お花屋さんの事情
二人で一皿ずつ注文したパンケーキはあっという間になくなってしまった。物足りないと思ったのは菊池さんも同じらしく、「もう一皿頼もうか」「はい」のやりとりで再び呼び鈴を鳴らした。
二回目の注文ではパンケーキを四枚にして、なるべくいろいろなフルーツをトッピングした。サクランボとマンゴーをはじめに、オレンジ、イチゴ、キウイを足して、さっきよりもカラフルで豪華にする。ホイップクリームとメープルシロップも増量した上、バニラアイスまで追加。結果は味もボリュームも満点、文句なしに美味しかった。色んな事を菊池さんと話しながら、一つの皿を二人で堪能できて大満足だ。
「お腹いっぱいですー」
「僕もちょっと食べすぎたかなぁ。また時間が合えば来たいね」
「来たいです。今日は食べれなかったものもありますし、どうせなら全種類一回ずつ食べたいですね」
「あはは、全種類かぁ。フルーツもそうだけど、トッピングでもすごい数あるよね。大変そうだ」
「一人じゃ多分無理なんで、茜ちゃんと茉希ちゃんにもついて来てもらおうかなって」
さっきみたいに大きなお皿を何人かで分ければ、全種類コンプリートの道も少しは短くなるかな? もちろんそのときは、一つ一つ味わいながらいただきますとも。
「それはいいね。三人とも仲がいいんだ?」
「学校ではいつも一緒にいますね。あと、もう二人男子の友達ともよく話してます」
「へぇ、男の子も一緒なんだ。そういえば楓ちゃんは人気者なんだったね。明るくて可愛いし、友達がたくさんいてもおかしくないか」
「か、かわっ……!? に、人気者なんかじゃないですよ、全然!」
「そう? みんなでお菓子食べたときはそんな話をしてたと思うんだけどなあ」
「気のせいですっ」
俺が可愛いとか人気者とかありえない。茜ちゃんや茉希ちゃんのほうが女の子として完成してるし、その点では中身が男の俺に勝ち目はないだろう。茜ちゃんはみんなを癒す天使だし、茉希ちゃんはリーダーシップを発揮する委員長タイプだけど、俺には何もない。菊池さんやみんなに褒めてもらえるような何かなんて……。
「人気者かどうかは置いておくとしても、少なくとも茜ちゃんと、茉希ちゃん、だったかな? その二人は、そういう魅力を君に感じてるんだと思うよ。可愛いとか明るいとか」
「魅力、ですか?」
「そうそう。僕もそうなんだし」
「菊池さんも? ……ぅあ」
つまり菊池さんも俺が可愛いって、思ってくれてるってことだ。に、二度! 二度も可愛いって言われた! 大事なことだから二度言いましたってか!? いやでもお世辞って可能性はまだ捨てきれない。そう、いわゆる紳士の嗜みだよ、女性の外見を褒めることは。けど菊池さんってそういうことするタイプに見えないし、どうなんだろう? どっちにしたって、狼狽えるのは様にならない!
「ぁ、ありがとう、ございます」
って、この流れでお礼言うのはなんか違うだろ。そうは思いつつも、出てしまった言葉は口の中に戻らない。ほら、菊池さんは何のことかわからずに首を傾げてる。何やってるんだろう、俺は。
「そっ、そろそろ出ませんかっ? まだお店の前は列ができてますし、長居すると次のお客さんに悪いです」
「ああ、そうだね。ゆっくりできたし、行こうか」
何とか話題を逸らすことができた。くつろげたし、いい感じにお腹も楽になった頃合いだった。立ち上がってリュックの紐を肩にかけ、伝票を取る。
「……ちょっと頼みすぎたかな」
パンケーキは一皿そこそこの値段がする。最初の一つで終われば高めのスイーツ止まりだったのだけれど、最後に菊池さんと食べたのを半分にしても、高校生にはちょっとお高い。大判の図鑑が一冊余裕で買える金額だ。数字を見ながら唸っていると、菊池さんが俺の手からするりと伝票を抜き取った。
「気にしないで、僕の奢りだから」
「えっ? いえいえ、それは悪いですよ。せめて俺の分くらいは……」
「誘ったのは僕だし、実のところ僕だけじゃ入りづらかったんだ。楓ちゃんのおかげで入れたようなものだから、そのお礼だと思ってよ」
と、俺が財布を開く前に菊池さんが支払いを済ませてしまった。ぽかんとしていると、手を引かれて店の外へ連れられる。お店にとってはまだまだ掻き込み時のようで、列は最初の時よりも長くなっていた。それを横目に、菊池さんの後を追う。
「どこか行くんですか?」
「うーん、どこか時間つぶしにゆっくり話せるところないかなって考えながら歩いてるんだけど、どのお店も混んでそうだし、迷ってる」
人混みの隙間から周りのお店を見ると、確かにこの辺りは喫茶店や軽食屋さんが多いエリアだ。出入り口はさっきのパンケーキのお店みたいに、列になっているところも多い。
「参ったなあ、行き先を決めてから出るべきだった。楓ちゃん、疲れてない?」
「俺は大丈夫ですけど……」
そう答えてはみるものの、あまり長く人混みに晒されると酔ってしまいそうだ。菊池さんはきょろきょろと周りを見回しているけど、どうも良さそうなところは見つからないらしい。菊池さんはおもむろに携帯電話を開くと、人にぶつからないように注意しながら弄り始めた。器用だけど、ちょっと危ない?
「しょうがないなあ、寄れそうな所もないし、ちょっと早いけど行こうか」
「行くって、どこです?」
「うちの店、『Radiant Flower』だよ。何か店長が楓ちゃんに話したいことがあるって」
「俺に話したいこと?」
心当たりがなく首を傾げるが、菊池さんはまだ歩きつつ携帯電話を見ている。それからちょっと思慮深げに唸って、「そういえば」と呟いた。
「楓ちゃんは時間あるかい?」
「え? あ、はい、大丈夫ですよ?」
「何時くらいまでペイスにいれるかな? 長い話じゃないとは思うけど、一応確認ね」
「だいたい夕方までです。遅くなると茜ちゃんが心配しますから」
時間はまだ三時半を過ぎたところで、門限にはまだまだ早い。とりあえず急だけど用事も出来たので、いつもの花屋に向かう菊池さんについて行く。
それにしても、いつの間にかペイスに来たら「Radiant Flower」に必ず寄るようになっている。柊さんや菊池さんに会ったり、いろんな植物を見たりできるから俺は楽しいし、いいけれど。
すっかり常連になってしまったけれど、お店に悪いことに何も買った試しがない。ただ通うだけなのでむしろ仕事の邪魔になってないか心配だけど、今回は柊さんからのお誘いなので、迷惑になることはなさそうだ。そんなことを考えながらエスカレーターを降りて、ペイス一階へ到着。この辺りは食品売り場がメインのためか、人通りは目を回すほどではなかった。
「そういえば、今日お店にいるのって柊さんだけなんですか?」
「いや、僕の他にもう一人バイトの子がいるんだ。従業員はその三人だけで、今日はその子のシフトだから、代わりに僕が休みを取ってる。僕もその子も同じ大学だけど、学科が違うから、大学に行く時間も違うんだ。それでなんとか三人で回してるよ」
「そうなんですか」
いつ行っても二人しかいなかったから、もう一人いるなんて初めて知った。しかも菊池さんと同じ大学かあ。知り合い、というか友達なのかも。学科が違うから授業や大学に行く時間が違うっていうのはよくわからないけど、バイトは菊池さんとその人で交互にやってるのかな。ついでに素朴な疑問だけど、店長の柊さんっていつ休みを取ってるんだろう?
花や緑で溢れた店先が見えてくる。植木鉢の間を通り、中へ入った。お客さんはまばらだけど、花屋にしては多いほうだ。お店を手伝った身としては、繁盛してくれているのはちょっぴり嬉しい。
「いらっしゃいませー……あ、早いじゃん」
カウンターから聞こえたのは柊さんとは違う女の人の声。菊池さんがつけていたのと同じ青いエプロンをつけていて、飄々とした動きでカウンターから出てくる。
「あんまり行けそうなところもなくてね。こんなに人も多いし」
「まあ確かに。それで、話してたのってその子?」
「そう、店長お墨付きのお花の妖精さんだ」
何の話だろうと思っていると、女の人が興味津々に腰を折って、ぐっと俺の顔を覗き込んできた。緩くウェーブのかかった明るい色の髪が肩までで揃えてあって、茉希ちゃんよりちょっと長いくらい。目がぱっちり大きめ、全体的に顔つきは整っていて美人。茉希ちゃんほどサバサバしてないけど、人を引っ張る力のありそうな、そんな印象のお姉さん。
「へー、確かにすごくかわいい子。ふーん、私に仕事任せて誠悟はこの子とスイーツデートかぁ、そーなのかぁー」
「デートとか言うな、そんなんじゃないんだから」
「ふーん?」
「流し目でこっちを見ない」
「……ふーん?」
いったん顔を上げたかと思いきや、また俺をじっと観察するスタイルのお姉さん。二度も顔を近づけられて戸惑う俺は、何か言うべきか迷いつつも言葉が浮かばずに、首を傾げることしかできなかった。
「ほら、困ってるだろ。あー、ぶしつけでごめんね楓ちゃん。この人がさっき話したバイトの同僚で、同級生の染矢って言うんだ」
「どうも、染矢優希です。優しい希望って書いて優希。覚えて名前で呼んでね? 誠悟も普段は名前で呼ぶから、急に苗字呼ばれるとなんか気持ち悪いわ」
「気持ち悪い言うな」
「まあそれは置いておいてだね楓ちゃん、君のことはよく聞いてるよ。店長も誠悟もこぞって君を褒めるもんだから、どんな子なのか気になってたんだ。ようやくお目にかかれて嬉しいよ」
と、にっこり笑って右手を差し出してくる。一拍遅れて握手なのかと気づき、慌てて右手で掴んだ。
「はっ、初めまして。こさっ、じゃなかった、北見楓です。その節はお二人にとてもお世話になって」
「あはは、そんなに緊張しなくてもいいよ。大学生で君より年上って言っても、偉いわけじゃないんだからね」
「そりゃ、お店の売り上げに大きく貢献してるのは楓ちゃんだしね。優希が偉いわけないよ」
「それは誠悟にも言えることだよね」
「ごもっともで」
優希さんと皮肉や冗談を言い合う菊池さんは新鮮で、俺の中でのイメージが更新される。親しい人同士だと、菊池さんもやはりそれなりに付き合い方を変えるんだなあ。言葉遣いとかもけっこうフランクになってるし。
「それで、店長は?」
「まだお昼の休憩から帰って来てないよ。もうすぐだと思うけど」
「じゃあ裏で待つよ。人混みで疲れてるだろうし、座らせてあげたい」
「あら、誠悟ったらジェントルマンねー」
「行くよ、楓ちゃん」
「は、はい」
「誠悟君のいじわるぅ~、無視なんてひどーい」
くすくす笑う優希さんを尻目に、俺の手を引いて「Staff Only」の部屋に入る菊池さん。テーブルの前の椅子を引いて、俺に勧めてくれた。
「初対面の人なのに驚いたよね、ごめん」
「い、いえ、確かに驚きましたけど、菊池さんが謝らなくても」
「あいつとは高校からの付き合いでね、誰とでも分け隔てなく接したり話したりできるんだけど、ああいうふうに近くで人の顔を見る癖があるんだ。僕も最初は面食らったよ。ただの近眼らしいから、眼鏡かコンタクトすればいいのに、本人は嫌がるんだ」
「は、はあ……」
「まあそういうわけだから、失礼だと思ったかもしれないけど、どうか許してやってね」
「悪い人じゃないみたいですし、気にしてないですから」
実際、菊池さんと柊さんの知り合いに悪い人はいないと思うし。顔を急に近づけられたのはびっくりはしたけど、謝られるようなことはされてない。そういうところ、優希さんは茉希ちゃんよりうちの母さんに似てるかも? 大らかというかなんというか、それでいてユーモアのあるところとかも。菊池さんをからかってたのはびっくりしたなあ。
「それにしても、店長が楓ちゃんに話って、何だろうね」
「菊池さんも知らないんですか?」
「うん、今日楓ちゃんと会う前にメールが来てね、時間があったらここに連れてくるようにって……お、噂をすればなんとやら、かな」
菊池さんがドアへ視線を投げる。外からは微かに優希さんの声と、聞き覚えのある女の人の声が聞こえてきていた。菊池さんがおもむろに立ち上がってドアを開けると、今まさに部屋に入ろうとしていた柊さんと鉢合わせする形になった。
「まあ、わざわざ来てもらったのに、待たせてごめんなさいね~」
「こんにちは、柊さん」
「さっき来たばかりですし、他に行けるところもなかったんで大丈夫ですよ。えっと、僕は外したほうがいいですかね?」
「別に固い話じゃないから、菊池君も一緒で大丈夫よ~」
「それじゃあみんなごゆっくり。私は店番してまーす」
「優希ちゃんお願いね~」
優希さんが緩い敬礼をして扉を閉めると、倉庫には三人だけになった。菊池さんが新しくパイプ椅子を立てて、柊さんの席を作る。長机を隔てて俺と菊池さんは隣同士に座った。
「さて、本題なんだけど、ぜひ楓ちゃんに受け入れてほしい話があるの」
「お手伝いのお願いか何かですか?」
「そうそう、それに近い。簡単に言うとスカウトってところかしらね~」
言いながら、机の上に一枚の書類を出してきた。名前と住所と、証明写真を張る欄がある。一番上にその書類の名前が書いてあって、
「これって、履歴書?」
「そう。楓ちゃん、ここでアルバイトする気ないかしら~?」
柊さんはにっこりと笑みを浮かべて俺に問いかけた。