勉強会
北見家に帰って着替えると、すぐさま茜ちゃんと洗濯物をしまう。住宅街と言えど不在で外に干すのは心もとないので、休日以外は普段から部屋干しだ。まだ午前中なので乾いておらず、やむなく二階のベランダに移した。ここなら下から見えないし、みんなを二階に上げなければ見られることもない。天気がいいのも幸いして、夕方には乾きそうだ。
それが終わったらリビングの掃除だ。もともと茜ちゃんの掃除が行き届いていて綺麗なので、軽く掃除機をかけて雑誌など小物を片づける程度で済んだ。
みんなを迎える準備ができたので、朝ごはんの残りと冷蔵庫の一品で早めのお昼を済ませる。その後片付けが終わって少ししてから、北見家のインターホンが鳴った。
「俺が出るよ」
「うん、お願い。わたしは飲み物の準備するね」
茜ちゃんがキッチンへ引っ込むのを横目に、俺は玄関のほうへ向かう。玄関を開くと、私服姿の三人が揃っていた。
「お待たせ」
「どうぞ上がって。みんなお昼食べてきてるよな?」
「アタシと透は済ませてるわ。翔太は?」
「大丈夫、電車の中で食べた」
翔太は隣街から電車で来ているので、時間的にちょっと余裕はなかったかもしれない。電車で済ませるのは、ちょっとマナー悪いかもだけど。
「お邪魔します」
三人が各々に言いながらリビングに入る。いつも食事のときに使うテーブルは椅子が足りないので、テレビの前にある低いほうのテーブルを囲んだ。そこへ茜ちゃんがジュースとお菓子をお盆にのせて持ってくる。
「おー、気が利くなぁ」
透がまっさきにコップをとり、半分ほどを飲み干す。喉が渇いていたのかな。
「あんた何様なのよ……こういうときはありがとうって言うもんなの」
呆れ顔で茉希ちゃんが透の坊主頭を引っぱたく。確かにこれから勉強教えてもらう友達の態度じゃないな。だからって怒る気はしないけど。
「ごめんね、茜。透がバカで」
「大丈夫だよ、飲んでもらうために用意してるんだから」
その横で懲りもせずにクッキーを口に運ぶ透。お昼食べたっていうの嘘なんじゃないかって思えてきた。おやつの時間になる前にお菓子がなくなりそう。
「それくらいにして、透は勉強始めないと」
「むぐ……」
翔太の言葉に一応は頷き、透は持ってきた勉強道具をテーブルに広げる。それでみんなの気持ちは勉強モードに切り替わり、それぞれのノートや参考書を用意し始めた。
透はまだ課題を終わらせていないので、まずはそれをやることになった。課題を終わらせた俺たち四人は、これまで俺が茜ちゃんとやった勉強方法を実施することにした。
まずは今回のテスト範囲に入る問題を、問題集の中から満遍なく選んで、自分以外の人に解いてもらう。そしてどの分野、どの問題でよく間違えるかを教え合って、繰り返し復習するのだ。今回は四人いるので、俺と茉希ちゃん、茜ちゃんと翔太でペアを組んでお互いに勉強を見ることになった。
「で、どの教科からする?」
俺とペアになった茉希ちゃんが聞いてくる。今日受けたテストを差し引けば、残っている科目は「現代文」「古文」「化学」「日本史」「地理」の五教科だ。月曜日は「現代文」「化学」「日本史」の三教科のテストがある。個人的には苦手教科からやって自信をつけたい。
「俺は『化学』からにしようかな。別に二人で同じ教科する必要はないから、茉希ちゃんも勉強したい教科選んでよ」
「教え合ったほうが覚えやすいじゃない。アタシも『化学』にするわ」
そう言って、トートバッグから「化学」の問題集を取り出した。プリントでテスト範囲を確認して、まずは該当ページの一番上の問題だけを解くことにした。
ジュースを少しだけ飲んで、いざ勉強開始。
問題集とはいっても、それ一冊で学習ができる構成になっている。左側の奇数ページの一番上はほとんど例題レベルで初歩の解きやすい問題だった。全部で十問くらい、俺はそれを三十分くらいかけて解き終わり、茉希ちゃんが終わるのを待った。
「なあ、ここわかるか?」
と、透が茉希ちゃんに尋ねる。やっているのは「日本史」の課題だ。
「あのね、アタシも今は問題解いてるの。楓に聞きなさいよ」
「ん? ああすまん。楓、教えてくれ」
「うん、いいけど」
茉希ちゃんが再び問題に集中するのを妨げないように、透が俺の隣に移ってきた。広げられたページを見ると、解こうとしていたのは問題集でも最初のほうで、基本となる用語の穴埋め問題だ。
「このあたりは教科書読めばわかるよ。そっくりな文があるから、それで答えもわかる」
「そうなのか」
いやいや、教科書を読むのは基本中の基本なんだけどな。文系科目、特に社会は暗記ばかりだから、教科書に出てくる用語とその意味を覚えればなんとかなる。逆に言えば暗記をしていないと話にならない。テストが今日と同じ調子なら、問題集とほとんど変わらない内容で出題されると思う。
「やべ、教科書忘れたみたいだ」
通学鞄を漁っていた透が坊主頭の後ろを掻きながら言う。しょうがないなと俺のを用意しようとした矢先、
「まったくもう。これ使いなさい」
茉希ちゃんが向かいから教科書を差し出した。
「おう、サンキュ」
「しっかりやんなさいよ」
そう言って、茉希ちゃんは問題集に戻る。結局、透の勉強が気になって集中できてなかったのかな。
「透、あとは一人でもできそう?」
「何とか。サンキュな、楓」
透も元の場所に戻り、教科書と問題集を見比べながら課題を解き始めた。茉希ちゃんもまだ解き続けているし、茜ちゃんと翔太もお互いに問題を解いてる――と思ったら、茜ちゃんが立ち上がった。
「ジュース持ってくるね」
なんで、と思いながらみんなのコップを見ると、それなりに減っている。それに気づいて気を利かせたんだろう。俺は茜ちゃんがキッチンに向かうのを呼び止めて、立ち上がった。
「いいよ、俺が行くから。茜ちゃんは勉強続けて?」
「そう? じゃあ、お願いするね」
茉希ちゃんが終わるまで手持ち無沙汰だったし、茜ちゃんも問題を解いてる最中だったから、こういう役回りは俺がするべきだよな。ちょっとは見習わないと。そんなことを考えながら、冷蔵庫からジュースを取って来た。ほとんど空になっているコップには注ぎ足して、半分以上残っている人は様子を見て入れることにした。
「ふう、お待たせ。やっと終わったわ」
自分で注いだジュースを飲んでいると、茉希ちゃんが問題集を終わらせた。
「待ってないよ。お疲れさま」
「ありがと。じゃあ答え合わせしましょうか」
茉希ちゃんと俺のノートを交換して、相手の解答を採点する。
「どう? けっこう解けたつもりだけど」
「うん、例題レベルなら問題ないんじゃないかな。不安なところとかある?」
「うーん、用語が苦手かしら。似たような名前多いじゃない? 実験で使った道具だって、ピペットとかビュレットとか……どっちがどっちかわかんなくなるわ」
「確かに。元素とか原子とかもちゃんと覚えてないと危ないかも?」
「そう! だから一番苦手なのよね。覚えること多いし、考えないと解けないし!」
茉希ちゃんの言うことはよくわかる。「化学」は文系みたいに用語もあるし、「数学」みたいに計算もあるしで面倒な科目だ。特に計算問題は解答のときに単位を書かなきゃいけなかったり、桁数とかが指定されてたりする場合もあるから、俺も凡ミスに注意しないと。
今回のテスト範囲は教科書の初め、物質や元素の分野だ。元素周期表を見て覚えなきゃいけないし、化学結合の実験の問題も出てくる。化学式を使った計算問題もあるらしい。ほんとに範囲が広いな。さらに考慮すべきは、教科担当が鹿角先生だということ。あのオッサンのことだから、何か落とし穴作ってるかもしれないし。
「楓のほうはほぼ完璧ね。もう少し難しい問題じゃないと意味ないんじゃない?」
「まあ、範囲に入ってるなら全部やるよ。難しそうなの、いくつか選んでくれる?」
「わかったわ。楓もアタシの分、お願いね」
お互いの採点結果から、相手が苦手そうな問題を選んで簡易テストを作る。それを交換して、解いて、また採点し合う。それの繰り返しだ。途中で透がわからないところを聞いてきたりして、みんなで教える。おやつがなくなるどころか、三時になってもおやつを食べないくらい、みんな勉強に集中した。
「げっ、もうこんな時間か!」
ふと時計を見た透が、慌てて勉強道具を片づけ始める。別の教科に切り替える、という雰囲気でもなさそうだ。
「透、帰るのか?」
「悪い、この後用事があんだ。急がないと遅れちまう」
すでに日は傾き始めていて、いつもなら学校から帰って来ている時間だ。けど、夕方から用事って何があるんだろう。俺の疑問を他所に、透は通学鞄にすべて荷物をしまい込み、ジュースを飲み干してから慌ただしくリビングを出て行く。俺と茜ちゃんはその後を追って、玄関まで来た。
「家に帰っても課題やるんだぞ?」
「わかってるよ。手伝ってくれてサンキュな、楓。茜もおやつ、ごちそうさま」
「あはは、また月曜日ね。勉強がんばって」
出て行く透を見送って、俺たちはリビングへ戻る。
「急だったね。用事があるなら前もって言ってくれればよかったのに」
翔太は俺と同じく突然のことに驚いているみたいだったけど、茉希ちゃんは動じずに勉強を続けていた。茜ちゃんもどちらかと言うと慣れている感じだ。何回か急に帰ることがあったのか、それとも毎日この時間は予定で埋まっているのか。
「あんまり長居しちゃアレだし、アタシもこれ終わったら帰るわね。翔太はまだいる?」
「いや、俺もキリがいいところで終わりそうだし、茉希と一緒に帰るよ」
「わかったわ」
そうして二人は十数分かけて問題を解き終わらせる。教材を片づけて忘れ物がないか周りを見渡した後、茉希ちゃんは静かに立ち上がった。翔太も同じく教材をしまい、リビングを出て行く茉希ちゃんに続く。俺たちも勉強を中断して、二人を見送りに玄関へ出た。
「じゃあ、今日はこれで帰るわね。また月曜日に」
「勉強させてくれてありがとう。お邪魔しました」
「またいつでも来てね」
茜ちゃんが答え、俺は手を振る。二人が出て行った後に玄関のドアが閉まり、俺たち二人が残された。
「どうかした?」
「えっ……ああいや、思ったら俺ってあの三人のこと、知ってることが少ないなあって」
「そう言えば、お姉ちゃんには教えたことなかったかもね」
透が急用で帰っても、茉希ちゃんや茜ちゃんはまるでよくあることのように振舞っていた。透だけじゃなくて、三人の家のこととかは聞いたことがない。知っているのはお互いの関係と性格くらいか。
絶対に知っておかなくちゃいけないわけじゃないし、無暗に聞きたいとも思わないけれど、気になることはある。親しい人のことを詳しく知りたいと思うのは、おかしいことじゃないだろう。
「じゃあ今度は、みんなの家に遊びに行こうよ」
「うん、そうだな。そしたらいろいろわかるかもしれない」
もちろんそれは、テストを乗り越えてからのお楽しみだ。来週には笑って友達の家を訪問できるように、俺たちはリビングへ戻って勉強を再開した。