至福のスイーツ
周りの視線を意識しながら列で待ってさらに二十分。予想したよりも早く順番が回ってきて、お店の中の二人席に案内された。
緊張の糸を張りつめて店内を見回す。内装は明るい雰囲気の喫茶店で女子受けが良さそう。逆に男は入りづらそうで、やっぱりどこもかしこも女子かカップルばかりだった。そう言う俺も、菊池さんとカップルだと見られているに違いない。気を抜かずに案内された席へ座る。
「楓ちゃん、なんだか顔色悪そうだけど……」
「そんなことないですよ大丈夫です。ところで何頼みますか?」
早口で誤魔化した俺の顔を窺いながらも、菊池さんはメニューを取って開いた。
「ここはパンケーキがメインのお店なんだよ。トッピングとかを自由に選ぶんだ」
「パンケーキ……」
そういえば前に茉希ちゃんが行きたがってたのもパンケーキのお店だった気がする。もしかしてここのことなんだろうか。それとも他にパンケーキを出すお店ってあるのかな。というか、そもそもパンケーキってなんだろう。
「ほらここ、見て」
「はい?」
菊池さんが指したメニューを見てみると、確かに大きい写真が載っている。パンケーキって言うからなんだと思ってたけど、いわゆるホットケーキだ。お皿の真ん中にホットケーキを二枚重ねて、その上からバターとメイプルシロップがかけてある。メニューではこれが定番らしく、クラシックパンケーキと銘打ってあった。
フルーツなんてどこにあるんだと思っていると、どうやらそれはトッピングで自由に選べるものらしい。クラシックパンケーキよりも小さい写真だが、ホットケーキの周りにアイスとフルーツが添えられているものがあった。
トッピングで選べるフルーツは、ラズベリーやブルーベリーなどのベリー類、バナナ、マンゴー、メロン、リンゴ、パイナップル、サクランボ。中にはスターフルーツやドラゴンフルーツなど、噂通り珍しいフルーツもあった。
しかもトッピングはフルーツだけじゃない。上からかけるシロップやソース、添えるアイスの種類と数まで選べる。ホットケーキ自体も枚数を増やしたり、素材を小麦粉からライ麦粉に変えたりすることができた。一体このお店だけで何通りのパンケーキが食べられるんだろう。
「すごいなあ、たくさんあって迷っちゃう……」
「本当だね。こんなにあるなんて知らなかったよ」
種類が多すぎて何がいいのかわからない。ハズレのない定番のトッピングとかをオススメで載せてあれば頼みやすいんだけど……。
「楓ちゃんは決まった?」
「ええと……まだもうちょっと」
「僕もだよ。いっぱいあって悩むよね。気を遣わずに、ゆっくり決めていいから」
「はい」
その返事とは裏腹に、俺は早く決めなきゃと思った。菊池さんはまだ選んでいる最中みたいにメニューを見ているけど、もう頼むものは決めてしまったみたいだ。そうわかるのは、菊池さんの瞬きの回数が増えたから。メニューをまだ選んでいるのなら、それに集中するために瞬きは少なくなるはずだ。
さて、俺も菊池さんをじっと見ているわけにいかない。視線を落としてメニューを凝視する。味が簡単に予想できるものもあるけれど、せっかく来たのなら普段食べられないフルーツを頼んでみたいとも思う。けれどそれがもし口に合わなかったら……という無限ループで、結局なかなか決まらない。
「……菊池さん、決めちゃいましたか?」
待たせてしまっている申し訳なさで顔を上げられず、メニューに視線を落したまま尋ねた。
「あー、うん。無難にあれにしようかなって」
「無難に?」
「そう」
と指をさしたのは机に広げていたメニューではなく、お店のカウンターの方向だった。目を向けると、そこには大きなボードがあって、パンケーキの大きな写真とともにメニューのような文字がある。旬のフルーツの名前が書かれていて、それをトッピングしたパンケーキを掲示しているらしい。いわゆる今の時期のオススメってやつだ。
写真のパンケーキのトッピングは、五月初めに旬を迎えるサクランボ、マンゴー、ビワの三種類だった。それぞれのフルーツを用いたオススメのトッピングも紹介されていて、しかも人気なのかランキングがついている。
「僕はあれのマンゴーにしようと思う」
なるほど、マンゴーなら無難だと納得する。旬のマンゴーを主役にイチゴ、オレンジ、キウイ、バナナ、さらにホイップクリームを添えてある。見た目もよくて一番人気があるトッピングなので、ハズレの可能性は少ないというわけだ。ううん、写真を見てると俺もマンゴーが食べたくなってきた。けど、先に決めた菊池さんとメニューを被らせるのもなんだか遠慮してしまうし、どうせなら違うのを頼もうかな。二番目のサクランボならマンゴーに次いで無難だし、こっちでいいか。
「じゃあ俺はサクランボにします」
「ん、注文するね」
菊池さんが呼び鈴を押して、オーダーを取りに来たウェイトレスさんに注文をつける。どちらも写真通りのトッピングがあって、俺たちはそれを頼んだ。
ウェイトレスさんが去っていくのを見届けて、周りのテーブルに視線を巡らせる。お客さんたちは自分の頼んだパンケーキに夢中で、外で並んでいる時ほどこっちを見てくる人はいなかった。テーブルの上のパンケーキは、やっぱりマンゴートッピングが一番多い。次いでサクランボもちらほら。当たり前だけど、ランキング通りといったところだ。誰もが美味しそうに食べているから、俺たちの分が来るのが待ち遠しかった。
注文してから十五分後、ようやくパンケーキの皿が二つ、俺たちの前に運ばれてきた。菊池さんの前にマンゴー、俺の前にサクランボのパンケーキが置かれる。写真も美味しそうだったけど、本物も負けてはいない。二枚のホットケーキの上にホイップクリームとサクランボが乗っていて、周りにはメープルシロップがかけてある。甘い匂いが鼻孔を擽り、じわりと舌の上に唾液が滲んだ。
「食べようか」
「いただきます」
ナイフとフォークを持ってホットケーキを切り、一口サイズにして口へ運ぶ。生地はもちろんふわっふわ、しかもしっとりしていて口の中の水分がなくなることもないからぱさぱさしないし、焼きたてで何もつけなくてもほんのり甘い。一言にしてしまえば、
「すっごく美味しいっ!」
「うん、本当に美味しい。並んだ甲斐があったよ」
こんなに美味しいホットケーキ、初めて食べた。家でも作れるメニューかと思いきや、さすがにお店で出るものは格が違う。まだサクランボ自体に手を付けてないのに、ホットケーキだけでここまで美味しいなんて。ついついサクランボをほったらかしに、ホットケーキだけ食べ進めてしまう。ホイップクリームやメープルシロップと絡めるとまたさらに甘みが増して美味しかった。気づいた時には二枚目のホットケーキにも手をつけていた。
このままでもホットケーキを食べきれたのだけど、せっかくだからサクランボと一緒に味わわないと。残ったホットケーキを切って、その上にホイップクリームとサクランボを一つ乗せる。サクランボはヘタがなく、種を取ってあるのか穴が空いていた。それを落さないように口の中へ運ぶ。
サクランボを噛んだ瞬間、優しい酸味が口の中いっぱいに広がった。これまで病みつきになっていたホットケーキの美味しさ、ホイップクリームとメープルシロップの甘さに加えて、新たなアクセントが弾ける。柔らかい果肉からそれが溢れ出て、他の素材と出逢い、調和する。この先はもう言葉にならない。パンケーキが俺の中でスイーツの王様になった瞬間だった。
「か、楓ちゃん? 大丈夫?」
「……え? あっ、ぅ、ぁ、そのっ、だいじょぶでしゅ」
いかんいかん、あまりに衝撃的な美味しさだったから放心してしまった。改めてお皿の上を見て、今更ながらホットケーキだけパクパク食べてたことをちょっと後悔する。サクランボはまだあるけど、ホットケーキが足りない。こんなに合うなんて思わなかったな……もっと味わえばよかった。
ふと菊池さんのほうを見てみると、こちらはちゃんと味わいながら食べ進めている。ちょうど二枚目のホットケーキを切り分けているところで、トッピングのマンゴーも最初と比べれば半分くらいになっている。ペースと分量を考えて計画的に食べているみたいだ。菊池さんってきっちりした人だなあ。
「楓ちゃんのも美味しそうだね」
顔を上げると、菊池さんが俺の皿を興味深そうに見ている。
「美味しいですよ。マンゴーはどうですか?」
「最初は想像もできなかったけど、案外パンケーキによく合うね。美味しいよ。よかったら少し食べてみる?」
「いいんですか?」
「うん。代わりって言うのもなんだけど、僕にもサクランボを分けてくれないかな?」
「もちろんです、交換しましょう」
互いにフルーツを少しずつ交換して、同時に口に運ぶ。さすがは南国の果物の代表、なめらかな果肉から甘味の濃い果汁が溢れて、幾度か噛んでいると口の中で溶けるようになくなる。それがホットケーキとよく絡んで美味しい。サクランボとまた違った味わいで、トロピカルな感じが増した。
「美味しい」
「美味しいです」
感想が同時に出て、菊池さんと二人で笑い合う。甘いものですでに頬が緩んでいたせいか、しばらく笑いは納まらなかった。それからは周りのこともすっかり忘れて、パンケーキを堪能した。
2016/10/03 表現を修正