……」
鹿角先生が悔しそうに唇を噛む。でも、俺がその様子を見て安堵したのも束の間だった。
「しかし、仮に処分は免れるとしても、疑いがある限り厳重注意は免れませんな。当然、アルバイトなどもっての外でしょう。世間の目もありますし、これ以上はこの大学生との接点を増やすわけにはいかないのですから」
この瞬間、鹿角先生は目的を変えたのだと思った。いや、もともとはこれが目的だったんだ。俺にアルバイトをさせないことが。俺を処分対象にできれば好都合、できなくてもアルバイトを却下できればよかったのだ。
「私が保護者として、責任を持って監督する。それでも駄目だろうか?」
「いくら親御さんでも、四六時中見張ることなどできるわけがありません。万が一という不安要素は残りますな」
おじさんの申し出も無碍にされ、校長先生も難しい顔をする。さすがに疑いを完璧になくすには、本人の証言だけじゃ足りないんだ。
「幸い成績のほうは学年でもかなり上位ですから、より一層勉学に励むことが望ましいでしょう。我々もそれには努力を惜しみません。我々の監督下で清く正しい学校生活を送ること、これが何よりも本人のためですな」
聞こえはいいが、鹿角先生は勉強という名目で俺を学校に縛る気なのだ。監視対象からももちろん外されていない。俺にとってはすべての課外活動を禁止されたも同然だった。
職権を乱用してまで、鹿角先生はそんなに俺のことが気に入らないっていうんだろうか。こっちは数回の授業で居眠りしたくらいで、他のクラスメイトもやっていることだ。それ以上は目をつけられる覚えなんてない。
理由もわからず嫌われる悲しさと、理不尽さにこみ上げる怒りを、唇を噛んで耐えた。絶対に泣くわけにはいかない。それは負けたって言うのと同じだ。今まで励ましてくれた茜ちゃんや茉希ちゃん、透と翔太、母さん、それに巻き込んでしまった菊池さんにも顔向けできない。
まだ手はある。俺と菊池さんに男女の関係がないこと――学校が懸念するような関係にないことを、どうにかして証明すれば。
「学校に縛り付けるのは、本人のためとは言えませんね」
榊先生が涼しい顔をして言い放った。異を唱えられた鹿角先生はすぐに反論する。
「何を仰るか。学生はまだ大人になり切れていない、いわば子供です。大人が監視しなければすぐに間違いを起こしてしまう。だからこそ我々教師の管理下に置き、見張らなければならないのですよ」
「ではお聞きしますが、正しい大人の目が届くのであれば、娘もアルバイトができるのではないですか?」
今度はおじさんが質問を投げかけた。
「ですから、いくら親御さんでも限界が……」
「私が見るとは言っていません。私が信頼できる身近な大人に、娘がアルバイトするのを見守ってもらう。それならアルバイトも許可できるのではないかと、そう聞いているのですが」
「む……ええ、まあ、そういうことになりますな。しかし、そうそう適任者などいますまい。アルバイト中の彼女を常に見張れる者など……」
「いいえ、最適な方がいらっしゃいます」
榊先生とおじさんが顔を合わせ、僅かに口角を上げた。鹿角先生たちは驚いて顔を見合わせていたけど、誰も思い当たる節がないらしい。俺もわからないでいると、榊先生が答えた。
「北見楓がアルバイトをする花屋の店長です」
「なっ」
あっ、と俺も声を上げそうになった。鹿角先生は堪えきれずに口に出してしまい、しかも呆然とした表情をしている。榊先生とおじさんはもしかしたら、最初からこの話になるよう誘導していたのかもしれない。さっき笑ったのは、計画が上手くいったからだったんだ。
「この大学生もアルバイトにすぎません。当然、雇用者である店長がおられます。その方に二人を見守っていただけるなら、これ以上ない監視者、責任者となり得るでしょう」
鹿角先生たちも俺自身も、写真のことに焦点を当てすぎて、こんな簡単なことに思いつかなかったんだ。柊さんが俺たちのことをきちんと見守ってくれるなら、アルバイトで先生たちが言うような万が一は起きないと言ってもいい。それでも鹿角先生は負けじと声を上げて反対しようとする。
「は、早まってはなりませんぞ。もしその店長とも関係が出来上がってしまっては」
「何を仰っているのですか、鹿角先生? 店長は女性の方ですよ。北見楓のアルバイト先についてまとめた資料はあなたにもお渡ししているはずです。よもやご覧になっていないなどということはありませんよね?」
「あ、いやっ、きちんと拝見させていただきましたとも。私が書類に目を通さないなどあり得ませんからな……」
鹿角先生の目が完全に泳いでいて、榊先生の視線から逃げている。対話の主導権を握った榊先生は続けて結論を述べた。
「その条件下であれば、北見楓もアルバイトをすることが可能なはずです。鹿角先生が仰ったことに不備がなければ、の話ですが」
「わ、私の発言に不備など……」
いつもの調子でそう切り返した鹿角先生は、目を見開いて硬直した。口から出てしまった言葉はもう、なかったことにはできない。プライドの高い鹿角先生ならなおのこと、発言を取り消すことはできなかった。
「いかがでしょう、校長先生」
「うむ」
校長先生が重々しく頷いた。
「結論を出すには、我々教師がもうしばらく議論する必要があるでしょう。結果は追って連絡させていただきます。どうかご理解ください」
「わかりました。どうかよろしくお願いします」
おじさんが立ち上がって礼をしたので、俺も慌ててそれに倣った。一拍遅れて榊先生も立ち上がる。
「私が校門までお見送りします」
「それでは一度この場を締めましょう。改めて放課後、先生方はここへ集まってください」
解散を告げた校長先生も席を立ち、最初に会議室を後にした。次いで鹿角先生たちと芦屋先生も出て行く。最後に俺とおじさん、榊先生の三人がその場に残った。