これって、いわゆる
そして、月曜日。
まるで遠足前夜の小学生みたいに興奮して眠れなかった俺は、見事に昼前まで眠りこけていた。目が覚めたのは十一時で、待ち合わせの時間にはまだ余裕はあるけれど、いくらなんでも寝すぎだよと茜ちゃんに呆れられてしまった。
軽い朝食兼昼食を食べてから着替えて、茜ちゃんに見送られながら家を出た。
そう、今回は俺一人だ。
メールの返信には、やっぱり茜ちゃんと茉希ちゃんのことには触れられていなかった。つまり、菊池さんも俺一人を誘ったつもりだったんだ。それも踏まえて、菊池さんは待ち合わせの場所をバス停に変えることを快く承諾してくれた。
駅に向かいながら、建物のガラス窓に映る自分の姿を何度もチェックする。普段はパンツ系ばかり履いている俺なのだが、今日は私服でも珍しいスカートを履いていた。茜ちゃん曰く、男の人と二人で出かける時にはスカートを履いていくものらしい。理由はわからないけど、茜ちゃんが言うんだから間違いないと思う。
制服のスカートに慣れていたおかげか、幾分か抵抗は薄まってきていた。完全に慣れるのも時間の問題だし、それなら早いほうがいい。スカートを履くことを断る理由がなかったのだ。
その結果として、ガラス窓には兎耳パーカーとピンクのスカート、花柄リュックサックを装備した俺が映っていた。少女趣味全開の服装なのだが、見た目が幼いせいか違和感なく可愛らしい格好になっている。客観的に見たら普段よりオシャレに気合が入ってるくらいの服装だ。中身は相変わらず俺なので、ちょっと恥ずかしいのだが。
「まあ、変な格好じゃないし……」
そう言い聞かせて駅への道のりを急ぐと、だんだんと人が増えてくる。ゴールデンウィークもまだ数日残っているので、平日と比べれば駅のホームにいる人は多い。けれど時間が昼過ぎのおかげで、電車が混むほどではなかった。
運よく座席に座れたりもしながら、電車、バスと乗り継いでペイスへ到着する。携帯電話で時刻を確認すると待ち合わせより少し早かった。バスの窓から覗いても、バス停で菊池さんらしき人はいない。すぐ会えると思ったんだけど、早すぎたのならしょうがないか。
バスの運賃を払ってステップを降りたところで、ポケットの中の携帯電話が振動した。降り口から離れて携帯電話を開くと、菊池さんからの電話だ。緊張しながら通話ボタンを押して耳に当てた。
「も、もしもし?」
ちょっと声が上ずって、恥ずかしさから顔が熱くなる。電話に出るくらいで何をこんなに緊張してるんだか……。
「もしもし? もう着いたのかな?」
「あ、はい。今ちょうど降りたところです」
「わかった。もう少しで行くから、ちょっと待っててね」
「はい」
俺の返事を聞くと、「じゃあね」と言ってから電話が切れた。バス停は一階の駐車場、徒歩や自転車で来た人のための入口から少し離れたところにある。菊池さんはバイクで来てるだろうから、こっちに来るなら駐車棟のほうからだろうか。きょろきょろと辺りを見回しているうちにバスは発車して、一緒に降りた人たちは俺を残してペイスへと入っていった。
数分後、ペイスから出てこっちに早足で来る菊池さんを見つけた。控えめに手を振ると、菊池さんも手を挙げて応える。アルバイトの時とは違って、白いシャツの上に藍色のパーカーを羽織り、ベージュのチノパンを履いている。さすがは大学生、服装が高校生とは違って大人な雰囲気だ。
「おまたせ。待ったかな?」
「大丈夫です。時間よりちょっと早いですし」
「そうかい? じゃあ行こうか」
菊池さんは俺の前に立ってゆっくり歩き始める。さっきまで早足だったのにペースが違うのは、俺の歩幅に合わせてくれているからだ。おかげで俺もゆっくりめに歩くことができた。
「電車とバスは混んでなかった?」
「思ったより空いてましたよ。座ることもできました」
「それはラッキーだったね。じゃあちょっと歩くけど、休まなくても大丈夫かな?」
「はい」
ペイスは広いし、今の時期は普通の週末よりも混んでいるから、移動するだけでも結構疲れる。菊池さんはそれを心配してくれていた。
「お昼は食べてる?」
「軽く食べてきましたけど、甘いものは別腹です」
「はは、そっか。すぐにお店に案内するよ」
「はいっ、楽しみです」
そんな会話をしながら自動ドアを通ってペイスへと入る。テナントが並ぶ通路へ出た途端に、人混みが目の前を遮った。前回、水着を買いに来た時よりも遥かに混雑している。
「すごく人多いですね……」
「連休中だからね」
そう言う菊池さんも困っているようで、通路の脇で立ち往生している。このまま人混みに入ってしまうと、逸れてしまうかもしれなかった。一度そうなってしまったら、背の低い俺は菊池さんを見つけられないし、菊池さんからも人混みに埋もれる俺を見つけるのは難しいだろう。
「楓ちゃん、手、いいかな?」
菊池さんが手を差し出してくる。そうか、手を繋いでいれば逸れない。単純にそう考えて頷き、手を重ねてから「あっ」と小さく声を漏らした。
「行くよ。逸れないように気をつけてね」
俺の声に気づかずに、菊池さんは俺の手を引いて人混みに分け入る。ある程度は避けてくれる人もいるけれど、混雑のせいでほとんどはすれ違いざまにぶつかる。そのショックで手が離れないように、菊池さんはしっかりと俺の手を握っていた。
視線が目の前に固定される。俺の前に立って迫り来る人混みの盾になるその人の背中、広い肩、力仕事で程よく鍛えられた腕。そして俺の手を強く、でも決して痛くない力加減で握る大きなその手を、無意識に見つめてしまっていた。
そのままどれくらい歩いたんだろう。数分かもしれないし、十分以上だったかもしれない。時間が麻痺したのは雑踏のせいだけじゃないと思う。経験したことのないような、不思議な感覚だった。
「楓ちゃん、大丈夫?」
「ふぇ? あ、はいっ、平気ですっ」
菊池さんが話しかけてきたおかげで我に返る。気づくとペイスの三階にあるレストラン街の奥まったところに来ていた。昼過ぎだというのにここも人通りが絶えない。店内に入れない待ちの人たちが行列を作っているため、通りよりもさらに通行範囲は狭まっていた。そのうちの一つに俺たちも並ぶ。
「ここですか?」
「そうだよ。よかった、まだ混み初めだね」
列の最後尾は、入ろうとしたお店の隣の隣まで伸びている。ざっと二十人くらいだろうか。この辺りでは間違いなく一番長い行列となっていた。進み具合から察するに、一時間は余裕で待たされそうだ。
「これで混み初めなんですか……」
「ごめんね。もう少しで中に入れるから」
「あっ、いえ、それは平気です。ただ、すごいなあって思って」
菊池さんが気を遣って謝ったので、慌てて訂正する。菊池さんは「人気のお店だからね」とその入口に視線を投げた。
その何気ない横顔にまた視線が吸い寄せられる。胸の鼓動がやたらとうるさい。そういえば手も繋いだままだ。今更離すにはタイミングがないし、菊池さんも離そうとしない。そんな状況で、スイーツの出てくるお店の列に揃って並んでいる。
これって傍から見たら、あれだよね。
単なる友達同士とかじゃなくて、完全に男女カップルのデートにしか見えないよね。
自覚した途端に首から上がかあっと熱くなって、鼓動がさらに大きくなった。頭の中はピンク色のパニック、でも菊池さんから目を逸らせない。
「どうかした?」
「ふひっ! にゃ、なんでもありませんん!」
急に振り返られたらびっくりするよ! 変な声を誤魔化すために咄嗟に顔を下に向けて、ついでに菊池さんを視界の外へ。それでも手は繋いだままで、緊張で滲んだ手汗が非常に気になってくる。
というか、菊池さんはどう思ってるんだろう? 今日はデートとして誘ったんじゃないことは俺もわかる。いや、本当のところはわからないけど、さすがに知り合ってまだ日が浅いし、数回会っただけの女の子とデートなんて、お見合いでもない限り菊池さんがするとは考えられない。
じゃあやっぱりスイーツを一緒に食べたかっただけかな? 菊池さんが甘党なのは本人が言ってたし、スイーツのお店とかって男一人だと入りづらい。逆に女の子連れなら違和感なく入ることができる。実際、俺たち以外に列に並んでいるのも、女友達同士かカップルの人たちが多かった。ということは、俺は菊池さんに軽く利用されちゃったわけだ。
まあ、それくらいなら別にいいけどね。俺だって男の時、オシャレで気になってた花屋に入るために茜ちゃんについて来てもらったことがあるくらいだし。しかも今回は菊池さんとスイーツ食べれるわけだし。デートなんて大それたものじゃないなら、気を張る必要もないかなー、なんて気を抜いた瞬間、周りの視線に気づく。
行き交う人たちはおろか、列に並んでいる前後の人ですら俺たちをまじまじと見ていくではないか。背の低い俺に気づいた後、繋いでいる手を伝って菊池さんのほうに視線を向けて、みんな一様に何かを悟ったような顔をする。俺たちが周りから見ればカップルに見えるかもしれないという予感は、どうやら当たっていたらしい。更なる汗がじわりと掌に広がった。
ここで気を抜いてしまって、俺がなんだかダメそうな彼女と認識されてしまったらどうなるか。菊池さんはそのダメ彼女と付き合っている可哀想な彼氏と認定されてしまう。低身長でスタイルがいいわけじゃない俺と菊池さんが釣り合うわけないんだけど、そこからまた菊池さんの評価が悪くなるのはまずい。ここは俺がちゃんとした彼女のふりをしなきゃ。
「もう少しで入れそうだね、楓ちゃん」
「わかりました。安心してください、きっと上手く演じてみせますから」
「演じ? え、なに?」
「大丈夫です。菊池さんは普段通りにしていてください」
「う、うん?」
お店に入れるまであと数十分。俺は菊池さんの手を握り返して、すっと列の前を見据える。周りもカップルだらけだけど、女として舐められてたまるか。首を傾げる菊池さんを横に、俺は密かに闘志を燃やした。