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メイプルロード  作者: いてれーたん
黄金週間
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チャレンジ・チャンス


 俺は柊さんの言葉をたっぷり時間をかけて飲み込んで、差し出された履歴書と柊さんの顔を見比べた。


「あ、アルバイト、ですか?」


 結局は思考停止で聞き返す形になったけれど、何かの間違いではなかったようで、柊さんは笑顔のまま頷いた。


「ええ。ここ、今いる私たち三人だけで経営してるのは知ってるかしら?」

「はい、さっき菊池さんから少し聞きましたけど……」


 隣にいる菊池さんと、今はレジのところで店番をしている優希さん、そして目の前の柊さんだけで、この花屋は回っている。大学生二人が都合よく交互に入ってくれなければ、たぶん柊さん一人でお店を開けなければならない。そうでなくても現状は、柊さんは休みを取れていないとも思える。


「慢性的な人手不足なの。求人誌にも募集をかけてるけど、なかなか人が来てくれなくて~。それなのに最近は楓ちゃん効果でお客さんは増えてきたのよ。それで、いっそのことここで働いてみる気はないかしらって」

「でもアルバイトって、楓ちゃんは高校生ですよ? 勉強や部活だってあるでしょうし、何より学校側が許可するかどうか」


 菊池さんが異を唱えるも、反対というより不安な様子だった。人手が増えるのはありがたいけれど、高校生を頼っていいのか、迷っているみたい。


 高校生には勉強も部活もあるため、アルバイトに入れる時間は限られる。重ねて言うと俺や茜ちゃんたちが通う高校は進学校なので、生活指導は厳しめだし校則もお堅い。生徒手帳にも書いてあるのだけれど、特に理由がない限り、生徒独断でのアルバイトや金銭的報酬を伴う課外活動は禁止されている。つまるところは菊池さんの言うように、学校側の許可を取ることが一番厄介な問題だった。


 そもそもまだ学生、子供のような俺に仕事が務まるかどうか。これは俺自身も不安に思うことだったが、実際に働いている菊池さんも同じことを考えただろう。だからこそ、不安げに眉を顰めているんだ。


「もちろん知ってるわ。その上でお願いしたいことなの。植物の知識はあるみたいだし、お手伝い感覚でも助かるのよ。それに難しい仕事をやってもらうつもりはないから~」

「俺は構いませんけど……」


 柊さんたちが人手不足で困っているのは事実だろう。俺にできることがあるなら手伝いたいとも思う。個人的にもアルバイト、やってみたい。


「でも、やっぱり俺だけで決めるのは難しいので、返事は待ってほしいです。家族や学校の先生に聞いてみて、それで許しが出たら、じゃあだめですか?」

「もちろんそれでいいわよ。そうね~、二週間後までに返事をもらえないかしら? 菊池くんを通してでいいから~」

「わかりました」

「あとはそうね~……形だけでいいんだけど、この履歴書を書いて来てもらえるかしら。証明写真もお願いね。ああ、もちろんアルバイトできるなら、の話だからね~」

「ということは、面接もするんですか?」

「それはないわよ菊池くん。だって楓ちゃんの人柄や実力は知ってるもの。面接なんてあったところで形だけのもの、余裕で顔パスさせちゃうわ~」

「ははは……」


 なんだか俺の評価は高いらしく、相当見込まれているようだ。本職の人を前に、どれくらいまで自分の知識が試せるのか、ちょっと不安ではある。まあ、それも色々と許可が出れば、の話だけど。


「とりあえずは以上かしら。また何かわからなかったら菊池くんを通して聞いていいから~。結果が分かったら、なるべく早く連絡ちょうだいね~」

「はい。俺としてもアルバイトしてみたいので、頑張って学校側に掛け合ってみます」

「ふふ、期待してるわ~。それじゃあそろそろ、私もお店に顔出すから~」


 前向きな返事を得られたからか、上機嫌な様子の柊さんはエプロンをかけて外へ出て行った。さて、机の上の履歴書、どうしよう。今日の花柄リュックは内容量少なめで、書類を入れられるようなものじゃない。履歴書って折ってもよかったっけ? さすがにそれはまずいよな……。


 履歴書を手にうーんと唸っていると、察した菊池さんが壁際にあったラックから紙袋を取ってくれた。


「よかったら使って。レジ袋の代わりみたいなのだけど、いっぱいあるから」

「ありがとうございます」


 受け取った紙袋に履歴書を入れる。確かに折らずに入れられるけど、中身がスカスカになるので袋だけを持ってるみたいになる。


「ちょっと待ってね。ついでにこれも」

「それ、種ですか?」

「そうだよ」


 菊池さんがラックの隅から取り出したのは花の写真がプリントされたパッケージだった。密閉された袋の中から乾いた砂のような音が聞こえる。多分見たことあるけれど、馴染みがない。


「サルピグロッシス、サルメンバナとも言うね。知ってる?」

「図鑑で見たことがあるくらい、ですね。ペチュニアにちょっと似てるかも」

「同じナス科の花だからね。でもこっちのほうが種から育てるのはちょっと難しくて、そのせいか種はあまり売れないみたいなんだ。いわゆるマイナー種で、ガーデニング中級者向けの花かな。それで、このまま置いてても売れにくいだろうって、店長が僕にくれたんだよ。でも、楓ちゃんなら花を咲かせられるんじゃないかな。プランターに余裕があるなら育ててみない?」

「俺がですか?」


 確かに園芸の経験はある。事故で入院した時は花の世話ができずに枯らしてしまったせいで、今は育てている花はないけれど、それで余った鉢やプランター、土や肥料も物置に眠っている。けれど、聞くところ中級者向けの花を育てるのは未経験だ。今まで育てたことがあるのも、アサガオとかマリーゴールドとか、世話が簡単でポピュラーな花ばかりだったし。


 でもこれって、菊池さんが俺に期待している証拠なのかな。難しいかもしれないけど、そういう花にもチャレンジしてみたい。アルバイト採用試験――なんて重いものじゃないけど、ちょっと緊張しながら種を受け取る。


「基本的な育て方はペチュニアと似てるみたいだけど、より高温多湿には弱いから気をつけて。日当たりと風通しのいい場所に鉢を置くといいけど、雨で傷つくことがあるから、梅雨は軒下に移動させたほうがいいかな。あとは……まあ、わからないことが出てきたらメールで教えてあげるよ」

「はい」


 頷いて、種を紙袋にしまう。結局それでも紙袋はスカスカだったので、底をぺちゃんこに閉じてテープで止めてもらった。紙に取っ手がついたような見てくれになったけれど、不用意に開かないので幾分かスマートな手荷物になった。


「大切に育てますね」

「うん、頑張って。花が咲くの楽しみにしてるよ」


 菊池さんが笑いかけてくれたので、俺もつられて笑う。


「さて、そろそろ夕方だね。混む前に帰るかい?」

「もうそんな時間ですか」

「ほんと、時間が経つのは早いね」


 菊池さんの言葉に頷いて、二人でお店に戻る。レジには柊さんがいて、優希さんは店先でお客さんの対応をしているみたいだった。


「あら、もうお帰り?」

「はい。お邪魔しました」

「いいのよ~。アルバイトの件、お願いね。もちろんアルバイトにならなくても、いつでも遊びに来てくれていいから~」

「きっといい返事を持ってきますので」


 柊さんに挨拶を済ませてお店を出る。そこで鉢の並び替えをしていた優希さんにも声をかけた。


「今日はそろそろお暇しますね」

「お~、また来たまえよ、楓ちゃん。誠悟も楓ちゃんと一緒に帰るの?」

「ついでにバス停まで楓ちゃんを送ってくるんだよ」

「ほんと、誠悟くんったら楓ちゃんにはジェントルマンだよねぇ」

「いいから仕事してくれ。またな」

「はいよ。まったく、私に対しては素っ気ないんだから。つまんないなぁ」


 苦笑いで呟く優希さんに、俺はもう一度「さよなら」と声をかけてその場を後にする。


「優希さんと仲、いいんですね」


 ふと、俺は思ったことを口にした。


「ん、まあ悪くはないかな。あまり僕をからかおうとするのはやめてほしいんだけどね」

「それも優希さんが菊池さんに気を許している証拠だと思います」

「はは、そうだといいかな」

「菊池さんも、優希さんには気を許しているように見えますし」

「何だかんだで付き合いは長いからね。幼馴染、とまではいかないけど、悪友というか何というか。信頼している部分はあると思う」


 騒がしい人混みの中でそんな話をしながら、菊池さんに手を引かれて外のバス停に向かう。


 菊池さんが優希さんと知り合ったのは、高校の園芸部だった。あまり人気のない地味な部活だったせいで、入部した時は先輩の部長が一人だけだったらしい。そこで緑化委員と共同で花壇やプランターの植物の世話をしていたのだそうだ。


「僕はもともと植物が好きで部活に入ったけれど、優希はそうじゃなかったんだ。何で園芸部に入ったのかって聞いたら、読書部の代わりだってさ」

「読書部?」

「そう、僕らの高校独自の部活で、名前通り読書だけをする部だった。けれどそれ以外に活動実績がないから、僕らの入学の年に文芸部と合併吸収されちゃって。そっちだと本を読むだけじゃなくて、文を書かなきゃいけなかったんだ。優希はそれを嫌がって、代わりに園芸部に入ったんだよ。わけがわからない」


 優希さんが園芸部を選んだ理由は「特に活動がなく、部室で読書できるだろう」と思ったからだそうだ。ところがその思惑は外れて、ちゃんと緑化という名目の園芸活動があった上に、園芸部には部室がなかった。いったん入部した手前、抜け出すのは気が引けたらしく、結局のところ優希さんは読書せずに園芸部の活動をしていたらしい。


「なんだか不思議な縁ですね」

「まあ、優希がヘンテコに面倒臭がりじゃなかったら、今の付き合いはないはずだしね。何だかんだ言って続いているのも、今考えてみれば不思議な話だなあ」

「よく退部しないで園芸部の活動してましたね」

「まったくだよ。意外なくらいに手伝ってもらった記憶がある。夏休み中も活動で学校に来てくれたし、変なところ律儀なのかもね」


 優希さんのことでちょっと話が盛り上がりながら、ペイスの外へ出てきた。まだまだ日は短く、空はすでに青よりも赤の色が強くなっている。ペイスの建物に夕日が隠れているせいで、このあたり一帯は大きな影となって薄暗かった。バス停には数分後に発車するバスがすでに来ていて、これから帰る人たちが次々に乗っていく。俺はその列の最後に並んだが、するすると進んだおかげで順番は早かった。


「それじゃあ僕はここで。今日は楽しかったよ、ありがとう」

「こちらこそ、ごちそうさまでした。種までもらって、ありがとうございます」

「いいんだよ。また機会があれば遊ぼう。アルバイトも許可が下りるといいね」

「そうなるように頑張りますね」


 バスのステップに上がると、数秒と待たずにドアが閉まる。菊池さんが見送る中、俺を含むほぼ満員状態のバスは大きい揺れとともに発車した。


 流れる景色を眺めながら、今日のことを振り返ってみる。スイーツはとっても美味しくて大満足だったし、柊さんからは菊池さんと同じお店でアルバイトしないかって誘われた。人混みには相変わらず疲れたけど、楽しかったなあって素直に思う。


 アルバイトができるようになって菊池さんと会う機会が多くなったら、今日みたいに楽しく思える日も増えるかな。人混みや仕事は大変かもしれないけど、何だかとてもわくわくしてきて、自然と笑みが零れてしまう。


 アルバイトをしたい。菊池さんとも、もちろん柊さんや優希さんとももっと話をしてみたい。花や園芸のこと、もっと知りたい。これはもう、何としても許可を取るしかないでしょう!


 帰ったらさっそく茜ちゃんと樹おじさんに話そう。心を躍らせながら、バスを急かすことができないのがとてももどかしく感じられた。



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