助けてくれる人たち
「楓! 大丈夫なの?」
「お姉ちゃん!」
職員室から出てすぐ、廊下にいた茉希ちゃんと茜ちゃんが駆け寄って来る。人混みができるほどの野次馬はもういなかった。たぶんクラスに戻って行ったんだろう。
「さっき怒鳴ってたのって榊先生ですよね……?」
目の前まで来た茉希ちゃんが尋ねる。何かを警戒しているような感じだった。
「ああ、あまりに馬鹿らしくてな。つい声を荒げてしまった……言っておくが、私が北見楓を責めたのではないぞ?」
その言葉で茉希ちゃんが榊先生を疑っていることに気づき、慌てて口を挟む。
「先生は俺を助けてくれたんだよ。鹿角先生たち三人を相手に、俺は被害者なんだって庇ってくれたんだ」
「私は事実を言ったまでだ。お前が一番の被害者なのは誰にだってわかる。それを捻じ曲げて、あたかもお前が悪いかのように仕立て上げようとしているんだ、あの三人はな」
俺たちの言葉で、茉希ちゃんの誤解は解けたらしい。素直に頭を下げてきた。
「誤解してしまってすみません。廊下には声だけで、内容までははっきり聞こえなかったので……」
「お前たちが疑いを持つのは当然のことだ、気にしていない。それよりも、二人は早く教室へ戻れ。ホームルームが始まるぞ」
「先生とお姉ちゃんは一緒に来ないんですか?」
「ホームルームは生活指導の芦屋先生が向かっている。北見楓のことは心配するな。テストを別室で受けられるよう手配した」
先生がそこまで説明すると、チャイムが人気のない廊下に鳴り響いた。
「ちゃんと放課後には会える。だからテストに全力を尽くすんだ。ほら、急げ」
それを聞いて茜ちゃんと茉希ちゃんは少しだけ安堵した顔になると、教室に向かって走り出した。
二人の背中を見送ってから、榊先生が教室とは別方向へ歩き始める。
「こんな状況だが、テストは受けられるな?」
少し急ぎ気味で廊下を進みながら、先生が尋ねてきた。
「はい。あっ、筆記用具が」
「構わん、貸し出す。今日のお前の試験監督は私だ。テストの不正は認めないが、力になれることなら何だってする」
向かった先は使われていない準備室だ。普通の教室の半分くらいの広さがある。真ん中に生徒用の机と椅子があって、テスト用紙が裏向きで用意されていた。
「私はお前の担任だ。生徒のために動けないなら教師ではない。お前のためになると思ったら、全力で味方をする」
「……ありがとうございます」
榊先生は、俺を信じてここまでしてくれている。だから俺も全力で、その期待に応えたい。感謝の言葉だけじゃ、足りない気がするから。
席に着き、用意された筆記用具の確認をする。騒動のことをいったん忘れて、心を落ち着かせてテストのことだけに集中する。
「もうじきだ。準備はいいか?」
「はい」
「よし……開始のチャイムだ。始めてくれ」
スピーカーから聞こえたチャイムと、開始の合図とともにテスト用紙を捲る。どんなトラブルがあっても、テストは全力で受けなければ。そして絶対八割以上をとって、鹿角先生を見返して、アルバイトの許可を得る。そのために今まで勉強してきたんだ。
榊先生の監督のもと、「古文」「地理」の二科目のテストを受け終わった。これまでと同じように、かなり自信のある解答だと思う。凡ミスは見直しである程度防げているはずだし、問題がなければ八割のハードルは超えているはずだけど。
「よく頑張ったな。きっといい結果が出るさ」
解答用紙を回収していく榊先生にかけられた言葉が、俺の不安を拭い去る。今日ほど、榊先生が担任でよかったと思った日はない。他の先生が担任だったら、とっくにテストなんてできなくなっていた。それどころか厳罰処分を受けた可能性だってある。当然、アルバイトの許可なんかもらえるはずもない。騒ぎが起こって間もないから、どうなるかはわからないけれど、先生が味方にいるだけでとても心強かった。
解答用紙を保管するために職員室を経由し、教室へ戻る。榊先生と一緒に俺が入ると、クラスメイトたちが一斉に注目した。こんなの、転校当日以来だ。もう二度と体験することはないと思っていたのに。
落ち着かないまま自分の席に着くと、ホームルームが始まった。
「テストは今日で終了だ。明日からは通常授業と部活動が再開する。またテストの結果も、それぞれの担当の先生から返却される。高校生活初めてのテストで大変だったと思うが、みんなよくやった。今日はこれで解散だから、帰って遊ぶなり休むなりしてストレスの発散をするといい。連絡は以上だ」
先生のいつもと変わらない様子に、クラスメイトたちが少しだけざわついた。そのまま先生が号令をかけ、ホームルームが終了してしまう。教壇を降りようとした先生の前に、一人の女子が駆け寄った。
「あの……楓ちゃんの件はどうなるんですか?」
「今朝の写真の騒ぎについては、これから調査になる。怪しい人物の目撃情報や他に知っていることがあれば、個人的に私に伝えてくれ。もちろん私も、この件の解決に向けて全力を尽くす。それ以上は、今は言えない」
それだけ言い残して、榊先生は教室を出て行く。残ったクラスメイトたちはみんな、榊先生から俺へと注目を移した。
みんなが気にするのは無理もない。けれど俺にだってまだ、状況の整理はできてないのだ。テストでそれどころじゃなかったし、これからどうすればいいのかもわからない。
「帰ろう、お姉ちゃん」
動けないでいると、茜ちゃんが声をかけてきた。
「ただでさえ大変な一日だったんだから、早く帰って休みなさいよ」
次いで茉希ちゃん、その後ろから翔太と透も集まって来る。
「茉希の言う通りだな。生憎、俺たちにできることはねーみたいだから」
「そんなことないんじゃないかな。こうやって一緒に帰るだけでも違うと思うよ」
「そうね、これはアタシたちにしかできないことだわ」
「みんなで帰れば怖くないから。ね、お姉ちゃん?」
俺は茜ちゃんの言葉に頷く。みんなが集まってきたおかげで、周りのことが少しだけ気にならなくなった。同じ分だけ不安も薄れて、俺はようやく席から立ち上がり、みんなと帰路についた。
廊下へ出ると、教室よりもみんなの視線が痛いほどわかる。噂になったせいでこのあたりに生徒が集まってきているんだ。俺は茜ちゃんたちに囲まれて、匿われるように昇降口を抜けた。
「何人かつけてくるわね……」
隣にいる茉希ちゃんがぼそりと呟く。
「後ろ向かないで、お姉ちゃん」
「う、うん……」
言われなくても、怖くて目を向けられない。何人ついて来てるのか、想像するだけで掌に汗が滲んだ。俺の代わりに透が振り返り、舌打ちをかました。
「しゃーねーな。あそこに入るから、お前ら先に行け」
「わかった。頼んだわよ」
先頭の透が右へと曲がり、狭い路地に入った。人が二人並べるかどうかの抜け道だ。透はその途中で立ち止まり、俺たちを先に行かせた。足止め、いわゆる殿を務めてくれるらしい。
「透、ありがとう」
「今度なんか奢ってくれ。それで許す」
「うん、絶対」
みんなに奢るのはゴールデンウィークの時から決めている。今回の件が落ち着いたら、絶対だ。
「透、大丈夫だよな?」
「通せんぼして追い返すだけよ。万が一喧嘩になっても、あんな奴らじゃ怪我一つもしないわ。伊達に武道やってないんだから。それより急いで」
「うん」
茉希ちゃんの言葉と透を信じて、振り返るのをやめる。狭い路地を速足で抜けて、いつもは通らないような道を辿り、ようやく北見宅へ着いた。茉希ちゃんと翔太は玄関まで、俺と茜ちゃんを送ってくれた。
「しばらくは出歩かないほうがいいかも。連中、何考えてるかわからないし」
「たぶん撒けたから、ここまでは来てないと思うけどさ」
今朝の騒ぎで初めて自覚ができたけれど、こうやってつけられる体験をすると、やっぱり怖い。今までストーカーされてたことも、写真を撮られたことも気づかなかったんだよな……。そんなんだから、俺はみんなに迷惑をかけているのかもしれない。
「気をつけるよ……」
「心配しなくても、わたしたちが一緒にいるから」
「そうね。楓を一人にするのはアタシたちが忍びないわ。当分は一緒にいるから、榊先生が解決してくれるまで大人しくしてること」
「うん……」
「それじゃ、俺たちはここで帰るよ。二人とも、またね」
「ありがとう茉希ちゃん。翔太くんも気をつけて」
「いいのよ。それよりほら、二人とも早く家に入っちゃいな」
茉希ちゃんに急かされて玄関を開ける。俺たちは部屋の中から、二人が帰っていくのを見届けた。ほっとしてリビングの床にへたり込むのと同時に、「ぐるるる」とお腹の虫が鳴る。
「あはは……ほっとしたら、腹減ったみたい」
「もうお昼だね。回り道して時間かかっちゃったから」
二人で笑い合って、ようやく気持ちが軽くなる。それから一緒にお昼ご飯の準備を始めた。
夕方になって茜ちゃんの家事を手伝っていると、樹おじさんが帰ってきた。今日はすぐまた出かけていくことはなく、明後日まで休みを貰ったとのことだった。急なことで驚いたけれど、おじさんはリビングの椅子に座りながら言った。
「驚いたのはこっちだぞ。学校から電話があって、楓君が騒ぎに巻き込まれたという話じゃないか。明日は私も学校に呼び出された。だから急遽、休みを手配してもらったんだ」
そう聞かされてさらに驚く。そうだ、失念していた。生徒が学校で問題を起こしたら当然、親に連絡がいく。だからおじさんが家に帰って来たんだ。
俺は思わず顔を伏せた。おじさんは今回のことで学校に呼び出されて、仕事を休まざるを得なくなったんだ。俺はもうたくさんの人に迷惑をかけている。その事実がまた目の前に突き出された気がして。おじさんに何と言って謝ればいいかわからなくて。
「謝ることはないぞ。電話をしてきた担任……榊先生だったか。彼女が言うには、君に非はないそうではないか。詳しくはまだ聞いていないが、私も君が非行に走るとは思えない。君のことは小さいころから知っているからな、その点では疑っていない」
「おじさん……」
「ともかく、詳しいことは明日聞いてくる。楓君は心配しないで、家にいなさい」
「家に? お父さん、明日は普通に授業あるよ?」
キッチンで夕飯の準備をしている茜ちゃんが口を挟んだ。
「ああ、言い忘れていた。楓君は今日の職員会議で、自宅謹慎を科せられたらしい」
「自宅……謹慎……?」
「なっ、どうして? お姉ちゃんは何も悪くないのに!」
まさか実際に罰が科されるとは思ってなかったから、ショックな報告だった。すると、おじさんは慌てて否定した。
「いや、勘違いしないでほしい。これは楓君への罰と言うよりは、配慮とも言うべき対処だ。今回の騒動では、かなりの生徒の誤解を招いたと考えられる。その状態で楓君が登校したら、学校中の生徒の注目を集めて騒ぎが大きくなることもあり得るんだ。だからそのほとぼりが冷めるまで、学校に来ないほうがいいという判断だろう。期間も罰としては短めで二日間だけだ。実際、榊先生にもそのように君に伝えてほしいと頼まれた」
「じゃあ、お姉ちゃんを他のクラスの生徒や先生から守るために……?」
「そうだ。だから悲観することはない。むしろそこまで大事な生徒だと思われているんだから、楓君も先生を信頼していなさい。私も親として、できることをする」
おじさんの心強い言葉に、俺はようやく肩の力が抜けた。俺の周りには強くて優しい人たちがたくさんいる。みんなが手を差し伸べてくれるから、俺も塞ぎ込んだりしない。
「ありがとうございます」
俺がお礼を言うと、おじさんは笑って応えた。
2015/11/23 微修正