テスト最終日の罠
そして迎えたテスト最終日は、台風も過ぎ去って何事もなかったように太陽が顔を出した。玄関に避難させたサルピグロッシスも今朝は軒下に戻して、元気に芽を伸ばしつつある。不安になったせいか少し寝不足気味だけど、テストに支障を来すほどじゃない。
課題の忘れ物もなく、自信を持ってテストを受けることができる。今日を乗り越えれば晴れてアルバイトの許可が下りる――そのはずだったのに。
いつものように茜ちゃんと登校して、昇降口に着いて。上履きを取り出そうと下駄箱を開けたときに、それは起こった。
「うわっぷ?」
前も言ったが、俺の下駄箱は顔と同じ位置にある。いつぞやはラブレターをたくさん突っ込まれたせいで、その雪崩を顔で受けることになった。最近は収まっていたから、まさか今日も投入されてるとは考えてもいなくて。
「大丈夫、お姉ちゃん?」
「いてて……、うん、なんとか……」
びっくりしすぎて思わず尻餅をついた俺は、顔を襲ってきた紙切れに視線を落とす。それは前のような、封筒やメモの類じゃなかった。
「なんだ……これ」
それ以上の言葉が出ない。足元に散らばったそれは、ピンぼけした人混みの……いや、どう考えても真ん中の人物を狙って撮影された写真。
「もしかしてこれ、お姉ちゃん……?」
「……みたいだ」
人混みの中心に、見覚えのある服装の女の子と男の人が映っている。これを撮った人の狙いは、唯一ピントを合わせているこの二人の――俺と菊池さんのツーショットだ。
「ペイスに行ったときのだ……ゴールデンウィークの」
「じゃあこれって、盗撮……?」
茜ちゃんが不安げに呟く。登校時間の今、下駄箱で立ち往生している俺の周りには、他の生徒たちも不審がって集まり始めていた。中には写真を拾い上げて、それと俺を見比べて目を丸くしている人もいる。
「おはよう、何の騒ぎ?」
「あっ、茉希ちゃん」
「二人ともどうしたの。この紙は何……?」
人混みを掻き分けて現れた茉希ちゃんが、写真の一つを拾う。そしてすぐに渋面を作った。そこへ透と翔太も到着する。
「鬱陶しいな。朝っぱらから何だよこの騒ぎは」
「三人ともどうしたの? そんな暗い顔して……」
二人はすぐに足元の写真に気づいて、同じく険しい顔つきになった。静止する俺たちの周りで、集まった生徒たちが口々に噂するのが聞こえてくる。
「何だこりゃ?」
「ここに写ってるのって、あの子? 転校生の」
「ああ、ひと月前に転校してきた……」
「一緒なのは誰? 大学生?」
「どういうことだ?」
「恋人同士、とか?」
「マジで? この二人付き合ってるってこと?」
俺は未だわけがわからず、尻餅をついた格好で動けずにいた。一体誰が、何の目的でこんなことをしたのか。まとまらない思考がぐるぐると回って、完全に動揺していて。でも、確実にわかることは、たぶんよくないことだということ。
「全部回収するわよ」
最初に動いたのは茉希ちゃんだった。
「茜は楓を教室までお願い。アタシもすぐ行くわ」
「う、うん」
「透は拾った生徒から写真を掻き集めて。アタシと翔太は落ちたのを拾うわ」
指示を出してからの連携は早かった。茉希ちゃんと翔太は、生徒たちの脚を縫って写真を集め始める。透は生徒たちに威嚇を飛ばしながら写真を奪い取り、同時に俺と茜ちゃんが抜けられる道を作ってくれた。
「お姉ちゃん、しっかり。早く教室に行こ?」
「おら、見せもんじゃねーぞ! 写真を拾ったやつは寄越して散れ! 持って行こうとしてる奴は見つけ次第ブン投げるからな!」
茜ちゃんに引っ張られて、騒然となるその場を抜け出して教室へ向かう。でも、その先にはさらに酷い仕打ちが待っていた。
「そんな……」
俺の手を引いて教室に入った茜ちゃんが立ち止り、黒板を見て呟く。俺が顔を上げるとそこには、下駄箱で落とした写真と同じものが、教室の黒板一面を埋め尽くしていた。
「誰がこんなことを……!」
俺を席まで運ぶと、茜ちゃんは珍しく怒りを滲ませながら教壇に上がり、片っ端から張り付けられた写真を剥がし始めた。それを見たクラスメイト達も、次第に茜ちゃんを手伝い始める。
「これ……やっぱり楓ちゃん、だよね? 今日は私が教室の鍵を開けたんだけど、その時からこんな状態だったよ」
クラスメイトの女子の一人が、茜ちゃんを手伝いながら小さい声で言うのが聞こえた。
「そう……ありがとう、教えてくれて」
「ううん……何もできなくて、ごめんね」
黒板から写真が残らず無くなった後、ようやく茉希ちゃんが教室に入って来る。
「もしかして、ここも?」
「うん……」
茜ちゃんがくしゃくしゃに丸めた写真を持っていたので、察しがついたようだった。
「この教室ほどじゃないけど、他の教室にも貼られてるみたい。今、先生たちも騒ぎに気づいて対応し始めてる」
「……お姉ちゃん、大丈夫?」
声をかけられて、顔を上げる。二人とも顔を揃えて、俺を心配そうに見つめていた。今まで見たことない珍しい光景だ。ぼうっとしてそんなことを思っていると、耳障りなノイズが教室のスピーカーから響いた。
「一年○組、北見楓さん、職員室まで来なさい。繰り返します――」
校内放送で、知らない女性教師の声が俺の名前を繰り返し読み上げた。教室のクラスメイト全員、そして集まった野次馬の生徒たちも廊下から、俺の動向に注目していた。
「しっかりして、楓。アタシたちも行くわ」
「お姉ちゃん、一緒に行こう。ほら、立って歩いて」
二人の声に応えることはできなくて、席から立ち上がるのがやっとだった。そんな俺を二人は手を引いて、廊下の野次馬を掻き分けて職員室へ連れて行ってくれた。
すれ違う生徒たちが口々に俺の噂を囁いている。聞こえるか聞こえないか、でもいいことを話しているようには思えない。それは俺を見るみんなの目つきでわかった。味方と呼べるのは、今この二人と、透と翔太だけ。
「失礼します」
茉希ちゃんが職員室の戸を開くと、すぐさま先生たちが俺たちに目を向けた。
「何だね君たちは。テスト期間中の生徒の出入りは禁止しているはずだぞ」
小太りの男性教師が出てきて、俺たちの視界を遮るように前に立った。
「放送で呼び出したじゃないですか。職員室に来いって」
「呼び出したのは北見楓だけだ」
「写真の騒ぎのせいでショックを受けているんです。心配だから、わたしたちが付き添いで……」
「認められない。関係のない者は即刻退室しろ」
「いいえ、アタシたちも同伴します。友人として彼女を一人にできません!」
「できないと言っている。これ以上ここに留まるならば不正行為と見做すぞ。テストが受けられなくなってもいいのか?」
男性教師の理不尽な言い分に、茉希ちゃんは握った拳を震わせていた。このまま口論になったら、テストどころじゃない。俺のせいなのに、みんなを巻き込んでしまう。
俺は茉希ちゃんと茜ちゃんの手を掴んで、職員室の外へ連れ出した。
「楓!?」
「ありがとう。二人とも、戻って……呼ばれたのは俺だけだから」
「ダメだよ、わたしたちも一緒に――!」
その言葉が終わる前に戸を閉める。味方を手放した不安の中、改めて職員室の先生たちに身体を向けて、震えそうな口を開いた。
「失礼しました……俺が北見楓です」
「君か。こっちへ来なさい」
小太りの教師が厳しい口調で言って、奥の応接間に通した。そこには一番顔を合わせたくなかった鹿角先生がソファに深く座っていた。俺が向かいに座ると、さらに中年の女性教師が一人と、俺をここまで案内した小太りの教師が向かいのソファの隣に立った。
「どうしてここに呼ばれたか、わかりますね?」
女性教師がまずは穏やかに、しかし有無を言わさない厳かな口調で切り出す。
三対一。まるで自白を強要するかのような威圧に満ちた取り調べ。俺はその雰囲気に言葉が出なかった。
「下駄箱であれほどの騒ぎを起こしたんだ。よりによってテストの最終日に……君には全校生徒の風紀を乱し、多大な混乱を招いた疑いがある」
今度は小太りの先生が、苛立ちを隠さない顔で罪状でも読み上げるかのように言う。そして最後に鹿角先生が、下駄箱にあったのと同じ写真をテーブルに出して、真ん中に写っている俺を人差し指でトントンと叩いた。
「ここに写っているのは君だろう?」
俺の自白を促すために尋ねてくる。人差し指はちょうど俺の顔を潰すような位置を指していて、あからさまな悪意を感じさせた。
ここにいる三人の先生たちは俺のことを犯人と決めつけている。でも、一体なんで俺が責められなきゃいけないんだ? 写っているのが俺とわかっても、それを作ったりバラ撒いたりしたことまで俺だと決めつけられるいわれはない。そもそも俺が遠くに写っているのに、俺が撮っているわけないじゃないか。
「誰が撒いたかなんてどうでもいい。問題は君が大学生らしき男と一緒に写っていることだ。なぜかはわかるな?」
生徒たちの言葉を思い出す。俺とこの男の人――菊池さんが恋人同士かもしれない、と。この写真では確かに、二人はカップルのように撮られている。でもそれは第三者の意見であって、俺たちの意思とはまるで関係がない。
「俺とこの人は知り合いですが、そういう間柄ではありません」
「口では何とでも言えますね」
すぐさま否定の言葉を発したのは、ソファの傍に立つ中年の女性教師だ。腕を組み、鋭い目つきで俺を見下ろしていた。
「いいですか、この写真が生徒の間に広がったということ、それが問題なのです。この場面だけならば誰もあなたの言葉を信用しない。不純異性交遊を働いた疑いがある生徒が、我が校にいるということになってしまいます」
「不純……! そんな、違います!」
「何と言おうと、噂は止められん。すでに校内中で広まっているし、生徒づてに世間にも漏れる恐れがある以上、学校のほうからPTA・教育委員会にも報告せざるを得ない。処分は免れんぞ」
「っ……!」
いくら弁解しても聞き入れてもらえない。学校側は世間体だけを気にして、不純異性交遊の疑いがあるってだけで俺に罰を科すつもりだ。これを仕組んだ人とか、ストーカーや盗撮の可能性も考慮しないで。
「ふん、つまらんことで学校生活を棒に振ったな」
鼻を鳴らしながら鹿角先生が放ったその一言に、俺は悔しさと怒りのあまりに立ち上がりそうになった。
「私抜きで、私のクラスの生徒を尋問するなどやめていただけますか」
頭上から降ってきたのは凛とした女性教師の声。ソファの隣にいた中年の、しわがれた声じゃない。もっと澄んだ高い声で、頼りがいを感じられるような。
「これはこれは、榊先生」
「おはようございます。それで、説明していただけるのでしょうか」
「もちろん、君の教え子なのですから。まず、彼女はこの写真によって我が校に多大な――」
「そうではありません」
飄々と話し始める鹿角先生の言葉を遮り、榊先生は眼鏡の奥の鋭い目を向けた。
「あなた方は誰の許可を取って、彼女を尋問しているのですか」
「ははっ、おかしなことを仰る。教師が生徒を指導するのに、誰の許可がいりましょうか」
「いいえ、これは指導ではありません。明らかな誘導尋問です」
三人の先生を睨みつけながら、榊先生はきっぱりと言い切った。
「あなた方は何を勘違いしているのです? 被害に遭ったのは学校でも教師でもなく、大切な我が校の生徒ではないですか。それも悪質なストーカー、盗撮の被害に遭っているのは明白でしょう。その彼女を救うことはおろか、騒ぎの責任や不純異性交遊などといういわれもない疑いまでかけて――あなた方はそれでも教師ですか!」
怖いくらいに目尻を釣り上げ、先輩教師や上司も物ともせずに怒鳴りつける。榊先生がここまで怒る姿を見るのは初めてで、俺は驚きとともに呆けてしまっていた。
「ですが、実際に迷惑を被っているのは我が校ですよ? このままでは問題のある生徒を抱えていることが世間に問題視されて――」
「もう一度言いますよ、被害に遭っているのは彼女です。その結果、我が校にも被害が及ぶのであれば、この騒ぎを起こした張本人を探し出し、事実を世間に公表するべきです」
「それが難しいから、最も円滑に問題を解決させる方法を――」
「調査をする前から諦めるなど言語道断です。そればかりか生徒に責任を押し付けている――そのような者に我が校の教師を名乗る資格はありません」
榊先生の一喝で、三人の先生たちが一斉に言葉を失くす。それを見計らい、榊先生が俺の手を取りソファから立ち上がらせた。
「北見楓、一緒に来い」
「なっ……榊先生、まだ話は終わってませんぞ!」
「いいえ、これ以上話すことはありません。この件は私に一任させていただきます」
「何を勝手な! そんなことが許されるわけが――」
「あなた方の意見など求めていない。うるさいだけなら戦力外だ。今後、この件への一切の干渉を拒否させてもらう」
語尾の敬語すらやめてそう吐き捨てると、榊先生は一番近い戸口から俺を職員室の外へ連れ出してくれた。
2015/11/18 部分的誤字修正