退院、お出かけ
それから学校に通うための話し合いが続いた。まず、俺の家族枠が北見になり、住居も北見宅に部屋を構えることになった。もちろん、これまで住んでいた家は健在だ。小坂楓として帰る家は変わらない。でも少なくとも高校卒業までは、北見楓として北見宅と学校を行き来することになった。
さっき話した通り、学校は生前と同じ、茜ちゃんと一緒に通う高校だ。ただし今度からは茜ちゃんと同じクラスになり、双子の姉妹という設定で辻褄を合わせることで、俺が一度死んでいる小坂楓とは別人として学校に行くことになる。
この辺りはすべておじさんが考えたことだ。生き返らせてくれたり学校に通わせてくれたり、至れり尽くせりでおじさんには頭が上がらない。そういえば仮にも父親になるのだから、せめて「おじさん」って言葉は改めたほうがよさそうだな。かといって安易に「父さん」とは呼ぶわけにはいかないけど。
学校への手続きと制服の手配も含め、準備期間にしばらく日にちがいるらしい。通えるようになるのは来週水曜日からだそうだ。女の子としての初登校はゴールデンウィーク一週間前の予定になる。中途半端な転入だが、おじさんによればなんとかなるらしい。
そうやって今後の話を固めた次の日に、俺は退院することになった。
荷物という荷物もなく、仕事で病院に残るおじさんに見送られて、母さんが運転する車に茜ちゃんと乗り込んだ。今日の服はパジャマではなく、普段着のトレーナーとジーパンを茜ちゃんに借りて着替えている。スカートはまだ勇気がない。
今日は一日、北見宅へ引っ越す手はずになっている。といっても北見家は小坂家のお隣さんで、最低限の私物を部屋に運ぶ程度で済みそうだ。北見宅には使っていない部屋が一つあり、そこを俺のためにあてがってもらうことになった。
「おに……お姉ちゃん、どんな部屋にしたい?」
後部座席で隣に座る茜ちゃんが聞いてきた。呼び方を変えたのはもちろん俺の正体がバレないようにだ。これまで一人っ子の茜ちゃんがお兄ちゃんと呼ぶ人物は俺一人しかいない。なぜかその話は茜ちゃんのクラスでは有名らしく、うっかり口を滑らせるだけでもかなり危ない。
だから早いうちに茜ちゃんは「お姉ちゃん」呼びに慣れようとしているけれど、まだ俺のほうも慣れなくて変な感じだ。
「特に考えてないなあ。部屋の広さと間取りを見てから決めるよ」
「楓、茜ちゃんが聞きたいのは部屋の雰囲気よ。この機会だから、思いっきり女の子っぽく可愛い部屋にしてみたくない?」
「ええっ、そこまでするの!?」
「もちろんよ。だから帰る前に一度、色々買い物に寄ってくつもりだけど?」
そういえば見慣れた道を走っているけど、明らかに家に向かうルートじゃない。家はもっと住宅街の中で閑静なのに、ここは大通りでどんどん街のほうに向かって行っている。
「今まで通り、普通の部屋にするつもりだったよ。ていうか、俺の部屋から荷物を移すだけだって思ってたんだから」
「そんなことしないわよ。あの部屋はあの部屋のまま取っておいたほうがいいの。だから今日から過ごすあんたの部屋は、北見楓という女の子の部屋よ。一からレイアウトを考えるわ」
なんだか面倒になってきたけど、女性陣の二人はやる気らしい。俺の部屋なのに好き勝手されそうで、今からでも心配だ。
ちなみに元の俺の部屋だけど、至ってシンプルな部屋だった。壁紙は白、棚も飾りっ気のない普通のもの、ベッドも特別拘った物でもなく、あとは小学校から使っている一般的な勉強机があるだけ。あ、観葉植物の鉢を隅に二つほど。これはレイアウトに関係ない気はするけど。
そんなことを考えているうちに建物の駐車場に入ってしまった。足元に気を付けて車を降りてみれば、全国チェーンの大きなホームセンターだ。
店内へ入ると、二人は早速家具売り場のほうへ向かって行く。俺は出入り口をちらちら気にしながらも、逸れるわけにはいかないので後を追った。このホームセンターは日用品や資材よりも、家具を多く取り扱っていることで有名だ。取り揃える家具の種類やデザインも多種多様で、見ていくだけでも充分面白い。
しかし、まさか全部ここで買いそろえる気だろうか。乗ってきた車はミニバンで、後ろの座席を畳めば棚や机くらいは入るだろうけど、ベッドなんかは無理だろう。
「家具って、何を買うの?」
「全部よ。ベッド、机、棚、タンス、カーペットあたりかしら。カーテンと壁紙は後でもいいわ。今日のうちに荷物も運びこんで、あんたが夜に寝られるまでにするわよ」
「あの車で何度も往復する気なの? 無謀じゃない?」
「何言ってんのよ。ホームセンターには配達サービスってもんがあるの」
どうやら買った家具や資材を家まで運んでくれるサービスらしい。なるほど、それならここで買い揃えても問題なさそうだ。
俺があれこれ考えるのを余所に、母さんと茜ちゃんは色んな家具を見てはしゃいでいる。他人の家具選びなのになぜ当事者より盛り上がるのか、女の心理はわからん。
そうしているうちに俺の意見が取り入れられることもなく、二人によって粗方の家具の選定が済んでしまった。見たところ、棚とベッド、タンスは普通だ。机は諦めてテーブルにしたらしい。どの家具も色は白でちょっとオシャレめ。決して男物とはいえないが、まあ妥協していいだろう。残るカーペットだが、丸められていて模様が見えない。二人によれば「広げてみるまで秘密」らしい。俺の部屋のカーペットなのになあ……。
他にもベッドシーツ、掛布団、枕、座布団なんかも調達。これは隠すことができず、可愛らしいピンク色なのが一目でわかった。抗議したけど、もちろん聞き入れてもらえなかった。まあ、花柄だから許せるか……ハート柄だったらこっそり売り場に戻しに行っていたかもしれない。
選んだものをレジへ通し、そのまま配達員に渡した。配達を任せて、俺たちは一足先に家に着いておかなければいけない。軽トラックに積み込むのを待たず、母さんは車を発進させた。住所は教えてあるから後から来るだろうとのこと。しかし車はまたしても家から遠ざかっていく。
「今度はどこ行くのさ」
「近くにデパートあったでしょ。あそこであんたたち二人を下ろすわ。家具はその後母さんだけが帰って受け取ってから、あんたたちと合流する」
「なんで?」
「ここで家具以外のものを買うからよ。特にあんたのものを色々とね」
買うものについては具体的に言わないあたり、何だかはぐらかされた気がしないでもない。デパート自体は遠くなかったので、ものの数分で駐車場に入り、母さんは出入り口の近くで俺と茜ちゃんを下ろした。
「適当に見回ってなさい。母さんも着いたら茜ちゃんに連絡するから」
そう言い残して、母さんは一旦北見家へ帰って行った。他人の意見を聞かないのは相変わらずだ。呆れつつ車を見送り、さてどこで時間を潰したものかと考える。
俺は退院直後だから手ぶらで、財布も何も持っていない。茜ちゃんはポーチを肩からかけているけれど、妹の財布を頼るつもりもない。適当に見ようとなると、俺としては本屋とかが妥当だろうか。でも、一応茜ちゃんの意見も聞いておこう。
「茜ちゃん、どこ回ろうか?」
「先におにい……じゃなかった、お姉ちゃんの買うものを選んでおこうよ」
「その買うものって何なんだ?」
「お姉ちゃんの新しいお洋服だよ。男物ばっかりで、女の子の服は持ってないでしょ? わたしが貸してもいいけど、せっかくタンスも買ったんだから、お姉ちゃんのお洋服を入れようよ」
うわあ、そういうことだったのか。確かに身体が変わった以上、今までの服は着られない。女の子の服が必要なのはわかっていたけど、まさか今日買いに来るとは思ってなくて、心の準備とかが出来てない。
「葵さんが来るまで、わたしたちである程度選んじゃおうよ。服売り場は二階だったよね?」
どうでもいい話だが、茜ちゃんは俺の母さんを下の名前で呼ぶ。これは母さんからの要望で、「おばさん」とは呼ばれたくなかったからだそうだ。茜ちゃんはその我儘を受けて、「葵さん」と近所のお姉さんみたいに呼ばされている。そんな母さんだから、服選びに関しては家具よりも面倒なことになりそうだ。
俺の心境などいざ知らず、茜ちゃんは上りエスカレーターへと俺を引っ張っていく。身体が軽くなったせいか、簡単に連れていかれてしまう。生前だったらこんなことなかったのに、つくづく筋肉と体重のなさを思い知らされる。抵抗も拒否もできないなら、腹を括るしかない。
エスカレーターで二階へ上がると、両側はすぐ服売り場になっている。向かって右手が服、左手が下着や靴下、その他だ。二階には衣類以外にも、本屋や調理器具などの売り場もあり、小規模のホームセンターみたいなコーナーもある。もちろんさっきの大型店舗とは比べ物にならないけど。
茜ちゃんは右手の服売り場へと足を向けた。俺としてはいきなり下着ではなくてほっとしたが、母さんが到着したらこっちも見るんだろうなと思うと、今からでも憂鬱だ。女の子の身体になった以上、もう男のプライドや一線を保っていても仕方ないのだけれど、そう簡単に越えられないものでもある。
「お姉ちゃん、スカートは履かない?」
「できれば履きたくない……」
「えぇー、絶対似合うのに!」
「そういうのはまだハードル高いよ。俺はまだ女の子に慣れてないし、今日はジーパンだからいいけど、スカートなんか想像できない」
「大丈夫だって! とりあえずこの辺から選んで、試着してみようよ。わからないならわたしがコーディネートしてあげる!」
茜ちゃんは俺に協力してくれているつもりなのだろうけど、なんとなく楽し気なのはなぜだ。この場合、母さんはもっと悪乗りしてくるパターンじゃないだろうか。でも、満面の笑顔を浮かべる茜ちゃんを拒否する勇気は、俺にはなかった。
結局、茜ちゃんに促されて服を選び、いくつか手にして試着室へ入った。男のときは試着なんてまどろっこしいことはせず、サイズの数字が合っていたら適当に買っていた。つまり、目の前に一面の鏡のある小部屋に入るのは、何気に初めてだったりする。カーテンで閉じられて見えていないとはいえ、ここで服を脱ぐのは結構恥ずかしいな。そう思うのは試着慣れしてない俺だからなのか。
俺は鏡で全身を見た。小さい鏡で顔くらいしか見てなかったからわからなかったけど、結構頭身のバランスもいい。元が茜ちゃんと言われれば納得するけれど、プロポーションに若干の違いがある。ズバリ、胸だけが茜ちゃんより大きい。そのせいか入院しているときから肩こりを感じるようになったし、気になって寝る体勢も頻繁に変えられない。ブラジャーを付けたことでマシになったけど、皮肉にも茜ちゃんのを借りてきついことがわかったから、茜ちゃんより大きいのだと認識した。
「着替えが終わったら言ってね。サイズ合わなかったら違うの持ってくるから」
「う、うん……」
カーテンの外で茜ちゃんが待っているし、あまり時間をかけると母さんもこの場に来てしまう。俺は意を決して、服に手をかけた。
2015/03/25 誤字修正・時系列文章一部変更