一日目 ~英語・数学~
翌日、テスト初日の金曜日。
早めにベッドに入ったおかげで、目覚ましに合わせて起きられる。その瞬間から眠気はなく、今日から始まる戦いに顔を引き締めた。
洗顔と着替え、朝食、登校する準備をすべて済ませて、空いた時間に少しだけ英単語帳を捲る。今日の教科は「英語」「数学Ⅰ・A」の二教科だ。茜ちゃんもテーブルの向かいに座って、数学の教科書を眺めていた。
別に悪あがきってわけじゃない。ほんの少し自信が欲しいだけ。綴りの不安な英単語とか、数学の公式とか、そういうものの最終確認のつもりだ。
登校中はさすがに見なかったけど、教室についたら無言でまた単語帳を開く。すでに来ていたクラスメイトたちも同じように、目の前のやるべきことに集中していた。茉希ちゃん、翔太、透までもが挨拶をそこそこに勉強に没頭する。教室内は昨日までなかった張りつめた空気に満ちていた。
チャイムが鳴って、まずはいつも通りホームルームが始まる。榊先生が入って来て、黒板にテスト科目とそれぞれの時間スケジュール、テスト中の注意事項などを書いていった。
試験監督は時間ごとに交代するらしく、榊先生は連絡を伝えると教室を出て行く。入れ替わりであまり教わったことのない先生が教壇に立ち、しきりに時計とクラスメイトたちを見回した。
「予鈴が鳴ったら教科書を鞄にしまってください。携帯電話も電源を切って、同じく鞄に入れてください。身に着けていたり、着信音が鳴ったりした場合、カンニングと見なしますので注意してください」
先生がそう言ったのを合図に、クラスメイト全員がテストの準備にかかる。カンニングのもとになるものをすべてしまって、筆記用具の確認をする。やがて物音がしなくなると、これまで以上の緊張した空気が教室を支配した。自分の心臓の音が大きく聞こえるくらい静かだ。落ち着かない。
緊張の波に呑まれそうになりながら、必死に頭の中で唱える。提出課題の範囲は完璧に解けるようになったし、英単語もさっきバッチリ確認した。後はテストで出てきた問題を、確実に解くだけだ。
予鈴が鳴り、テスト用紙が裏向きで配られる。問題用紙が三枚、答案用紙が一枚だ。
その五分後、テスト開始の本鈴が鳴り響いた。
「始めてください」
先生のその言葉を合図に、俺はテスト用紙をめくった。
まずは自分の組、出席番号、名前を書く。一通り問題に目を通して、時間配分を決める。問題をよく読み、答案方法までしっかり確認して、一つずつ解答していく。解答欄の場所もチェックするのを忘れない。見落としに注意しながら、落ち着いて、確実に……。
問題自体は教科書と問題集をベースに作ってあるようで、すべての英文を読まなくても訳は覚えている。授業でやったことも頭に思い浮かべながら、問題を解く。中には指名されて答えた問題もあって、ああいうことがあると忘れる心配がなくていいな、とも思った。授業も疲れるばかりじゃなくて、ちゃんと成果があったってことだ。
結果的に言えば、スラスラ解けた。問題を確認して解くまでがスムーズで、すべての解答欄を埋めてからも、三度も見直しをする時間が取れた。予想以上に勉強の成果が出ていて、自分でもびっくりするぐらい。
次の時間の数学も同じだった。どこかで見たことのある問題がほとんどで、解き方はおろか答えまで暗記している勢いだ。もちろん浮かれたりせずに確認、慎重を常に意識して解いたけれど、内心では笑いそうなくらい余裕だった。
「そこまで」
数学の試験監督の先生が告げると同時に、クラスメイトたちから気の抜けた声や息が上がる。中には腕をあげて伸びをする姿もあった。俺も身体の力を抜きながら、答案用紙を前に回した。
答案用紙を回収し終えた先生が教室を去り、しばらくしてから榊先生が帰ってきた。今日のテストはこれで終わりなので、帰りのホームルームが始まるのだ。
「まずは数学の課題ノートを回収する。後ろから集めてきてくれ」
先生が言い、それぞれの列ごとにノートの回収が始まる。答案用紙を集めたときと同じように、俺も自分のノートを重ねて前に回した。
「これで一日目は終了だ。明日は週末だが気を抜くなよ。次のテストは月曜、科目は『日本史』『現代文』『化学』の三つだ。各教科の課題も忘れないように。連絡は以上だ」
榊先生の眼鏡をかけた目元がいつもより険しい。数学の担当教師なので、これから添削・採点作業になるんだろう。他にも数学の先生はいるはずだけど、何人かで分けたところで答案用紙の量が多いことに変わりはない。それに加えて回収した課題ノートの添削も……大変だろうけど、頑張って。
号令がかかり、解散と同時にすぐ榊先生は出て行った。クラスメイトたちもそれぞれの顔をしながら教室を後にしていく。けっこう解けて自慢してる人や、予想外に解けず青くなっている人など、表情はまちまちだ。
「お姉ちゃん、どうだった?」
茜ちゃんが鞄を持って隣に来る。
「うん、けっこう……いや、かなり自信あるよ。茜ちゃんは?」
「そっか、えへへ。わたしも同じくらい」
俺の心配をしてくれたあたりは茜ちゃんらしい。返事を聞くとすぐに顔を綻ばせて安堵していた。そこへ、茉希ちゃんたち三人も集まってくる。
「そういう顔してるってことは、案外余裕そうね、二人とも」
「おかげさまで。そっちはどうだった?」
「んー、アタシはそこそこってところかしら。運が良ければ褒められる点数、かな」
「俺は思ったよりも解けたほうかな。課題で目をつけてたところがドンピシャでさ、内心ガッツポーズした」
茉希ちゃんと翔太は予想通り、無難に今日のテストを乗り切ったみたいだ。結果が分かるまでなんとも言えないけど、二人とも言葉より自信がありそう。
「それで……」
「聞くな」
名前を呼ぼうとした瞬間にすぐさま遮られる。まだ何も言ってないんだけど。さらに透は逃げるように教室から出て行くので、俺たちも追いかけるように帰路についた。
「まあ、その態度だけでお察しよね」
「絶望的ってわけじゃねーよ。運がよけりゃ赤点だけは避けられる程度に解けた自信があんだ。けど、お前らと比較しちまうと惨めになるんだよ」
「一夜漬けでそこまで解けたのなら、ちゃんと勉強してたらもっといい点とれたと思うな」
「でも明日から丸二日あるじゃない。むしろ帰ってからすぐ勉強すれば、今日みたいなことにはならないわよ」
「簡単に言うなよ……」
茉希ちゃんの案はもっともなのだが、透は苦い顔をしてそっぽを向く。そんなに勉強が嫌いなんだろうか。でも苦労してるってことは、本人は勉強しなきゃって思ってそうなんだけど。
「だったら、どこかに集まってみんなで一緒に勉強しない?」
「みんなでって……俺としてはすげえ助かるけど……」
茉希ちゃんの提案に、透はもごもごと言葉を濁らせる。
「けど、俺なんか足手まといだぞ? 迷惑なんてかけられねーよ」
「迷惑なんかじゃないよ。一緒に勉強するんだから、わたしたちにとってもいいことだよ」
「茜の言う通りだね。みんなと一緒なら楽しいだろうし、モチベーションも上がるんじゃないか?」
茜ちゃんと翔太は賛成して、透を促すほうに移った。
「楓はどう?」
「いいに決まってるよ。むしろ歓迎する」
茉希ちゃんに話を振られて、俺は即答した。教え合ったほうが勉強が捗ることは、ここ一週間の茜ちゃんとの勉強で実証済みだ。透の役に立つならぜひ活用したい。
「決まりね」
茉希ちゃんがその場を仕切り、勉強会の開催が決まった。
「ねえ、どこに集まるの?」
そうとなったら場所の問題が出てくる。五人が一度に入れるところって、どこがあるだろう。
「ここは無難に図書館とかじゃないかな。勉強スペースもあって静かだしさ」
翔太が提案したが、茉希ちゃんは首を振った。
「あー、この時期はやめたほうがいいわよ。みんな考えることは一緒だから、テスト期間中はけっこう混むみたい」
「そうなんだ。じゃあ、誰かの家とか……」
「わたしの家ならどうかな?」
「茜……と楓の家ね? アタシたちは助かるけど、大丈夫なの?」
「平気だよ、お父さんは仕事だから。お姉ちゃんもいいよね?」
「うん、いいよ」
案外あっさりと場所も決定。みんな一度帰って着替えてから、北見家に集合することになった。
みんなと別れて二人きりになると、茜ちゃんは少し速く歩き始めた。歩幅が同じなので、俺も自ずと早歩きになる。
「どうしたの?」
「うん、みんなが来るなら洗濯物を取り込まなきゃって。ついでにお掃除もしたいし」
「あー、うん、なるほど」
訪問者に干してる洗濯物は見られたくないよな。部屋を綺麗にしたいっていうのもよくわかる。茜ちゃんのことだから、みんなに快適に勉強してほしいという心遣いなんだろう。
「俺も手伝うよ」
「うん」
鞄の紐を肩にかけなおして、なるべく帰宅を急いだ。